2017年11月27日月曜日

日の名残り カズオ・イシグロ

土屋政雄訳 2001 早川書房

訳者は、「イシグロは大家になったものだと思う」と書いている。
そのとおりで、カズオ・イシグロはノーベル文学賞を受賞した。
作家にとってノーベル賞を受賞するというのは、どういう意味があるのだろう。
川端康成は暗く淫靡な作品が多いから、あまりうれしくなかったのではないだろうか。
永井荷風は、文化勲章を受賞してから、浅草のストリップ劇場に通うこともできなくなり、天丼を食べて帰るだけになった。
村上春樹にノーベル賞をという期待もあるようだが、ファンを楽しませる作品を書くのには余計なことかもしれない。
小説は、情報の伝達手段としては、とりわけ冗長で曖昧である。
逆に言えば、一つの言葉や表現が様々な含意を持つところに、小説のおもしろさやだいご味があるような気もする。
この小説でも、「日の名残り」とは、夕方の日没時のことらしいが、それだけでなく、人生の老年と、そして、「大英帝国」の落日とに重ねあわされているという。
「しばらく前までこのベンチにすわり、私と奇妙な問答を交わしていったその男は、私に向かい、夕方こそ一日でいちばんいい時間だ、と断言したのです。たしかに、そう考えている人は多いのかもしれません。」
海上の空がようやく薄い赤色に変わったばかりで、日の光はまだ十分に残っており、桟橋の色付き電球が点燈する。そのとき、多くの群衆が集まって歓声をあげる。
そんな美しい夕暮れのような老年を迎えることは可能なのだろうか。