2012年12月27日木曜日

2012年12月23日日曜日

藪中三十二 国家の命運


2010 株式会社新潮社

20年ほど前、「NOと言える日本」という本がベストセラーになったことがある。
日本はアメリカに対してNOと言える国になるべきだというわけである。
しかし、著者によると、「NOと言えない日本」も「NOと言える日本」も、相手の要求を待ってから答えるという受け身の姿勢に変わりはない。
アメリカに言われてから対応するのではなく、独自の考え方で、どうするべきか考えるのが大国としての姿勢であるが、残念ながら、日本の状況はそうはなっていない。
このような日本の態度は、ペリーが幕末にやってきた時と同じである。
日本は、外圧に弱いとよく言われているが、その理由のひとつは、日本人はアメリカが日本をどう思っているのだろうかと常に気にかけているためである。
そのため、日本の政治家は、世論に押されて、アメリカの圧力に負けてしまう。
相手から要求されてから動くのではなく、自分から動くようにならないと、日本の利益にはならない。
日本の高度成長期には、日本経済は日の出の勢いで、それとは対照的にアメリカ経済は自信喪失の状況にあった。そこで、アメリカは日本に対する巨額の貿易赤字の原因は日本市場の閉鎖性にある、日本が市場を開放しないなら対日制裁をせざるをえないと主張するようになった。
「日本異質論」が出てきて、日本に構造改革を迫ってきた。
日米構造協議のなかで、日本は公共投資のために莫大な財政支出を約束させられ、その後、日本の財政赤字は膨らんでいった。

2012年12月18日火曜日

加賀乙彦 不幸な国の幸福論


2010 株式会社集英社

誰もが幸福を求めるのだが、幸福という理想的な状態がどこかにあると考えるのではなく、自分が幸福になるのだと考えるべきである。
そうすると、自分の心の持ち様によって、今と変わらなくとも、幸福になれることがわかる。
ありきたりの考えのようだが、不幸とか幸福とかは、相対的なものである。
定年後のサラリーマンも、しばしば、心理的に不安定になることが多い。
特に、現役時代に地位や肩書にこだわっていた人ほど、心理的に落ち込むらしい。
現役時代には、会社での立場や、顧客や取引先に気を使って感情を抑えていたのだが、退職後は、そうした心配がなくなるので、抑えていた感情が解き放たれ、ちょっとしたことでも、怒りやすくなる。
病院や銀行などで、待たされたと言って、すぐキレる老人は、かなり多い。
なかには、脳梗塞や認知症の初期症状で怒りを抑制できなくなった「感情失禁」のケースもあるという。
相手にされないのに、なにかと口うるさく小言を言うのも年寄の特徴である。 
歳を取ると、涙もろくなったり、怒りやすくなったり、感情を抑えられないのも一種の老化現象である。
ここで、自分が老化したのだと自覚することが必要で、それによって、もっとゆったりとした気持ちになり、心が穏やかになる。歳をとったら、活動もゆっくりになるので、何をするにもあわてないことである。
幸福とは、心の状態なので、自己の欲望をいくら追及しても、けっして満足することはない。
人のためになることをして、人に感謝されてこそ、自分も幸福になるのである。

2012年12月12日水曜日

宮本又郎 図説/明治の企業家


2012 河出書房新社

明治の企業家と言えば、真っ先に三菱財閥を立ち上げた岩崎弥太郎の名が思い浮かぶ。
岩崎弥太郎は、天保5年(1834年)に、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。
地下浪人は、名字帯刀は許され、武士としての誇りは持つが、実質は貧しい農民と同じである。
そうした家庭環境で成長した弥太郎は、向上心が強く強烈な個性を持った青年に成長した。
弥太郎は、坂本龍馬が率いる海援隊の仕事を陰で支えながら、海運業を実地に学ぶことができた。
新政府ができると、弥太郎の会社は、台湾出兵や西南戦争で莫大な利益を上げ、財閥として成長する財政基盤を築いた。
その後、弥太郎は多角化経営に乗り出し、本業の海運業に関連する海上保険、金融、倉庫を始めとして、炭坑、造船などに進出した。
しかし、政商として大成功したが、薩長の藩閥政府からは、三菱が急成長したのは大隈重信と結びついていたためだと憶測され、「三菱いじめ」に会ってしまった。こうした苦境のなかで、弥太郎は胃ガンを患い、明治18年(1885年)に亡くなった。
明治の企業家には、岩崎弥太郎だけでなく、安田善次郎など従来の世襲的な身分制度を絶対視せず、自らの能力と業績を重視する価値観の持ち主が多く輩出している。
幕末という流動期に生まれた、武士、商人、農民という身分に収まりきれない「マージナル・マン」(限界階層者)が、明治期企業家の主流であった。

2012年12月2日日曜日

田中元 最新福祉ビジネスの動向とカラクリがよ~くわかる本


2012 株式会社秀和システム

国の財政は逼迫しており、政府は、「社会保障と税の一体改革」を旗印にしている。
国の収入である税金を増やし、支出である社会保障費を抑えようということである。
消費税増税によって社会保障財源を安定的に確保するとともに、社会保障制度の「機能強化」を目指すとしている。
「機能強化」というと、社会保障が充実するかのようなイメージがあるが、実態は、社会保障は、国が「必要性が高い」と認めた部分に給付を集中させるという「選択と集中」を意味している。
それでは、どこに「集中」させるのかといえば、介護であれば、要介護への移行を阻止する「介護予防」に、貧困対策であれば、生活保護につながらないようにその前の段階で押しとどめる「就業等に向けた自立支援」などに重点が置かれることになる。最もコストが高くなる前の段階でとどめようとするコストと効率を重視する考え方である。
社会保障費の「重点化」が進むと、「重点化」に漏れた分野への国の給付が厳しく締め付けられるようになる。
従来から、介護や福祉の仕事は、重労働・低待遇が一般的であったが、若い人が福祉の仕事をめざさなくなるのではと懸念される。
介護サービスを受ける側でも、安い費用で質の高い介護サービスを受けることができにくくなる反面、カネを惜しまなければ、手厚い介護サービスが用意されることになる。
「公共性の空間は官だけのものではない」というフレーズが現れたのは、かなり前のことであった。
福祉においても、国がすべて面倒を見てくれることを期待することはできなくなっている。

2012年11月20日火曜日

田中尚輝 団塊シニアだから成功する! NPOビジネス


2006 学陽書房

「団塊の世代」は、どうも分が悪い。
前の世代のように、日本の経済成長を担ってきたというほどの自覚はないのだが、後の世代に比べれば日本の経済成長の恩恵を受けているからである。
退職後も十分な年金を受け取るわけでもなく、それでも、わずかな年金を受け取るのは権利だと思っていたところ、若い世代からは、年金を返してもらいたいなどど平気で言われる始末である。
じっさい、65歳以上は高齢者だといっても、65歳は、まだまだ若く元気である。
従来は、65歳以上になれば、働く場所もなかったのであるが、最近は事情が変わってきたらしい。
日本は、すでに超高齢社会になっており、高齢者のなかでも、80歳以上の長寿者と65歳以上の元気な高齢者に分けることができる。
そこで、元気な高齢者が弱った長寿者を助ける仕事がいくらでもあるようなのである。
昔は、長寿者を助けるのは、家族の役割であったが、いまでは、かっての家族は分裂してしまい、孤独な老人が増えている。
長寿者を助けるのは、社会や地域の役割になりつつある。
元気な高齢者が、NPO法人を作って、さまざまな社会活動をしようとする動きが活発になっている。
今後急速に拡大すると予想されるのが、「移動サービス」である。移動を自力でできない要介護者が病院や買い物、墓参り、などに行くのをサポートする仕事である。以前は、こうした行為は「道路運送法」に規定する「白タク行為」にあたり、法律違反であったが、2006年に道路運送法が改正になり、運送事業者が非営利法人であることなどを条件に、白ナンバーによる福祉有償運送が許可されるようになった。
おなじようなサービスが、地域のデリバリーサービスや御用聞きサービスである。
かっては、千代田区や港区のような都心は、あこがれの住宅地であった。
いまでは、都心は、人口が過疎化しており、商店街もないか、あっても離れたところにしかない。
こういう地域に住んでいる一人暮らしの高齢者に商品を届けたり、ゴミを出したり、「便利屋サービス」の需要も多い。
ただし、NPO法人は、収益を目的とするものではなく、これで儲けようというわけにはいかない。
もし、儲かるということになれば、若い人がやりだして、年寄は締め出されることになるだろう。

2012年11月19日月曜日

繁桝算男 後悔しない意思決定


2007 株式会社岩波書店

意思決定をする際にさんざん悩み、しかも、決定した後で悔やむ人は多い。本書は、そのような人のために書かれた。
本書の立場は、「主観的期待効用モデル」に立脚している。
それによると、どのような意思決定においても、主観的に算定した「期待効用」を最大にするような選択肢を選べということになる。
「主観的期待効用」という言葉は、統計学で用いられている専門用語であるが、意思決定に際しては、最後には二つの選択肢のうちから一つを選ぶことに行き着く。
どちらを選ぶかは自分で考え、良いことが起こる可能性が高いほうを選べということである。
自分で納得して意思決定したのであれば、たとえ失敗したとしても、後悔はしないはずである。
織田信長は、桶狭間の戦いで、今川義元の首をとって大勝利を納めた。このときの信長の意思決定を考えよう。
信長は今川の大軍に対して積極的な戦いをする選択肢とともに、城に立てこもって戦いを避けるという選択肢もあった。
このとき、信長は、少数の軍勢で、今川の大軍を攻撃するほうを選んだ。
このような信長の意思決定は、信長の価値観からすれば、迷う必要のない決定であった。
信長は、「主観的期待効用」の、より大きな選択肢を選んだのである。
織田信長のような大胆な人物は、桶狭間の戦いのようなすばらしい成果を勝ち取ることができる。
しかし、おなじ大胆さが、少数の軍勢だけで本能寺に滞在して、明智光秀に攻撃される隙をつくることになった。
それでも、織田信長のような人物は、自分できめた行動については、けっして後悔はしないのであろう。

2012年11月4日日曜日

岩殿山


岩殿山(大月市)

2012年10月31日水曜日

副島隆彦 お金で騙される人、騙されない人


2010 株式会社幻冬舎

銀行や証券会社で株や投資信託などを買って大損した人がたくさんいる。
2008年の9月に、いわゆるリーマンショックがあったが、その前年の7月には、日経平均株価は1万8千円、円相場は1ドル110円であった。2012年の日経平均株価は9千円、円相場は1ドル80円である。
この5年間、株や投資信託、外貨預金をし続けてきた人は、かならず損を出していることになる。
そのなかで、お年寄りが、銀行、証券、保険会社などを信頼したのに、「騙された」という話があとをたたない。
こうした話は、心情的には「騙された」のかもしれないが、法的に「詐欺」とまで言えるかというと、そうではなく、著者によれば、誰も助けてくれない。
したがって、注意と警戒心を怠らず、すこしでも変だと思うことには近づかないようにすること、ようするに、自分で自分を守る以外に道はないことになる。
それでは、お年寄りが銀行や証券会社に「騙された」ときに、まったく手だてがないのかというと、実は、ある程度の救済策は用意されている。
民事訴訟では、裁判で最後まで徹底的に争うようなことはまれで、その前に、「調停」があり、裁判になっても「和解」という手段がある。
こうした裁判外の紛争解決手段では、当事者同士の話し合いで、お年寄りが、すべて損をかぶることにならないこともあるらしい。

「お金商品」で大損をした人が何百万人もいるのに被害の実情は不明である。
大部分の人は、他人に話しても同情されることはなく、「自己責任」だからとあきらめている。
このように、いまの銀行は、表にはでない金融商品がらみのトラブルをたくさん抱えている。
その結果、銀行の世間に対するアピールは、「振り込め詐欺」の防止に協力したなどという些末な事柄になってしまう。
「振り込め詐欺」も、年寄りがねらわれているのは深刻だが、金を持っている孤独な老人が多いから、こういう事件が起きるのである。
すべての年寄がカネをもっているわけではないが、このところ、医療や介護などをはじめとして、老人相手の仕事が繁盛している。
介護の仕事に携わる若い人も多いが、彼らが歳を取ったときには、おなじように介護を受けられるという保証はない。

2012年10月25日木曜日

丸谷才一 どこ吹く風


1997 株式会社講談社

東京の悪口

東京に住んでいる人は、東京が自慢で、東京が好きかというとかならずしもそうではない。
東京は、明治時代以降に全国各地から移り住んできた人が大部分である。
そのなかでも、とりわけ、大阪出身の人は、せっせと東京の悪口に励むらしい。
なかでも、ありふれているのが、東京の「うどん」の悪口である。あんなもの、とても食えたものではないという。
大阪出身者は、大阪にも愛着があり、東京も住みやすいという両方の感情を持っている。
そこで、故郷に義理をたてて、東京の悪口を言うそうである。「うどん」の味を悪く言うのは、そういうときには都合がいいのである。
そういえば、「関西うどん」というのはよく聞くが、「関西そば」とか「大阪そば」というのは聞いたことがない。
「そば」は、東日本の食べ物なのだろうか。
関西と関東では、言葉だけでなく、食べ物も含めて「文化」の違いがあるらしい。

2012年10月20日土曜日

三浦展 シンプル族の反乱


2009 KKベストセラーズ

最近の若い人の人気ブランドは、ユニクロと無印良品であるという。
世の中、不況のせいもないとはいえないが、「シンプル」が好まれている。
「反乱」とは、おおげさだが、三越や高島屋より、ユニクロや無印良品のほうが好きというのは、ある意味で反乱と言えないこともない。
消費者が生活防衛に走り、節約や「エコ」志向が高まり、「簡素化」が進んでいる。
こうしたなかで、ユニクロや無印良品のようなシンプルな衣食住を提案するブランドが売り上げを伸ばしている。
「シンプル族」は、単にお金がないから質素な倹約生活をしているのではなく、もっと大きな変化が底にある。
ユニクロや無印良品で売っているものがすべていいものだというわけではないが、エコ志向とシンプルライフ志向という価値観の大きな転換を、それらの企業は取り入れている。
こうした変化を理解しない企業は、これからは生き残れないだろうというのが著者の主張である。

ここ20年ほどのあいだに、ユニクロや無印良品だけでなく、ソフトバンクや楽天のような企業が大きくなった。
年寄りにはなじみのない「グリー」や「ディー・エヌ・エー」といった企業が業績を伸ばし、ディー・エヌ・エーは横浜のプロ野球球団を買収したので話題になった。
あまり変化がないようにも見える日本の企業だが、いつのまにか、変わるところは変わっている。

2012年10月13日土曜日

大瀧雅之 平成不況の本質


2011 株式会社岩波書店

巷では「失われた10年」とか「失われた20年」とか、まことしやかに語られている。
しかし、日本経済全体でみると、つい最近中国に抜かれるまでは、世界第2の経済大国の地位を保ち、経済規模もバブル経済当時よりも大きくなっている。
ただ、ここ10年ほど、失業率は上昇し雇用者所得は減少してきたので、それらの言葉が実感をもって感じられるのである。
ということは、大企業の正社員や公務員にとっては、それほど失ったものはなかったが、転職したり、失業したり、はじめから就職できず、派遣社員やアルバイトとして働かざるを得なかった人は、失ったものが多かったということになるのだろうか。
あるいは、職人、医療関係、ITなど特殊な技能の持ち主についても、それほど所得の落ち込みはなかったのだろうか。
所得が伸びず、むしろ減っているのになんとかやっていけたのは、物価が比較的低位に安定していたからである。
「デフレ」とか「インフレ」という言葉は、経済学では、「デフレ」とは物価が下がる傾向のことを言い、「インフレ」とは物価が上がる傾向のことを言う。
かならずしも、不況とデフレ、好況とインフレとがセットになっているわけではない。
「平成不況」は、デフレまたはディス・インフレであるために、閉塞感が漂っているが、なんとかなっているようにも見える。
最近、政治家が「デフレからの脱却」を声高に叫び、日銀に、いっそうの金融緩和を迫っている。
しかし、日銀がこれ以上の金融緩和をしても、景気が良くなるという保証はない。
一般に、人は理屈よりも感情によってより強く動かされる。
人を動かそうとする政治家は、熱のこもった言動によって、国民に強く訴えようとする。
国民が不満を持っているのであれば、景気を良くするという約束もしなければならない。しかし、政策的にどうしたら景気をよくできるのか解らない。
そこで、最後の頼りは日銀だ、日銀が悪者だとばかり、日銀に金融緩和の圧力をかけるのである。
もし、日銀がこれ以上金融緩和を続けていけば、インフレになる可能性はますます高くなる。
「インフレ・ターゲット」などという主張もあるが、所得が変わらないのに、物価だけ高くなったらどうなるのか。
政治家の理解が足りないのだろうか、それとも、政治家が誰かに操られているのかだろうか。

2012年10月9日火曜日

2012年9月26日水曜日

藤巻健史 マネー避難


2011 株式会社幻冬社

日本の累積赤字は、1000兆円近くにも達している。
単年度の歳入は40兆円台であるにもかかわらず、歳出は90兆円台である。
差額は、国債の発行でまかなっているが、政府が財政破綻するであろう日は確実に近づいているように見える。
国債が市場で消化できなくなれば、日銀が国債を引き受けざるを得なくなり、そのぶん日銀券が増発されて、猛烈なインフレを引き起こす。またたくまに、円と国債、それに株価は大暴落する。
著者は、以上のようなシナリオを描いているので、これから資産を守るには、円預金を引き出し、外貨で分散投資するしか選択肢がないと言う。

ところが、最近は、円は弱くなるのではなく強くなっており、インフレどころかデフレである。
これを、どう考えたらよいのだろうか。
長期的には、日本の財政が破綻するリスクは高いが、とりあえず国債が市場で消化されている限り為替レートには影響がない。
為替レートに影響するのは、もっと短期的な外貨(ドル)と円との需給関係である。
日本人は、昔から、日本は資源のない国だから、モノを作って、それを外国に輸出して稼ぐしかないと考えてきた。
変動為替相場のもとでは、輸出企業が稼いだドルを売り円に変えると、ドル売り・円買いという行動になるので、外国為替市場では、つねに円高圧力がかかっている。
政府や日銀は、円高が進むたびに、金融緩和をしたり外国為替市場に介入してきたが、同じ考え方や行動を繰り返してきたので、円高はなかなか止まらないのである。
高くなりすぎてしまった円が、もし安くなれば、日本経済はふたたび好転するであろう。

為替レートは、経済を考えるときには非常に重要である。
中国が大発展を遂げたのも、人民元という通貨を安く保つ政策を続けてきたためである。
かって、中国が工業的に遅れていた頃、日本の企業は、中国では人件費が安いというので、先を争って中国に進出した。たとえば、中国人の給料は日本人の2分の1だとかいっても、中国人が中国で暮らしているかぎりは、他の物価も同じ水準だから、それで十分やっていけることになる。
つまり、人民元という通貨を外貨に対して安くすることにより、外国からの投資を呼び込んだのが中国の政策であった。
日本やアメリカからの資本を受け入れて大躍進をとげた中国であったが、その間、中国の日系企業もまた発展し、ついに日系企業が中国人にとって目に余る存在になってきた。
企業の労働争議でさえもも、ナショナリズムの色合いを帯びてきた。
日本政府による尖閣諸島の国有化に反対して、中国各地で大規模なデモがあり、日系企業が襲撃された。
日系企業が巻き込まれたというよりは、日系企業にたいする強い反感があるからこそ起きた事件のように思われる。

2012年9月21日金曜日

夏の公園


反町公園(神奈川区)

2012年9月18日火曜日

上野佳恵 「過情報」の整理学


2012 中央公論社

今は、「情報」があふれかえっている。
その理由は、もちろんインターネットの普及である。
インターネットで言葉を検索すれば、いろいろな情報がすぐに手に入る。
情報が爆発的に増えている理由の一つは、普通の個人でも情報が発信できるためである。
以前は、限られた地域の人たちにとっては重要でも、それ以外の人にとっては興味をそそられない情報があった。、
たとえば、評判の良いクリニックや歯医者、おいしいレストランなどの情報である。
いまでは、そういう情報でさえも、ネット上には、地元の人の口コミ情報で溢れている。
飲食店や居酒屋は、ネット上の評判を気にしないわけにはいかなくなり、なかにはサクラを使ってまで、良いうわさを流そうとするものが現れることになる。
ネット上の情報は、容易に「コピー・アンド・ペースト」され、おなじような情報が次々と拡大再生産されていく。その過程では、伝言ゲームさながらに、少しずつ内容がずれていき、はじめとは違う内容になってしまう。
大量のネット上の情報の中から、瞬時に入力したキーワードに合致する結果を表示してくれるのが、「検索エンジン」である。検索結果は、上から順番に表示されるが、人が見るのは、上位のランクに表示されたものだけである。
そこで、見てもらうほうでは自分たちのサイトをなるべく検索結果の上位に表示させようとする。
サーチマーケティングとかサーチエンジン最適化(SEO)とは、ウェブサイトの作り方や各種の設定によって検索結果の上位に表示されるような工夫をして、ウェブページへのアクセス数を増やそうというビジネスである。
その結果、検索結果の上のほうだけ見ていると、知らないうちに企業の宣伝や広告のサイトにアクセスさせられることになる。
Googleなどの検索エンジンは、日々改良されているが、知りたい情報が十分に手に入るとはかぎらない。
ネット情報の量はきわめて大きいが、それがほんとうに正確かどうかはわからない。
情報に振り回されない力、情報を見極める力も必要である。

2012年8月31日金曜日

志村嘉一郎 東電帝国その失敗の本質


2011 株式会社文芸春秋

東京電力の原子力発電所は、福島と新潟にある。
どちらも、東京電力の供給地域の外にある。
福島県に原子力発電所をつくったのは、福島県出身の木川田一隆である。
木川田社長は、オイルショックの前から、石油に頼ることの限界を予想し、原子力発電の必要性を考え、福島第一原子力発電所を稼働させた。
東京電力の資料によると、広大な用地を確保するため、当初から茨城県と福島県の沿岸が候補地になっていた。
そこへ、福島県から旧陸軍航空基地跡地周辺が東京電力に打診された。
福島県の太平洋沿岸は、これといった産業もなく、地域振興を目的に工場や原子力発電所の誘致を検討していた。そのため、話はトントン拍子に進んでいった。
つぎに原発ができたのが新潟県である。柏崎刈羽原発も、田中角栄の生家に近い海岸に位置している。
その後、日本列島改造ブームにも後押しされて、全国に原子力発電所が相次いで建設されていった。
当初、原発の危険性はあまり議論されておらず、むしろ過疎地域の振興策として積極的に受け入れられたようである。
それにしても、はじめから海岸近くに原発が建設されていたにもかかわらず、その後何十年にもわたって、大津波を想定する対策がとられていなかったとすれば、なぜかという疑問がわいてくる。
東京電力は、地域独占の大企業で、巨額の政治献金や広告費を使って政界やマスコミに影響力を及ぼしていた。
外からの批判のないなか、社内が慢心の体質になってしまったこともその理由のひとつであろう。

2012年8月30日木曜日

鳥越俊太郎 人間力の磨き方


2006 株式会社講談社

著者が新聞社の入社試験を受けたとき、2次試験はグループディスカッションと個人面接であった。あとでチェックしてみると、おしゃべりすぎる学生と、発言機会の少ない学生は落ちていた。
著者は、大学の授業とは関係のないクラブ活動で司会役を務めていたので、そのときの経験が役に立った。

「事件記者」は、新聞社の花形である。著者も、警察署回りをやらされたが、ただ待っているだけではネタは取れない。捜査員と仲良くなって、情報を貰わなければならない。
ところが、相手は、公務員で「守秘義務」があるので、めったなことでは何もしゃべってくれない。
早朝や夜に相手の家へ行って話を聞こうとしたり、待っているあいだに家族と世間話をしたり、あの手この手で相手に近づこうとする。捜査員と仲良くなることができれば、それとなく何か話してもらえるようになる。
ここで、大学で優秀な成績を取ったような真面目な記者には、「雑談」ができなくて困る人がいる。
天気の話、プロ野球やゴルフの話、相手の出身地の話、家族の話、趣味の話などあれこれ話すことができるのも、新聞記者としてのとりえの一つである。
このように、事件記者は捜査員との間で、「人間的信頼関係」を築こうと努力をかさねている。
これが、同じ「報道」でも、テレビのニュースキャスターになると、まるで勝手がちがい、「30秒のコメントに血を吐く」ような世界で、短い時間にいかにインパクトのある表現ができるかが勝負になる。

あらためて新聞を見直してみると、紙面でもっとも場所を占めているのは、広告である。その次に、テレビやラジオ番組、スポーツ欄や株式欄が紙面を埋めている。
目を引くような事件はあまりないので、見出しの活字をやたらに大きくして、紙面を埋めているようにも見えることもある。
残りの僅かなスペースに書かれている記事の字数は意外と少ないように感じられる。
そう頻繁に大きな事件や事故が起きるわけはないが、新聞に書かれないうちに何か重大な事態が進展していないとはかぎらない。
たとえば、学校でいじめがあって、生徒が自殺し、警察が捜査に入って、新聞が報道する。
新聞が最も恐れるのは、「誤報」である。「コンプライアンス」に敏感になって、たしかな「事実」しか書けない。
一連の出来事の最後のほうになって、やっと新聞記事が出てくるということもありそうである。

2012年8月18日土曜日

エネルギーを選ぶ時代は来るのか


NHKスペシャル「日本新生」取材班

2011 NHK出版

日本の電力供給システムは、「大規模集中型」と呼ばれ、地域独占の電力会社が、発電から送配電までをすべて行っている。
このシステムは、全国一律に安定的に大量の電力を供給し、戦後の高度成長を支えてきた。
原発が増設されるのにつれて、日本の総発電量は増え続け、日本人は電力を「湯水のように」使うことに慣らされてきた。
しかし、原発事故によってこのシステムは脆弱性を抱えていることが明らかになった。
原発事故以降、原発反対派と推進派とが対立している。
「反原発派」は、危険な原発に頼らなくても何とかやっていけると主張し、「原発推進派」は、自然エネルギーは不安定で発電コストも高く、大量の電気を供給することはできないと主張する。
じっさい、2009年の日本の総発電量のうち、原子力の占める割合は約30%、火力60%、水力7%、新エネルギー1%となっており、太陽光、風力などによる発電量の少なさがわかる。
太陽光発電や風力発電のコストが高いのにはつぎのような理由がある。
効率の高くない施設を作るだけでなく、遠隔地からの送電線を新たに敷設するコストが掛かる。
太陽光発電は夜間にはできず、風力発電は風向きや風の強さによって発電量が変わってしまう。
そのため、蓄電池に電力をため込んでから送電しなければならないので、蓄電池の設備にカネが掛かる。
発電した電力は、今のところ電力会社が買い取ることになっている。
電力会社が買い取ることが義務になっていると同時に、電力会社に売らなければならない。
東日本大震災による電力危機以降、従来の仕組みを変えて地域で電力の「地産地消」を目指す動きが被災地の自治体だけでなく、全国各地で起きている。

2012年8月8日水曜日

田原総一朗 ジャーナリズムの陥し穴


2011 株式会社筑摩書房

著者は、好奇心が強く、ひとつの分野を深く掘り進めて、その分野で大成するというタイプではない。無知呼ばわりされ馬鹿にされても、新しい穴を掘るのが好きである。つねに新しい穴、標的に挑戦してきたし、これからもそうしていくつもりである。

1934年生まれだから、戦争が終わったときは11歳であった。
この世代には、大人たちが一夜にして、「天皇陛下のために死ね」から「日本は侵略戦争を起こした」に早変わりするのを見て、大人にたいする不信感を持ったという人が多い。「大人や、偉い人の言うことは信用できない」というわけである。うがって考えれば、そうした大人の態度を、なるほどと真似たのが彼らである。
なまじ「信念」などは持たず、長いものには巻かれろと、その時の権力者に迎合するのがもっとも安全なやり方である。
戦争が終わって、軍部の検閲はなくなったかわりに、今度はGHQの検閲が行われたが、そんなことを気にする人もあまりいなかった。
ジャーナリズムが権力に弱いのは、今も変わらない。
情報の出所は、権力の側が握っており、権力者に嫌われては、情報が手にはいらないことも、その原因のひとつである。
ジャーナリズムが政治的圧力に屈したり、偏った報道を強いられたりするのもよくある話である。
自分を守るためには、強いものに従っておくのが賢明だからである。
とはいえ、権力の側も圧倒的に強いというわけでもなく、権力の中枢であるはずの総理大臣でさえ、ジャーナリズムにはげしく追求されると、簡単に辞めてしまうことがある。
検察の捜査によって社会的に葬られた大物も多い。たとえば、田中角栄、江副浩正などである。
その場合も、検察の裏に、「国家権力」というようなものや、「陰謀」といったものがあるかというと、どうも、そういうわけでもなさそうである。
「権力」や「政権」といっても、けっこう中身はないものらしい。
なんらかの原因で、その地位についた、けっして全能でない人間が「権力」を動かしているのである。
「権力」や「政権」の中身がないのであれば、マスコミも政府を叩いてばかりいればいいというわけにはいかない。マスコミが、対案を用意し、提案をすることも必要である。

2012年7月30日月曜日

加藤英明 岡田克彦 人生に失敗する18の錯覚


2010 株式会社講談社


社会的地位のある人が、女性のスカートの中を盗撮して捕まるという事件が、たまに起きている。
どうして、立派で頭もよいはずの大人が、そのようなばかげた事件を起こしてしまうのだろうか。
経済学的な言い方をすれば、そのような行為をする人にとっては、そこから得られる「効用」はきわめて大きい。
おそらく、そういう行為をする人は、過去に何度も同様の行為をしていたが、発覚しなかっただけである。それによって、彼にとっては、発覚して捕まる確率は非常に低く見積もられるようになる。
そうして、「絶対に大丈夫」と「自信過剰」になって、ついには捕まってしまうのである。
おなじように、ギャンプルで破滅する人も、「過去の成功体験」から、自分には「ツキ」があると思い込んでしまい、「ツキ」さえ戻ってくれば、いくら大きな損でも取り戻すことができると思うのである。
人生においても、若いころのいくつかの成功体験から、自分の「得意分野」であると思ったり、「好きなこと」だと思ったりして、その道のプロを目指す人は多い。だだ、「好きなこと」をやれば、成功するというわけではないし、「好きなこと」をやることによって、それ以外の喜びや楽しみを犠牲にしているのかもしれない。
プロ・スポーツの選手にせよ、オリンピックの選手にせよ、「好きなこと」だけやり通すのには、よほどの覚悟と忍耐力が必要である。たぶん、彼らの人生のなかでは、失ったものもまた多かったはずである。
だから、「ほんとうに好きなこと」が見つからなかったからといって、かならずしも、がっかりすることはない。
「ほんとうに好きなこと」が、すぐに見つからないことは、人生をすごす上では、けっして悪いことではない。

2012年7月24日火曜日

郷原信郎 思考停止社会


2009 株式会社講談社

形式的な「法令遵守」と、上から命令していくだけの誤った「コンプライアンス」ばかり続けていくと、日本の社会は壊れてしまいかねない。
ほんとうのコンプライアンスとは、たんなる「法令遵守」だけではなく社会的要請に応えることをめざすべきである。
「法令遵守」が徹底された今の世の中では、何か問題が表面化すると、何が起こったのかとか、その背景・原因などより、法令に違反したかどうかだけが問題にされ、行為を行ったとされる者は、マスコミや世論から、問答無用の厳しい非難が浴びせられる。「法令遵守」は、黄門さまの印籠と同じように絶対的な権威となり、この印籠を向けられたものは、その場にひれ伏し悔い改めるよりほかはない。
何が問題なのかということを考えようともせず、「法令遵守」のみをかかげる日本の社会は、思考停止に陥っている。
物事が単純化され、本質が見失われ、一面的な評価しかされないことにより、日本の社会全体の「パワー」は確実に低下している。
「印籠」によって人々を思考停止に陥らせるのに大きな役割をはたしているのがマスメディアである。
マスメディア報道によって「法令違反」「偽装」「隠蔽」「改ざん」などのレッテルが貼られ、徹底的に叩かれると、当事者は一切の反論ができず、その場にひれ伏すような状態にされてしまう。
こうして犠牲になったものには、不二家、村上ファンド、社会保険庁などの名前が浮かんでくる。
これらの事件も、個別に検証すると、法令違反があったのかも被害者がいたのかも疑わしいものが多い。
度が過ぎたバッシングは、社会全体の活力を低下させ、日本の社会や経済に悪い影響を与えている。
日本の社会が、「遵守」による思考停止から脱却し、パワーを取り戻すためには、「印籠」を示されたものが、ただひれ伏すのではなく、「印籠」が何を意味しているのか、正面から向き合って問いなおす態度が必要である。

2012年7月22日日曜日

三上延 ビブリア古書堂の事件手帖


2011年 アスキメティアワークス


「ブック・オフ」で本を売るというのは、いらなくなった本を売るという意味では、せいせいするが、「売る」というにはほど遠い安値で本を手放すことになる。
最近では、図書館に、リサイクル棚が置いてあり、そこへいらなくなった本を置いておけば、誰かが引き取ってくれる。
私は、「ブック・オフ」の105円均一の本を何冊も買う人を見たことがある。そのときは、ずいぶん熱心な読書家だなと思ったものであったが、なかには自分で読むのではなく、どこか他のところで売るために本を買っている人もいるらしい。
「ブック・オフ」は、正確には「古本屋」ではない。
ほんとうの「古本屋」というのは、いまでは手には入らない珍しい本を集める収集家であり、読書家である。
そういうめったに手にはいらない本は、それが欲しい人にとってはいくらお金を払っても惜しくないほどの価値がある。
「ブック・オフ」では、そのようなめったにない本でも、古くてきたない本は値もつかない。
そこで、「ブック・オフ」で安く仕入れて、高く売ろうとする人があらわれる。
105円均一の本を何冊も買っていたのは、そのためだったのかもしれない。
いまでは、ネット上で、個人が古く珍しい本を売るのはかんたんである。
こういう商売を「せどり」という。「せどり」とは、本の背表紙だけを見て、棚から取ることだというが、たしかなことはわからない。
誰かが読んだ古い本には、新刊にはないそれぞれの物語があり、独特の雰囲気がある。
著者は、「古本」ないし「古書」の話をずっと書いてみたいと思っていたとのことである。
どうやらそのもくろみはうまくいったようだ。

2012年7月13日金曜日

津田倫男 大解剖 日本の銀行


2012 株式会社平凡社


「銀行」は、多くの個人や法人から「預金」というかたちでカネを集め、それをまた多くの個人や法人などに「融資」というかたちで貸す。そのあいだの金利の差が「利ざや」という銀行の儲けになる。
銀行預金は、預金保険機構により、元本1000万円と利息の合計額まで保証されている。
銀行業務の基本は、預金と貸出、決済であるが、いまの銀行は預金集めにそれほど熱心ではなくなった。超低金利のため、利ざやが極端に小さくなり、その上、預金保険機構に支払う保険料がバカにならないからである。
融資についても、景気低迷が続いているため、企業倒産や業績不振が相次ぎ、不良債権を増やすくらいなら貸さないほうがいいという態度になってしまっている。
融資をしない代わりに、資金を運用する先が、「日本国債」ということになる。
預金を国債で運用しても、たいした利益にはならない。そこで、銀行が頼りにするのは、手数料収入である。決済あるいは為替は、銀行の本業であり、ATM利用料、振込手数料、口座振替手数料などの手数料収入は大きい。
このほか、大手の銀行では、国際業務による収入が大きい。さらに、最近では、銀行で証券や保険も取り扱うようになっている。
こうしてみると、中小企業の成長を手助けするという本来の銀行の役割を果たしていないという批判にも一理ある。
日本では、地方銀行や信用金庫といった地域の金融機関の数が多すぎると以前から言われてきた。おそらく、こうした地域の金融機関は、地元の資産家層に支えられているのであろう。
そうでなければ、わざわざ専門でない銀行で証券や保険を買う理由はないはずである。
地元の産業が衰退するとか、国債価格が暴落するとかいうことでもないかぎり、地方銀行や信用金庫は数が多すぎると言われながらも生き残りそうである。

2012年7月10日火曜日

渋谷

渋谷ヒカリエ8Fより


宮益御嶽神社

2012年7月5日木曜日

佐高信 小沢一郎の功罪


2010 毎日新聞社


「タレント文化人筆刀両断」というタイトルで「タレント文化人」をこきおろしている。
大前研一にあこがれてマッキンゼーに入社した勝間和代は「おんな大前研一」であるという。
「マッキンゼー病」とは、根本的な構造や体質を変えようとはせず、一時しのぎの解決策めいたものでごまかすことである。
二人とも、大勢のファンに囲まれているが、大学を出て大企業に入るような一部の人たちである。
マッキンゼーがコンサルタントを引き受けるのも、大企業である。
そういう意味では、二人とも、おのずから限界があることは認めなければならない。
逆に、限られたフィールドのなかで特化したことで成功したということではないだろうか。

京セラの稲盛和夫は、京都府八幡市円福寺に「京セラ従業員の墓」を建てるなど、オウム真理教も顔負けのマインドコントロールを社員に強いるので、著者は京セラならぬ狂セラと呼んでいる。
たいていの企業では、社員を会社色の「カラー」に染めようとしている。
「名経営者」といわれる人ほど、「神がかり」になる傾向はあるのかもしれない。

「浅草のフランス座というストリップ劇場で漫才をやっていたたけしもずいぶんエラクなったものである。」とは、「ビートたけし」のことである。過去になにをやっていたかとかいうのはどうかと思うが、ビートたけしの毒舌ぶりも人気のヒミツであろう。
ビートたけしの「たけし菌」が増殖していて、東国原秀夫、橋本徹もその保菌者であるという。
そういえば、宮崎県では、口蹄疫の大流行で大騒ぎになっていたのが悪夢であったかのように忘れられ、東北地方の風評被害の影響で、宮崎や鹿児島県の農産物や畜産物の人気が高くなっているようだ。

2012年6月27日水曜日

八幡和郎 世襲だらけの政治家マップ


2011 株式会社廣済堂出版


日本では、親の「地盤」を引き継いで政治家になる「世襲政治家」の数が多い。
最近の総理大臣もほどんどが世襲政治家である。小泉純一郎は、祖父の代からの政治家一家に生まれた。
「変人」と言われた小泉純一郎が総理大臣になるには、同じく世襲政治家の田中真紀子の功績が大きかった。
小泉純一郎は、若い頃、福田赳夫や安倍晋太郎にたいへん世話になった。
そこで、それぞれの子供である福田康夫や安倍晋三を特別に優遇し、総理大臣になるのを助けて恩を返したのである。
麻生太郎も、吉田茂の孫で、大富豪である。
世襲政治家が多いのは、民主党でも同じで、小沢一郎と鳩山由紀夫は、典型的な世襲政治家である。
菅直人と野田佳彦が総理大臣になって、世襲政治家の独占は打ち破られたが、いずれも苦戦を強いられている。

世襲政治家は、本人の能力というより父親や祖父が政治家であったことで国会議員になり、政界で異例のチャンスを与えられ、「収まりの良さ」ゆえに権力の頂点に立つというのがひとつのパターンになっている。
その結果、国民は、誰が総理大臣になってもまともな期待をしなくなっている。
このような政治家しか持てないのは、国民の不幸と言えば言えなくもないが、国民の責任でもある。

日本では昔から「世襲」が美徳とされてきた。
能や歌舞伎のような伝統芸能の世界はもちろん、老舗の商店や農家も同じである。
農業という職業は、親が農家でなければ、ほとんど、就くことができない。
都会の農家は、地主という別の一面を持っているが、親が地主でなければ、子が地主になるのは無理である。
「世襲」という慣習の根は深い。

2012年6月26日火曜日

種田山頭火 1882~1940


先日、読売新聞の「名言巡礼」に山頭火の「濁れる水の流れつつ澄む」が取り上げられていた。
山頭火の句碑は全国に800以上あり、芭蕉の3300に次いで多いそうである。
43歳で行乞の旅に出た山頭火は57歳で亡くなるが、その直前、庵のそばを流れる小川を見て自分の生涯と重ね合わせるように出てきたのがこの句である。
行乞の旅のなかで詠まれた句には「分け入っても分け入っても青い山」「うしろすがたのしぐれてゆくか」「鉄鉢の中へも霰」などがある。
テレビ番組「吉田類の酒場放浪記」の吉田類も山頭火と同じように酒ばかり飲んで放浪の旅を続けている。
黒ずくめの服装も山頭火を真似したのだろうか。

2012年6月17日日曜日

季節の花

ほたるぶくろ
あじさい

2012年6月12日火曜日

新藤兼人 いのちのレッスン


2007 青草書房株式会社

シナリオライターで映画監督の著者は、つい最近100歳で亡くなった。
31歳のとき最初の妻を失った。軍隊に召集され100人の部隊のうち生き残った6人のうちの一人となった。
34歳のとき再婚し、長男が誕生した。39歳のとき、女優の音羽信子と出会い、関係をつづけながらも、妻と別れようとはしなかった。60歳のとき、妻が家を出て、離婚した。その後、5年ほどして妻の死を知らされた。音羽さんと正式に結婚したのは66歳のときであった。そんなせいか、著者は、夏目漱石の「こころ」という小説に衝撃を受けた。漱石は、人間とは裏切る生きものなのだと書いていた。70をすぎたころには、永井荷風のすごさに脱帽した。その徹底的に自己のみを貫く生き方に感動したのである。
著者の生き方は、波瀾万丈で、周囲に波風を立て続けてきたように見える。しかし、著者は、シナリオを書きたい、映画を撮りたいという衝動に突き動かされ、わがまま勝手に生きてきた。だから、90をすぎても、心は老人にならず、つねになにかを欲してざわめいている。

2012年5月26日土曜日

宿輪純一 通貨経済学入門


2010 日本経済新聞出版社

貨幣には、交換手段、支払手段、価値貯蔵手段という三つの役割がある。このため、貨幣には高い「信認」が求められる。
貨幣を発行できる特権を「シニョレッジ」という。国際取引で中心的に使われるのが「基軸通貨」で、歴史的には、金、ポンド、ドルの順で変わってきた。基軸通貨は、人為的に決まるものではなく、事実上の慣行で決まる傾向がつよい。アメリカ・ドルが基軸通貨となったのは、アメリカが強国で、経常黒字、対外純資産国であったためである。ところが、現在のアメリカは世界最大の債務国となっている。アメリカ経済は世界一の規模を誇り、数年前までは、消費も大きく、世界中からモノを輸入して、赤字となっていた。さらに財政赤字も大きく、国全体が借金をしてモノを買う体質になっていた。クリントン政権におけるルービン財務長官はドル高政策を採用して、世界中からマネーを集めた。アメリカは経常赤字を埋めることができ、大量に集まったマネーは、株高を演出し、アメリカ経済はかってない好景気を謳歌した。中国や中東の国は、アメリカ・ドルと固定的な相場制度を採用しており、通貨としてのアメリカ・ドルを支えている。中国も中東も対米では大幅な経常黒字となっているが、それらの国は貿易で得たドルでアメリカ国債を買って運用している。貿易もドル建てで行われており、基軸通貨としてのドルを支えている。アメリカの赤字と周辺国であるアジアの黒字という「非対称性」が、ここ10年ほどの基軸通貨ドルを中心とした国際通貨体制となっており、これを「新ブレトンウッズ体制」と呼ぶこともある。
以上のように、アメリカ経済は、双子の赤字という不均衡がベースになっていた。
ところが、不動産バブルがはじけ、株が暴落し、金融危機が発生すると、これからも不均衡を維持していくことはできないのではないかという懸念が強まった。オバマ大統領は、均衡に向かう政策を採用し、貿易面でも、貿易赤字第一位の中国に対して人民元切り上げの圧力をかけている。通貨安政策は、昔から輸出を増やすために使われている。オバマ大統領は、輸出倍増構想を打ち出し、2国間のFTA(自由貿易協定)を推進する姿勢をしめしている。アメリカはTPP(環太平洋経済連携協定)を主導しており、TPPに参加するには、農産物などに例外をもうけず、市場開放することを条件にしている。このように、いままで世界のエンジンとして需要を作り出してきたアメリカが、外国に頼るような政策に変更した。いまや、世界経済のエンジンはアメリカから中国などの新興国に移りつつある。
日本では、変動相場制を採用しているので、サブプライムショックやリーマンショック後、大幅な円高となった。
先進国では、低成長のため、低金利政策をとるなどして、マネーの供給が増大している。低い金利の先進国のマネーは、高い金利の新興国に流入して、新興国の為替レートを上昇させている。
投資対象として注目されているのが、「高金利通貨」と呼ばれる4通貨で、オーストラリア・ドル、インド・ルピー、ブラジル・レアル、南アフリカ・ランドである。
こうしてみると、デフレからの脱却をねらった日本の超金融緩和政策は、じっさいにはグローバル市場に大量のマネーを供給し、様々な国で、不動産、株式、商品などにバブルを発生させたり、為替相場の変動を大きくしたりして、世界経済を揺さぶっていることが考えられる。

2012年5月22日火曜日

勝間和代 起きていることはすべて正しい


2008 ダイヤモンド社

三毒追放

「三毒」とは、仏教用語である。広辞苑によると貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三つである。
著者による「三毒追放」とは、「妬まない、怒らない、愚痴らない」という三つの習慣で、著者は、これを紙に印刷してオフィスのブースに貼り毎日眺めていた。その結果、味方が増え、運を引き寄せることができるようになったそうである。
「三毒」のようなネガティブな感情は、相手に対する攻撃となるだけでなく、自分にも跳ね返ってきて、自分がポジティブになるのも妨げる。「三毒追放」の内容は、お寺の壁に貼ってあるときには、気持ちを穏やかにして、相手を許すという意味も含まれそうである。これに対し、著者の場合は、より合理的な「技術」としてとらえているようである。
嫉妬を感じる相手には、敬意を払うと同時に、しっかり分析し、参考になるところはどんどん取り入れて、一歩でも近づく努力をする。相手を妬むひまがあったら、その要因を要素に分解する。冷静に考えることができれば、妬む気持ちも薄れていく。
著者の場合、もっと実際的だと思われるのは、「怒らない」ことにあらわれている。自分の気持ちを抑えたり、相手を許したりするというより、いろいろやってみても、それでもだめなら、相手から物理的に遠ざかるのである。怒りの対象から遠ざかれば、怒りの感情も薄れていく。
著者は、わずか19歳で公認会計士の2次試験に合格し、21歳で1児の母となった。いくら優秀でも、男性中心の日本社会のなかで、若い女性がやっていくのはかなり大変だったであろう。著者は、その後、監査法人を辞めて、外資系企業に転職し、コンサルティング・ファームを経て、いまは、経済評論家として多数のベストセラー本を出している。ここまでやってくるのには、多くの「怒り」の対象から遠ざかることが必要だったのではないかと思った。著者の「三毒追放」とは、自身の悪戦苦闘の経験から得られたものなのであろう。

2012年5月16日水曜日

芭蕉 おくのほそ道


「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。
・・・
弥生も末の七日、明ぼのゝ空瀧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

行春や鳥渧魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。」

芭蕉が江戸を出発したのは、今の暦で5月16日であった。多くの人々が芭蕉一行を見送り、別離を嘆く様は、目は魚の目のように濡れ、鳥が鳴くように悲しい声を出したという。当時、いかに芭蕉の人気が高かったかわかろうというものである。
芭蕉の人気はいまも絶大で、各地に句碑や像が建てられている。しかし、なぜ、五・七・五というわずか17音で感動するのか不思議と言えば不思議である。思うに、単なる17音だけでなく、芭蕉がいつどこで読んだのかというようなことに意味がありそうである。子供が池にカエルが跳びこんだのでポチャンと音がしたよと言っても、それが芸術だとは言わない。ということは、芭蕉そのものが芸術ということになりはしないだろうか。芭蕉は、旅の前から、松島の月をぜひ見たいと言っていたのに、松島では、あまりにすばらしくて言葉にできないと言って一句も詠んでいない。それでも芭蕉を支持する人は、芭蕉が松島に行ったというだけで納得する。いっぽう、芭蕉に反感を持つ者は、あんなに楽しみにしていた松島でその程度の句しか詠めないのかとけなしてやろうとしていたが、芭蕉に肩すかしを食わされてしまったことになる。もっとも、句というのは、さあ詠めと言われて詠めるものではなく、自然な感動が口をついて出てくるものだとすれば、単に出てこなかっただけかもしれない。
人そのものが芸術であるとは、しばしば言われている。それは、弱々しい老指揮者が指揮をするだけで人々が熱狂することからも容易に想像することができる。人の心を動かすことにかけては、芸術家とシャーマンとは、よく似ている。しかし、シャーマンがその場かぎりなのに対して、芸術家は時代を超えて人を感動させるのである。

2012年5月5日土曜日

2012年5月1日火曜日

マークJ.ぺン/E.キニー・ザレスン マイクロトレンド


吉田晋治 訳

2008 日本放送出版協会

私たちは、選択肢が氾濫する世界に生きている。人生のあらゆる場面で、かってないほど幅広い選択肢のなかから自由に選択している。
今では、巨大な影響力をもつ「メガトレンド」は、ほとんど存在しない。
だれもが夢中になるような巨大な影響力をもつ「トレンド」は存在せず、その代わり、いくつもの「マイクロトレンド」が生まれている。
「マイクロトレンド」とは、小さな動きが大きな「トレンド」になっていくのではなく、目立たない小さな動きが、社会を形作るのに大きな影響を及ぼすことである。
たとえば、次のような「マイクロトレンド」がある。

結婚しない人が増えた。
50代、60代で子育てをする人がいる。
独身男性より、独身女性のほうが住宅を買う。
仕事を家でする人が増えた。
学校にいかない子供が増えた。
定年後も働く高齢者が増えた。
親の介護をする男性が増えた。
質素な暮らしをする富裕層が増えた。

いまの社会は多様化していて、他人と違うことをする人に対して寛容になっている。その結果、いろいろな社会現象が現れる。
しかし、それらが「マイクロトレンド」と呼べるかどうかは、また別である。
それでも、小さな「トレンド」が無数に生まれて、世の中を変えていくという考えには、それなりの説得力がある。
大きな「トレンド」だけ見ていると、未来予測を誤りかねない。少子高齢化という大きな「トレンド」からは、年金制度の崩壊が予測されるが、定年後も働く高齢者が増えれば、年金制度は破綻しないかもしれない。

2012年4月29日日曜日

2012年4月24日火曜日

世古孜 ニホンオオカミを追う

1988 東京書籍株式会社

かって本州、四国、九州に分布したニホンオオカミは、1905年に奈良県で捕獲されたものを最後に絶滅したとされている。
なぜ絶滅したのかはナゾであるが、著者は病気の流行によるものではないと考えている。なぜならば、伝染病ならば、犬も感染しているはずだからである。もっとも考えられるのは、個体数が減少して、種族を維持することができなくなったことであろう。
著者は、オオカミは絶滅したものの、オオカミとイヌとの混血のイヌがいると考えた。紀州犬という猟犬にはオオカミの血が混じっているという。私は、遺伝のことはよくわからないが、隔世遺伝とか先祖帰りという言葉は聞くことがある。オオカミがイヌの先祖であれば、オオカミの資質をもった仔犬が生まれることがある。こういうイヌを交配させることによってオオカミを復活させようというのが、著者の試みであったが、志を遂げることはできなかったようである。
将来、遺伝子工学と呼ばれる技術が進歩すれば、もしかしたら、ニホンオオカミを復活させることもできるようになるかもしれない。
著者の故郷である伊勢や熊野には、平家の落人部落と言われている場所がいくつかある。そこには平家の末裔たちが暮らしているといい、著者は、若い頃、そのような平家部落で、はっとするような平安風美人を見たことがあるそうである。このように、人間でさえ何代も前の資質があらわれるのであれば、つい最近絶滅したとされているオオカミの資質がイヌに受け継がれていないわけはない。
オオカミを追い求めることにとりつかれてしまったのは著者だけではないが、そこに共通するのは、オオカミは犬よりも優れた生き物であるという感覚である。人間の召使いになってしまった犬より、人間に媚びを売らないオオカミに惹かれるのもまた自然な感情であろう。

2012年4月20日金曜日

2012年4月17日火曜日

野口悠紀雄 実力大競争時代の「超」勉強法

2011 株式会社幻冬社

1940年生まれ

著者は、もう70歳を超えており、「超」という言葉が流行ったのも、何年か前のことであった。
企業であれば、とっくに、引退している年齢である。それが、今も第一線で活躍できるのは、やはり「超」勉強法などの有効性を自ら実証していることになるのだろう。ただ、勉強は成功の必要条件であるが、十分条件ではない。だから、勉強したからと言って成功するとは限らない。しかし、勉強しないと成功しない。それにしても、年齢によって「定年」を定めて、歳をとると能力までなくなってしまうというような考えが横行しているのは困ったことである。
本書によると、大学生の就職内定率が最低になったのは、単に景気が悪いだけのためではなく、日本の企業が外国人学生に目を向け始めたためも大きいという。たとえば、パナソニックは2011年度新卒採用の8割は外国人になった。東芝やソニーも外国人の採用を増やし、野村証券もリーマンブラザーズの一部門を買収したため、外国人社員が半数近くにまで増えた。もっとも、これは、企業全体で、海外で外国人を採用する「グローバル採用枠」も含めての話である。
これから成長する市場は、日本や先進国ではなく、新興国とりわけ中国であると言われていて、日本企業の海外での投資が増えている。人材面でも、設備と同じ動きが生じており、新興国の優秀な留学生を採用しようとする企業が増えている。
それでなくとも、採用条件に「英語と中国語が堪能な方」と書いてあれば、日本人はたいてい尻込みしてしまうだろう。
私は、日本の企業は外国人の採用に積極的でなく、また、たとえ外国人が入社しても差別されるのではないかと思っていたが、事態は変化しているようである。
「ゴーイング・コンサーン」としての企業は、日本が衰退したとしても、生き残らなければならない。とすれば、こうした動きがおこるのも無理はない。

2012年4月15日日曜日

2012年4月14日土曜日

中谷健一 「どこでもオフィス」仕事術

2010 ダイヤモンド社

N氏はコンサルティング会社の経営者である。と言っても、実体は、ほぼ個人商店である。自社オフィスは、青山においてあるが、レンタルオフィスで、電話の受付サービスと郵便転送サービスを利用している。そこに居ることはほとんどなく、大部分の時間を、クライアント企業やその他の外出先ですごしている。このような働き方ができるのは、ネットにつながるパソコンさえあれば、どこでも仕事ができるようになったからである。
外出先のあらゆる場所がオフィスになる。もっともよく利用するのが、ルノアール、スタバ、マックなどのカフェで、無線LANや電源まで利用できるところがある。ルノアールでは、いくら居ても嫌な顔をされることもない。もっとも、セキュリティには十分注意しなければならない。トイレで席をたつ時には、パソコンもいっしょに持っていくのがもっとも安全である。子供が休みのときのマックは、子供がゲーム機を使うので無線LANがつながりにくくなることがあるので注意である。
外出先で書類のプリントをしたくなるときがある。このようなときには、コンビニでプリントアウトできるところもある。都会では、ビジネスサービスセンターでパソコンからプリントアウト、さらに製本まですることができる。
ファイルはクラウド上に保管して、パソコンとスマートフォンを使用している。こうしておけば、どこでも思いついたことを入力することができるし、データを取り出して利用することもできる。
このような自由な働き方は、自営業者しかできないというわけではなく、ふつうの企業の営業担当者でも同じような行動をとっている。最近、日本の企業でも、「成果主義」が導入され、成果を達成さえすれば、勤務場所も勤務時間も関係なしという会社もあらわれた。
そうなると、会社のチームとしての結びつきが弱くなるかというと、そうとも限らず、ネットにつながるパソコンでしょっちゅう会議をしているようである。行動も「位置情報システム」である程度管理されている。
こういう働き方が、もし一般的になると、不要になるのが、巨大な本社ビルであろう。現在でも、銀行などでは、かって建てた立派な本店ビルの使い道がなくて困っているのではないだろうか。外から見ると立派だが、内部は、ガラガラで薄暗く、メンテナンスのコストばかりがかかっているのだろう。

2012年4月13日金曜日

蜂屋邦夫 図解雑学 老子

2006 株式会社ナツメ社

「老子」という書物は、今から二千数百年前の中国で、複数の人物によって書かれたといわれている。もっとも、考え方はそれ以前からあったのであろう。宇宙の根元を「道」というが、「ミチ」と呼ぶより、「タオ」と言うのがふさわしい。「老子」を読んだと大声で言う人は、あまりいない。そもそも、「老子」では、偉くなったり目だったりしないのが理想の生き方であるとされている。しかし、「老子」という書物は、昔から広く読まれてきたので、よく知られた言葉が多い。
「上善如水」とは、最上の善は水のようなものという意味で、水は万物に利益を与えながら、しかも争わず、誰もが嫌う低いところに落ち着くという。水は、また、柔らかいが硬い岩をもうち砕く強い力をもっている。
「和光同塵」とは、「道」や「道」を体得した人物は、自らの知の光を和らげて隠し、俗世間の人々のなかに同化して交わるという意味で、仏教にも取り入れられた。
「大器晩成」は、ふつう、大人物は徐々に大成するものであると解釈されている。しかし、本書によると、最近発見された古文書には、「晩」という文字ではなく、「免」とあったという。それならば、大いなる器は完成しないという意味になり、「老子」の本来の意味もそこにあったらしい。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉も有名である。天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕らえるという意味でもあるし、一生懸命頑張れば、きっといつかは誰かが認めてくれるという意味にも解釈されている。しかし、「道」からみれば、人の一生など、ほんの一瞬にすぎない。分からずに終わる悪事もあれば、報われない人生もたくさんあるにちがいない。「道」は、万物を巻き込んで流れている渦のようなもので、人間もその中にいるのだが、ふつうの人間にはとらえることはできない。

2012年4月5日木曜日

野村総合研究所・電通 スマートマネー経済圏 新版

2011 日経BP社

スマートマネーとは、現金以外で、一般に「電子マネー」と呼ばれている決済方法である。
景気は低迷しているが、電子マネーの利用は増え続けている。JR系のSuica、ICOCA、私鉄によるPASMO、流通系のnanaco、WAON、および楽天のEdyなどがあり、リアル店舗での買い物や、インターネットによる決済に利用されている。電子マネーやクレジットカードを利用すると、たいてい、顧客にポイントが付与され、ポイントの魅力が利用をさらに促進する。利用情報は分析され、新しいマーケティング手法が次々と編み出されている。
電子マネーを支える技術が、非接触ICカードという技術である。カードだけでなく非接触ICチップを搭載した「おさいふケータイ」を使えば、複数の電子マネーを1台のケータイで利用できる。
電子マネー相互の利用も進んでおり、Suicaでセブン・イレブンの買い物をすることもできる。
このようなスマートマネーは、日本の消費市場における数少ない成長領域であり、変化に気づかず対応が遅れている企業は、いずれ消費者から見放されてしまうかもしれない。
法制度の整備も進んでおり、2010年には「資金決済に関する法律(資金決済法)」が施行され、電子マネーに関連する事業者が送金サービスを始めることもできるようになった。
資金決済法によると、電子マネーの場合は、価値の半分は取り戻せるように保護されている。さらに送金サービスでは託した金額のすべてが返ってくるように規制されている。いっぽう、ポイントは電子マネーと同じように使われれているが、事業者が倒産すると、その価値は消えてしまう。
スマートマネーは、世界中で日本が最も進んでおり、日本発の新たな社会インフラとして輸出できるようになるかもしれない。

2012年4月2日月曜日

八子知礼 図解 クラウド早わかり

2010 株式会社中経出版

クラウドコンピューティングとは、膨大な情報の処理をインターネットの向こう側にある巨大なコンピューターに任せる技術・サービスのことである。これを利用することによって、ユーザーはネットにつながるデバイスがあれば、どこからでも利用できるので、自分のパソコンやシステムを維持管理する煩わしさから解放される。個人は、高機能のパソコンやソフトウエアを持つ必要がなくなり、企業も自社のサーバーの購入費や維持費などのITコストを低減できる。
このようなクラウドコンピューティングは、ネットに接続するコンピューターが爆発的に増えたことによって、グーグルやアマゾンのような企業がネット経由でユーザーにサービスを提供するようになったことによって生まれた。
はじめは個人向けだったが、企業向けのサービスもクラウドによって提供されるようになった。
クラウドサービスは、今後急速に利用されるようになると思われるが、いくつかの問題もある。
法人の場合、自社のデータやシステムを社外に置くことになり、セキュリティーやメンテナンスが十分かという問題がある。実際、クラウドサーバー内の個人情報が消失したという事故も起きている。
日本の企業では、データやシステムをアメリカの企業に置くことに不安をもつところもある。
クラウドビジネスは、データセンターで莫大な電力を消費する。クラウド社会が到来すると、同じく将来予想される電気自動車との間で電力の取り合いが起こるのではないかと言われている。将来の電力需要は、電気自動車とクラウドデータセンターのために飛躍的に増加する可能性があるが、じゅうぶんな電力が供給できない恐れもある。
クラウドが、地球規模で利用されるようになると、電力が廉価で安定的に供給される国や地域にデータセンターを置くことが有利になる。クラウド技術は、アメリカの企業が優位にたっており、今後もこのままの状態が続けば、日本はアメリカのクラウドコンピューティングを利用するだけになり、日本のIT産業の「空洞化」が進むことも懸念される。

2012年3月31日土曜日

Q&A政治のしくみ50

2011 日本経済新聞社

近代の民主主義は、産業革命のころから、中産階級といわれる中間層が登場し、個人の自由や政治への参加を求めるようになったことと関係が深い。ある国の民主化がすすむ過程では、経済成長によって貧困が解消し、民主的な制度を支持する傾向が強い中間層が増えるという流れをたどることが多い。これを支えてきたのが、私有財産制のもとでの自由な経済活動を建て前とする資本主義である。
中間層の生活が苦しくなり、格差が広がると、政治情勢も不安定になりがちで、経済に閉息感が強まると、不満を持った大衆に迎合しようとするポピュリズムや過激主義が台頭するようになる。
日本でも、「失われた20年」といわれる経済状況は、首相が相次いで交代するなど政治の不安定と混乱の一因になった。経済的に停滞しているヨーロッパ諸国でも、極右政党などの影響力が増している。
世界第二の経済大国となった中国では、政治制度は共産党による一党支配だが、経済運営は市場経済という「北京コンセンサス」といわれる独特の発展モデルを採用している。
一党支配のもとで政治が腐敗し、格差が拡大しているので、各地でデモや暴動が起こっている。13億の人口をかかえる中国が民主化するのか、一党支配を維持したまま成長を続けるのかは、世界の関心事である。
中国は、たえず軍備を増強しており、周辺国を不安にさせている。日本とのあいだでも、尖閣諸島の領有権や東シナ海の海底資源をめぐる争いが外交問題になっている。
このため、日本は、強力なアメリカの軍事力に頼らざるを得ず、日米同盟を強化するのが歴代の政権の政策である。アメリカも日本を一方的に守るのではなく、相応の負担を求めており、日本はアメリカに軍事基地を提供している。基地の75パーセントは沖縄に集中しているが、沖縄での基地反対の声は大きく、普天間基地問題の責任を取って鳩山首相は辞任に追い込まれた。
さらに、アメリカは、日本がアメリカに積極的に協力するよう期待しているが、いわゆる集団的自衛権は憲法を解釈する限り、自衛権の範囲を超えている。

2012年3月28日水曜日

中西進 古代往還

2008 中央公論新社

四国の香川県、琴平町にある金刀比羅宮は、日本でもっとも有名なお宮のひとつである。この「こんぴら」という名前は、サンスクリット語(梵語)で、鰐のことである。ガンジス川にすむ鰐が神格化されて、仏教に取り入れられ、仏法を守る十二神将の仲間になった。それが金比羅大将である。
動物を神とするといえば、聖天とも歓喜天とも言われている仏教の護法神は、ヒンズー教のガネーシャが仏教に入ったもので、象が神格化されたものである。ガネーシャは、今でもインド商人の間でたいへん人気のある神様である。
動物といえば、東京の奥多摩にある御嶽神社や、埼玉県秩父にある三嶺神社の神様は、「大口真神」といって、狼が神様となっている。信者のあいだでは、狼は「おいぬさま」とも呼ばれている。
かって日本列島には、ニホンオオカミが生息していたが、公式には、明治時代に絶滅した。その後も、ニホンオオカミを見たという人は絶えないが、確認はされていない。
いまでも、まぼろしのニホンオオカミの存在を求めて探し回っている人がいるという。
各地で、鹿による被害がでているが、もしニホンオオカミが生息していれば、すこしは事態も変わっていたかもしれない。
ニホンオオカミは、驚くほど早くいなくなってしまったが、生き物を絶滅させてしまってから惜しむのは、人の常であるらしい。

2012年3月15日木曜日

成毛真 新世代ビジネス、知っておきたい60ぐらいの心得

2000 株式会社文芸春秋

1955年生まれ

著者は、2000年5月、マイクロソフト日本法人の社長を辞し、投資コンサルティング会社を設立した。
著者が自分で会社をはじめて気がついたことは、会社はレンタルでもできるということである。
事務所、電話、ファックス、コピー機、パソコン、プリンタはOAレンタルで揃い、受付や電話取次のスタッフは人材派遣会社に電話を入れればすむ。経理や法務の専門スタッフも、人材派遣会社で揃えることができるが、そういう業務を一括して請け負ってくれる会社もある。最近、会社の業務を代行する業務代行業者が急激に増えていて、その業績も伸びている。たとえば、オフィス用品デリバリーのアスクルは、オフィスで使う事務用品から家具、飲み物に至るまで何でも届けてくれ、企業の庶務部的な役割を担うまでに成長した。
会社に苦情があって電話をすると、実際に応対しているのはユーザーサポート専門の代行会社の社員であることが多い。こういう会社では、専門のスタッフを揃え、サポート内容やトラブル・クレームの類をデータ化して日々分析しているので、きめ細かなユーザーサポートが可能になっている。
情報システム分野のアウトソーシング事業として最近台頭してきたのが、ASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)やインターネット・データセンターである。こういうものを利用すれば、会社は独自の情報システムをつくることも、運用やメンテナンスもすることなく、利用料金を払って利用するだけになる。
これから会社をはじめるなら、極端な話、何も買わず誰も雇わずほとんど何一つ所有しないままで会社を動かすことも可能である。
そういうわけで、著者が、まだ会社ができていないベンチャー企業家へ出資するかどうかの基準は、アイデアと人物である。
事業アイデアが独創的で、しかもリアリティがあるかどうかを重視している。それさえ優れていれば、あとは営業力がなければ営業力のある人物を探してきてあげるし、お金がなければお金を出してあげることができる。
アイディアと人物さえ良ければ、お金だけでなく、ありとあらゆるものを提供するのが、本当のベンチャーキャピタルというものである。

2012年3月12日月曜日

藤井清孝 グローバル・マインド 超一流の思考原理

2009 ダイヤモンド社

1957年生まれ

著者は、灘高校から東京大学法学部へすすみ、三菱商事に内定したが、親の反対を押し切って、大前研一のマッキンゼーに入社した。ハーバード大学経営大学院でMBAを取得し、ゴールドマンサックスに入ったが、ウォールストリートの何も生産しないのに金融テクニックだけで莫大な報酬を得る体質に疑問を感じ、シリコンバレーで半導体製作会社の社長に転進した。その後も、いくつかの外資系企業の社長を渡り歩いているようである。
著者のように、自分で自分の進路をきめるというやり方は、うらやましいものがあり、日本で大企業のサラリーマンをしていたのでは著者のような経験はできないであろう。いっぽう、日本の社会は閉鎖的で誰もが我慢を強いられているので、嫉妬と怨恨のるつぼである。これを知っている人は決して自己主張などせず、「弱輩者ですが、よろしくご指導ください」などとへりくだって自分をわざと低く見せようとする。こういう人が、目上から引き立てられて出世するのが日本の社会というものである。
日本の大企業でも社員をアメリカの経営大学院に留学させているが、帰国後、日本の組織に失望して辞めていく人もいて、トップにまでいくのは日本にずっと留まっていた人が多いのではないだろうか。憶測ではあるが、日本人は今でも外国嫌いが多いようである。
ハーバード大学への留学生のうち、日本人は少なく、韓国人や中国人は非常に多いそうである。日本からの留学生が少ないのは、日本では、アメリカの大学への留学経験は、さほど評価されていないためかもしれない。
最近、東京大学は「国際標準」と称して、大学を9月入学に変えると言い出したそうである。新興国の優秀な若者が、日本の大学院にこなくなったという危機感があるからであろう。
しかし、問題は4月か9月かということではなく、日本の大学に留学して、日本語を修得しても、彼らが活躍できる場所が日本にないことにあるのだろう。もしそうならば、日本でしか使われていない日本語を学ぶのは時間の無駄である。
アメリカの大学で勉強すれば、英語だけで済み、世界中に活躍の場が広がっている。
新興国の若者が、日本よりアメリカを選ぶのは当然のように見える。

2012年2月27日月曜日

野口悠紀雄 幸田真音 日本人が知らない日本経済の大問題

2011 株式会社三笠書房

日本人は「世界経済の大変化」に気づいていない。
大部分の日本人は、「そのうち何とかなるだろう」と思っているが、「何とかなる」兆候は、いっこうに見えてこない。
1990年代には、新興国の工業化がすすみ、アメリカやイギリスでは脱工業化がすすんでいた。いっぽう、日本は製造業における過去の成功体験をいつまでも引きずり続け、自分達以外の世界が大きく変わっていることに気づこうとはしなかった。
新興国の工業化と国内市場の飽和に対する経済政策として、金融緩和と為替の円安政策がとられた。自動車産業では、為替レートが円安になったため、また、アジアの新興国で自動車を生産できたのが韓国だけであったため、不動産バブルに沸くアメリカで日本車がよく売れた。トヨタ自動車は空前の利益をあげ、下請け、孫請けを含めた地域全体が潤った。ところが、アメリカの金融危機を境にして流れが変わり、日本車は以前ほど売れなくなり、為替も円高になった。トヨタのような、商品の開発、生産、販売を自社と系列会社とで行う垂直統合的な生産は、うまくいっている時はいいが、流れが変わると系列会社の存在が逆に重荷になってくる。それに対して、パソコンなどでは、世界のいろいろな企業でつくられた部品を統合する水平分業的な生産方式がとられている。たとえば、アップルは世界中で作られた部品を組み合わせて新しいコンセプトの商品を作りだし、非常に高い利益率を達成している。
日本企業は、たえず努力をつみ重ね、労力とコストをかけながら、効率の悪いやり方をずっと続けている。
日本の自動車メーカーの、地域ぐるみ、日本ぐるみといったやり方は、過去においては成功したが、これからも続けていけるかどうかは別である。将来やってくるかもしれない電気自動車の時代には、自動車の作り方も変わって今のようなやり方は維持できなくなるであろう。しかし、日本の組織では、通常、過去の成功者がトップになるので、過去に成功したやり方から抜けだすことはなかなか困難である。

2012年2月19日日曜日

布施克彦 負け組が勝つ時代

2010年 日本経済出版社

1947年生まれ

一時、「勝ち組」とか「負け組」とかという言葉がはやったが、今はあまり聞かれなくなった。
これは、それ自体が意味する「格差社会」がなくなったということではなく、「勝ち組」がなりをひそめているのではなかろうか。
日本では、昔から「出る杭は打たれる」とか「キジも鳴かずば撃たれまい」といわれるように、他人とは違う目立った行動をとると、そのよし悪しにかかわらず人々の反感を買いやすい。日本人は集団主義を旨として、組織の規律を重んじながら行動してきたので、圧倒的な力を持ったリーダーは生まれにくく、組織のトップになる人は、通常、組織内勢力の妥協や力のバランスの産物として誕生する。
「判官びいき」の風潮が社会を色濃く覆っており、圧倒的な勝者は生まれにくい。強者ぶり、勝者ぶりもほどほどにしておかないと、社会の反感や妬みを誘うことになる。ほどほどの強者や勝者は、人一倍身の処しかたに注意を払わないと、かならず足元をすくわれる。
大相撲の大関魁皇は幕内最多勝という偉業をなしとげたが、もし横綱になっていたら、もっと早い時期に引退に追い込まれ、この記録は達成できなかったであろう。幕内最多勝という偉業は、出世競争の頂点にはたたず、けっして華々しくなかったために達成できたのである。
サラリーマンの場合は、出世できた人が勝者で、出世できなかった人が敗者である。これは、当然のことのようだが、今のように組織自体が強固でなくなると、どちらにしてもあまり意味がない。ましてや、定年退職したあとは、いずれにせよ会社からは忘れられた存在になる。
会社をはなれてしまえば、勝者も敗者もない。
そういうこととは別の道をめざすのが賢い生き方というものである。

2012年2月17日金曜日

夏野剛 スマートフォン

2011 株式会社アスキ―・メディアワークス

携帯電話のサービスは、本格的に始まってから約20年に過ぎないが、2011年には、人口普及率は9割を超えると言われるほど瞬く間に普及した。その間、日本の携帯電話には、世界最先端の技術、機能が搭載されるようになった。ただ、進化した「ケータイ」の技術や規格を海外に広めることはできず、日本独特のものになってしまった。そのため、日本の高機能携帯端末は、「ガラパゴス・ケータイ」、略して「ガラケー」と呼ばれている。
そこへ、2008年にiPhone、2009年にはAndroid端末が登場し、スマートフォンがブームとなった。2011年にはスマートフォンの出荷台数が従来の携帯電話と並び、今後も拡大傾向が続くと予想されている。
それでは、スマートフォンは従来の携帯とどこが違うのかといえば、じつはそれほど厳密な違いはない。日本のガラケーの機能は、高いのでスマートフォンではできないことでもできることがある。
ただ、スマートフォンでは、ケータイより広い画面でインターネットのサイトをそのまま見ることができ、パソコンで使っているメールアドレスがそのまま使えるので、パソコンのように使うこともできる。
また、AndroidなどのOSの仕様が公開されていて、さまざまな会社がスマートフォン向けのアプリケーションを開発している。
ユーザーはそれらのアプリケーションを自分の端末に追加し、自分好みに端末をカスタマイズすることができる。
アプリ提供サイトには、App Sore、Androidマーケットなどがあり、多彩で便利なアプリが提供されている。
現在、スマートフォンはブームとなっているが、必要というわけではないのに知らないと取り残されるような気がする心理もブームを後押ししているのではないだろうか。スマートフォンを使用すると、パケット通信をしないわけにはいかないので、電話だけ使おうとする人には従来の携帯電話のほうが電話料金は安く、そのほうが向いているようである。

2012年2月15日水曜日

伊藤元重 時代の”先”を読む経済学

2011 株式会社PHP研究所

「為替」の今後を読むためのポイント
2011年の円ドルレートは80円近辺の水準にある。これは、過去もっとも円高であった1995年に匹敵する水準である。
だから世間では、「円高で大変だ」と騒いでいる。しかし、1995年から2011年の間に、アメリカの物価水準は40%上昇しているのに、日本の物価はほとんど変化していない。すなわち、アメリカドルの減価を考慮した実質レートでみると、ピークであった1995年にくらべればまだ「円安」である。
そうかといって、これから先も円高が続くのかどうかはわからない。国力も弱り、貿易収支も赤字になった日本を考えれば、中長期的なトレンドでみるかぎり、円安方向への動きが想定される。市場が見ているのは、たかだか半年程度先までで、閉塞感に満ちている日本だが、当面大きく崩れることはない。だから、当面は円買いで、多くの投資家がその流れに乗っているというだけである。

財政支える国債のバブル
日本の政府債務は増える一方なのに、その債務証書である国債の価格は史上最高値(国債利回りは史上最低水準)である。
もし国債価格が暴落したらどうなるだろうか。そうした不安を感じている人は多く、国債バブルを問題視する人も多い。
国債のバブルは、国債の市場価格の異常な高さ、あるいは国債金利の異常な低さにあらわれている。利回りの低い国債を生命保険会社や銀行は積極的に購入している。彼らがなぜ国債を購入するのかといえば、巨額の預金がたまっているにもかかわらず、他に安全な運用先がないからである。近い将来インフレになったり金利が急騰したりするリスクもなさそうなので、彼らの行動は、合理的である。しかし、政府の財政は赤字続きで、政府債務はいくらでも増え続けることはできない。このままの状況を続けていけば、いずれバブルは破裂すると考えるのが「常識」というものである。ということは、円安、インフレ、金利高がいつかはやってくるということである。

2012年2月10日金曜日

2012年2月9日木曜日

瀬戸内寂聴 奇縁まんだら 続の二

2010 日本経済新聞出版社

田中角栄
著者が田中角栄とテレビで対談をしてから半年ほど後、東海道新幹線で、ひとりの紳士がやってきて、「前の箱に田中角栄が乗っております。先生をお見かけしたので、御挨拶しろといわれまして」と告げた。著者は、「それはどうもご丁寧に、どうかよろしくお伝えください」とお辞儀をしたが、後で、あれは著者に挨拶に来いということではなかったかと気がついたが、それっきりになってしまった。

美空ひばり
著者が対談のため訪れた「ひばり御殿」は、御殿とよばれるほど豪華ではなかった。
玄関に入ると廊下から応接間まで一面に虎の皮が敷きつめられていた。
応接間には孔雀の剥製が長い尾をひきずっていた。
壁一面に戸棚があり、全国の土産物でびっしりつまっていた。
そこにも、ひばりの剥製がまじっていた。
著者は、「虎の皮も孔雀も始末しなさい。こんな動物の死骸に囲まれているから、病気になるのよ。それに品が悪いわ」とたしなめたが、ひばりはにこにこして言った。
「みんなファンの贈り物なんです。それに、服も帽子も、だから何ひとつ捨てられない。」
著者は、もうそれ以上、何も言えなくなってしまった。

2012年2月6日月曜日

長橋賢吾 ネット企業の新技術と戦略がよ~くわかる本

2011 株式会社秀和システム

ネット企業のなかでも、もっとも影響力があるのがGoogleであるが、Googleをささえるビジネスモデルはフリー(タダ)である。
では、タダからどうやって収益を上げるのかといえば、ユーザーがGoogleを使えば使うほど、別のところから広告料収入が入る。
広告料が、Googleの主な収益源になっている。これは、テレビの民放番組と同じである。
そのほかにも、ネット企業では、フリーを活用したビジネスモデルとして、「お試し期間」だけ無料で利用できるとか、ある程度までの利用については無料だが、一定程度以上利用すると有料になるとか、まったくタダのことはあまりない。
ネット利用の拡大にともない、EC(電子商取引)が急拡大している。ECの3大メジャーサイトが、Amazon.com、楽天、Yahoo!である。
ユーザーの数が膨大になると、そのネットワークからデータマイニングによって傾向を知ることにより、マーケティングに利用することができる。ユーザーのうわさや口コミから収益を上げることもできるが、ときには、良いうわさも悪いうわさもウイルスのように広がることがある。
さいきん、毎日のように話題になっているのが、スマートフォンである。スマートフォン市場のプレイヤーは4つに分類できる。1)通信キャリア、2)端末メーカー、3)プラットフォーム、4)コンテンツプロバイダーである。通信キャリアは、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクが大手である。端末メーカーは、シャープ、ソニーエリクソン、サムソンなどである。プラットフォームとは、OSおよびアプリ実行環境を提供するもっとも重要なポジションにあり、iPhone、Androidが代表格で、Windowsなどがそれに次ぐ位置にある。コンテンツプロバイダーは、スマートフォン上でアプリという形式でコンテンツを提供する。ゲーム、動画、電子書籍、facebookなどのSNSがこれに該当する。
今後を予測するとき、もっとも活発なのが、ソーシャル・ネットワークの分野である。ネットといっても、つきつめれば人と人との関係なので、「ソーシャル」という言葉が使われるかどうかにかかわらず、その構造は基本的なものであるが、ネットによってより容易になったと言うことができる。
Googleの戦略のなかでは、同社が提供するブラウザで、Chromeが注目される。このブラウザの性能が向上すれば、ユーザーは、ネットを利用するとき、ブラウザだけを立ち上げれば、あとはすべてクラウド上のサーバーにデータはすべて保管されるので、ブラウザだけですべて事足りてしまう。パソコンは、ネット端末として使われるのでWindowsであろうがMacであろうが関係ないことになる。

2012年1月22日日曜日

岡村久和 スマートシティ

2011 株式会社アスキー・メディアワークス

1955年生まれ

スマートという言葉には、「賢い」という意味があるが、「何も指示しなくても、機械やシステムが自分で最適な状況を判断して行動してくれる」という意味でも使われている。
スマートフォンとかスマートグリッドなどの言葉もかなり一般化しているが、「スマートシティ」とは、ITなどの先端技術を使って交通、医療、エネルギーなどの社会インフラそれ自体が、判断力と問題解決能力を持つような仕組みである。世界各地で、IT技術を使った取り組みが試みられている。アメリカの「グリーンニューディール政策」でもその考え方がとりいれられている。IRAの爆弾テロに脅かされたロンドンでは、地下鉄で客と荷物が10メートル以上離れると、自動的に警報が鳴らされる防犯管理システムを導入した。
日本でも、政府や地方自治体が積極的にスマートシティプロジェクトを推進している。
神戸市には、神鋼神戸発電所という発電所があり、市内のほどんどの電力をまかなえる電力を供給している。電力の需給と情報管理を通じて、災害、交通、医療福祉などさまざまな都市情報を収集・伝達するシステムが構築されつつある。
横浜市のスマートシティプロジェクトでは、再生可能エネルギーの導入、スマートハウスの導入、電気自動車(EV)と充電インフラによる次世代交通システムの普及をめざしている。家庭で太陽光発電を導入し、効率的に電気を使うためには、蓄電池が必要になる。しかし、いまのところ蓄電池は高額である。電気自動車に急速放電機能があれば、電気自動車をいつでも電気を取り出せる蓄電池として使うことができる。これが実現すれば、地域のなかで電力を共有したり、融通しあう事が可能になり、市民の生活を大きく変え、二酸化炭素の排出量を減らすこともできるという。
東日本大震災は、スマートシティのあり方に大きな変化をもたらした。それまでは、どちらかといえば、環境対策や効率性、利便性、快適さをテーマとするものが主流であった。しかし、社会インフラが壊滅的な被害を受けた震災の衝撃は、あたらしいニーズを呼び起こした。最悪の事態が発生しても潰れにくい社会インフラを始めから構築することと、万が一潰れても、なるべく速やかに、かつ自律的にインフラ機能が再生する仕組みをつくることである。利便性だけでなく、持続性、復元性、安心・安全が重視されるようになったのである。

2012年1月19日木曜日

原丈人 21世紀の国富論

2007 株式会社平凡社

1952年生まれ

アメリカでは、「企業は株主のもの」という考え方が主流を占めており、この考え方をつきつめていくと、企業の目的は株主にとっての価値を上げること、すなわち株価を上げることになる。
現在、もっとも株価に連動している財務指標は、ROE(株主資本利益率)である。ROEを上げるためには、利益を上げることが必要である。利益がかわらないのであれば、株主資本をちいさくすれば、ROEはあがる。したがって、生産設備や研究開発にコストのかかる製造業は、ROEがひくく、ソフトウエア産業はROEがたかくなる。ROEをあげて、株価をあげ、時価総額という企業価値を大きくするために、自社工場を売却したり、研究開発部門を廃止することによって資産を軽減しようとするメーカーがある。しかし、結果的にメーカーとしての強みをなくしてしまい、自滅の道を歩むことになる。本来あるべき企業の目的とは、優れた商品をつくり、優れたサービスを提供し、社会に貢献することであるはずである。すぐれた製品をつくることにではなく、見せかけの財務指標をよくすることに力をそそぐアメリカ型資本主義は、あたらしい基幹産業を生み出す力をうしないつつある。日本は、アメリカ型の資本主義をまねしようとしているが、アメリカ型の資本主義は、新しい産業を生み出すことができない。かって、アメリカ西部開拓時代には、幌馬車がさかんに使われており、幌馬車会社のM&Aが繰り返されていた。しかし、蒸気機関車の出現によって幌馬車会社は消えてしまった。このようなことが、これからの社会でおきないともかぎらない。あたらしいヴィジョンを持ち、あたらしい産業を生み出す芽は、若い人や中小企業のなかにあり、それを発見し、育てていくのが、ベンチャーキャピタルの役割である。

2012年1月13日金曜日

福沢恵子 勝間和代 会社でチャンスをつかむ人が実行している本当のルール

2007 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン

女性が会社で男性と同じように働けるようになったのは、ごく最近のことである。
1985年に男女雇用機会均等法が成立したが、これは、国連の女性差別撤廃条約を批准するために、国内法の整備が必要になったためつくられ、経済界からは猛反発をうけた。さらにその後1999年になって改正雇用均等法が施行され、多くの企業が本格的に女性の活用に取り組むようになった。このように、日本の企業で女性が男性と同じように働けるようになったのは、10年ほど前のことである。
このような歴史を考えると、多くの女性は、組織の中で働くための知恵や技術に欠けている。じつは、日本の会社では正論やタテマエと考えられていることとは別のルールが支配している。女性や若い世代の男性は、しばしば、そのことに気づかず間違いをおかしてしまうのであるという。
たとえば、まじめで有能であれば、きっといつかは周りが認めてくれるはずという考えである。テストの点数で評価される学生時代なら、この考えは正しいかもしれない。しかし、会社で、部下が有能であるかどうかを判断するのは上司である。自分で有能であると思っていても、自分で思っているほど有能ではないのかもしれず、評価されないと言って周りを恨むのはお門違いであるという。
会社で評価されるには、上司が喜ぶように行動しなければならないのである。
以下、ほかの話も、おなじようなもので、そういわれてみればそうだと会社に勤めたことのある人間なら思いあたるようなことである。会社では、有能な人が、評価されるということは少ないので、能力があってもないふりをするのも処世術のひとつということであろう。
会社というのは、仕事さえきちんとしていれば文句はなかろうというところではないというわけである。

2012年1月6日金曜日

高橋暁子 電子書籍の可能性と課題がよ~くわかる本

2010 株式会社秀和システム

最近、電子書籍が話題になっている。
従来の書店経営には一般の小売業とは違う特徴がある。
委託販売制度による委託販売、再販制度による定価販売の二つである。
委託販売制度とは、書店はトーハンや日販のような取次会社を通じて出版社から書籍を仕入れる。
このさい、書店は書籍を買うのではなく、預かることになっている。
店頭に並べて売れなければ、出版社に返品すればいいので、書店には売れ残りのリスクはない。
再販制度とは、出版社が書籍や雑誌の定価を決定し、書店では定価で販売できる制度で、独占禁止法の例外として認められている。
このような制度があるおかげで、書店は他店との値引き競争をせずにすみ、読者は、どんな地方の書店であっても都市部と同じ価格で本が購入できるメリットがあるとされてきた。
電子書籍の登場によって、このような書籍販売制度は大きく変わらざるをえなくなっている。
しかし、電子書籍の普及には、まだ課題が多い。
電子書籍端末を持っている人もそれほど多くはない。
アマゾンとかアップルとかの電子書籍リーダーごとの互換性がないことは問題である。
電子書籍という名前自体もまだ定着したとはいえず、市場規模もそれほど大きくなっていない。
様々な課題をかかえてはいるが、電子書籍の可能性はきわめて大きいということができる。

2012年1月5日木曜日

冬の公園

神奈川区入江町公園