2010年4月30日金曜日

2010年4月29日木曜日

田尾雅夫 成功の技法

起業家の組織心理学

2003 中央公論新社

1946年生まれ

今の社会は、ベンチャーやアントルプルナー(起業家)を必要としている。
けれども、誰でも出来るようで出来ないのが、ベンチャーであり、アントルプルナーである。
著者は、どのような人が、どのような事情で成功できるのか考察している。
ベンチャーやアントルプルナーになれる人は、ごく一握りの人たちである。
そういう人たちは、特異な才能に恵まれた人であると思われている。
本など読むより前に、能力や境遇、なかには逆境までもが、彼らを駆り立てるのである。
今の社会では、政治家や医者などをはじめとして、二世がよく目に付く。起業家にしても遺伝子があって、親や親族にそのような経験を持つ人がいることがある。
彼らの成功の裏には、陰になって支持してくれる人がいることも多い。
全く単独で成功するのは、至難の技である。

成功した経営者などで、カリスマと呼ばれる人がいる。
カリスマとは、ある意味ではウソといって悪ければ、ほらが吹ける人である。そのうちに、その人の周りに人が集まってきて、ウソがウソでなくなるということがある。
何でもわかっているリーダーなど、そうやたらとはいない。自信たっぷりにウソをつき通せる度胸または信念のある人が、カリスマやリーダーになるのである。
こうした演技が出来るのも、生まれ付きの才能によるところが大きい。
才能と幸運に恵まれ、成功したとしても、つねに失敗のリスクはつきまとっている。
悲惨な末路をだどる人も珍しくない。
したがって、大多数の普通の人は、組織に属するという、より安全な方法を選んでいる。それでも、あえて会社を辞めて起業するのであれば、分相応ということを心がけるべきである。

著者は、起業をしようとするならば、まず、自分に対してできるだけ正確で厳しい自己像を持つべきだと言う。
それもそうであるが、考え込んでばかりいては、チャンスをつかむことはできない。
起業をした人のなかには、若くて知識も経験も豊富とはいえない人もけっこういる。
幸運にも、その成功が大きければ大きいほど、他人からは、才能があるように見えるのである。

2010年4月27日火曜日

2010年4月26日月曜日

石井勝利 知らないと損! 経済ニュースがわかる本

2009 明日香出版社

円高と円安
今まで1ドル100円で交換されていたのが、90円で交換されるようになれば、円高といわれ、110円になれば円安といわれる。
3年前には、120円程度だったのに、最近は90円程度の相場が続いているので、かなりの「円高」になっている。円高になると、ドル建てで取引している輸出企業は、手取り額が減り、業績が悪くなる。
日本企業の業績悪化の原因は、アメリカ経済の後退と円高の影響が大きい。
円高の原因であるが、アメリカ経済の落ち込みが激しかったので、相対的に日本のほうがマシになったと言われていた。
しかし、日本の経済が好調とはいえない。円高の主な原因は、日本とアメリカとの金利差が縮小したことにあるらしい。
数年前は、金利の安い日本で円を借りて売り、金利の高いアメリカでドルを買って投資する「円キャリートレード」が行われていた。それが、金融危機以降は逆の流れに変わり、しかも日本とアメリカの金利は、ほぼ同じになった。
アメリカの金利も、とうぶん上がらないと見られている。
したがって円ドル相場も現在の水準が続くのではないだろうか。
日本企業は円高に対応するため、コストを削減しようとする。このため、雇用も給料も増えない。所得が増えないので、日本の景気も、そう簡単には良くならない。
世界の景気が回復するにつれて、日本経済も徐々に回復するのを待つしかない。

バイオエタノール
バイオエタノールとは、石油ではなく植物から作られる燃料である。
原料となる植物は成長の過程で光合成により大気中の二酸化炭素を吸収しているので、燃焼により二酸化炭素を放出しても、大気中の二酸化炭素の総量は変わらないとされている。
バイオエタノールは、サトウキビやトウモロコシなどの穀物から作られる。
バイオ燃料の先進国はブラジルであるが、アメリカや日本でもバイオ燃料を導入することが目標になっている。
バイオエタノールの将来性に期待が集まる一方、バイオエタノールの生産が、逆に、環境問題を発生させ、あるいは農産物の価格の高騰をまねくのではないかと懸念されている。
原油価格が高騰したとき、代替燃料としてのバイオエタノールが注目を集めた。
小麦や大豆を生産していた農家が、トウモロコシへの転作を行うのではと、穀物や飼料の価格が高騰した。
日本は、小麦、トウモロコシ、大豆のほぼ全量を輸入に頼っている。このため、これらの価格上昇は加工食品価格を上昇させ、飼料価格の上昇によって、牛肉や豚肉の価格も上昇する。
ここでは、円高は、輸入価格の高騰を緩和してくれる。

2010年4月24日土曜日

2010年4月23日金曜日

谷川浩司 集中力

2000 株式会社角川書店

1962年生まれ

将棋の勝負は、人生にたとえられることがある。
著者は、将棋の勝負が、ただ勝つためだけのゲームになってしまったら寂しいと言う。将棋ファンも、そこに人間と人間がぶつかるドラマがあるから将棋を見てくれる。
大事なのは、如何に戦ったかである。「如何に」の中身は創造性であり、「戦ったか」の意味するものは気迫である。
将棋のプロとしてトップクラスに居続けるために必要なのは、勝負への気迫である。
勝負への気迫を支えるために大切なのが、集中力、思考力、記憶力、気力である。
これらの力が大事なのは、将棋の世界だけではない。

将棋のプロは、十代の頃は、将棋漬けの毎日を送っている。いかに将棋に集中できるかが重要である。好きなことをやっている時間は、それほどつらいとも思わないものである。対局においても、集中力を高め、維持していくための工夫をしている。

思考力は、勝負を分ける鍵になる。ただ時間を費やして考えているだけでは意味がない。結果を出さなければ、時間の無駄遣いでしかない。将棋に限らず、「ああでもない、こうでもない」と迷うのではなく、理屈や言葉で了解する前に、「ピンとくる」「なんとなくわかる」と感じられるように思考力を養うことが重要である。

記憶であるが、良いアイデアは豊富な知識や材料となる情報があって初めて可能になる。つまり、想像力やアイデアの源は、頭のなかの記憶の組み合わせから生まれる。記憶がしっかりしていなければ、良いアイデアが閃くこともない。そのためには、身体に染み込むまで繰り返し練習するしか上達の道はない。

将棋で勝つための心構えでもっとも大事なことは「あせらない、あきらめない」である。目標を決めたら、焦らず、あきらめず、最後までやり抜く気力を持ちつづけることが重要である。
将棋の世界では、つねに勝ち続けることはできない。負けても、立ち直って次に挑戦できる気力を養わねばならない。気分転換や頭の切り替えで、新たな気力を呼び起こすことも必要である。
「将棋に限らず、ある程度実績を残した人が『これだけ頑張ってきたのだから、もうそろそろいいのじゃないか』と思いだすと、勢いを失い、第一線で活躍できなくなってしまうものである。自分の子どもや孫のような年齢の棋士を相手に、持ち時間を使い切って頑張る気力がないと、勝負に対する気迫は萎えてしまう。」(p182)
著者は、好奇心をもち、気力を失わなければ、何歳になっても生き生きとしていられるはずであると考えている。

2010年4月22日木曜日

畑村洋太郎 決定学の法則

 2004 株式会社文芸春秋

1941年生まれ

著者は、「失敗学」を提唱して、失敗体験から学ぶことの必要性を説いている。
「失敗学」は、失敗という結果から、それに至る道筋を探っていく。それにたいして、「決定学」は、人がものを決めるときの道筋を明らかにして、より良い決定のあり方を探る。

決定とは、「いくつかの選択肢のうち一つだけを選ぶこと」である。
たくさんの選択肢を用意して仮想演習をして、あとは直感的に選択する。
決定する最中にも、決定したあとでもかならず「迷い」が生じるものである。
迷っているうちに時間が進んでしまう。「迷い」と適当につきあうことも必要である。

著者は「もしも・・・していたら。」とは考えないようにしている。
過去を思い出してくよくよしてもしかたがない。自分がやりたいことは、自分で決めてやれば後悔することもない。正しいやり方で決定できれば、たとえ失敗しても、あまり後悔しなくてすむ。

人生には、どれかを選ばなければならないことに遭遇するが、自分で選ばなくとも周りの状況に流されてしまうことも多い。それも、ひとつのやり方であるが、「人並みの幸せ」という考え方がなくなってきたいま、自分自身がどう決めるか考えることが必要である。

著者は、わからなくなったらまずは動けと言う。動き始めると自分の視点が変わり、周囲の状況も変わってくる。

決定を引き延ばして問題解決を先送りするのは、楽な下り坂を下るようなものである。下った先に待っているものを考えなければならない。

決定をするときに、自分にとって「損」か「得」かを考えるのは普通である。
しかし、人生を左右するような職業選択のような場面では、金銭的な損得勘定より「夢」や「志」を満たす選択をしておかないと、のちのち後悔する。
あとから振り返ると「自分の人生はこれでよかったのか」と虚しさを感じるという。
しかし、人の能力は限られているので、夢や志を実現できる人はごくわずかである。

老年になると、過去の楽しかったことや嫌なことも記憶がはっきりしなくなる。
それでも、過去を振り返って考えることは意味のあることである。
「決定する」とは、複数ある選択肢のうちから一つしか選べないことである。
そのため、迷いや後悔はかならず生じるが、それも、また、やむをえない。

2010年4月20日火曜日

東急白楽

白幡池

2010年4月19日月曜日

山内昌之 嫉妬の世界史

2004 株式会社新潮社

1947年生まれ

嫉妬とは、どのようなものだろうか。
著者によれば、「何かと自分と同じ程度にしかできないか、あるいは自分ほどにもできないと見ていた人間が世の賞賛を受けたときに出る素直な感情こそ、嫉妬なのである。自分ができないからこそ人の成功をねたむ場合もあるだろう。いずれにせよ、身近の者がほめられると、大多数の人は対抗心と名誉欲を押さえられないものだ。その感情の量が多い人こそ、嫉妬の炎を燃やすのである。」(p11)
日常的にも、容易に嫉妬の顔を見ることができることがある。
テレビで見るフィギアスケートや女子マラソンの解説者の表情である。
すばらしい競技をした若い後輩に対するよそよそしい祝福の言葉と表情のちぐはくさに嫉妬とはどういうものかが表れている。

嫉妬は女だけのものではない。男の嫉妬はそれ以上に陰湿で粘液質である。
昔から競争にされされてきた男の嫉妬は無視するわけにはいかない。
歴史上の人物で、嫉妬に無関係だった人は、ほどんどいない。
本書では、歴史上の人物のエピソードを通じて、嫉妬とはどのようなものかが書かれている。たとえば、徳川慶喜は臣下を認められない君主として、森鴎外は激しく嫉妬されるとともに嫉妬した人物として、そして、東条英機は嫉妬深い独裁者として書かれている。

嫉妬されないための方法はあるのだろうか。
自分がダメな人間のように振る舞えば、まず嫉妬されることはない。
そのかわり、今度はバカにされる。バカにされたくないから頑張って成果を出す。
そうすると、こんどは誉められたり評価されるのではなく、嫉妬されてけなされる。
どちらにしても他人の嫉妬から逃れることはできそうにない。
嫉妬から逃れるいい方法はないが、なるべく人と付き合わなければ、嫉妬されることも少ない。
それより、嫉妬を意識して、事なかれ主義におちいり、やる気をなくしてしまうのでは何にもならない。
他人の目を恐れて委縮するのではなく、ときには自分を主張する勇気と自信も必要である。

2010年4月16日金曜日

田坂広志 営業力

「顧客の心」に処する技術と心得

2004 ダイヤモンド社

1951年生まれ

「営業力」というものを、どのように身につけ、磨いていけばよいのだろうか。
まず、営業力とは、「商品やサービスを売り込む力」のことではなく「人間と組織を売り込む力」である。
「営業力」の原点は、商品もサービスも無いところから始まる。
たとえば、会社を創って、商品を開発し、初めて商品が売れたとする。
そのとき、何の実績もない会社や商品が売れたのではなく、売れたのは「人間」である。営業の原点は、商品もサービスも無いところから、まず、人間を売り込むことによって始まる。
「自分自身」が、最高の商品であると知ることによって、プロフェッショナルは、「人間を磨く」という道を歩み始める。

つぎに、顧客に人間と組織を売り込むのが「商談」である。
ここでも、自分中心の発想で「売り込む」のではなく「買っていただく」という顧客中心の心構えでのぞむことが必要である。
「売り込む」とは、顧客の「信頼を得る」ことであり、「この人間なら任せられる」「この組織なら大丈夫だ」と感じていただくということである。
商談において、「顧客中心」のスタイルを貫くとは、笑顔の対応や礼儀作法というより、顧客の「無言の声」に耳を傾けることである。
顧客の無言の声に耳を傾けることによって、顧客の疑問を解き、不安を和らげ、要求に応え、希望をかなえる場が「商談」である。

さいごに、「商談」が終わり、顧客と別れるとき、「何か」が伝わってくる。その瞬間、ふっと感じたことが大切である。
多くの場合、顧客は、商談においては、本心を語らないし、本音を出さない。
顧客は、不満や不快感を、心の奥に抑えこんでいる。
しかし、最後の一瞬に、なぜか寂しいものが伝わってくる商談がある。いっぽうで、温かいものが伝わってくる商談がある。
この「商談の後味」とでも呼ぶべきものを感じ取ることが大切である。

「営業力」とは、商談という場において、「顧客の心」を細やかに感じ取り、「顧客の心」に速やかに対処する力である。
営業のプロフェッショナルとして山の頂を目指そうとするならば、顧客に対して、真摯に、誠実に接することこそが、ただ一つの歩みである。
ひとりの「顧客」との出会い。それは「縁」とでも呼ぶべき不思議な巡り会いである。
この顧客との、「このご縁を大切にしたい」という願いが、「営業力」と呼ばれる力の根本にあるべきである。

営業のプロフェッショナルとしての原点は人との「出会い」を大切にすることにあるという著者の話には説得力がある。
それでも、この話は、自分が売り込もうとする商品やサービスが優れたものであることが、前提になっている。
自分ではそれぼどいいとも思っていないものを売らざるを得ないとき、どうしたらいいのかまでは書かれていない。

2010年4月14日水曜日

東急菊名


付近の踏切

2010年4月13日火曜日

小林辰男 青木慎一 環境問題入門

2006 日経文庫ベーシック

環境問題が新聞やテレビで報道され、あちこちで環境保護運動が展開されている。
人々の環境意識も、以前と比べて、はるかに高まっている。環境問題の複雑さは、誰もが被害者であると同時に加害者にもなりうること、日常生活の便利さの背後に環境の犠牲があることなど複雑な因果関係そのものである。

豊かで便利な社会は、大量のゴミを生んだ。
ゴミの多い使い捨て社会から循環型社会への転換が課題になっている。
限られた資源を徹底的に利用するため、3Rの考え方が注目されている。
3Rとは、リサイクル(recycle)、廃棄物の量を減らすリヂュース(reduce)、再利用するリユース(reuse)である。

資源循環型社会の構築のため、「循環型社会基本法」をはじめとして、いろいろな法律が定められている。そのうち「自動車リサイクル法」は2005年に制定され、消費者は車両購入時か、車検時、廃車時のいずれかでリサイクル費用を支払うことになった。自動車メーカーの責任で適正処理・リサイクルすることが義務づけられ、リサイクルが促進されるという。
ただ、年間の国内廃車のうち2割程度にあたる約100万台は、廃車後に海外へ輸出されているらしい。発展途上国などでは、まだまだ使えるのかもしれない。

私は、タダの廃車を中古車として輸出する商売は、かなり儲かるのではないかと憶測した。
それと同時に、見方によっては、「ゴミ」を輸出して、外国に環境問題を転嫁しているのではと心配になる。
自動車と言えば、ハイブリッド・カーや電気自動車などの「エコ・カー」が注目されているが、そればかりではない。

2010年4月12日月曜日

秋山隆平 情報大爆発

 2007 株式会社宣伝会議

著者は株式会社電通で、1990年代から、インターネット広告のビジネス化を進めてきた。
本書の題名である「情報大爆発」とは、インターネットの時代になって、情報の供給量が飛躍的に増大したことを指している。
いまや、情報過剰時代である。今、伸びているのは、情報産業というより「情報整理産業」である。
消費者にとっては、膨大な情報の中から、必要な情報をどれだけ効率的に探し出せるかが重要になっている。以前は専門家や評論家が果たしていた役割が、ネットの社会では消費者同士の情報交換に代わりつつある。

情報過多社会では、これまで考えもされなかったものが希少になってくる。
それは、"Attention(注目)"である。

膨大な情報のなかで、人々の注意を引きつけるにはどうしたらよいのだろうか。

この点で、日本におけるテレビ放送は、はじめから、街頭テレビとしてスタートした。
人々は力道山のプロレスや野球に熱狂した。道行く人の足を止めさせて、こちらを向かせるという街頭テレビの視聴者獲得戦略こそが、アテンション・マーケティングである。いまでも、テレビ番組のルーツの多くは、縁日や大道芸に見ることができる。テレビ番組の軽薄さを指摘する人も多いが、テレビは、もともと人の注目を引くことが目的であった。娯楽性を高めることによって視聴者を獲得し、娯楽につつんで広告情報を伝える手法は、きわめて効果的である。テレビの広告情報伝達の仕組みは、娯楽を求めているうちに、いつのまにかスポンサーの名前を覚えてしまうところにある。日本人は、トヨタ、キヤノン、シャープなどのブランドを、すばらしいものであると思いこんでいる。それも、おそらく、テレビを見ているうちに無意識に記憶されたためであろう。

それにたいして、インターネット上の広告はテレビのような強力なインパクトがないのが弱みである。
インターネットの世界でどのように情報が伝えられ、人々の注意を引きつけ、動かしていくのかは、これからの企業や広告業界にとっての大きな課題である。

2010年4月7日水曜日

2010年4月6日火曜日

榊原英資 榊原式スピード思考力

2008 株式会社幻冬社

1941年生まれ

著者は考える力をつけるためには、「何も知らない」ことを知ることが重要だという。
「私が知っていることは『何も知らない』ということだけだ。」とは、ソクラテスの言葉と言われている。
なぜ知らないことに気づくことが重要かといえば、いろいろなことがわかっていると思ったとたんに、「考えること」そのものが止まってしまうためである。
知ったかぶりをするより、「何がわからないか」を知るところから、考えを始めるべきである。

考えるというと、「時間をかけてじっくり」と思いがちであるが、現代のようなスピードが早く余裕のない社会では、即断が求められる。そのため、情報収集は問題が起きてからではなく、つねにしておかなければならない。決断するときには、情報のどの引き出しから出せばいいか決めるだけなら、それほど時間はかからない。そして、決断しても、つねに間違う可能性を考慮しておく。
間違ったなら、すぐ改めなければならない。
事態の早い展開にいつでも対応できるように準備し、すばやく反応する。
スピードと「考えること」とは、しばしば反対のように思われるが、今では「スピード思考」が必要である。

著者は、60を過ぎてからも、何度も反復して暗記することを習慣にしている。
頭を使うという習慣を身につけることにより、脳を新鮮に保つことができる。
ただ、習慣がマンネリ化すると、集中力をさまたげ、かえって効率を悪くする。
適度に休んだり、遊んだりしてリフレッシュすることによって、かんじんなときに集中力を保つことができる。

これからは、新しいことを始められる人がどんどん伸びていく時代である。
自分で考え、新しいことを始められる人は、じつは、失敗ができる人である。
新しいことをやるのに、失敗はつきものであるが、失敗を恐れずにやることによって、新しい発見が生まれ、成功につながっていく。
ただ、どんなときでもあきらめなければうまくいくかというと、そういうわけでもない。
ときには大胆な撤退も必要になる。
大切なのは、「あきらめないこと」と「あきらめるべきこと」の見極めができることである。
そのためにも、経験を積み重ね、「勘」を磨くことが大切である。
挑戦・失敗・撤退を繰り返すうちに道がひらけてくることも少なくない。

2010年4月2日金曜日

松田道弘 マジック大全

2003 株式会社岩波書店

1936年生まれ

「マジックとは、トリックという騙しのテクニックを使ってありえない世界をつくりだし、観客を愉しませることを目的としたエンターテインメントです。奇術師はアイディアの練金術師といってもよく、不思議な発想で不可能を可能に見せる創意工夫に異様ともいえるエネルギーを注ぎ込んできました。」(扉より)

著者によると、アイディアの錬金術師ともいうべき奇術師は魔法のレシピをもっていて、最小の手段で最高の効果を効率よく手に入れるすべを知っている。

奇術とか手品は、観客をおどろかせ面白がらせると同時に、「だまされた」という不快感を起こさせかねないというあやうい両面を持っている。そのため、奇術師は、人に不快感を持たせてはならない。人は感じの悪い奇術師にだまされるのを極端にきらう。そのいっぽうでは「人は紳士にだまされるのを喜ぶ」。

奇術においては、トリックのアイデアと、それを生かすための演出上の工夫が大切である。

奇術をするにも、心構えがあり、一般的な原則には、次のようなものがある。
奇術のタネをあかさないこと。同じ奇術を、同じ場所で同じ観客を相手にくりかえし演じないこと。あらかじめ演技の内容を説明しないこと。十分に練習すること。客に挑戦しないこと。追われてもいないのに逃げないこと。いきあたりばったりに奇術をやらないこと。奇術をやりすぎないこと。

この中でも、いちばん重要なのは、絶対にタネあかしをしないことである。
その理由は、タネあかしをして客が喜ぶことは決してないからである。
「奇術の基本原理は非常に単純な原理でできあがっているので、タネあかしを聞いた客は身体中の力が抜けていくような失望感を味わいます。
魔法を演じていた奇術師のオーラは消えてしまい、あとには自分のインチキを告白したみじめったらしい人物がのこるだけだからです。」(p49)

奇術の醍醐味は、客の目の前で演じることにあり、ステージで観客のどぎもを抜いて、劇場全体がどよめくとき、奇術師の喜びは頂点に達する。

2010年4月1日木曜日

東急東白楽

白幡の森

白幡八幡