2010年2月20日土曜日

2010年2月18日木曜日

山崎文明 すべてわかる 個人情報保護

2005 日経BP社

2005年から個人情報保護法が施行された。
個人情報保護法が施行されることの影響は、個人情報を提供する個人としての立場と、会社や役所で他人の個人情報を扱うという立場の両方の側面がある。
本書は、両方の視点から、個人情報保護法がもたらす影響や問題点について解説している。
企業では、個人情報の漏洩があると、「お詫び」のために何十億円ものコストがかかるなど個人情報の漏洩リスクが拡大している。
個人情報といっても、住所・氏名・生年月日・性別の基本4情報の漏洩だけでも訴訟に持ち込まれれば、ひとり1万円の損害賠償という判決もあり、大規模な漏洩事件になると、「謝罪コスト」は、何億円にもなる。
このような例では、漏洩が情報処理の委託先企業で発生した可能性も指摘されている。個人情報を扱う業務を行っている企業は、情報セキュリティを強化することはもちろん、多額の損害賠償に備えて、保険を活用したリスクマネジメントが重要になってくる。
とは言っても、金券を顧客に送付して、謝罪の意を表すようなことは、個人情報保護法に定められてもいない行為である。
大企業で、このようなことをしているのが慣行になるとかえってそれにつけこもうとする人もでてくるだろう。
また、個人情報保護法が対象とするのは、取り扱う個人情報の件数が5,000件をこえる「個人情報取扱事業者」である。個人が、学校の名簿のような個人情報を、そのまま捨てたとしても、個人情報保護法の対象にはならない。
個人情報が漏洩したといっても、その個人情報が特定の企業で扱われていたのかどうかわからなければ、問題にならない。
漏洩元が分かって問題になるのは、ある企業や役所だけで使われているコードによって特定できるのである。こういう場合は、大量のデータが漏洩した場合であるが、少量の個人情報が漏洩したばあいに問題になるのは、ある顧客に他の顧客のデータが誤って渡ってしまい、顧客の追求に企業が認めざるを得なくなるというケースではないだろうか。
一見何の使い道もなさそうな個人情報に価値があるということになると、それに目を付ける人もでてくるのである。

2010年2月17日水曜日

芳賀善次郎 旧鎌倉街道・探索の旅 ―下道編―

1915~1987 株式会社さきたま出版会

「鎌倉街道」とか「鎌倉道」という言葉を聞くと、なにか不思議な気がする。。
これらの道のなかには、鎌倉時代以前からの道もあり、関東各地と鎌倉とをつないでいた。
著者は、今では断片的になってしまったこれらの道を、じっさいに歩いて探索した。
鎌倉街道には、上道・中道・下道などがあるが、そのうちの下道は、いちばん東京湾に近い道である。
下道は、7~8百年前のものなどなにも残っていないように見える都市の中の身近な道である。
横浜市の上大岡あたりから、東京の浅草までの道はだいたいわかっている。
保土ヶ谷で見た「かまくらみち」は、神奈川区の台地上を進んで菊名あたりの尾根ぞいの道に通じ、さらに多摩川を渡って、沼部に到る。
沼部からは、二手に分かれて、上池台経由と、池上から大森経由で、大井町に到る。
大井町から、高輪、三田、大手町を経て、浅草に到る。
道はさらに、市川や松戸に通じている。
鎌倉時代には、江戸氏一族が、いまの東京一帯を支配しており、江戸氏の館は、浅草北部の石浜にあったらしい。
また、江戸氏一族の墓は、大田区鵜の木の光明寺にある。
旧鎌倉街道は、一見、なんでもない道であるが、それと知って歩くと、往時を偲ぶ史跡に出会うことができ、 文字通り、点と点がつながってくる。
また、東京から横浜にかけて、今よりもずっと海が奥地に入り込んでいたのが想像される。

写真は、大森付近(旧新井宿)の石碑
古代の東海道
中世の鎌倉街道
近世の平間街道であったという。

2010年2月16日火曜日

2010年2月12日金曜日

佐藤優 交渉術

2009 株式会社文芸春秋

1960年生まれ

著者は、外務省勤務中に背任などの容疑で逮捕された。
そんな著者が、はたして交渉術を語ることができるかであるが、著者自身も失敗の記録でもあると書いている。
外務省という役所は、交渉にかけては、プロの集団である。外務官僚は、交渉にかけてはプロであるから、橋本行政改革のときも、有力政治家をたくみに活用して、外務省を外政省に名称変更し大使の三分の一を民間出身とするという原案を一晩で覆したらしい。
外務官僚の交渉能力は見事なもので、田中外相、鈴木宗男、そして著者も外務省から追い出すことに成功した。
交渉術は、善でも悪でもなく、価値中立的なテクニックであり、物事の本質を見極める洞察力などよりも、道具的知性が必要とされる。
著者は、交渉力を身につけることは、誰にとっても必要なことだと言う。
交渉術のキーポイントのひとつは、相手を知ることである。
戦争中も、日本はソ連が攻めてくるとは考えもしなかったから、和平の仲介をソ連に頼んだ。ベルリンが陥落したとき、ソ連は日本の外交官をシベリア鉄道経由で送り届けてくれた。
小さなことを積み重ねて、相手を信頼させておき、最後に大きく裏切るというのも交渉術の一種らしい。それが、本人にとって有利であれば、そうなのかもしれない。だから、交渉術がうまくなったからといって、人間としての幸せがつかめるというわけではない。
いったん交渉の席についてしまえば、譲歩を余儀なくされ、こちら側の損になるのがわかっていることがある。こういう場合は、はじめから交渉しないのも交渉術の一種である。
とにかく、交渉というのは、やっかいなもので、なるべくしないですませたくても、人がいる以上、交渉はつきまとってくる。
交渉とは、関係者全員が、いろいろな役割をもち、しかもその役割がひんぱんに変わるという「不思議な劇場」である。
交渉においては、絶対に勝利する確実な技法などはない。
そのため、政治や外交の世界の裏では、酒、女、金、地位などにたいする人間の欲望につけこんで、交渉を自分に有利に展開しようとする戦いが繰り広げられている。
じっさいに、著者はいろいろな経験をしたが、交渉術の難しさは、その通りに行動しても、いつでも成功するとは限らないという複雑なところにある。

2010年2月11日木曜日

斎藤ヒサ子監修 面白いほどよくわかる官庁&官僚のすべて

2008 日本文芸社

日本という国は、どのようなしくみでできていて、どのように機能しているのか。
政治や行政のことになると、マスメディアで時々刻々伝えられているが、ほとんど断片的で、 複雑なしくみを伝えきれているとは言えない。
官僚という言葉であるが、官僚と呼ばれるのは一般の公務員のことではなく、 中央官庁で働く一定以上のポストにある者のことである。
日本の官僚は、明治以来、権力の中枢にあって、実質的に国の方向性を決めてきた。 選挙によって選出される議員で構成される内閣は、総理大臣が変わるごとに変更になる。
その内閣を、裏で支え、日本の行く先をはっきりと定め、安定した行政というものに、高邁な精神で取り組んできたのが官僚ではなかったかというのが本書の序文である。

官僚になるには、一種国家公務員試験という難関試験に合格しなければならない。
この試験は人事院が実施する。これに合格したうえに、さらに中央官庁の面接をパスしなければならない。 ここで、エリート官庁といわれるところでは、あらかじめ東大や京大卒の先輩が上位合格者の後輩を勧誘しているらしい。
そんなわけで、他の大学の出身者は、エリート官庁には、ほとんど入れない。
キャリア官僚になると、文字どおり24時間、役所のために身を粉にして働かなくてはならない。
審議官・局長・次官というトップクラスまで行くのは、ごく少数であるが、課長までいけば「天下り」で高額の所得が保証される。
このような、キャリアとノンキャリアの区別が終始つきまとううえに、四六時中、組織べったりの公務員の世界は、 ストレスと不満が鬱積している。
そのため、たとえ下級の公務員でも、それなりに優遇されるようになっている。
たとえば、国税庁や税務署のような、財務省の下位の役所でも、民間に対しては絶大な権力をふるっている。 長年勤務すれば、税理士という超難関資格が無試験で取得できる。 さらに、長いあいだ公務員を勤めれば、歳をとってから勲章までもらえる。
このようなしくみを明治以来、築き上げてきたのである。

いいことずくめの公務員のようだが、このところ、人事院への職場の悩みの相談件数はかなり増えているという。
公表されていないが、いじめやセクハラを始めとして、人間関係にまつわる悩みがほどんどである。 また、自殺者の数も増えているのも見逃せないことである。
日本は、世界のなかで、経済、地球環境、紛争、人口問題など、かってないほど複雑で多様な問題を抱えている。
このような問題にとりくんで苦闘している官僚や官庁のことについて少しでも理解しておくことは必要なことである。

2010年2月8日月曜日

2010年2月6日土曜日

串田孫一 文房具52話

1996 時事通信社

1915~2005

著者は、歳を取るにつれて、外出する機会がどんどん減って、自分の部屋にいる時間が多くなった。
だが、その時間を有効に使っているかというとそうも言いにくい。
これまで単なる道具として気にもとめなかったような身の回りの文房具とのつきあい方が変わってきた。ひきだしや箱に入れておいたままになっている文房具を探しだして見ているうちに、それらについて書いてみたくなった。
それで、文房具の話が、52もあるのだが、著者の場合、とりわけ戦中・戦後の物が欠乏していたときの思い出に結びつきやすい。戦争中は、糊にも困った。誰でも思いつくのは、飯粒であるが、それもない時のほうが多かった。ヤマト糊は、著者が小学校の頃にもあり、青いガラスの容器にブリキの蓋がついていた。
ボールペンであるが、これは以外と古く、19世紀に発明された。
そのころは、使いにくいものであったが、その後、改良が加えられていった。
日本で使われだしたのは、戦後のことである。
私も、学生時代のボールペンにはろくな思い出がない。
やはり、書いているうちにインクが出なくなってしまったかと思うと、逆に書いているうちにインクの固まりができてきたりと、使いにくかった記憶がある。
その後も、さらに改良がすすみ、今ではボールペンまたはボールペンのようなものが筆記用具の主流になっている。
文房具というのは、昔から変わらないものも多く、子供のころの思い出にむすびつきやすいらしい。
昔から変わらない文房具の特徴は、人間が自分の手であつかう道具であるということである。
人間は、自分の手で道具を使うことによって世の中のあらゆるものを作り出してきた。
今でも、人が自分の手でなにかを作り出す喜びを感じるのは、かならず、なんらかの道具を通してである。

2010年2月5日金曜日

石井一夫 図解 よくわかるデータマイニング

2004 日刊工業新聞社

1964年生まれ

データマイニングとは、大量のデータのなかから有用な知識を見つける技術のことで、マイニングとは「発掘」を意味する。
従来の統計学と異なるのは、データの量も種類も格段に多く、最近のコンピューター技術の進歩により可能になったことである。
たとえば、マーケティング、品質管理、天気予報、地震予知、医療での病気の経過や薬の効果の予測などへ応用されている。
インターネットを用いたeコマースでは、いろいろな情報が、データマイニングにより引き出され、顧客サービスや販売管理に利用されている。 先端医療の分野では、個人個人の何万個もの遺伝子情報を詳細に調べたり、 遺伝子の活動やタンパク質の量や種類を調べることができるようになった。
大量の検査データの山のなかから個人にとっての病気のかかりやすさや、薬の効果、 病気の予後などの情報を引き出すことができるようになった。
データマイニングは、大量のデータのなかから有用な情報を見つけだす手法として注目されているが、問題点や限界も指摘されている。
まず、コンピューターより人間が得意な分野として、パターン認識などの能力がある。
人間が直感でやったほうが、はやくて正確ということもある。システム構築と維持に大変なコストがかかるわりに、ある程度予測できるデータしかとれないこともある。
データマイニング技術は、ユーザーが、その問題点を理解してうまく使いこなす必要がある。単に、データマイニングツールに情報を流し込めば、自動的に有用な知識が発見できるというほどには到っていない。まだ、未完成で発展途上の技術であるという面がある。
データマイニングは、氾濫する情報のなかから、埋もれている金塊、いいかえれば重要な知識や情報を、いかにして効率的に見つけだし、意思決定に役立てていくかということであり、現代の宝さがしにたとえることができる。
さらに、データマイニングはたんなる宝探しだけではなく、いろいろな分野で革命的な変化をもたらした。たとえば、eコマースは販売や流通、サービスに革新をもたらした。
医療分野においては、患者ごとの遺伝子的背景にもとづいたテーラーメード医療の実現が現実的になってきた。また、生物の構成部分に注目するのではなく、ひとつのシステムとしてとらえて総体的に理解していこうとする流れが出てきた。
古代人が砂金を集めて金塊をつくってから何千年になることであろう。
光るもの必ずしも金ではないと言われるが、現代人は、目に見えない多量の情報のなかから金をみつけようとしている。

2010年2月1日月曜日

東急中目黒

目黒川