2012年8月30日木曜日

鳥越俊太郎 人間力の磨き方


2006 株式会社講談社

著者が新聞社の入社試験を受けたとき、2次試験はグループディスカッションと個人面接であった。あとでチェックしてみると、おしゃべりすぎる学生と、発言機会の少ない学生は落ちていた。
著者は、大学の授業とは関係のないクラブ活動で司会役を務めていたので、そのときの経験が役に立った。

「事件記者」は、新聞社の花形である。著者も、警察署回りをやらされたが、ただ待っているだけではネタは取れない。捜査員と仲良くなって、情報を貰わなければならない。
ところが、相手は、公務員で「守秘義務」があるので、めったなことでは何もしゃべってくれない。
早朝や夜に相手の家へ行って話を聞こうとしたり、待っているあいだに家族と世間話をしたり、あの手この手で相手に近づこうとする。捜査員と仲良くなることができれば、それとなく何か話してもらえるようになる。
ここで、大学で優秀な成績を取ったような真面目な記者には、「雑談」ができなくて困る人がいる。
天気の話、プロ野球やゴルフの話、相手の出身地の話、家族の話、趣味の話などあれこれ話すことができるのも、新聞記者としてのとりえの一つである。
このように、事件記者は捜査員との間で、「人間的信頼関係」を築こうと努力をかさねている。
これが、同じ「報道」でも、テレビのニュースキャスターになると、まるで勝手がちがい、「30秒のコメントに血を吐く」ような世界で、短い時間にいかにインパクトのある表現ができるかが勝負になる。

あらためて新聞を見直してみると、紙面でもっとも場所を占めているのは、広告である。その次に、テレビやラジオ番組、スポーツ欄や株式欄が紙面を埋めている。
目を引くような事件はあまりないので、見出しの活字をやたらに大きくして、紙面を埋めているようにも見えることもある。
残りの僅かなスペースに書かれている記事の字数は意外と少ないように感じられる。
そう頻繁に大きな事件や事故が起きるわけはないが、新聞に書かれないうちに何か重大な事態が進展していないとはかぎらない。
たとえば、学校でいじめがあって、生徒が自殺し、警察が捜査に入って、新聞が報道する。
新聞が最も恐れるのは、「誤報」である。「コンプライアンス」に敏感になって、たしかな「事実」しか書けない。
一連の出来事の最後のほうになって、やっと新聞記事が出てくるということもありそうである。

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