2013年6月30日日曜日

斎藤広達 「計算力」を鍛える

2012 株式会社PHP研究所

実生活で「計算」というのは、数字の計算だけではなく、もっと広い意味がある。
「計算高い人」というのは、損得にこだわる、打算的な人という悪い意味に使われている。
計算に強くなるのと、計算高くなるのとは違うわけである。
ビジネスや実生活で役に立つのは、おおざっぱに捉える計算力である。
おおざっぱに捉えるには、細かなことに捉われないことである。
国家予算や国民所得のような大きな数字でも、一人当たりに直すと分かりやすい。
日本の人口を、きわめておおざっぱに1億人と見なすと、一人当たりの数字は1億で割ればいいので、より身近な金額になり、実感が湧く。
会社の業績でも、1株当たりの利益で見ると、分かりやすくなる。
まるっきり異なる会社の株価が、なぜ違うのかは、1株当たり利益を計算することによって分かりやすくなる。
すばやく計算するには暗算をしなければならない。
実用的な暗算の例をあげると、たとえば3000÷140というとすぐに計算できそうにない。
これを300÷14になおし、さらにおおざっぱに300÷10とみなすと、すぐに30が出てくる。
これに1.4の逆数のだいたいの数字0.7をかけると21になり、電卓で計算したのとあまり変わらない。
このように、1÷1.2や1÷1.3がだいたい0.8だとか、1÷1.4がだいたい0.7だとか覚えておくと、すばやく暗算することができる。
日本の人口が1億3千万人だとすると、さきほどの1億で割った数字に0.8を掛ければより正確になる。
掛け算でも、25×12を計算するに25×10を計算して250を得、それを2割増しして、300を得る。
以上は、著者による方法であるが、暗算の仕方は、誰でも工夫していろいろなやり方を考えるものらしい。
著者によれば、「計算できるけれど計算高くない」人がうまくいっているようだという。

2013年6月16日日曜日

木田元 新人生論ノート

2005 株式会社集英社

時間について

時間というのは、自分ではわかっているつもりなのに、人に説明するのはむずかしい。
昔から多くの人が、時間を川の流れにたとえてきた。
孔子は、川のほとりに立って、過ぎゆくものはこの川の流れのようで、昼も夜も休まないと言った。
鴨長明は「方丈記」で、世の中の人と住まいのはかなさを、ゆく河の流れに浮かぶ泡にたとえた。
水は川上から川下へ流れていくから、一般に受け入れられている物理学的時間と同じ性質がある。
物理学的時間は、過去から現在、そして未来へと不可逆的かつ等質に推移していく。
哲学者や文学者は、このような時間概念に抵抗して、さまざまな時間概念を展開してきたらしい。
それはそれで興味深いのだが、かなり面倒なことになりそうである。
時間を川の流れにたとえるなら、我々も水といっしょに流される泡のようなものであるはずである。
ところが、感覚的には、橋の上に立って水の流れを見ているようなつもりになってしまう。
自分は変わらないのに、時間が未来からやってきて、過去へと流れていくように感じるのである。
時間というものがあり、自分も変わっていくのにそれに気が付かない。
いつまでも自分が変わらないものだと思い込んでしまう。
60か65になっても、これからも前向きに生きるには、どうしたらよいかなどと考える。
電車で席を譲られるようになって、はじめて自分が歳を取っていることに気づかされる。
何もわからずに生まれてきたのとおなじで、何もわからないうちに死んでいくらしい。
そうなる前に、たまには、ゆっくりと過ぎるともなく過ぎていく時間を味わいたいものである。