2018年7月25日水曜日

新しい幸福論 橘木俊詔

2016 岩波書店

日本では、格差社会が深刻化している。
金持ちの所得がますます高くなるいっぽうで、貧困層が増えている。
しかし、ソフトバンクの孫社長や、ユニクロの柳井社長の所得や資産がいくら高くても自分には関係ないと感じる人は多いのではないだろうか。
またいっぽうでは、正社員が派遣社員に、「派遣でもできる簡単な仕事だ」とか「派遣社員は、社員食堂を利用するな」と言ったり、交通費もボーナスも支給されないなど、派遣社員はプライドが傷つけられることが、なにかと多い。
日本国憲法には、「すべて国民は・・・差別されない」と書かれているが、実際には、格差や差別だらけである。
もっとも、人の能力といっても、遺伝による素質、生まれ育ち、教育、職業などによって異なり、さらに運不運もあり、皆が平等というわけにもいかない。
このなかで、少しでも幸せな、あるいは不幸でない人生を送るには、どういう心がけを持つべきだろうか。
まず、他人と自分とを比較して他人より優位にあると幸福を感じ、劣位にあると不幸を感じるのだとすれば、他人と自分との比較をしなければいい。
とは言っても、他人と自分の比較をしないわけにもいかないので、自分の長所に注目し、それを生かす人生を送ることができれば、たとえ他の分野で劣位にあったとしても、幸せな人生を送ることができるのではないかと考えられる。
つぎに、自分の目標を高くしすぎると、成功する確率が低くなるので、失敗したときに不幸になるとすれば、自分の目標は、ほどほどに設定するべきである。現代の日本は、成熟した社会であり、明治時代のように「少年よ、大志を抱け」などと言っている時代ではない。たとえ青少年期は大志を抱くとしても、年とともに目標を引き下げていき、最後は「生きているだけで、ありがたい」と思えるようになれば、誰でも幸せになれることになる。
幸せになるには、仕事だけでなく、家族と過ごす時間や、趣味や余暇が重要である。
何か一つ打ち込めることがあれば、それをやっているときは、他のことを考えたり、他人と比較したりすることもない。したがって、幸せを感じる程度は高まる。
ボランティア活動をして人から感謝されれば、それによって、大いに生きがいを感じることができる。
人は、自分の幸福ばかりを考えているときより、他人の幸福を考える余裕を持つときのほうが幸福感が増すということもある。