2013年11月1日金曜日

養老孟司 養老訓

2007 株式会社新潮社

むかしから、老人というのは「近頃の若い者は」と言うことになっている。
今は、「若い者は、ゲームやらスマホなどに夢中になっているが、もっと読書をするべきだ。」というのが老人にかぎらず世間の風潮である。
なかには、ゲームをしすぎると、子供の脳に悪い影響を与えると主張する人もいる。
「ゲーム脳」とか「ネトゲ廃人」という言葉がまことしやかに言いふらされたこともあった。
しかし、この「スマホ」、「ネット」、「ゲーム」という言葉を「本」という言葉に入れ替えると、そっくり昔の話になる。
二宮尊徳は子供のころ、薪を背負いながら本を読んでいたという。
おじが読書をすることを禁じていたので、しかたなく歩きながら読書をしていたという。
それで、後世になって、二宮尊徳は偉い人だということになったのである。
ところが、当時は、「本なんか読んで何の役に立つのか、体を使って働くことが大切なのだ。」、「本なんか読んで気味の悪いやつだ。」というのが世間の常識であった。尊徳のおじが、特に意地悪だったわけでもなさそうである。
スマホにせよ、本にせよ、熱中しすぎると、周りの者には不快に感じられることがある。
他人がやっていることが、自分にはわからないこともあるし、自分が相手にされていないと感じることもある。
世代が違ったり、知識がないことが、さらに理解を困難にする。
じつは、スマホで読書をしている人も、けっこういるようなのである。

2013年10月16日水曜日

村田裕之 シニアシフトの衝撃

2012 ダイヤモンド社

2012年になると、いよいよ団塊世代が大量に退職しだした。
産業界では、これを「シニアシフト」と称して新たな事業機会と見なしている。
シニアシフトの流れは、加速している。
紙おむつ市場では、大人用が赤ちゃん用を逆転している。
平日昼間のゲームセンターやカラオケのお客はシニアである。
ファミリーレストランは、もはやファミリー向けではなくなった。
平日の昼間にショッピングセンターをうろつくシニアをよく見かけるようになった。
シニアの特徴は、資産はあるが、所得は少ないということである。
今のシニアは、ネットショッピングを使いこなし、価格や性能を細かくチェックしている。そのため、一律にシニアと見なすと市場を読み違える。
シニアビジネスのキーワードは、「不安・不満・不便の解消」である。
シニアシフトと言っても、「高齢者」という言葉は嫌われがちである。「後期高齢者」という言葉は、シニアに拒否された。「高齢者にやさしい」というのも、受け入れられない。
高齢者に人気の高い巣鴨の地蔵通り商店街、日本橋の三越本店も、今のままでは、これからのシニアは行かなくなるという。もっとも、へたに変身しようとすると、いままでのお客は離れていき、新しいお客は来ないということにもなりかねない。
シニアを相手に商売している企業は、つきの世代のニーズにあわせてつぎの手を打たなければならない。
日本は、世界でもっともはやく高齢化が進んでいく。
日本のシニアビジネスの動向は、世界中から注目されている。

2013年10月15日火曜日

村田裕之 リタイア・モラトリアム

2007 日本経済出版社

2007年には、団塊世代が60歳になり、停年退職するので、大量のベテラン社員が企業からいなくなり、彼らのノウハウ・技術が消えてしまうため、企業体力が低下すると言われていた。
ところが、実際にはそれほど問題にはならなかった。
彼らの多くが、再び同じ企業で再雇用されたからである。
そのかわり、新しい問題がでてきた。
停年後に再雇用されると、役職をはずされ、給料は大幅に下がり、閑職に回され、年下の上司のもとで働くことになる。不満を持った年配社員が多くなると、若手社員にとっても、職場は居心地のよくない環境になってしまいがちである。
これが、「リタイア・モラトリアム」という問題である。
停年が65歳にまで延長されたとしても、中身は変わらない。
むかしは、高齢者は徐々に衰えていくと考えられていたが、そうではないことがわかってきた。
65歳は、まだまだ元気で、能力も衰えていない。
停年になって、組織の束縛から解放され、親も亡くなって介護の心配もなくなる。さらに、子供も独立して家から出て行った。こういうことが重なると、気分は解放され、吹っ切れた気持ちになる。いままで、抑圧されていた感情が解き放たれ、はたから見ると、その人の前半生からは想像もできない大胆な行動をとる人も少なくない。
人生の先を見れば、残りは限られている。
「いまやるしかない」「それがどうした」「もう、いいじゃないか」というような気持ちを伴った行動が、しばしば見られるようになる。
このような行動は、たんなる思い付きや、一時的なストレスによるものというよりは、人生には、そうした行動を起こしやすくする時期があるのだと考えられている。

2013年9月26日木曜日

宮本常一 旅の手帖<村里の風物>

2010 (株)八坂書房

昔の人は、よく旅をした。
旅と言っても、今のような旅行ではない。
農家が農閑期によその土地へ行ってモノを売ったり、あるいは一所に留まることなく移動している人たちもいた。
こういう旅人たちのなかには、話のうまい人も多かった。
見知らぬ遠い土地の話を聞くのも人々の楽しみであった。
おもしろく、生き生きとした話を聞くと、すっかり信じ込んでしまうのであるが、じつは、そのほとんどは、作り話かウソであったらしい。
今でも、宮崎駿のアニメや水木しげるの漫画に出てくる妖怪は、元の話よりずっと生き生きとしているようなものであろう。
彼らの旅は、苦労にみちたもので、泊るところなどなく、祠や野原で寝ることもあったらしい。
野宿するとき、どういう姿勢で寝たのかということであるが、今のように手足を伸ばして寝るだけではなかったらしい。
多くは、座ったままで、膝をかかえ、うつむいて眠ったのであろう。
著者が、各地を歩いてみると、へき地で貧しい地方ほど、布団の大きさは小さかった。
おそらく、横になって寝るときでも、小さな布団に丸くなって寝たのではないだろうか。
著者は、過去の老人に腰の曲がった人が多かったのは、長い間の寝姿が、そのまま身についてしまったのも原因の一つではないかと思っている。

2013年9月9日月曜日

おちまさと 人間関係は浅くていい。

2012 株式会社扶桑社

人間関係は浅くていいと言われると、日ごろから人間関係に悩んでいる人にとっては、救われるような気になりそうである。
東日本大震災以来、何かというと「絆」とか「縁」とかいう言葉がもてはやされ、人間関係を大切にしなければならないという雰囲気がいきわたっているが、何か鬱陶しく感じることも事実である。
被災地の仮設住宅に住んで、感謝ばかりさせられていたのでは、たまったものではないだろう。
だが、この本で言っている人間関係は浅くていいという意味は、人間関係を気にしなくていいという意味ではなく、反対に人間関係には気をつかうべきだということらしい。
たとえば、何か面白そうなものを売っていそうな店に入った途端に店員が近よってきて付きまとわれたのでは、早々に出たくなってしまう。ここで、ある程度店内を見て何か聞きたいなと思った時に店員に声を掛けられれば、いろいろ聞いて、何か買おうかという気にもなる。
居酒屋やバーにはカウンターというものがあり、居酒屋の主人やバーテンダーとは、カウンター越しに接することになる。居酒屋の主人は、客同士の会話に入っていくことはないが、それでも聞いていないようで聞いていて、さりげなく会話に加わったり、客の注文を受けたりする。ここでは、カウンターという物理的な隔たりが、主人と客との関係を居心地よいものにしている。
店員や居酒屋の主人と客との関係も、人間関係の一種であるが、べったりと密着するのではなく、ある程度距離を置いて、客が必要とするときにさりげなく接してくるのが、うまくいくこつである。
人間関係は大事だと言っても、四六時中、接していたのでは、お互いにストレスがたまって疲れてしまう。
居酒屋の主人が客と接するときのように、必要なときだけさりげなく付き合ってくれるような人間関係は、深い人間関係ではなく、浅い人間関係である。
浅い人間関係だからといって、相手に気を使わないということではなく、じつは、いつも相手を気にかけていると言うこともできる。こういう人間関係は、べったりと付き合っているような人間関係よりも、居心地がいい。
マラソンというスポーツは、孤独なスポーツである。人生は、しばしば、マラソンに例えられることがあるが、人生というのも、ひとりひとりにとっては、孤独である。
それでも、逆説的であるが、マラソンランナーは、孤独でありながら、孤独ではない。みんなと同じ競技に参加しているという一体感があるからである。それと同じで、人生も孤独ではあるが、ほかの人も、皆同じように走っているという意味では、孤独ではない。
何事も見方を変えれば、孤独であったものが孤独でなくなり、何でもないことが幸福にもなる。

2013年8月29日木曜日

岩崎日出俊 マネー大激震

2011 KKベストセラーズ

2008年9月に発生したリーマンショックによって、ニューヨーク証券取引所のダウ平均、東京の日経平均は、ともに大暴落した。その後、日本の株価は低迷しているのに対して、アメリカのダウ平均は、コンスタントに上昇し、リーマンショック以前の水準を回復した。
日経平均株価は225社の株価を対象としているが、アメリカのダウ平均は30社の株価を対象としている。
これらアメリカを代表する30社は、アメリカだけでなくグローバルな市場をターゲットとしている。
アメリカの経済は十分に回復していなくとも、株価のほうは、新興国の成長を反映して高くなっている。
中でも目立つのが、アップル社である。
アップル社の株価が高いのは、売上高、利益ともに急伸しているためである。
アップル社が高成長を遂げたのは、2007年以降発売したアイフォンやアイパッドなどの新製品が世界中の人々から幅広く受け入れられたためである。
アップル社をここまで引っ張ってきたのが、スティーブ・ジョブズである。
スティーブ・ジョブスは、2005年、スタンフォード大学の卒業式に招かれて有名なスピーチを行った。
そして、最後に、"Stay Hungry,Stay Foolish!"というメッセージを学生たちに贈った。
この言葉をあえて解釈すれば、自分の好きなことには、バカだと言われても、とことん熱中しなさいということであろう。
そのために必要なのは、自分の好きなことややりたいことが分かっている、または分からないなら、探し続けることである。さらに、それができるという自分の能力、体力、気力に自信があることである。また、自分や社会にたいして楽観的な見方ができることである。
こういう姿勢は、まさに新たな第一歩を踏み出そうとする若者にふさわしい。
だから、スティーブ・ジョブズは、卒業式のスピーチに、この言葉を選んだのであろう。
スティーブ・ジョブズだけでなく、マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグなど、世界的なアメリカのハイテク企業の創業者には学生や大学中退者も目立つ。
アメリカのベンチャーキャピタルはつねに投資の機会を探しており、いっぽうでは、資金はなくてもハングリーかつ楽天的な若者が多数いる。これらが、世界的なハイテク産業が成長する土壌を作っている。

2013年8月17日土曜日

斎藤孝 15分あれば喫茶店に入りなさい

2010 株式会社幻冬舎

大学教授の著者は、立派な書斎も大学の研究室もあるのだが、書斎だと、デスクの前に座っても、集中できなかったり、やりたくないという気持ちになってしまう。
喫茶店だと、人がいて、物音がするが、そのほうが、著者にとっては集中力が高まり、仕事がはかどる。
多数の本を出しているが、それらのアイデアを出すのも、原稿を書くのも、喫茶店での仕事である。
著者の言う喫茶店とは、昔からある喫茶店というよりは、ドトールやスターバックスのような「カフェ」のことらしい。
カフェは、どこでも同じような内装であるが、場所によって、また時間帯によって、まるで雰囲気が違う。客層や混み方によっては、一人で本を読んだり勉強したりなどとてもできないこともある。
場所によって、空いている時間混んでいる時間は違うので、自分の行きつけのカフェを何軒か持っておくのが良い。
カフェといっても、ある程度慣れないと、落ち着かない。
最近は、喫茶店またはカフェで仕事や勉強をしている人が目立つ。
カフェの側でも、以前よりは一人掛けの椅子を多数用意して、居心地を良くしている。
ここで、カフェの経営者の立場からは、お客には来てもらいたいが、あまり長く居座られても困る。
参考書を広げて、長時間勉強されても困るので、照明を薄暗くし、本など読んでいたら目が疲れてしまう店もある。
長時間の利用を控えるよう促す注意書きも目に付くようになった。
外出先でちょっとした作業や勉強をしていた人は肩身の狭い思いをしなければならなくなっている。
それでは、勉強するには、カフェよりも図書館のほうがいいのではないか。
ところが、著者によると、図書館には「ライブ感」が、欠けている。
図書館には、独特の空気があり、それは、どちらかと言えば、暗く、重い。
図書館は満席で、なかには寝ている人もいるが、カフェでは寝ている人は見当たらない。
家にこもっているよりも、開放的なカフェで仕事をしていれば、すこしの積み重ねが相当な山になる。
カフェでは、ある程度の時間を過ごすことはできるが、あまり長時間はいられないから、かえって仕事が効率的にできる。
周りに座っている人も、何かやっているから刺激になり、何かせずにはいられない。
カフェでは、他人の会話が耳に入ってくることがあり、時には人生の勉強になることがある。
そこに集まるさまざまに人たちの会話から、彼らの人生や生活が垣間見えることもある。
才能のある小説家なら、カフェで聞きかじった会話からでも、おもしろい小説が書けるのだろう。
カフェは、自由に出入りができ、リラックスすることができ、ときには集中して仕事や勉強ができる。
カフェを利用するテクニックを身につければ、15分の隙間時間でも有効に活用できるという。

2013年8月10日土曜日

黒井千次 老いるということ

2006 株式会社講談社

老人とは、何歳くらいを言うのだろうか。
国語辞典を引くと「初老」とは、40歳のことである。
今では、40歳は老人というよりは青年と言うほうがふさわしい。
それでも、65歳になれば、公的に高齢者として認められ、年金が支給される。
65歳を高齢者と定めたのは、19世紀ドイツの政治家ビスマルクであるという。
65歳では、当の本人は、まだ高齢者という気にはなっていない。
だが、80歳になれば、立派な高齢者であろう。
アメリカの作家、マルコム・カウリーによると、老いの国への入国ビザは、80歳の誕生日に手渡される。しかし、80歳にならないうちに倒れてしまう人もかなり多い。
だから、80歳を超えて、老人になるのは、じつは幸運なことなのである。
「不老不死」は、太古からの人間の願望である。
このうち、不死は人間である以上避けることはできない。
それでは、老いることがなく、いつまでも若かったとしたらどうであろうか。
現代は、このような、なるべく老いを後へ後へと追いやろうとする時代である。
それでも、最後まで若いままで死ぬことが、はたして幸せと言えるのだろうか。
「老いる」とは、生きることであり、現在形ではなく、進行形である。
生きることをつみかさねてきたのが老人であるから、老人は、さらに老化していく。
老人かどうかは、相対的なものであり、65歳から85歳までは20年の幅がある。
今では、昔のように家庭のなかで祖父や祖母という特別の居場所があることは少なくなった。
社会でも、老人を敬うというようなことも、あまり聞かれなくなった。
老人とは、年金をもらったり、介護を受けたりするという厄介者扱いになりつつある。
老人には何ら特別の地位は与えられていない。
自分が老人であることなど知らないうちに死んでしまうのも悪くはなさそうである。

2013年8月3日土曜日

和田秀樹 「判断力」の磨き方

2007 PHP研究所

機械にはできないが、人間にはできることとは何だろう。
しばしば、高度な「判断力」が人間にしかできないと言われている。
しかし、ここに問題があって、人間には正しい判断をすることが難しい。
判断するのは、最終的には意思決定をして行動するためだと仮定してみよう。
そうすると、最後には、右か左、イエスかノーかを選ばなければならないことになる。
これが、人間の判断を制約して、白か黒か、敵か味方か、善か悪かという二分割思考をしがちになる。
現実は、むしろ、あいまいで、白か黒かというより、グレーであることが多い。
ある一面では善であるが、他の一面では悪であることもある。
100%の味方もいなければ、100%の敵もいない。
むしろ、こちらの出方によっては、味方が敵になり、敵が味方にもなる。
二分割思考のような判断をゆがめる考え方には、ほかにも、完全主義、過度の一般化、選択的抽出、レッテル貼りによる思い込みなどがある。
一人では正しい判断ができないのであれば、集団で意思決定すれば正しい判断ができるかというと、そういうわけにもいかない。
集団全体の「空気」または「感情」が、集団全体を支配し、判断をゆがめることがある。
有力者の発言に引きずられて、冷静で客観的な判断をすることができなくなる。
人間には正しい判断などできそうにないと言っても、以上のような心理的なワナがあることを知っていれば、すこしはマシな判断ができるようになるかもしれない。
どちらにしても、何らかの意思決定がなされ、あとは、時間の経過とともに、事態は前へ前へと進んでいく。
こうなったら、はじめから正しい判断をしようなどとはせず、考え方を柔軟にして、臨機応変に対応したほうよさそうである。

2013年7月24日水曜日

坂西哲 東急・五島慶太の経営戦略

2001 株式会社文芸社

東急電鉄の五島慶太の経営手法は、鉄道とともに沿線の開発をいっしょに進めるもので、先輩格である阪急電鉄の小林一三のそれををならったものである。
ただ、五島の経営手法には、大学などの学校を誘致するという独自のものが見うけられる。
今では、東急沿線は高級住宅地としての評判が高いが、はじめからそうだったわけではない。
明治時代には、東京で働く人は市内に住んでいて、今の東急沿線は田畑や林であった。
渋沢栄一によって設立された田園都市会社が開発した住宅地も、はじめはあまり売れなかった。
そこへ、大正12年に関東大震災が発生した。
そのとき、東京や横浜は壊滅的な打撃をこうむった。
いっぽう、洗足に開発した住宅地に建てられた住宅は、ほとんど無傷であった。
これが、郊外の住宅地が売れるようになったきっかけであり、五島の会社にとって追い風となった。
また、蔵前にあった今の東京工業大学は被災し、校舎も消失した。
三田にあった慶応義塾大学も一部をなるべく広い土地に移転する計画を立てていた。
五島は、広大な土地を東京工業大学に対しては、蔵前の土地と等価交換、慶応には無償で寄付した。それとともに、周辺の土地の地価も上昇し、通学客も増えたため会社にも大いに利益をもたらした。
五島が誘致した学校は、そのほかにも多数あり、都立大学、学芸大学は駅名となって残っている。
五島は、みずからも東横学園を創設し、教育にも熱心であった。
鉄道経営には、旅客輸送、貨物輸送、観光輸送などの分野があるが、五島は、工場は誘致せず、学校を誘致したため、東急は通勤通学のための鉄道になり、東横線と新玉川線のターミナル駅である渋谷が発展することになった。
なお、渋谷駅も昔は今の場所にあったわけではなさそうである。
渋谷駅にいろいろな路線が交わるようになったのも、それぞれの経緯があるのだろう。

2013年7月21日日曜日

2013年7月18日木曜日

小飼弾・山路達也 弾言

2008 株式会社アスペクト

もともと、人生には目標や目的はなく、人生は過程である。
人は目標や目的があって生まれてきたわけではない。
だから、人は何のために生きるのかなどと考えたり悩んだりするのはバカげている。
しかし、目的や目標があると、人生という過程にとっては、これがすごく役に立つ。
サッカーの試合では、勝つのが目的のようだが、観客が手に汗握るのは選手の活躍ぶりにたいしてである。
ゴルフも、最終ホールがゴールであるが、それが目的ではなく、そこへ至るまでの過程を楽しむのである。
スポーツでは、オリンピックなどの目標があり、それに向かって努力をする。
だが、オリンピックが終わってしまえば、勝っても負けても、また次の目標が出てきて、それに向かうことになる。
人の一生にも、さまざまな段階があり、それぞれの段階で目標や目的を立てることによって人生を過ごすのが楽になる。
目的を立てるのは人生を充実させるためにあるのだから、たとえ目標が達成できなくても、それはそれでしかたがない。
身近な例で言うと、元旦に一年の目標を立てたところで、たかだか何十回で終わるのが人生というものである。
人生は目的ではなく、過程であるという考え方は、老人にとってもやさしい考え方である。
目的だと考えると、日暮れて道遠しということになりかねないが、人生は過程だと考えると、せいぜい生きているうちは、生きることを楽しむべきだということになるからである。

2013年7月8日月曜日

森永卓郎 モリタク流アキバ経済学

2012 日経BP社

秋葉原は日本の産業構造の将来を予測させる街であるという。
秋葉原の「主力産業」は、つねに市場を10年リードしている。
1960年代、秋葉原は家電の街で、そこで登場した新製品が次の10年間、全国に拡がっていった。70年代は、オーディオの街、80年代はパソコンの街、90年代はマルチメディアの街になった。
2006年に閉店したアキハバラデパートは、日本ではじめて作られた駅ビルである。
ここでも、日本ではじめてという商売が、いくつもある。
本書によると、今では日本中に広まっている100円ショップの原点はここにある。
全国展開されている紳士服の量販店ビジネスは、馬喰町や横山町で仕入れた紳士服をここで売ったのが始まりである。
この店頭で通行人相手にはじまった実演販売はテレビショッピングに取り入れられた。
そして今は、アニメやフィギュアなどの「萌え」商品、メイドカフェ、AKB48などのアイドルユニットが秋葉原の「主力産業」になっているように見える。
あえて10年後の日本を予測するとすれば、アニメ風の「萌え」キャラクターが日本中にあふれ、どの都市にも秋葉原のような繁華街ができる。
商品は性能や機能で選ばれるのではなく、「かわいい」とか、「クール」とかいった基準で選ばれるようになる。
本物と模型の地位が逆転し、模型をまねた本物が人気商品になる。
今では、人々はインターネット上の仮想空間でつながっているから、現実空間は必要ないようにも見える。それでも、秋葉原のような街には、そこへ行くとなにかがあるような気がして、人が集まり、人が集まることによってなにかが伝わっていき、流行が生まれるのかもしれない。
秋葉原で流行すれば全国で流行するのであれば、それよりもさらに前に、少数の「オタク」たちが、この街のどこかで、何か新しいことでも企んでいるのではなどと勝手な想像もふくらんでいく。
それとも、この街では、社会の流行が他よりいくぶん早く見ることができるとはいっても、単なる商業施設の集まりというだけなのだろうか。

2013年6月30日日曜日

斎藤広達 「計算力」を鍛える

2012 株式会社PHP研究所

実生活で「計算」というのは、数字の計算だけではなく、もっと広い意味がある。
「計算高い人」というのは、損得にこだわる、打算的な人という悪い意味に使われている。
計算に強くなるのと、計算高くなるのとは違うわけである。
ビジネスや実生活で役に立つのは、おおざっぱに捉える計算力である。
おおざっぱに捉えるには、細かなことに捉われないことである。
国家予算や国民所得のような大きな数字でも、一人当たりに直すと分かりやすい。
日本の人口を、きわめておおざっぱに1億人と見なすと、一人当たりの数字は1億で割ればいいので、より身近な金額になり、実感が湧く。
会社の業績でも、1株当たりの利益で見ると、分かりやすくなる。
まるっきり異なる会社の株価が、なぜ違うのかは、1株当たり利益を計算することによって分かりやすくなる。
すばやく計算するには暗算をしなければならない。
実用的な暗算の例をあげると、たとえば3000÷140というとすぐに計算できそうにない。
これを300÷14になおし、さらにおおざっぱに300÷10とみなすと、すぐに30が出てくる。
これに1.4の逆数のだいたいの数字0.7をかけると21になり、電卓で計算したのとあまり変わらない。
このように、1÷1.2や1÷1.3がだいたい0.8だとか、1÷1.4がだいたい0.7だとか覚えておくと、すばやく暗算することができる。
日本の人口が1億3千万人だとすると、さきほどの1億で割った数字に0.8を掛ければより正確になる。
掛け算でも、25×12を計算するに25×10を計算して250を得、それを2割増しして、300を得る。
以上は、著者による方法であるが、暗算の仕方は、誰でも工夫していろいろなやり方を考えるものらしい。
著者によれば、「計算できるけれど計算高くない」人がうまくいっているようだという。

2013年6月16日日曜日

木田元 新人生論ノート

2005 株式会社集英社

時間について

時間というのは、自分ではわかっているつもりなのに、人に説明するのはむずかしい。
昔から多くの人が、時間を川の流れにたとえてきた。
孔子は、川のほとりに立って、過ぎゆくものはこの川の流れのようで、昼も夜も休まないと言った。
鴨長明は「方丈記」で、世の中の人と住まいのはかなさを、ゆく河の流れに浮かぶ泡にたとえた。
水は川上から川下へ流れていくから、一般に受け入れられている物理学的時間と同じ性質がある。
物理学的時間は、過去から現在、そして未来へと不可逆的かつ等質に推移していく。
哲学者や文学者は、このような時間概念に抵抗して、さまざまな時間概念を展開してきたらしい。
それはそれで興味深いのだが、かなり面倒なことになりそうである。
時間を川の流れにたとえるなら、我々も水といっしょに流される泡のようなものであるはずである。
ところが、感覚的には、橋の上に立って水の流れを見ているようなつもりになってしまう。
自分は変わらないのに、時間が未来からやってきて、過去へと流れていくように感じるのである。
時間というものがあり、自分も変わっていくのにそれに気が付かない。
いつまでも自分が変わらないものだと思い込んでしまう。
60か65になっても、これからも前向きに生きるには、どうしたらよいかなどと考える。
電車で席を譲られるようになって、はじめて自分が歳を取っていることに気づかされる。
何もわからずに生まれてきたのとおなじで、何もわからないうちに死んでいくらしい。
そうなる前に、たまには、ゆっくりと過ぎるともなく過ぎていく時間を味わいたいものである。

2013年5月30日木曜日

ナシーム・ニコラス・タレブ まぐれ

望月衛訳

2008 ダイヤモンド社

昔、リディア王のクロイソスは、世界一の金持ちだという評判であった。あるとき、彼のところへギリシアからソロンがやってきた。ソロンはクロイソスの富を目にしても少しも驚かなかったし、誉めもしなかった。腹を立てたクロイソスに対して、ソロンは、今、裕福だからといって将来もそうであるとは限りませんと言うのである。その後、クロイソスは、ペルシアとの戦いに敗れ、処刑されそうになったとき、「ソロン、お前は正しかった」と言ったという。
このように、人生は、不確実性に満ちていて、何が起こるかわからない。
能力があって、人一倍努力をし、リスクも積極的に取ったからといって、成功するとは限らない。破綻した人も、おなじように能力もあり、努力もしてきたのである。
いっぽう、能力もなく、たいした努力もしなくても、サラリーマンや公務員になって、平穏な人生を送る人もいる。
成功した人のすべてが、まぐれやツキが原因だったと言うわけではないが、成功した人は、幸運であったことに変わりはない。
それでも、クロイソスのたとえのように、人生、最後まで何が起こるかわからない。
同じことを、現代の野球監督ヨギ・ベラは、「終わるまでは終わりじゃねえよ」と表現した。

2013年5月23日木曜日

北野武 超思考


2011 株式会社幻冬社

北野武またはビートたけしがうけている。
毒舌のなかにも鋭く真実を突くような言い方に共感する人が多い。
漫才で人を笑わせるのは大変なことである。
つねに新しいネタを考えださないと飽きられる。
自分で必死に考えることから、単なる知識ではない知恵が生まれる。
本をいくら読んでも、知識は増えるが、自分で考えなければ知恵はつかない。
松下幸之助も、学校は出ていないが、自分で考え抜いて得た知恵を持っていた。
北野武を松下幸之助に比べるのは、褒めすぎだろうか。
褒めて持ち上げておいてから、さんざんこき下ろすのは、世間ではよくあることだから注意しなければならない。
世論を味方につけないと、横綱朝青龍やホリエモンのようにいじめられる。
褒めるときは、べた褒めし、叩くと決まれは、徹底的に叩きまくる。
まともなこととは思われないが、テレビ局やコメンテーターは、世間から叩かれている人間の肩を持つと、自分達も一緒に叩きまくられることを知っているのである。
子供の社会のイジメも同じで、クラスのみんなで一人の子をいじめるのは、その子が憎いわけではない。みんなといっしょにいじめないと、自分がいじめられると思うからである。
いじめる側に加わらないと自分がいじめられるかもしれないという恐怖心がいじめる側にあるらしい。
つまり、子供の社会は、大人の社会のミニュチア版なので、イジメをなくそうといっても簡単ではない。
こう言うと、イジメをなくそうというのが世間の建前だから、逆にいじめられそうである。
子供の社会は狭いから、いじめにあったときに大人に相談できるようにしておかないと、深刻なことになりかねない。
今は、お笑い芸人がもてはやされている。テレビに出て人を笑わせるからすごいと尊敬までされている。
北野武も言うように、お笑い芸人が世論に迎合して自主規制するようになってはつまらない。
せめてお笑い芸人くらいは、本音に近いことを言ってもらいたいものである。

2013年5月4日土曜日

川本三郎 私の東京町歩き


1990 株式会社筑摩書房

東京の町は広い。
小さな商店街を歩くと、歩き終わったころに、また別の小さな商店街が続き、途切れることがない。
あたかも、体の中をめぐっている血管のようなものである。
東京の町は広いが、人の生活範囲は、けっこう狭い。
杉並区のような東京の西と、足立区、葛飾区、江戸川区のような東京の東は、地図で見ても非常に近い。総武線を利用すれば、時間的にも近い。
それにもかかわらず、杉並区の人は、足立区とか江戸川区には、あまり行かないようである。
実際に住んでみるとどんなところかは別であるが、たまに歩くぶんには、新しい発見がつぎつきにあり、知らない町を歩くのはおもしろい。
東京の東は、川の多い場所である。
隅田川と荒川、旧中川、中川、新中川、旧江戸川と新江戸川などがある。
江戸川区の旧江戸川には、妙見島という、ほんとうの島がある。
工場ばかりが立ち並んでいる島であるが、著者は大衆食堂を見つけ、ビールを飲んだ。
食堂のおやじさんの話では、むかしこの島に草野心平という詩人が住んでいたという。
足立区の千住には、「千住のおばけ煙突」と呼ばれていた煙突があった。
大正15年につくられ、昭和39年に取り壊された。
4本の煙突が、見る場所によって、1本にも2本にも、3本にも、あるいは4本にも見えた。
おばけ煙突の話題は下町育ちの人間に場所的一体感を与えていたので、映画や漫画にもよく出てくるそうである。
低い家並みの上に聳えるおばけ煙突は、澁澤龍彦によれば、不気味な何かのシンボルのようにも見えたという。

2013年4月24日水曜日

永濱利廣 日本経済のほんとうの見方、考え方


2011 株式会社PHP研究所

いわゆるアベノミクスは、日本経済のデフレからの脱却をめざし、日銀の大胆な金融緩和によって、物価を年率2%上昇させることを目標にしている。物価が2%上昇するのにインフレとは言わず、「物価安定目標」と言っている。
安倍総理の発言以来、円は安くなり、株価は上昇した。さらに、黒田日銀新総裁による「異次元の金融緩和」により、さらにそれが加速している。
そのため、円や株の動きは、思惑だけで動いたのだから、バブルだと言う人もいる。
しかし、もともと高すぎた円が安くなり、安すぎた株価が高くなったのだったとしたら、バブルどころか正常なあるべき状態に戻りつつあると考えることもできる。
本書によれば、「購買力平価」で見ると、円の実力は1ドル110円程度であるという。
円が1ドル80円になったのは、貿易や金融で使われている外国為替相場での話である。
100円で何が買えるのかという基準でみれば、1ドル110円くらいだと言うのである。
購買力平価でみると、日本の一人当たりGDPは、世界で20番目以下であるというが、このほうが実感に近い。
また、消費者物価が上がらないので、デフレだというのは、たしかにそうかもしれない。
しかし、「消費者物価指数」というのは、さまざまな物価のある種の平均にすぎない。
ぜいたく品と言われるパソコン、テレビ、デジカメの価格は、大幅に下がっている。
そのいっぽう、食品や燃料費のような生活必需品の価格は、むしろ上がり気味である。
新興国の旺盛な需要により、穀物価格や原油価格は上がっている。
それに目をつけた投機資金が穀物市場や原油市場に流れこんでいる。
食品や燃料は、輸入物価の影響を受けやすいので、それらの価格は、じわじわと上昇していくのである。
さらに、今後、消費税をはじめとした増税が本格化してくる。
所得は増えないのに、物価だけ上がることが懸念される。

2013年4月18日木曜日

梅田望夫 シリコンバレーは私をどう変えたか


2001 株式会社新潮社

シリコンバレーの野心あふれる若者たちが考えることは、あんがい表面的である。
20代後半から始めて、30代から40代まで働き、50代前半でアーリーリタイアメントを目指すのだという。
給料をもらうだけでは困難であるが、ベンチャー企業を立ち上げて企業価値を高めてから企業を売り払うとか、ストックオプションを行使して巨額の金を得るのだという。
資産を活用すれば、80歳くらいで死ぬまで働かなくともいいことになる。
人生最大の目的は、金を得ることで、あとは楽して暮らそうということなのだろうか。
それとも、若いうちは、60歳の自分は考えることができず、目先の競争にしか気が回らないのだろうか。
60歳にもならずに亡くなったスティーヴ・ジョブズが、若者たちに「おろかであれ、ハングリーであれ」と呼びかけていた。いったいどういう意味なのか。若者にはわかる言葉でも、年寄にはわかりにくい。
いっぽう、日本では、政府が企業に65歳まで定年を延長するよう要請している。
終身雇用なら、なまじ有能であるより、協調性のあることを示すのがなによりである。
同じ会社に定年まで居るのなら、誰にでも気をくばって、悪い噂が立たないようにするのが第一で、やる気をみせて自己主張をしたり、正義感を発揮して上司と争っては、出世もできず、会社にいる間は悪い評判がつきまとう。
個人中心のアメリカ流のやり方は、イノベーションは生まれやすいが、勝ち組と負け組との格差は非常に大きくなる。
いっぽう、組織本位の日本流のやり方では、新しいことはなかなかできにくい。
アメリカ流に事業に成功して50歳でリタイアしても、それこそ毎日が日曜日では退屈だろうし、かと言って、日本流に65歳まで同じ会社に勤めるのでは、大部分の社員に不満とストレスが溜まることになる。
どちらにしても、今までは65歳以降のことは、あまり考えに入れられていなかった。
しかし、これからは65歳以上の高齢者がさらに増えていくという。
「団塊の世代」が、良くも悪くも再び注目を浴びることになる。

2013年4月10日水曜日

北門達男・稲浦綾 情報分析と課題解決の技法


2012 株式会社大学教育出版

80対20の法則

80対20の法則は、100年ほど前にイタリアの経済学者パレートが発見した法則が始めである。
パレートは、所得と資産の分布を研究した結果、人口のわずか20パーセントの人達に、総資産額の80パーセントが集中していることを発見した。この法則は、所得や資産の不平等度を表すもので、経済学ではパレートの法則と呼ばれている。
その後、似たような法則が、つぎつぎと発見された。
顧客の20パーセントが売り上げの80パーセントに貢献している。
商品の20パーセントが売り上げの80パーセントに貢献している。
社員の20パーセントが売り上げの80パーセントに貢献している。
ある科目のうち20パーセントの重要事項が80パーセントの割合で試験に出る。
保有している情報の20パーセントを80パーセントの割合で利用している。
単語の使用頻度が20パーセントの単語が80パーセントの割合で使用される。
したがって、たとえば、外国語の学習をするときには、よく出る単語1000語程度をまず覚えることが重要である。
品質管理では、欠陥の上位3位程度の原因を突き止めて徹底的に対策をすることによって、大幅に品質が向上する。
こういう「法則」は、いろいろなところで適用できる。
もし、新種の20対80の法則を発見できれば、学問上で名を残すこともできそうである。

2013年3月30日土曜日

春の公園

立町みはらし公園

2013年3月28日木曜日

松本大 「お金の流れ」はこう変わった!


2012 ダイヤモンド社

投資にかぎらず、仕事でも、人づき合いでも「運」は重要である。
どんなに情報を取ったり、理論を身につけても、「運」がないと儲からないし、成功することもできない。
運は寂しがり屋である。運は他の運と寄り添って、密かに暮らしている。
運のない者どうして、または運のある者どうしで寄り添う性質がある。
したがって、幸運を手にするために一番大事なことは「運のいい人のそばにいる」あるいは「運の悪い人とつきあわない」ことである。
人とつきあう場合も、金持ちとつきあえばお金をくれるが、金のない人とつきあうと、金を貸してくれと言われる。
女にもてる男とつきあうと、女友達を紹介してくれるが、もてない男とつきあうと、美人をわざとブスだと言われたりして、足を引っ張られる。
著者が思うには、「運というのは、実は、リスク管理のことではないか」ということである。
運がいい人というのは「リスク管理がうまい人」のことで、運が悪い人とは「リスク管理が下手な人」のことである。
人間は、たくさんの情報を取り入れて、加工や解釈をほどこして行動している。
運を引いてくるかどうかは、けっきょくは情報と、いかにこれを解釈するかにかかっている。
人は株価が上がると買いたくなり、下がると売りたくなる。
相場全体でもそうであるが、個別の銘柄についても同じである。
だから、人気のある銘柄は割高に見えるのに、ますます買われ、人気のない銘柄は割安に見えるのに、ますます売られる。
株価というのは、理屈どおりには動かないところがある。
歳を取ると、経験も知識も積みあがってくるので、分かったつもりになりがちである。
しかし、マーケットでは必ず儲かる理論などはない。
自分だけは正しい判断を下すことができるなどとうぬぼれてはならない。

2013年3月18日月曜日

中島義道 人生を<半分>降りる


1997 株式会社ナカニシヤ出版

人生についての考え方には二つあって、ひとつは自分中心の考え方で、この場合、自分が死んだらすべては終わりである。
もうひとつは、言わば社会を中心とする考え方で、社会というものは、親から子、子から孫へと引き継いでいくもので、個人の死などは、必ず来る節目ではあるが、たいした問題ではないことになる。
60も過ぎると、自分中心の人は、どうせ残りの人生は、たかだか20年くらいでしかない、だから、これからは人生を半分降りて、世の中の雑事に煩わされず自分の好きなように生きようと思う。
社会中心の人は、80を過ぎても、あたかも自分が死ぬことなどないかのようにふるまい、この国の将来を心配したり、自分が生きているうちに実現できるかどうかもわからないオリンピックの東京招致に熱中したりする。
世の中全体としてみれば、社会中心の考え方の人のほうが多く、台風が来ても大地震があっても、何がなんでも出勤しようとするサラリーマンや公務員は、その典型である。
60を過ぎていても、政治家や経営者になれば、重い責任がのしかかり、かえって寿命を縮めてしまうこともある。
そうでない普通の人にとっては、60過ぎでは、自分中心の考え方の方に惹かれる人が多いのではないだろうか。
時間を過去、現在、未来と分けて考えると、過去はすでに変更することができず、現在は短く、未来は不確かである。そうすると、自分とは、もはや変えることができない過去の積み重ねということになる。
だから、60も過ぎれば、人生にとっては、既に確定した長い過去のほうが、未来よりも重みがあるわけである。
人生をを半分降りて、自分中心の生き方をするとは、自分の時間を大事にしようとする生き方でもある。
過去においても、もっと若いころから、半隠遁の生活に入った人たちがいた。
彼らの意思とは違って、のちの世の人に大きな影響を与えたこともあった。
今でも読み続けられている小説の作家なども、たいていは、半分人生を降りた人たちである。
彼らは、世間の目からは不幸な人生に見えても、自分では納得できる生き方を選んだのであろう。

2013年3月12日火曜日

2013年3月11日月曜日

古賀茂明 官僚の責任


2011 株式会社PHP研究所

個々の官僚に絶対的な権力があるわけではないが、官僚全体としては、日本の支配階級である。
典型的な官僚は、東京大学法学部をトップクラスの成績で卒業する。当然、小学校、中学校、高等学校でもトップの成績であったはずである。
このような人たちは、プライドが高く、つねに評価され、認められ、一目置かれることを望んでいる。
ところが、民主党が政権を取ると、管直人のように、「あいつらバカだ」と言う政治家が彼らの上にすわってしまった。
民主党の政治家にしても、霞が関のトップになったのはいいが、まるで敵の陣地に入り込んだようなものである。
民主党と官僚との協力関係は薄れ、民主党の言う「政治主導」というスローガンは、政治家が官僚を排除して、自分たちで何もかもやることに置き換えられたが、知識の乏しい政治家にそんなことができるわけもなかった。
政治家と官僚の非協力的な関係は、東日本大震災と原発事故のときにも見ることができた。
このとき、いらだつ管首相は、官僚を排して、自ら原子力発電所を視察したり、混乱する東京電力の現場に乗り込み、「おまえら、ちゃんとやらなかったらしょちしないからな。」と高圧的な態度で脅かした。
管首相は、官僚にたいする不信感を強め、自分自身で専門家のアドバイスを受けようとした。
官僚は首相にたいする的確なアドバイスをすることもできず、首相官邸と東京電力のあいだのメッセンジャーとなって、責任を逃れようとした。
このとき、著者が言うように、管首相が、「俺にできることは、何でもするから知恵を出せ。」とか「俺が責任を取る。」とか言って度量のある態度を示せば、原子力事故に対する対応も、あるいは違っていたのかもしれない。
素人には、原子力発電の仕組みはわからないと思いこんでいたが、あとから見れば、ようするに一刻も早く原子炉に水を注入すればよかったのである。もっと早く、アメリカの協力を求めていたり、海水を注入する決断をしていればと悔やまれるのである。

2013年3月5日火曜日

ビートたけし 下世話の作法


平成21年 祥伝社

近頃では、親会社の下にいくつかの会社がぶらさがっている持ち株会社がはやっている。
ビートたけしというキャラクターを、持ち株会社にたとえてみたらどうなるだろうか。
ビートたけしは、下町の貧乏人の家に生まれ、浅草で漫才師になったが、いつのまにか、飛ぶ鳥を落とす勢いになっている。
これを持ち株会社にあてはめるとこういうことになる。
まず、持ち株会社としては、冷静な批判精神を持った北野ホールディングズがある。
その下に、「お笑い芸人ビートたけし」「映画監督北野武」、それに資産管理会社である「かみさん」がいる。
お笑い芸人ビートたけしは、浅草のストリップ劇場で漫才から出発し、どこかで引け目を感じている自分を意識している。
映画監督北野武も、何かの縁で映画などつくりはじめてしまったのだが、これがほんとうにやりたいことかどうかはわからない。
それらを客観的に見てコントロールしているのが北野ホールディングズである。
ビートたけしの稼いだお金は、すべて資産管理会社のかみさんが管理している。
ビートたけしは、かみさんから小遣いをもらったり、モノを買ってもらったりしているので、目の玉の飛び出るような値段のエルメスのTシャツを着たり、マンションを所有して不動産経営をしていても、心は浅草の貧乏芸人の頃と変わらないのである。
ビートたけしは、冷静だから、今のテレビのくだらなさも、十分わかっている。
テレビ番組でやっていることは、エロ、飯を食うこと、お笑いの三つだけだという。
はじめからお笑い芸人を目指すような今の若者とは違い、芸人をやっていることが恥ずかしいという感覚も持っている。
テレビでさんざん他人の悪口を言っているが、悪口にも作法があり、妬んだり、恨んだりだけの悪口は言わないようにしている。
悪口を言うときは、よく聞くと、相手を立てて自分を被害者に聞こえるように気をつかっている。
今は、自分の金を払ってお笑い芸人養成スクールへいく若者がけっこう多いそうだから、時代も変わったものである。テレビで言っていいことと、言ってはいけないことのルールでも教わっているのだろうか。
スターが誕生するのは、その時代の人達がスターを作り出してきたからだと言える。
美空ひばりや力道山はスターであるが、もしも彼らが今の時代に現れてもスターにはなれない。
ビートたけしは、現代の人気者だから、なんでも思い通りになることだろう。
政治家にも、かんたんになることができるにちがいない。
もっとも、政治家になったりすれば、ビートたけしのキャラクターに傷が付くだけで終わるのではないだろうか。
その点は、芸人に「なりたくてなったわけじゃない」と客観的に判断できるうちはだいじょうぶである。
自分にはできない「夢」を持つより、自分の生き方そのものを「芸」にできるのが「粋な人」だという。

2013年2月28日木曜日

藤田勉 グローバル通貨投資のすべて


2012 東洋経済新報社

円ドル相場は、過去40年間に1ドル=360円から90円まで4倍に上昇した。
この間、日本の国力は、いちど上昇してから、衰退に向かっている。
少子高齢化が進んで人口は減少に転じている。国の借金はGDPの2倍にふくらんで国家財政の破たんが懸念されている。貿易収支も赤字になった。
これらの事実をあげて、だから円安になるという議論がはびこっている。
ところが、じっさいは、これまでのところ、円はほぼ一貫して上昇してきた。
そのため、日本は国力が衰退するから円安になると主張する人は、オオカミ少年にたとえられている。オオカミ少年の話のとおり、人々が相手にしなくなったころにオオカミが現れるのかもしれない。

円と他の通貨との相場は、経済学では購買力平価説なとの学説があるが、為替市場では通貨の需給関係によって決まっている。
そう考えると、日本の企業が海外へ工場を移せば、円を売ってドルを買うから円安になり、国内が空洞化すれば雇用も失われる。ただ、その企業が海外で稼いだドルを国内に移動すれば、ドル売り円買いになるので円高になる。
銀行や郵便局で、オーストラリアドル建ての債券を勧められ、退職金をオーストラリアドルに投資する人が増えれば、オーストラリアドルの相場が上昇する。オーストラリアが資源国だからオーストラリアドル相場が上がるというよりもオーストラリアドルを買う人がいるから上がるのである。
また、ヨーロッパで信用不安が発生したといっては、円が買われている。
アメリカの政策次第で円安になったり、円高になったりする。

日本国内の要因だけであれば、たしかに、円安方向へ向かっているようにみえる。
だが、21世紀になってからの為替相場を決定する要因は、実物取引から金融取引に変化している。金融取引には、政治経済だけでなく、軍事情勢、地震などの自然現象、そして投機的な思惑が影響する。
日本だけではなく、世界のありとあらゆる動きが為替相場を決定しているのである。
世界中の通貨が取引されており、さまざまな理由で円にたいして弱くなったり強くなったりしている。
かならずしも高金利の通貨や資源国の通貨が強いわけでもない。
海外投資にあたっては、為替相場だけだなく、金利、株式や債券相場の動きが重要である。
それらの組み合わせで、大きく利益をあげたり、逆に損失をこうむったりするのである。

2013年2月16日土曜日

米原万里 旅行者の朝食


2002 株式会社文芸春秋

同時通訳者として知られる著者のエッセイ集。
言葉というのは、その言葉を使っている人たちには容易にわかるが、外国人にはわからないというところがある。
旧ソビエトでは、「旅行者の朝食」と言うと、皆が、いかにも「まずい」という表情をする。事情を知らない外国人にはわからないが、「旅行者の朝食」とは、当時の国営企業が売っていた缶詰の名称なのであった。著者が実際に食べてみたところ、やはりほとんどは非常にまずかったそうである。

桃太郎の話を知らない日本人はいない。
著者は、幼いころ、なぜ、犬、サル、キジがきび団子を命に代えても欲しがったのか疑問に思っていた。
大きくなってから食べてみたが、ちっともうまいものではなかった。
あるとき、アメリカの農場で豚がものすごい勢いで食べている餌があったので、なんだか聞いてみたところ、キビだということであった。そこで、著者は、犬、サル、キジにとっては、キビ団子がとても魅力的だったのかも知れないと思ったのである。

吸血鬼ドラキュラという話がある。
ヨーロッパでは、鹿などの動物の肉が肉屋で売られており、店先に鹿の死骸が置いてあっても人々は平気である。
それどころか、今日は新鮮な肉がはいりましたと知らせる合図になっている。
また、動物の血をバケツに入れて嬉しそうに買っていく人がいる。
家で軽く煮てゼリー状にしてから食べるのが人々の楽しみになっている。
ドラキュラは、ルーマニアでは、モンゴルの攻撃に最後まで抵抗した英雄である。
動物の血を食べるのは、ヨーロッパの伝統であり、サラミソーセージの色も、血の色から来るものであるという。

私は、親の仕事の関係で子供のころアフリカで暮らしていた人の話を聞いたことがある。
あるとき、海岸へ行ったところ、ウニがいっぱいころがっていたので、親子で夢中になって、ウニの殻を割って中身を食べたそうである。そこへ現地の人間が来て、いかにも不思議そうに親子を眺めたという。そのとき、その人は、自分が日本人であることを強烈に意識したという。

2013年2月2日土曜日

ローレンス・J・ピーター+レイモンド・ハル ピーターの法則


2003 ダイヤモンド社

渡辺伸也訳

「ピーターの法則」とは、階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達するというもので、やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められ、仕事は、まだ無能レベルに達していない人間によって行われるという。
人の行動は、役所や企業のように、大勢の人が集まって何かをすることが多い。
大勢の人が集まってなにかをするには、階層構造による組織を作らざるを得ない。
階層構造の下位から上位にあがっていくことを「昇進」と呼ぶ。
ここで、階層ごとに異なる能力が要求されている。
もし、公正な評価がされているとすれば、実務担当者として優れた仕事をした人が選ばれて上位の階層に進むが、上位の階層に進むたびに異なる能力が要求されるため、適応できなくなったときに昇進が止まる。
つまり、下から進んで、あるレベルで無能となった人がその地位にとどまるので、いつのまにか組織はそれぞれの地位について無能な人ばかりになってしまうのである。
若いころ、会社の社長とか専務・常務などの肩書きを持った人は、自分よりずっと能力があるように考えていたが、今から見ると、実はたいしたことはなかったのではないかと思えてくる。
社長とか専務とか威張っていたところで、実際の仕事は、下の者が行っていたらしい。
組織のトップになったら、せめて、秘書にまかせてあるとか部下にまかせてあるなどと言わないでもらいたいものである。
「ピーターの法則」が社会全体に当てはまるとすれば、われわれの社会も上に行くほど無能になる。
政治の世界でも、いちばん下の議員は、毎日、街頭演説をし、有権者の一人一人と握手したり話したりして選ばれる。
議員は、政党という組織に属し、さまざまなテクニックを駆使しながら政党組織の階層をのぼっていく。
人の能力は限られているから、こうしてトップになった人が、ほんとうに国を率いたり、外国のトップと渡り合うのにふさわしい能力まで身につけているとは限らないのである。

2013年1月6日日曜日

田中隆吉 日本軍閥暗闘史


1992 中央公論社

日本陸軍には、明治のはじめより、薩長による軍閥というものがあった。
大正になって、薩派の大山巌や長派の山縣有朋といった大物が亡くなると、両者の争いは、激しくなり、さらに新しい皇道、統制両派の軍閥を生み、激しい権力闘争が繰り広げられたすえに、最後には統制派が勝利した。
統制派の最盛期は、昭和16年、東條英機が総理大臣に就任したときである。
大正から昭和にかけての陸軍の動きは、おおむね次のようである。
第一次世界大戦は、日本はあまり深くかかわらなかったものの、若手将校にあたえた影響は大きかった。
そのときに、戦車や飛行機、機関銃などがあらわれ、次に戦争が起こるとすれば、工業力の勝負であることが痛感させられた。
当時、日本は貧弱な武器しかもっておらず、工業力の弱さは決定的な弱点であった。
これからの戦争は、国の工業力が決め手となる「総力戦」になるというのが、若手将校たちの意見であった。
国家の総力をあげて戦うためには、政党政治に頼るのではなく、軍人が政治経済を主導しなければならないとされた。
満州事変が起こされ、「満州国」が建国されたのも、資源の乏しい日本にとっては、満州の鉄や石炭などの資源を確保することが絶対に必要だとみなされたからである。
暗殺された永田鉄山などが構想した軍人主導の「高度国防国家」としての日本は完成に向かっていき、戦争の準備は着々と進んでいったが、最後の最後になって、客観的に見て、アメリカと戦争してもとても勝ち目はないことが、陸軍首脳の間でも明らかになっていた。
しかし、東條英機にとっては、いまさらあとに戻ることはできなかったのである。

それでは、なぜ昭和の陸軍は暴走してしまたのだろうか。すくなくとも次の三つの要因をあげることができる。
まず第一に、明治時代に山縣有朋が作った陸軍が、政治のコントロールを受けにくいものであったことによる。
昭和の陸軍は、国民の軍隊ではなく、天皇の軍隊である言って、自らを「皇軍」と称した。
「統帥権干犯」という言葉を持ち出して、軍人が政治に口出しすることはできるが、政治家が軍人に命令できないようにした。
二番目にあげられることは、日本の軍隊は、日清、日露の戦争で華々しい戦果をあげ、英雄になった。
大正時代には、第一次世界大戦が終わり、世界的に軍縮の機運が高まり、日本でも、大正デモクラシーの影で軍人の存在感が薄くなった。そのため、軍人は、ひそかにリベンジの機会を窺っていた。
最後に、陸軍士官学校から陸軍大学に進んだ者は、エリートとして甘やかされたので、若手の将校が上の者の言うことをきかず、勝手な行動をするようになり、歯止めがきかなくなってしまった。
しばしば、政党政治が腐敗したから軍国主義が台頭したかのように説明されている。
それよりも、軍人の描いたシナリオどおりに歴史が動いたと言ったほうが事実に近いようである。

2013年1月3日木曜日