2017年2月27日月曜日

2017年2月26日日曜日

工学部ヒラノ教授

2011  今野浩  株式会社新潮社

大学も社会の縮図であるから、そこでは教授たちがドロドロとした権力闘争に明け暮れている。子供が少なくなれば大学の経営も苦しくなり、学部の看板を掛け替えたり、再編してみたり、大学院を新設したりする。国家の財政が逼迫しているので、大学の予算も削減され、そのぶん、文部科学省の役人のご機嫌を取ろうとして、天下りもよろこんで受け入れる。
このようななかで、大学教授という職業を考えてみると、けっして儲かる商売ではない。
大学教授になるには、大学を卒業してからさらに4年間も学ばねばならず、その後の下積み期間も長く、やっと40代の後半で大学教授になれたとしても、研究者としてのピークは過ぎていて、定年が間近に迫っている。
理工系の学部のばあい、実験器具を買ったり、海外に出張しようとすると、とても研究費だけではやっていけない。そのため、特別に文部科学省から補助金を出してもらおうとする。しかし、文部科学省の役人は、どれがすばらしい研究かなどわかるはずがないので、すでに実績のある研究に補助金が回ることになる。つまり、金のあるところへはますます金が回ってくるが、どんなにすばらしい研究であっても実績のないところへは金は回ってこない。冷遇されて恨みを残す人も多いことであろう。
大学教授は忙しいから、なかには学生の教育にあまりかまっていられない人もいて、学生など、タダで使える労働力としてしか見ていない。こまかい実験や統計作業をやらせたり、参考書の練習問題の解答を作らせたりしているのであろう。教育とか学生よりも、自分の生き残りを優先するとすれば、あり得ないことでもない。

以上、悪く書きすぎたが、大学も裏から見ればこういう面もあるのだろうと思う。それでも、社会における大学教授のステータスは高く、基本的に嫌な仕事はしなくてすむのだから、大学教授という職業は、やはり恵まれているのではなかろうか。

2017年2月13日月曜日

脳の呪縛を解く方法

2014 苫米地英人 株式会社KADOKAWA

ブラック企業で過労死する人が出ると、「辞めればよかったじゃないか」と思うが、そう簡単には辞められないし、逃げられない。
これは、おもに「脳の呪縛」のせいである。
人の脳は「誰かに見られている」と勝手に感じるように出来ている。
人の脳も、目や耳などの他の器官と同じように右脳と左脳とに分かれている。
意識とは、人が言葉を獲得してから急速に進化したものであり、左脳に言語をつかさどる領域があると言われている。著者によると右脳にもおなじような働きをするところがある。
言い換えれば、左脳にある意識は、右脳からの刺激を受けている。
誰かに見られていると感じるのはそのためである。
荒井由実は、「小さい頃は神様がいて」と歌ったが、誰でも似たような経験があるはずである。
その後、親に保護されて見守られ、学校に入ると先生が見守ってくれた。
社会に出ると、今度は会社が見守ってくれるのかというと、そうはいかない。
会社や、もっと広くとると、国家もそうであるが、それらは個人を監視し、束縛する。
しかし、かならずしも保護してくれるわけではない。そこらへんが監視され束縛されることに慣れている人には理解できず、逃げられなくなってしまうのである。
このような「脳の呪縛」を解くことによって、自由な自分を取り戻さなければ、今の日本のような生きづらい社会を生きていくことははできない。

昔も、武士は、主君に忠誠を誓って切腹したりしていたが、庶民は、「正直者はバカを見る」などと言っていたものである。