2009年10月31日土曜日

水野和夫 金融大崩壊

「アメリカ金融帝国」の終焉

2008.12 日本放送出版協会


1953年生まれ

「サブプライム問題に始まり、”リーマン・ショック”で爆発した世界金融クライシス。
それば米国製『投資銀行』ビジネスモデルの崩壊とともに、天文学的なマネーが流動する世界の資本主義経済が、次のステージに突入したことをも意味している。早くから金融バブルの崩壊を予見してきた気鋭エコノミストが、この未曾有の金融クライシスの本質と、世界と日本のこれからを鮮やかに読み解く。」(背表紙より)

「世界では低金利が続いていて、どこへ投資しても儲からない。リスクが高いのはわかっていいるが、高い利回りの金融商品が何としてもほしい。そこで投資会社がその希望に合わせるようにCDO(債務担保証券)をつくり、格付け会社を呼んできて、自分たちに都合のよいように高い格付けをつけさせて売り出した、というのが真相なのす。」(p59)

著者は、今回の経済危機はアメリカによる金融資本主義が崩壊したと見る。
グローバル化した現代の経済では、日本などの低金利国から資金を調達して、アメリカの高金利の債券に投資すれば、確実に儲けることができる。その際、怖いのはリスクであるが、格付け会社や保険会社の保証のついた債券なら安心である。
こうして、投資家はアメリカの高金利の債券を求めていく。サブプライム住宅ローンは、リスクが高いため、金利も高いので、こうしたローンを証券化した商品は高金利となり、投資家の需要は膨らんでいく。無理な住宅ローンが組まれたのも、投資家の債券に対する需要がきわめて強かったためである。こうした仕組みも住宅価格が上がり続けているうちは、なんとか動いていたものの、住宅価格が下げだすと、たちまちのうちに機能しなくなり、破綻していまう運命にあった。
一度バブルがはじけてしまうと、金融機関には大量の不良債権が残り、政府は金融機関を救済するために莫大な支出を余儀なくされた。
つぎに懸念されるのは、政府の巨額な財政赤字によってドルに対する信認が無くなることである。
「アメリカ金融帝国」が崩壊したあと、無極化した新しい資本主義の時代が来るであろうと著者は予想している。

2009年10月30日金曜日

飯田泰之 考える技術としての統計学

2007 日本放送出版協会

1975年生まれ

最近流行の言葉で言うと、「情報リテラシー」とは情報処理の基礎技能であるが、そのうちでも最も伝統的なものが統計である。
「統計を使った嘘」には、いくつかの種類があるという。
たとえば、①グラフの縮尺替えなど「見せ方」による嘘
②データ選択の嘘(「飛行機事故は一度に死ぬ人数が多いので危険なように感じるが、年間の死亡者数は圧倒的に自動車事故のほうが多い」と、よく主張されていが、利用1億回あたりに直すと、飛行機のほうが自動車より死亡者数が多い。)
③データ収集の嘘(平日の昼間に電話で行われた世論調査は信用できるかといっ問題)
騙されないようになるために、統計を学ぶのだという主張もあるが、それよりデータを使って何ができるかを考えることのほうが重要である。
統計的思考法のひとつは「記述統計」と呼ばれ、集めたデータを観察しまとめることで物事の一般的な傾向を把握する。
もうひとつは「推測統計」で、ほんの一部のデータから全体を推計する。
「推測統計」は、世論調査に利用されており、1500~2000人程度の調査をすれば95%の確率で日本人全体の姿がわかる。
思考支援ツールとしての統計学の特質を考えてみよう。思考には二つの方法があり「演繹」と「帰納」と呼ばれている。
「演繹」とは普遍的な前提から個別現象の説明を得る思考法であり、「帰納」とは多数の個別現象から普遍的な法則性を得る思考法である。
演繹法の優れているところは、前提が正しければ結論はかならず正しいという性質であるが、裏を返せば、同じことを言い換えたにすぎず、思考によって新しいアイデアや発想が生まれてこない。
いっぽう帰納法のほうは、データから一般的な法則を類推するので、間違えることがある。
ここで、前例や経験にもとづき、確率的に高い予想をする統計的な発想法が役に立つ。統計学は、演繹法と帰納法を結びつけ検証するために、たいへん役に立つ思考支援ツールである。

2009年10月29日木曜日

東急都立大学

常円寺の大いちょう
めぐろ区民キャンパス
(都立大学跡地)

2009年10月27日火曜日

大井町

ゼームス坂記念碑・レモン哀歌碑


2009年10月26日月曜日

イアン・エアーズ その数学が戦略を決める

2007 株式会社文芸春秋

山形浩生訳

「われわれはいま、馬と蒸気機関の競争のような歴史的瞬間にいる。直観や経験に基づく専門技能がデータ分析に次々に負けているのだ。」(p20)
「絶対計算とは何だろうか。それは現実世界の意志決定を左右する統計分析だ。絶対計算による予測は、通常は規模、速度、影響力を兼ねそなえている。データ集合の規模はとんでもなくでかい。」(p20)
いまでは、あらゆるところにデータマイニングがある。検索エンジンのグーグルは、検索者が本当に見たいウェブページを見つけ出す。グーグルは個人検索機能を開発し、過去の検索履歴を使って、その人が本当に見たいものを抽出するようにしている。グーグルの「ページランク技術」は、「社会ネットワーク分析」と呼ばれるものの一種である。
絶対計算は、コンピューターの進歩により大量のデータを短時間に分析できるようになったことにより可能となった。また、専門家と絶対計算とがどちらが優秀かを比べると、ほとんど絶対計算が勝つ。その理由は、人間は感情や先入観に左右されがちで、大量の条件にうまく重みづけができないためである。それでも専門家の抵抗もあり、社会の専門家に寄せる愛着も大きい。
絶対計算が人間の裁量を奪い、人間の役割がなくなってしまうという批判がある。
現場の人間の地位はどんどん低下し、裁量を奪われてマニュアル通りの入力しかできない立場に追い込まれていくかもしれない。
絶対計算が政府や企業に利用され、個人のプライバシーはますますなくなっていく恐れもある。
これからは、一般の人も統計や数学の知識をある程度持つことが必要になる。
たとえば、平均値から上と下にそれぞれ標準偏差の2倍の範囲をとると全データの95%がはいるという程度の知識があると役に立つ。
経験や直観と統計分析(絶対計算)の知識とを相互に行き来させることで、ずっと先を見通すことができるという。

2009年10月25日日曜日

ジョージ・ソロス ソロスは警告する

超バブル崩壊=悪魔のシナリオ
徳川家広訳

2008.9 株式会社講談社

1930~ 

本書は2008年春に書かれたが、著者は「超バブル」の崩壊が目前に迫っていると言う。人々の誤った投資行動が「超バブル」を生み出したが、その原因となる「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」とが存在している。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーのあくなき肥大化であり、「支配的な誤謬」とは、19世紀には自由放任と呼ばれていた、市場にはいっさい規制を加えるべきではないという考え方―すなわち市場原理主義である。
著者は、ヘッジファンドの草分けとも言われるクォンタム・ファンドを設立し、投機取引により、莫大な利益を上げた。そのため、世間では投機家として名高いが、若いころ、カール・ポパーの本に啓発を受けて以来、本当に興味を持っているのは、哲学である。著者は人間の社会を、独自の「再帰性」の理論により説明しようとする。理論は難解であるが、それによると、社会の「部分」である人間は、社会を誤謬なしに「完全」に理解することはできない。
「自然」を対象とするのであれば、人間の理解にたいして自然は変化しないが、対象が「社会」であると、人間の理解によって社会も変化してしまう。人間の思考と社会現象は互いに干渉しあうのである。
私なりに解釈すると、たとえば人が不動産価格が上がると思うと、買う人が多くなるので、実際に不動産価格が上がるようになる。これを見て不動産価格は上がるものだとさらに多くの人が思うようになる。こういう循環が起こるとバブルが生じることがある。
バブルは徐々に膨らんでいって、ついには破裂するが、著者のような投資家にとっては、そこに儲けのチャンスができる。
そういうわけで、著者は、2008年中に「信用膨張の飽くなき肥大化と、行きすぎた市場原理主義とによって、サブプライム・バブルをはるかにしのぐ規模にまで成長した『超バブル』が弾けようとしている」(松浦民輔の解説)と主張するのである。

2009年10月24日土曜日

夕富士遠景

神奈川区神ノ木公園から


2009年10月23日金曜日

中野剛史 恐慌の黙示録

資本主義は生き残ることができるのか

2009.4 東洋経済新報社

1971年生まれ

ヴィジョンとは、世界観や思想のことであるが、人々は、ある種のヴィジョンあるいは思想にもとづいて世界を認識し行動する。経済システムというものも例外ではなく、その根底に、何らかの世界観や思想があると著者は言う。
2008年9月に勃発した金融危機以来、「金融資本主義が破綻した」と言われているが、その意味するところは、経済システムが壊滅したと同時に、それを支える思想あるいはヴィジョンが崩壊したということである。
日本については、「これまでのヴィジョンに対する根本的で内発的な反省もないまま、模範としてきた経済モデルを見失った日本は、突然訪れた世界的危機の中で、ただ漂流するばかりとなっている。」(p10)という。

本書では、そのヴィジョンをめぐって、過去の経済思想家の説を、いろいろ考察している。
対象となっている理論家は、ミンスキー、ヴェブレン、ヒルファーディング、ケインズ、シュンペーターの五人である。
「この資本主義の預言者とも言うべき五人が書き残した『恐慌の黙示録』を解読し、その中に秘められた思想をつなぎ合わせるようにして復元していけば、われわれが失ったヴィジョンを取り戻す手がかりが得らるかもしれない。」(p10)
「彼らは、資本主義の基盤が、『所有と経営の分離』による一撃によって『産業』と『金融』に分裂し、不安定化したという認識で一致していた。そして恐慌とは、この資本主義の基盤の動揺を示す兆候にほかならない。」(p14)

著者は、現在の世界的な経済危機を克服するためには、どうしたらよいかということについては述べていない。そのかわり、金融資本主義の破綻した後、著者のいう「国民資本主義」のヴィジョンが世界に求められているという。
著者は、経済産業省に勤務し、イギリスのエディンバラ大学院に留学して博士号を取ったという異才である。

2009年10月22日木曜日

安達誠司 恐慌脱出

2009.5 東洋経済新報社

1965年生まれ

著者は、アメリカの金融危機から始まった世界的な経済危機は典型的な恐慌型不況であるという。リーマン・ブラザースの破綻により、金融機関の間に「カウンター・パーティリスク」が広がり、金融システムが崩壊した。このため、実体経済の悪化が世界的に加速度的に進んでしまった。
今回の危機がアメリカに始まったため、アメリカ型資本主義の没落論が、一時、日本の経済論壇に流れていた。著者は、この見方に共感するのは、かって学生運動を経験した団塊の世代を中心とした人たちだとみている。
「『団塊の世代』に属する評論家が、アメリカの経済危機について嬉々としてコメントする姿を見ていると、今回の金融危機、およびこれに続く世界経済危機に際して、学生時代に心酔していたマルクス経済学のルサンチマンが爆発した印象を持たざるをえない。」(p12)
「団塊の世代」が皆、学生運動をしていたはずはないが、経済評論家のなかには、それらしき人もいることは事実である。
ところで、著者の見方では、今回の経済危機はアメリカが最も先に回復する可能性が高い。アメリカでは危機克服のための政策が適切に選択され、その効果が出つつある。ひるがえって、日本については、2003年からの景気回復を牽引したのは、輸出セクターのみであり、内需セクターは低迷していた。そのため、今回の経済危機で、輸出依存度の高まっていた日本経済は大きな痛手を被った。
そのうえ、アメリカの積極的な財政金融政策の発動と日本の消極的な政策発動の格差は、さらなる円高を招き、デフレ圧力を高めている。
著者は、現在の経済的苦境に際して、与野党共に無策であり、したがって日本経済に望みはないという。
著者の経済危機克服のための最終シナリオでは、日本の政府が財政再建路線を放棄して大規模な財政拡大に乗り出すと同時に、日本銀行が国債の買い切りオペレーションを拡大して大規模な量的緩和をおこなう。この流れの中で、日本経済にも回復の芽がでてくるという。

2009年10月21日水曜日

桜木町

ランドマークタワー


2009年10月20日火曜日

田中隆之 「失われた十五年」と金融政策

2008.11 日本経済新聞社

1957年生まれ

ここでは、バブル崩壊後1991年から2005年までの15年間の戦後未曾有の経済停滞期を「失われた十五年」と呼ぶ。
この間、日本銀行は一方的な金融緩和を余儀なくされ、ついにどの国の中央銀行も経験したことのない量的緩和政策にまで追い込まれた。このような超金融緩和と財務省による円高阻止の為替介入が長期の円安をもたらし、景気を下支えした。

ゼロ金利制約下における追加的金融緩和策のうち最も注目されたのは、グルーグマンらの主張した独立的インフレ期待形成策であるが、本書では、日銀がこれを採用しなかったのは「正解」であった可能性が高いという。著者は、インフレ政策を採用することによって引き起こされるであろう弊害とその沈静化コストを考えれば、デフレの弊害の方がましだと考えている。

十五年近くの間、金融政策が緩和方向に傾き続け、循環性を失ってしまった原因について、本書では次のように書いている。
「一つは、金融政策がプルーデンス政策(信用秩序維持政策)を『肩代わり』せざるを得なかった、という事情による。二つ目は、経済がデフレに陥ったことだ。とりわけ、2002年からの景気回復期にデフレが継続したことが大きく影響している。」(p7)
簡単に言えば、この間、銀行の体力の衰えが回復しなかったこと、世間では不況が続いているという認識が一般的だったこと、このため日銀は金利を上げることができなかった。日銀は積極的にゼロパーセントに近い金利を継続したというより、むしろ、そうせざるを得なかった。本書では、この十五年間を非常事態ととらえ、いったん金利がゼロパーセントに達すると金融政策は打つ手を失うと言い、日銀の政策をおおむね追認するかたちになっている。

アメリカ発の金融危機が世界に拡がるなかで、新しい金融政策のあり方が議論されている。著者は、将来のためにも、「失われた十五年」における政策や論争を総括することは不可欠であると述べている。

2009年10月19日月曜日

金子勝/アンドリュー・デウィット 世界金融危機

2008.10 株式会社岩波書店

金子勝 1952年生まれ
アンドリュー・デウィット 1959年生まれ

本書の目的は、アメリカのサブプライム危機にはじまるグローバル同時不況のメカニズムを明らかにすることにある。その説明は、1年後の今から読むと他の本とあまり変わりはないように見えるが、本書の特色は日本経済についての見方にある。
小泉「構造改革」という「政治のバブル」に酔っていたツケが、これから猛烈に日本経済を襲ってくる、早急に政策を転換しなければ、日本経済は死へ向かって突き進むよりないと言う。
著者の言葉は、例えばつぎのように攻撃的である。
「竹中平蔵を筆頭に、『規制緩和がまだ足りない』とか、『改革が中途半端に終わった』という。経済が成長すれば、規制緩和のおかげ、経済が停滞すれば規制緩和が足りない―まるで呪文のようだ。宝くじに当たれば信心のおかげ、交通事故に遭えば信心が足りないと言っているのと同じだからだ。」(p69)

振り返ると「構造改革」をはじめとして、小泉首相は、巧みな「演出」で「小泉劇場」と揶揄されたこともあった。しかし、それではその代りに何ができるのかというと、実際にできることは限られてしまうようである。本書では、「小泉構造改革」のマイナス面への容赦のない批判が目立ち、日本の置かれた困難な状況は、すべて「小泉構造改革」だけが原因だと言っているように聞こえる。むしろ、小泉政権での「規制緩和」や「構造改革」には限界があったという表現のほうが事実に近いのではないだろうか。

「知識社会のもとでのインフラ投資は、道路ではなく教育である。」とか「将来起こりうる大きなリスクであるドル暴落にそなえ、東アジアレベルで、通貨や貿易の連携を強める政策を急ぐべきである。」など、今の民主党の政策に近い主張も見受けられる。

むすびでは、「私たちは、いま未知のリスクに直面している。それは、まだ確かな形をとっていないが、社会崩壊の危機をはらんでいる。あらゆる知恵を絞って、それを回避しなければならない。」と書いている。

2009年10月18日日曜日

2009年10月17日土曜日

キース・デブリン/ゲーリー・ローデン 数学で犯罪を解決する

2008.4 ダイヤモンド社

山形浩生/守岡桜訳

「米国の警察F.B.I、CIAは最新の数学を駆使して犯罪を捜査している。『NUMB3RS:天才数学者の事件ファイル』は、そうした現実の動きをエンターテインメント化して、天才数学者の主人公が数々の難事件を数学の力で解決していく人気テレビドラマ。本書は、ドラマのエピソードを糸口にして、背後に流れるさまざまな数学概念を文系にもわかるように解説した一冊。」(背表紙より)

天才数学者が数学を縦横に活用することで、兄のFBI捜査官を助けて数々の事件を解決するというアメリカのテレビドラマがあるらしい。
統計とか確率をはじめとしてさまざまな数学が実際に利用されているという。
ドラマでは主人公があざやかに事件を解決してみせるのだが、実際に活用されている現場では、まず正確なデータを集めるという地道な作業にきわめて多くの時間がかかる。科学捜査に数学が使われるのはおもに犯人を絞り込むときである。

「地理的プロファイリング」は、ある町で同一の犯罪が多数発生している場合に犯罪者が居そうな場所を絞り込む技法である。
「統計分析」「データマイニング」では、大量情報からパターンを抽出する。
「画像エンハンス」では、人間には識別できないような画像を分析してより正確な像を再現する。
「社会ネットワーク分析」は、テロ対策に応用されるがその一部はトップクラスの機密事項である。
その他、「ニュートラルネット」「ゲーム理論」「オペレーションズ・リサーチ」「暗号」などの数学が使われているという。
今では、パソコンを使うことによって簡単に数学や統計を犯罪捜査に利用できるようになったということであるが、それがアメリカの人気テレビドラマになっているというのは興味深い。

2009年10月16日金曜日

高橋洋一 この金融政策が日本経済を救う

2008.12 株式会社光文社

1955年生まれ 元内閣参事官

著者は、日本経済の先行き不安の原因は、一般に言われているようにサブプライム問題ではなく、日銀が2006年から2007年にかけて金融引き締めをしたためだと言う。
「つまり、日本経済は07年から景気が悪化しており、現在もそれが続いているわけです。それが証拠に、サブプライムローン破綻による日本の被害金額は1兆~2兆円にすぎず、欧米とは桁が二つも違うにもかかわらず、今回の世界金融危機では、日本株が最も値を下げています。」(p8)
したがって、著者は景気を良くするためには、金融緩和を行うべきだと主張している。
2006年3月に日銀が量的緩和政策を解除し、7月に誘導金利を引き上げたのが2007年中ごろからの景気悪化の原因であるというのである。
日本の景気が悪化したのは、アメリカの金融危機に始まった世界同時不況が原因であるというのが、世間の常識的な見方だと思うが、著者の意見は、日銀の金融政策のみに偏っているように見え、日銀悪玉論に近い記述になっている。
金融政策は行ってからその効果が現れるまでに、かなりの時間がかかるため、多くの人が金融政策の効果を軽くみているのだという。
わずか0.1~0.2%の金利を上げたり下げたりするだけでは景気にたいした影響はないという説もいっぽうではある。
それでも、著者の説は、アメリカにおけるバーナンキなどの金融恐慌に関する最新の理論にもとづいているという。
最後に、著者は、今の日本経済の危機を救うためには、金融・財政のフル稼働で、25兆円の量的緩和と、25兆円の政府通貨発行をすべきだと書いている。

2009年10月14日水曜日

2009年10月13日火曜日

ポール・グルーグマン 危機突破の経済学

日本は「失われた10年」の教訓を活かせるか

2009.6 PHP研究所 大野和基訳

1953年生まれ 2008年ノーベル経済学賞受賞

著者によれば、いま世界で起きている経済危機の責任はアメリカにあるという世論は、いささかフェアではない。アメリカの住宅バブルがはじけたのは事実だが、ヨーロッパでもまた大規模なバブルと不良債権があった。今日の経済危機は、発端も影響もグローバルなものである。
日本は、経済危機の震源地ではないにもかかわれず、主要経済大国のなかで最悪の打撃を受けた。それば、日本の経済が輸出に頼ったものであったため、世界貿易の劇的な落ち込みの影響が特に大きかったためである。日本の経済が、まだ「失われた10年」から完全に回復していなかったのである。
著者は、日銀があまりにもはやくゼロ金利政策をやめてしまい、政府が財政赤字を減らそうとしたのが間違いだったという。ある程度のインフレが起きるまでそのままにしておくべきだったというのが著者の意見である。
インフレ・ターゲット論者で知られる著者は、日銀がインフレ目標をたとえば年4%とかに設定し公表すれば、景気は良い方向に向かうだろうと言う。具体的にどのようにインフレ・ターゲットを設定し実現するかは難問であるが、とにかく事態が良くなるだろうと言っている。
野口悠紀雄などの議論では、日銀があまりにも長く低金利の資金を世界に供給しつづけたのが経済危機を生んだとのことである。
グルーグマンの説では、逆に日銀はあまりにも早くゼロ金利から脱出しようとしたのが誤りであったという。
このように、日銀が金利をほんの少し動かすことにたいしてすら異なる意見があるが、どちらも日銀が悪いと言っているのである。中央銀行が金利を動かすことによって景気を調整できるというのが経済学の考え方であるが、金利を動かすことによってどのような効果があるのかは論者によって意見が異なる。これらの意見にはかなり大雑把なものもあり、単に日銀を悪玉にすればいいという考えに近いものもある。
もう少し詳細なデータをもとに分析しなければ、どの説が妥当なのか評価することはできないようである。

2009年10月12日月曜日

越智道雄・町山智浩 オバマ・ショック

2009.1 集英社新書

越智道雄 1936年生まれ
町山智浩 1962年生まれ

「史上初の黒人米国大統領に就任したバラク・オバマ。疲弊する大国は、なぜいま、彼を選んだのか?覇権国家の衰退を歴史軸で考察する研究者(越智)と、合衆国を駆け巡るフィールドワーカー(町山)が、岐路に立つアメリカの過去・現在・未来を縦横無尽に語り合う。サブプライムローンの”現場”やハリウッド空洞化の実情など、アメリカが陥った病の症状を容赦なく暴き出し、多様な人種がオバマを「支持」した理由を明らかにする!」(背表紙より)

今のアメリカの社会は、つぎのように表わされる。
1.国内の産業が空洞化している。
2.マイノリティーと呼ばれる人たちの合計が今後、白人より多くなっていく。
3.貧富の格差が非常に大きく、「アメリカン・ドリーム」とは文字通りの夢にすぎなくなっている。
日本も、このようなアメリカの状況に近づきつつあるようである。

黒人初のオバマ大統領は、たしかに人種的には黒人であるが、けっして黒人社会の出身ではない。本書では、オバマ大統領を「過去がない黒人」とか「グローバリズムとマルチカルチャーの象徴」とかいう言葉で表現している。オバマ大統領は、あの若さで大統領選を勝ち抜いたやり方を見れば、「天性の野心家」だとも言う。
そればかりでなく、投票日の直前に世界金融危機が勃発し、情勢が彼にとって有利に働くなど「強運」の人でもある。
だがしかし、越智は、オバマにとっての「強運」が、周囲にとっての「強運」と一致するとは限らないと、一抹の不安感をもっている。

2009年10月11日日曜日

2009年10月10日土曜日

吉見俊哉 ポスト戦後社会

シリーズ日本近現代史⑨

2009 岩波新書

1957年生まれ

「バブルとその後の長期不況、深まる政治不信、そして高まる社会不安。列島が酔いしれた高度成長の夢のあと、何が待ち受けていたのか。崩れゆく冷戦構造の中で、この国は次第に周回遅れのランナーとなっていったのではないか。60年代半ばから現在まで、政治・経済・社会・家族…すべてが変容し崩壊していく過程をたどる。」(背表紙より)

著者によれば、1970年代初頭までの戦後社会を動かしていた最大のモメントは経済成長であり、70年代以降の「ポスト戦後社会」を動かしたのは通貨の変動相場制への移行を契機としたグローバリゼイションである。急激な円高のため、輸出により発展してきた企業は軒並み苦境に陥り、打開策として海外直接投資への動きを強めていった。90年代以降、日本企業は雪崩をうって中国などの海外に生産拠点を移していく。
その結果、国内の産業空洞化が進み、多くの中小・零細の工場が存立基盤を失い、倒産や閉鎖に追い込まれている。
こうして今日、日本はグローバル資本の一部としての「JAPAN]と、崩壊する地場産業や農村のなかでもがく「国土」という二つの異質な存在に分裂しつつある。
著者は、90年代以降の日本は少なくとも四つの局面で従来の境界を越えて変容していると言う。
1.産業の主要な部分が海外に移転していった。
2.国内に残った産業部門では、大幅に外国人労働力が導入された。
3.海外旅行が盛んになり、海外で働く日本人が増えた。
4.アジアの国々で日本の大衆文化が熱心に消費されるようになった。
このような変化は、現在も進行中であり、このまま進めば「日本」という歴史的主体が、分裂・崩壊していく。「ポスト戦後」の時代は、著者によれば過去からの連続性としての『日本史』がもはや不可能になる時代である。

私は、このような時代を誰の目にもわかりやすく表わしているのは相撲の世界であろうと感じている。大相撲は連日熱のこもった取組で相撲ファンを沸かせているが、主な力士はモンゴルなどの外国人力士である。もし彼ら外国人力士がいなければ、相撲は、かなりつまらないものになってしまうだろう。同じように、日本の野球選手がアメリカで活躍しているのだから、グローバリゼイションの流れは、もはや後戻りできなくなりつつあるらしい。

2009年10月9日金曜日

保阪正康・半藤一利 「昭和」を点検する

2008 講談社現代新書

保阪正康 1939~
半藤一利 1930~

本書では、ありふれた五つのキーワードで「昭和」を点検する。
五つのキーワードとは、「世界の大勢」、「この際だから」、「ウチはウチ」、「それはおまえの仕事だろう」そして最後に「しかたがなかった」であり、いずれも受け身の言葉であるが、今でもよく使われていそうな言葉である。
半藤は、この五つのキーワードに関して対米英戦争に関する御前会議での永野軍令部総長の話をあげている。
「イ 重要軍事資材が日に日に涸渇し、このままで推移すれば、ある期日後に海軍は足腰立たぬ状況になる。
ロ 米英側の準備は非常な急速度で進歩しはじめ、日を経るに従って日本にはとるべき方策がなくなる。
ハ 対米戦は長期戦で日本に完全に不利である。
二 日本が緒戦で南方資源を獲得し得た場合、対米の長期戦に対応できる。しかし、その見通しは、残念ながら日本に終戦の主導権がなく、世界情勢(ドイツの勝利)によって決定される。
ホ このたびの作戦は、(1)緒戦で迅速な勝利をおさめること、(2)そのため開戦時期を選び、(3)先制奇襲を必要とする。

御前会議において永野総長は以上の五つのことを強調した後に、さらに質問に答えて『・・・海軍としては作戦持続の確算は二ヵ年しかいえない』と正直な目算をつけ加えた。そしてこういった。
『戦わざれば亡国、戦うもまた亡国かも知れぬ。前者は魂まで失った真の亡国、後者ならば・・・児孫は再起するだろう』
こうして対米英戦争の戦略の総大将である永野大将は、『海軍は対米戦争に反対である』と主張することもなく、むしろ『戦うならば早く決意を』といったのである。」(p223)
「・・・こうした永野総長の対米戦争宿命論の背景には、この暗雲に戦闘的であった中堅の圧力があったからといっていいい。思えば、国家最大の危機のとき、広い世界的視野もなく、あなた任せで、状況追随の、あまりといえばあまりな総大将を頭に戴いていたものよ、といまは歎くほかはない。」(p225)

当時の軍部は、国民に本当のことを知らせることなく対米英戦争やむなしとの世論を煽ったため、自ら引っ込みがつかなくなった。
そのため勝ち目のない戦争を「しかたなく」せざるをえなくなってしまった。
ペリー艦隊によって開国をせまられて以来、つねに世界に対して受け身であり、かつ少し遅れて動き出すのが日本の行動パターンであった。

2009年10月8日木曜日

鶴見

鶴見川橋



              

2009年10月7日水曜日

鈴木啓功 サラリーマン絶望の未来

この国の本当の構造とは?

2006.12 光文社ペーパーバックス

1956年生まれ

著者によれば、今の日本列島には二つの国家が存在する。それは、「役人国家」と「サラリーマン国家」である。今の日本列島は、「パラサイト」と化した役人たちが支配しているため、サラリーマンに未来はない。
本書では役人を中心とする「パラサイト軍団」には政治家、ヤクザ、財界人、金融業、土木・建築・不動産業、坊主、弁護士、医者、マスコミ、学者、評論家などが含まれる。したがって、著者によれば日本の8割がパラサイト軍団を形成している。
これではサラリーマン軍団に勝ち目はない。役人にならなかったのがまちがいだったのである。
このような意見は極端であるが、日本は程度の差はあっても役人中心の社会であった。
ところで、「戦艦大和」は、日本人にとって誇りであると同時に屈辱の象徴でもある。
世界一の戦艦を作ったことは日本人の誇りである、しかし、一度もまともな戦闘をすることもなく、単にアメリカ軍の標的になっただけで、3000人の乗組員と共に虚しく沈没してしまった。
無意味な戦いをいつまでも続けていくしかなかった日本の官僚システムは、そのまま生き残り、再び経済大国日本という「戦艦大和」をつくったが、時代おくれの巨大戦艦は、沈没するのを待つしかないという。

2009年10月6日火曜日

神仏習合の本 本地垂迹の謎と中世の秘教世界

2008 株式会社学習研究社

「たしかに日本人は、神社と寺院の違いによって神と仏を区別している。けれども、その区別が明確になるのは明治以降であった。明治政府による『神仏分離』『廃仏毀釈』という政策にもとづいて、神々と仏とは切り離され、峻別されていったのだ。それに対して、近代がはじまる以前の長い歴史のなかでは、多くの寺院と神社は共存し、神々は同時に仏・菩薩でもあった。『神仏習合』の時代である。
平安時代末期から中世にかけて、神々は仏・菩薩が人々を救うために仮に現世に姿を顕したものという考え方(本地垂迹説)が広がる。たとえばアマテラスは観音菩薩あるいは大日如来の垂迹であり、春日大明神は釈迦の化身であった。さらに寺院や神社の奥殿には、荼枳尼天、玉女神、蔵王権現、牛頭天王、魔多羅神、宇賀神、新羅明神といった謎めいたものたちが鎮座していた。」
(「失われたカミたちを求めて」より)

よく知られているように、江戸幕府は大名支配のために参勤交代という制度を用いるとともに、すべての人を「檀家制度」を通じて管理した。これによって日本人は、どこかの寺の信者として登録させられるようになり、寺が幕府の下請けの役所となった。
この結果、江戸時代を通して、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という言葉にあらわされるように寺や坊主嫌いの日本人が増えてしまった。
そのため、明治維新の時、「神仏分離令」が発せられると、各地で民衆の寺に対する反感が爆発して仏像が毀されたりした。
日本人は明治維新によって寺からの支配から解放されたが、400年前からの「檀家制度」は現在にいたるまで仏教寺院の主な収入源になっている。
いっぽうでは、失われたとはいえ長い伝統のある神仏習合の世界への関心も一部で高まっている。

2009年10月5日月曜日

京急鶴見市場

市場村一里塚(江戸より五里)


2009年10月3日土曜日

榊原英資 日本は没落する

2008 朝日新聞社

1942~
 
今、日本社会のさまざまな局面でその屋台骨が次第に、しかも加速度的に崩れている兆候が見られる。高齢化や財政の破綻という問題はすでに指摘されている。
問題は、そればかりではなく、日本経済の牽引役であった民間企業の競争力も弱くなっている。教育の質は劣化し、欧米だけでなく韓国、中国、インドにも後れをとっている。今後、10年から15年で日本全体が没落するという強い危機感を持ち、官民双方で抜本的改革を実行していかなければならない。

「『公』(パブリック)の崩壊」と題する章で著者は次のように書いている。

「省庁の大臣・副大臣は政治家で、官僚はその部下にあたる存在です。その政治家たちが官僚や省庁を公然と非難するというのは、会社でいえば社長と副社長が、『うちの社員はだめだ』『うちの会社はなっていない』と外に向かって発言するのと同じこと。
これでは組織が機能しなくなるのは当然です。」(p151)

「そもそも天下り批判は、官庁の高級官僚がその監督下にある公社公団に移籍していることに対して始まりました。それが今、必要な官民の交流まで妨げています。
事態がこのまま進めば優秀な人はみな官庁をやめてしまい、残るのは民間企業の実態も市場の現実も何もわからない、能力もやる気も公的な役割を担っているという意識も低い人たちの集団になるでしょう。
今や問題は、官が強すぎることではなく、官が弱く、そして『公を担う』という志もそのために必要な能力もなくなりかけているということです。」(p155)

この点、アメリカでは「リボルビング・ドア」と言われるくらい官民の人材交流がさかんである。財務長官であったヘンリー・ポールソンやロバート・ルービンがゴールドマン・サックスの最高経営責任者であったのはよく知られている。
著者が言うように一律に官民の人材交流を禁止するのは弊害が大きい。

官僚と一口に言っても、公務員は何百万人もおり、実態は様々である。
2007年の国会では、社会保険庁の年金記録の不備が大問題となり、社会保険庁の職員のモラルの低さが国会やマスコミによる攻撃の的となった。しかし、社会保険庁の職員すべてが特にモラルや能力が低いとは考えられない。これには、やはり、年金制度の複雑さや、官僚組織の制度的な側面という原因をよく考えなければならない。

言いかえれば、日本でいままでやってきたシステムがあちこちで疲弊しているのである。

2009年10月2日金曜日

野口悠紀雄 世界経済危機 日本の罪と罰

2008.12 ダイヤモンド社

1940~

「日本は、『アメリカ発金融危機』の被害者などではない。
危機は世界的なマクロ経済の歪みが生んだものであり、
日本はその中心に位置している。
成長率がマイナス数%になるような、
未曾有の大不況が日本を襲う。
本書は、それに対する警告である。」(背表紙より)

世界を揺るがせた金融危機の主犯が、アメリカであることは間違いない。 ただし、じつはアメリカだけでは今回の金融危機を引き起こすことはできなかった。アメリカに資金を供給しつづけた日本、中国、産油国という共犯者がいたのである。
日本の「罪」とは、低コストの資金を世界(とくにアメリカ)にばら撒いたことである。それでは、「罰」とは何か。異常な円安が正常な水準に戻りつつあることによって、すでに、日本の対外資産に巨額の為替差損が発生していることがある。 さらに加えて、著者は、これから日本を未曾有の大不況が襲うと言う。 輸出企業の大幅な利益減と減産とは、関連企業の倒産、失業の増大をもたらす。 金融機関は不良債権が増大し、株価下落によって自己資本が減少する。 こうして、金融経済と実体経済が相互に影響し合いながら、不況がますます深まっていく。

これから起こるであろうことを現時点で正確に見通すことは難しい。
ただ、日本経済がかってない重大な試練に直面していることは、疑いがない。
日本では、バブル崩壊後、「失われた10年」さらには「失われた20年」と言われるような経済の低迷が続いた。その言葉の裏には「これだけがまんしたのだからもうそろそろ良くなってもいいはずだ」という感情が含まれている。しかしながら、著者も言うように、さらに深刻な経済の停滞が追い打ちをかけてこないという保証はない。

このような時代にあっては、いままでのやり方は通用しない。
危機を積極的にチャンスととらえ、社会の仕組みを変えていくことができるかどうかに日本の今後が掛かっていると著者は言う。

2009年10月1日木曜日

京急日ノ出町

野毛坂


                               横浜成田山