2009年12月31日木曜日

京急神奈川


神奈川台場跡














洲崎大神

2009年12月30日水曜日

池田晶子 人生は愉快だ

2008.11 毎日新聞社

池田晶子 1960~2007

著者は、専門用語による「哲学」ではなく、日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立した。47歳の若さで病魔に倒れた。哲学というと、昔は考えることがすべて哲学であったが、時代を経るにしたがって、数学や科学などの学問が、別れていった。
今でも哲学の課題になっているのは、「自分とは何か」とか「死とはなにか」といった問ではないだろうか。
著者によれば、結局のところ、「自分」も「死」もない。
なぜならば、人が死を認識できるのは、他人の死を見るときだけである。
自分が死んだときは、自分はもういないのだから、自分の死を知ることはできないし、考えることもできない。
「自分」についても、近代以降の人間が個人というものを信じ込むことになったにすぎず、「自分」とは、個人に限定されるものではなく、人類や精神というもののなかで存在する不思議なものである。
思索が個人を超えていくとき、「自分は誰それだ」という思いこみから開放されるのである。
「少なくとも、死が恐かったり、今の人生にしがみついている自分がなさけなかったりするなら、そう考えればいい。人間はまだ、死をおしまいと考えていますが、ひょっとしたら、死は始まりかもしれないのです。」(p281)
なるほど、「自分」とは、過去の「他人」の言葉や考え方の寄せ集めである。

2009年12月29日火曜日

北岡元 ビジネス・インテリジェンス

2009.2 東洋経済新報社

1956年生まれ

この本で紹介しているのは、ビジネス・インテリジェンスの中で、現在もっとも洗練された手法を確立していると思われるCI(競合インテリジェンス)の世界である。
アメリカでは、CIAなどの政府インテリジェンス組織が、インフォメーションを収集し、分析してインテリジェンスをつくり、未来を予測することで安全保障政策の立案・執行に役立てている。
インフォメーションは、インテリジェンスになることで、私たちが判断・行動するために必要な知識になる。
インテリジェンスというと盗聴とか、産業スパイとか暗いイメージを連想することもあるが、インテリジェンスとは考え方であり、生きざまである。
その際、重要なのは「自分を知る」ことである。
「自分を知る」ことで、よりよく「彼を知る」、さらに「未来を予想する」ことができる。
自分の強いところや弱いところが正確にわかっていれば、現実の変化に対応して、自分の判断・行動を柔軟に修正していくことができる。
実際に、テロ対策や災害対策におけるインテリジェンスの最前線でも、同じ考え方が用いられている。
企業も国も、いつテロの脅威にさらされるのかわからない。
それでは、どうしたら、自社を守れるのか。ここでも重要なのは、「自分を知る」というアプローチである。自社の防護されるべき環境を絞り込み、攻撃者の手口を予想・分析し、疑惑のサインを日常的に監視する。ここでは、「彼を知る」という情報は使用されていない。
いつ起こるかわからない自然災害にも同じ考え方がもちいられる。災害の予想よりも地域社会の脆弱性を分析して、それを除去していくことが重要である。
「自分を知る」ことによって、自分の弱いところや強いところを分析し、自分の利害にかかわる未来を予想する。
未来は完全には予測できないので、複数の仮説を用意する。
それを、シナリオという。できたシナリオのうち、自分にとって、不確実だがインパクトの大きいシナリオを特に警戒すべきである。そのようなシナリオについては、そのシナリオが実現する場合には、事前にこういう兆候が現れるはずだという形で兆候を予想してモニターする。
予想されたシナリオの可能性が高まった場合には、事前に対抗策を講じ、 新たな戦略を立案・執行、つまり判断・行動を予定することができる。
このような「インテリジェンス・サイクル」を作って回していくのである。

2009年12月28日月曜日

保土ヶ谷


保土ヶ谷宿本陣跡



かなざわかまくら道

2009年12月27日日曜日

佐藤優 世界認識のための情報術

2008.7 株式会社金曜日

1960年生まれ

著者の言葉は、論理的で、説得力があり、抑制がきいて、重苦しい。
2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、執行猶予付き有罪判決を受けた。
同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省という経歴も異色である。
そもそも、神学科に進んだのは、キリスト教を論破するためであったというが、それが、逆にクリスチャンになったのだという。
著者の母親は、沖縄の久米島出身で、沖縄戦の生き残りであるという。
沖縄の人たちの、日本本土にたいするねじれた感情は、沖縄戦で、多数の犠牲者が出ただけではない。
沖縄には、もともと琉球王国が存在し、日本と中国の両方に朝貢していた。
幕末には、アメリカなどとの間で修好条約を締結した。
それが、明治の初めに、強権的に日本の一部に組み入れられ、琉球藩が設置され、これに続いて沖縄県が設置されたのである。
私は、沖縄の人たちの共通の感情というものが、どのようなものなのか知らない。
しかし、本土で、漠然と「日本は単一民族」などと言っているのとは違うものがあるらしい。
戦後、アメリカ軍が占領していたときは、琉球政府が置かれていた。
その後、本土復帰されたが、沖縄県民は、はたして沖縄という名前に愛着を感じるのだろうかというのが、本書の読後感である。
クリスチャンでかつ右翼だというが、得体の知れない感じがする。

2009年12月26日土曜日

野口悠紀雄 未曾有の経済危機 克服の処方箋

―国、企業、個人がなすべきこと

2009.4 ダイヤモンド社


現在起きているのは世界的なバブルの崩壊であるから、日本経済の落ち込みが終わったとしても、基本的な条件が変化しなければ底から這い上がることはできず、低水準の活動が続くだけである。 これからも過剰な生産能力の負担が企業収益を圧迫し続けることになるだろう。 この状態を変えるためには、日本の経済構造と産業構造の基本的な改革が不可欠である。
すでに、中国が安価で豊富な労働力を使って工業製品を作れるようになったことは、日本の高度成長期型産業構造を揺るがせるものであった。 しかし、日本は、その課題に取り組むことなく、古い産業構造を維持したまま、金融緩和と円安政策で外需に依存する道を選んだ。
そのよう輸出立国戦略の破綻が明らかになった今、日本は基本的な方向転換と経済再構築を迫られている。 ところが、日本の経営者は他力本願であり、日本銀行の資産は劣化し、財政赤字は拡大し、銀行の不良債権はこれからも拡大する。
こうしたことを考えると、日本経済の落ち込みは、以前に戻るだけで済む保証はなく、さらに悪化するおそれがある。
それを防ぐためには、日本経済の基本を改革しなければならないが、まず大事なのは、個人が何をするべきかである。
日本では、これまで組織に依存する傾向が圧倒的に強かった。 能力のある人は、ほとんどが大企業に入社し、そこで昇進するという生き方である。
しかし、いまや組織にすべてを賭けてしまうのは、リスクが高いことがわかった。
これからは、どの組織に属しているかではなく、個人としての市場価値を持っているかどうかが重要になる。
組織から個人の時代にという変化は、個人の立場だけからでなく、日本全体としても必要なことである。 独立して起業する人や、ベンチャービジネスを立ち上げる人が増えることによって、日本の産業構造や経済構造を変えることができる。
自分に投資して勉強すれば、現在の危機を大きなチャンスに転換できるかもしれない。 そこで、自己投資としての勉強で重要なことは、問題そのものを探すことである。
受験勉強のように、問題が与えられているのではない。 難しいが、問題そのものを探すことが必要になる。
何をやったらよいかは、本書に書いてあるわけではなく、読者が自分で判断しなけばならない。

2009年12月25日金曜日

田原総一朗・佐藤優 第三次世界大戦

世界恐慌でこうなる!

2009.2 株式会社アスコム


冷戦時代はソ連・中国をはじめとする共産圏が頑張っていた。
ところが共産主義が1990年に滅びると、資本主義が独走し、それまで持っていたチェック機能、歯止め、自制心を失って暴走した。それが、2008年の金融危機の原因である。数学の天才がつくったきわめて高度な金融工学の技術も、けっきょくそれを使いこなすことはできなかった。これも今回の金融危機の根底にある大きな問題である。
資本主義を見直し、もう一度基本からやり直すのにはいい機会になるだろう。
ところで、佐藤はマルクスの経済学が資本主義とは何かをよく説明していると言う。
マルクスは、いうまでもなく、マルクス主義の開祖であるが、マルクス主義とはレーニンなどのマルクス解釈にすぎなかった。マルクス自身は、共産主義革命が起こることを期待していたのだが、「資本論」の内在的理論だけからは、かならずしも革命にはならない。宇野弘蔵によれば、資本主義は、金融資本による帝国主義の時代に発展していくことによって、もはや共産主義革命は必然ではなくなった。
古典派経済学やマルクス経済学は、いわゆる経世済民としての政治経済学であが、理論経済学や金融工学は、そのような哲学や道徳とは無縁である。今の経済学には哲学がないのが大問題だと佐藤は言う。
社会主義や共産主義が崩壊して、もはやマルクス主義は葬り去られたにもかかわらず、最近、マルクスの経済学が再び注目されているらしい。
以上のほか、二人の対話は、貧困の広がりが体制の維持を危うくしているとか、批判だけで無責任な反体制派、安全地帯に身を置いて批判ばかりしている巨大マスメディアなど、今日の日本を覆う深刻な話題に及んている。

2009年12月24日木曜日

東急妙蓮寺

菊名池公園

2009年12月23日水曜日

松岡正剛 17歳のための世界と日本の見方

セイゴオ先生の人間文化講義

2007 株式会社春秋社

1944年生まれ

「編集工学研究所所長」の著者は「編集工学」という言葉をつくった。
編集という言葉は、ふつう、「本や雑誌の編集」という意味で使われている。
著者は、この言葉を、もっと広い意味と深い作用を表す言葉として使っている。
つまり、人間の知覚や思考や表現のすべてにかかわる「新しい関係性を発見していく」ことである。 さらにそこに工学的な技術的かつ方法的なスキルやセンスをつけ加えたのが「編集工学」である。 著者は、「編集工学」を使って、さまざまな人間文化の成果を関係づけ、さらに新たな関係を発見していきたいと思っている。

人間文化がばらばらに発するメッセージのことを、「情報」と呼ぶ。
「インフォメーション」とは世の中のすべての外的情報をいい、「インテリジェンス」とは私たちの感覚や知覚にまつわる内的情報である。
情報は区別することによって見えてくるものであり、情報の本質は「区別力」にある。
区別した情報を、新たな視点でつないでいき、見方をさまざまに組み替えていくことによって、新しい関係が発見される。
「編集工学」は、そういう仕組みを奥深くまで分け入って研究する。
著者は、人間文化はすべて情報文化と呼ぶことができると考えており、人間文化のための活動の多くは「情報の編集」と捉えている。

ちなみに、人間文化の根っこのほうにあるのが、宗教である。
たとえば、キリスト教をみると、イエスは30歳くらいから35歳までのわずか5年ほどしか活動していない。 イエスの弟子は10人程度である。
それが、2000年後の今日、世界の大宗教となっている。
世界史上で活躍し大きな業績を残した人物も、活躍のピークが5年くらいということは、いくらでもある。
集中した5年の歳月と最初のコア・メンバー10人で、非常に大きなことができるというひとつの例である。

2009年12月22日火曜日

バート・K・ホランド 確率・統計で世界を読む

林大訳

2004 株式会社白揚社

著者は40代の大学教授であるが、これまで自分が何をいちばん勉強したいのかわかったためしがないし、今も判断がつかないという。
役に立つ可能性のある興味深い研究の選択肢はさまざまで、ほかを捨てて一個の主題に焦点を合わせるのは、 必然性がなく窮屈なようにずっと思ってきた。一方、研究者としては専門分野を選ばなければならない。
このジレンマを解決する方法のひとつが、確率・統計を学ぶことである。そうすれば、その方法を幅広い分野に適用できる。
確率の法則によって、様々な現象が要約でき、予測できる。著者は、このところ、確率・統計を主として医学の研究に利用している。
しかし、ほかの分野への興味をなくしたことはなく、もっと一般的な確率法則の適用可能性について書き留めたのが本書である。
起こる事象が独立の場合、つまりどの事象もそれに先行する事象に依存していない場合、つぎに何が起きるのか予想することはできない。
確率論で予測できるのは統計的予測であり、個々のレベルでは、実際の予測は不可能である。
ルーレットでは球が転がり始めるときは、つねにまったく新たなスタートなのである。
おなじように、統計からはある集団の振る舞いは予測できるが、個々人の振る舞いは予測できない。 個々人の間には必ず予測できないバラツキがある。
この世界に確実なものはなく、偶然によって左右される。 だが、その偶然を貫いて確実に成り立っている法則が、確率・統計の法則である。
確率・統計の法則に逆らって偶然を味方につけようとするのが、ギャンブラー、占い師、超能力者、相場師などだが、 こちらのほうも人間的にはおもしろい。
人はなぜ当たる見込みもない宝くじを買うのだろうか?
個人にとっては、宝くじに当たるかはずれるかの可能性は半々である、つまり、当たる確率が50%のように見えるのかもしれない。

2009年12月21日月曜日

田原総一朗・佐藤優 第三次世界大戦

新・帝国主義でこうなる!

2009.2 株式会社アスコム

田原総一朗1934年生まれ

佐藤優1960年生まれ

佐藤優は、現在の大混乱する世界を見通すキーワードは、「第三次世界大戦」だと考えている。第三次世界大戦が起こるかどうかにかかわらず、すでに始まっているという前提で、国際情勢を見ることが必要だという。
アメリカはつねに戦争をし続けてきた国である。9.11テロ以来、イスラム原理主義との戦いが続いている。
冷戦終結後、アメリカが古代ローマ帝国のようになり、アメリカ金融帝国主義、ドル帝国主義が、ますます発展するかに見えた。
アメリカが世界帝国になりかけたとき、イスラム帝国主義と衝突したのが9.11テロである。
9.11テロは、アメリカ帝国主義にたいして、絶望に追い込まれた民族・青年たちの反乱のようにも見えるが、実はそうではない。
むしろ、ヨーロッパの大学や大学院に留学して、英語もドイツ語もできる、飛行機も操縦できるという、今の社会ではトップ・エリートにはなれないが、ちょっと下ぐらいのエリート層が引き起こした事件であった。
能力はありながら、人種的に西欧社会では差別されるという不満を持った人間をアルカイダが巧みに組織化したのだという。

2009年12月19日土曜日

手嶋龍一・佐藤優 インテリジェンス 武器なき戦争

2006 株式会社幻冬社

佐藤優は、かって外務省に対して圧倒的な影響力を持っていた鈴木宗男を裏から操っていたとして、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた。
手嶋龍一によると、佐藤優は日本外務省きっての情報分析プロフェッショナルであった。
インテリジェンスとは情報のことで、「武器を使わない戦争」といわれる外交の背後で繰り広げられている情報戦に欠かせないものである。
真偽のほどはともかく、佐藤優によると、東京を含めた世界中のあらゆる都市で、ほとんどの要人の電話は盗聴されているという。重要なのは盗聴したものをどう評価し、分析するかである。
そこに「インフォメーション」ではなく、「インテリジェンス」としての情報の価値がある。
素材としてのインフォメーションを精査し、裏をとり、周到な分析を加えた情報が、インテリジェンスである。
アメリカのブッシュがイラクに戦争を仕掛けたとき、フセインが大量破壊兵器を隠していること、およびフセインがアルカイダと組んでいることの二つを根拠にしていた。
今となっては、どちらもデタラメであることが明らかとなったが、その背後にはさまざまな国や人物の活動があった。
アメリカもソ連と張り合っていたころは、情報力を重視していたが、冷戦終結後、唯一の超大国となってからは、最終的には圧倒的な軍事力で解決する気なので、かえって情報力を弱めているという。
アメリカのような超大国の情報力が弱まっているのが事実とすれば、この先、おなじようなことが起こることが考えられる。

2009年12月18日金曜日

浜矩子・高橋乗宣 大恐慌失われる10年

2009.4 株式会社李白社

浜矩子 1952年生まれ

高橋乗宣1 940年生まれ

グローバル化した世界で、世界同時大不況が日に日に深化している。
金融暴走時代の後始末をつけることは、それなりの時間がかかるのだろう。
こんななかで、各企業や国が自分さえよければという論理でお互いを排斥していけば、これから先の10年は、まさしく地球経済にとって失われた10年となるであろう。
日本に先駆けて改革解放、規制緩和を押し進め、金融バブルと不動産バブルに沸いたイギリスは、アメリカ同様、不動産バブルがはじけ、深刻な国内空洞化の前に立ちすくんでいる。
日本ではアメリカの危機ほど深刻に受け止められていないが、ヨーロッパ諸国も、バブルが崩壊し、経済が急降下している。スペイン、ハンガリー、アイルランドの経済の落ち込みはとくに大きい。
1999年に実施された通貨統合により、金融政策は欧州中銀(ECB)が行うことになったが、金融監督権限は各国の財務省に残されている。いまのEUは金融監督、金融規制、金融政策を一元的に考える構造になっていない。
本書の著者は、アメリカ経済も、まだ底が見えていないと考えている。
このままの経済状況が続けば、1ドル=80円、70円は時間の問題である。
日本では、円高になると輸出産業が政府にたいして円高対策として為替介入をすべきであると要求する。円売り、ドル買いの為替介入を行って、円高を阻止してほしいという気持ちはわかるが、崩れ落ちていくドルを買うことが、はたして得策と言えるのか疑問である。
日本企業は大量生産、大量輸出型の経済成長がもはや限界であることを自覚したからこそ、生産拠点を海外に移してきた。
海外進出や資源輸入にとっては、円高は有利である。
これまでのように、円高・円安に一喜一憂するのではなく、海外に腰をすえた事業展開をするべきである。いつまでも過去のやり方にこだわるべきではない。
日本の製造業が壊滅的な打撃を受けている。
それでは、この先、モノづくりを捨てて、新しい道を探すしかないのだろうか。
著者は、そうではなく、やはり資源を持たない日本には、モノづくり以外には道はないという。日本にしかない、日本でしかできないモノづくりをめざすのだという。
これまでのように大量生産による薄利多売ではなく、独自の伝統や技能に裏付けられた少量で儲けられる高付加価値の分野で勝負するのである。

2009年12月14日月曜日

2009年12月12日土曜日

上野佳恵 情報調査力のプロフェッショナル

2009.3 ダイヤモンド社

著者は、コンサルティングとかリサーチなどの情報調査の仕事を職業としている。
情報を調べるだけでなく、自分自身の知識や知恵にして、さまざまな形で活用することが大事である。
インターネット上には情報があふれ、キーワード検索ひとつで膨大な情報を得ることができる。しかし、単に検索を繰り返すだけでは本当に必要な情報にたどり着くことはできない。調べる力をみがき、活用することによって、情報のプロフェッショナルになることができる。
「情報リテラシー」という言葉がある。
いろいろな手段で情報を獲得し、それを知識に組み込んで問題を解決し目標を達成するためのスキルである。どんなにたくさんの情報をもっていても、そのなかから肝心の情報を読みとる力や判断する力がなければ、情報リテラシーが高いとはいえない。
ツールの利用に長けていても、思考力、分析力、判断力などの基本的能力がなければ「調べる」というサイクルは成りたたない。
いっぽう、どんなに優れた分析力があっても、情報を集めたり、調べる力に問題があると、問題解決力は高まらない。
いくら情報がたくさんあっても時と場合によってうまく使いこなすことができなければ、宝の持ち腐れになってしまう。
情報量が増えても、自分自身の知識や知恵にしなければ、「情報力」は強くならない。

2009年12月11日金曜日

ビル・エモット 世界潮流の読み方

2008.12 PHP研究所

鳥賀陽正弘訳

1956年生まれ

著者はジャーナリストと作家の仕事をつうじて、世界の出来事に絶えず魅せられてきた。
世界の潮流は複雑で、すべての国や企業、それに人間が、それぞれお互いに影響を及ぼしあっている。なんらかの結論を見いだしたと思ったとたんに、突然予期しない出来事が、起こったりする。世界の動向を研究することは、たいへん興味をそそられるとともに、有益であり、謎めいている。

「近年とくに欧米で、年長者やインテリ階級の人たちが、総じて嘆いていることがある。
それは現代人の生活がもはや文化的でないことだ。つまり若い人たちの考え方や作文能力の水準は低下し、さらにテレビやインターネットは、人々に十分な情報や教育を与えずに、むしろ彼らを、単純な娯楽を楽しむ、受動的な消費者にさせているのである。」(p268)
著者は、はたして、このようなメディアや一般的な情報の知的水準の低下は本当だといえるのだろうかと疑問を感じている。
マスメディアが、高い視聴率を得るために水準を落としている反面、教育水準は事実上、全般的に向上している。読者や視聴者が、情報や娯楽をみつける方法は増えているので、マスメディアが視聴者を大量に増やし、広告を集めることが、ますます困難になっている。そのため、マスメディアの娯楽化がすすみ、視聴者からは、間抜けでおろかになったと思われるのである。
人々は、情報過多の時代にあって、何か特別なもの、ありきたりでないものを求めている。一部のメディアは、差別化された情報に特化し、教育水準が向上したおかげで、レベルの高い出版物の読者も以前より増えている。
たしかに、テレビ番組などの幼児化や低俗化を危惧する声がある一方、人々の知的レベルは、けっして低くない。
メディアに踊らされるのではなく、自分で考えなければならない。

2009年12月10日木曜日

竹中平蔵 竹中式マトリクス勉強法

2008.10 株式会社幻冬舎

1951年生まれ

「そもそも、勉強は何のためにするのか?一言でいえば、今のあなたをもっと高めるためです。」(p20)
著者によると、勉強法は二つの方向性に分かれる。一つは、人生を戦いぬく武器としての勉強、もうひとつは、人間力を鍛えるためのひととひととを結ぶ勉強である。
勉強には二つの方向性があると同時に、目標の到達点があるかどうか、すなわち、天井があるかどうかという軸も存在する。
すべての勉強は、方向性という縦軸と、天井の有無という横軸とのマトリクスで位置づけることができる。
竹中式勉強マトリクスでは、以上の組み合わせで、A.記憶勉強、B.仕事勉強、C.趣味勉強、D.人生勉強に分けることができる。
大人の勉強は、何を勉強するのかも自分で決めなければならないが、マトリクスで考えると、勉強に対するモチベーションも到達目標も分かりやすくなってくる。
「学校秀才」などという言葉があるように、学校の勉強や試験勉強ができるというだけでは、とうてい人生を乗り切っていくことはできない。
勉強とは、いわゆる「勉強」だけではない。
何歳になってからも、いろいろな勉強をし続けなければならない。
その時々の自分の能力や仕事の状況などに合わせて、勉強の中身ややり方を変えてみる。自分を成長させるには、「今、自分は何を勉強するべきか」知ることが大切である。

「竹中式勉強法9の極意」では、著者は健康でなければ勉強はできないと言う。 徹夜や睡眠不足は知的生活の敵である。
世の中には、睡眠時間が短くとも平気な政治家や社長がいる。著者は、政治家と学者を両方やってみた。政治家のような、ハイテンションの仕事は寝不足でもできるが、勉強や執筆などの精神を集中させる作業は、コンスタントに黙々と打ち込めるように生活のリズムをととのえることが欠かせない。精神的にも肉体的にも、ある程度のコンディションが整っていないと、勉強はできない。
歳を取ると、人は目や記憶力が衰えてくるので、勉強の効率は落ちる。したがって、記憶する勉強から人生勉強のほうに、より重点を移すことになる。
いくら歳を取っても、失敗もするし、後悔もする。勉強に終わりはない。

2009年12月9日水曜日

歳川隆雄 自民と民主がなくなる日

永田町2010年

2008.11 株式会社幻冬舎

1947年生まれ

2008年秋、アメリカから始まった世界的な金融危機に対処するため、麻生前首相は、「国内的な政局より国際的な役割を優先」し、衆議院の解散・総選挙よりも大型の追加経済対策を選んだ。いっぽう民主党は、「政権交代こそが最大の景気対策だ」として、
ひたすら早期解散を要求した。

その後、2009年夏に衆議院選挙が行われ、鳩山民主党を中心とする連立内閣が成立した。

著者は、2010年の参議院選挙が衆議院とのダブル選挙になるはずであり、そのとき、現在の自民党も民主党もなくなり、 永田町の景色は一変すると考えている。
現在の民主党は、旧社会党系の左派勢力から穏健保守派までの寄り合い所帯である。 そのうえ、2009年9月に成立した鳩山内閣は国民新党と社民党との連立内閣である。
そのためもあり、政権成立以来、国民からも、迷走しているように見えている。
いっぽうの自民党も、選挙で負けてから、これからどのような党を目指すのか具体的なビジョンを示すことができていない。
鳩山内閣が、行き詰まって解散総選挙ということになれば、著者が言うように、現在の民主党や自民党が分裂して、 ふたたび政界再編が起きそうである。

これまでの政界再編は、すべて小沢一郎を中心に動いてきた。
そこで、小沢一郎という人物であるが、「政策より選挙の小沢」と言われているらしい。
実現性の確かでないマニュフェストを掲げて政権を取ったものの、何を考えているのかわからない。
かっての田中角栄を超える権力者となった小沢という人物に不安を感じる人も少なくない。
この先、日本の政治の行く先を予想することは、きわめて難しい。

2009年12月8日火曜日

榊原英資 没落からの逆転

グローバル時代の差別化戦略

2008.6 中央公論新社

1941年生まれ

著者は、「日本は没落する」という本を出し、日本の社会や政治・経済に関する悲観的な見方を展開した。日本没落の徴候は、マスメディアの幼児化、経済界の拝金主義、政治のポピュリズム化に顕著にあらわれている。
しかし、こうした状況に絶望しているばかりではなく、いまこそ、危機感をバネに抜本的な改革をすべき時である。
明治維新以来の抜本的な改革に日本の将来がかかっているが、それではどのような日本を目指すべきであろうか。
日本の近代化とは、いいかえればイギリス化であった。戦後はアメリカ化に取って代わられた。
次の、ポスト近代の世界では、日本が目指すべきは、長い伝統ある日本への回帰でなければならない。本書では、日本とイギリスの歴史を比較しながら、日本の特徴は「和」であると主張する。日本は、「和」の精神で、権力が極端に集中する事を避け、長期間の平和を実現したのである。こうした著者の伝統回帰の考え方は、松岡正剛と山折哲雄の著作からインスピレーションを得て形成された。
著者は、伝統的な日本の良さを、世界に向けて発信すべきであるという。
考えてみると、今日の日本が置かれた閉塞状況は、明治維新以来の近代化の延長から生まれたものであることは間違いない。
だからといって、それ以前の社会を理想化した目で見るのもどうかと思う。
日本の歴史を「和」をキーコンセプトとして描くのは、ひとりよがりにすぎず、中国・韓国をはじめとするアジア諸国の理解も得られないであろう。

2009年12月7日月曜日

堀紘一 世界連鎖恐慌の犯人

アメリカ発「金融資本主義」の罪と罰

2009.1 PHP研究所

1945年生まれ
べンチャー企業の支援・コンサルティングを行うドリームインキュベータ社長

今回のアメリカ発金融危機の元凶は、エリートもどきの拝金主義者である。
著者は、かってライブドアの堀江社長や村上ファンドの村上世彰と論戦し、彼らに警告し反省を促したのだが、なぜか著者が悪者あつかいにされた。あのとき、彼らのバックにいたのは、リーマンブラザーズだった。
彼らインベストメントバンクは、信じられないくらいたくさんの弁護士を抱えており、彼らのすることは「法的・規制的には」何も問題がない。そして、かれらの主力商品のデリバティブは、理系の修士や博士によって設計され、論理的には一点の破綻もない。
彼らは、法外な金を稼いで逃げ去ったのである。

われわれ日本人は、彼らを生み出した金融資本主義―「虚」の経済から産業資本主義―「実」の経済へ回帰すべきである。
「いまこそアメリカの国策ともいえる金融資本主義とは決別し、日本人は産業資本主義の考え方で進んでいかなければならない。元来日本人はものづくりが得意で、汗をかくことも厭わず、産業資本主義に向いている。」(p182)

残念ながら、今回の金融危機の大打撃は、かなり長引きそうである。
「情けないが、私たちの対抗策としては、とりあえず『耐える』ことだ。耐えながら、常にチャンスを窺うことである。諦めることは少しもない。」(p187)
著者は、東大法学部を卒業後、三菱商事に勤務し、ハーバード大学のビジネススクールに留学してトップの成績で卒業した。その後、ボストンコンサルティンググループの社長を勤めた。
日本でも代表的な経営コンサルタントのひとりが「とりあえず耐えるしかない」と言うしかないのである。

2009年12月6日日曜日

京急北品川

八ツ山橋

旧東海道

2009年12月5日土曜日

瀧口範子 なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?

2008.7 株式会社プレジデント社

「ここは定住の地というより、チャンスの土地だ。世界中から腕試しにやってきて、負けたなら、さらに腕を磨いて出直してくる場所なのだ。そして、たとえ負けてもいつも次にかける希望がある。」(まえがきより)

かって、「知識はパワー」といわれていた。
中国やインドにアウトソーシングが進んで先進国に残されるのは知識産業のみといわれてきたが、先進国の傲慢なひとり合点にすぎなかった。
今や、BRICs諸国から知識がどんどんわきあがってきてもおかしくない時代になった。
インテルの投資額は2006年に、アメリカ国外向けが国内を超えた。 マイクロソフトは中国やインドに研究所をおいている。世界中のネットワークを利用しようとしているのである。
シリコンバレーのグローバル化は、いちだんと加速している。インド人や中国人だけではく、ヨーロッパ人も多く、住む場所というより、空港のようなイメージがある。
コンピューターの専門店は、今や消滅の危機にあり、残るのはウォルマートのような巨大なディスカウント店だけになるという予測がある。コンピューターはもはや特別なものではなくなった。
シリコンバレーの中心地パロアルト市では、ガラス、プラスチック、紙などの資源ゴミをすべて一緒に出すことになった。資源ゴミの回収率は分別を簡素化すればするほど高まる。市当局は、資源ゴミを自動分別する最先端の機械を導入したのである。
シリコンバレーでは、牧歌的な風景のなかで、すさまじい競争がおこなわれている。
いま、話題になっているのは、マイクロソフトのヤフーに対する買収攻勢である。
すぐれた頭脳の持ち主のプライドをくすぐりつつ、激しい競争とプレッシャーにさらして、かぎりなく利益を追求するのというのは、なにかウォールストリートのやり方と共通するものがある。
シリコンバレーは、テクノロジーが社会の枠組みを変えるかもしれない時代の最前線にあるらしい。

2009年12月3日木曜日

竹中平蔵・田原総一朗 ズバリ!先読み日本経済

改革停止、日本が危ない!

2008.11 株式会社アスコム


竹中平蔵は、2001年から2006年まで、小泉内閣で、経済・財政・金融・郵政民営化を取り仕切った。
いま、「小泉・竹中構造改革」は、日本中から非難・批判されているが、田原総一朗は、そんな竹中に、強い関心を抱いた。
竹中によれば、大臣になった瞬間から「反・竹中」になった人が多い。批判には三種類あり、第一は、とにかく反対の立場でものを言う。第二は、”永遠の真理”を言う。第三は、批判する相手を”市場原理主義者”などと一方的に決めつけて問答無用にする。
そして、いずれの批判も、具体的な「対案」がなくダメだと言うだけである。
郵政民営化に反対する「抵抗勢力」と、学者が勝手なことをしているという嫉妬心とがそうさせたのかもしれない。

田原は、講演などで、あちこち行っているが、いまの日本は、みんなが将来への不安でいっぱいである。不安の原因は、経済的な問題をはじめとして、いくらでも山積みしている。
竹中は、たとえば、中小企業が倒産したのは、小泉・竹中改革のせいだから、国が責任を持って救えというような議論はおかしいと言う。世界中の国が、きびしい競争にされされているなか、倒産する中小企業もある。
グローバリゼーションの進展によって、企業が国外に出て行って、地方経済が衰退した。また、世界的な競争のため、格差が拡大した。それを、たまたま同じ時期に起きた「小泉・竹中構造改革」のせいにしているのである。
それはそうかもしれない。では、小泉・竹中改革とはどんなものだったのか。
小泉は、「政府が財政拡大するだけでは、日本経済は絶対にダメなんだ」という信念を持っており、竹中と一致する。
小泉内閣で竹中が行った主な仕事は、銀行の不良債権処理と郵政民営化である。
構造改革とか規制緩和とかは、それ自体は、間違った考えでもないのに、国民の不安と不満のはけ口にされたのだろうか。
むしろ、問題は、日本ではアメリカのマイクロソフトとかグーグルのようなベンチャー企業が出てこなかったように、活力がなく、何をやっても不安という「中年症候群」が、日本を覆っていることにあるらしい。
それでは、どうしたらよいのだろうか。
「何でも政府頼み」から脱却して、日本の持つ技術力、人的資源などの底力、潜在力をうまく引き出せれば、日本の成長率を確実に高めることができるというのが竹中の考えである。

2009年12月1日火曜日

小林正宏 世界複合不況は終わらない

蔓延する楽観論への警告

2009.9 東洋経済新報社


1965年生まれ

「『世界複合不況』というタイトルには、二つの意味を込めている。一つは、金融市場内の構造、そして金融市場と実体経済の関係がかつてなく複雑化した時代に起こった不況であること。もう一つは、金融と経済のグローバル化がかつてなく進展した時代に、地理的に多くの国で同時多発的に不況に陥ったことである。」(「はじめに」より)

日本については、当初、金融面での影響は少ないように思われていたが、世界的な需要の減退により、外需に依存していた日本の景気は大きく落ち込んだ。それにともない、雇用が失われ、消費も伸びない。これで内需を拡大すべきと言っても、きわめて難しい。日本人はモノづくりに優れているから、その特性を生かすべきだという意見があるが、そもそも、モノが溢れているのに売れないから景気が悪いのが現状である。
アメリカのオバマ大統領は、将来の成長の柱は、自動車や鉄鋼などの製造業ではなく、「エネルギー、医療、教育」の分野であると位置づけている。日本においても、従来のように、輸出に依存するだけの経済をいつまでも持続することは難しい。
地球温暖化防止、医療用器具、介護補助ロボットの開発などの領域で製造業が伸びることが望ましい。
今の日本は、景気が悪いから自己防衛のために消費を抑制するのだが、個人の行動としては正しいとしても、それが国全体で見ると、経済全体が委縮し、いっそう厳しい環境となるというジレンマに陥っている。したがって、節約が美徳というのではなく、ある程度の所得のある人は、それなりの消費をしてもらわなければならない。皆が節約してバスを利用していたのでは、タクシー運転手の所得が減ってしまう。
民間企業が厳しくなるのにしたがい、公務員にたいする反感が高まり、「天下り」にたいする批判が強い。
日本の未来も、少子高齢化の進展で、国全体が衰退に向かっていると言う人が多い。
しかし、一定の法則に従い予見可能なのが自然現象であるが、人間は外部からの情報に基づき主体的に判断して行動する。日本の未来は、運命論的に決まるのではなく、将来の世代のためにどうしたいかによって決まると著者は言う。
後ろを振り返るのではなく「前向きに」考えるほうがいい。
「官か民」という発想ではなく、本当に必要な仕事かどうかが重要である。
公務員の仕事も、一種のサービス業と考えると、民間でやったほうがいいのか、それとも国あるいは地方自治体でやったほうがいいのかという話になる。