2012年10月13日土曜日

大瀧雅之 平成不況の本質


2011 株式会社岩波書店

巷では「失われた10年」とか「失われた20年」とか、まことしやかに語られている。
しかし、日本経済全体でみると、つい最近中国に抜かれるまでは、世界第2の経済大国の地位を保ち、経済規模もバブル経済当時よりも大きくなっている。
ただ、ここ10年ほど、失業率は上昇し雇用者所得は減少してきたので、それらの言葉が実感をもって感じられるのである。
ということは、大企業の正社員や公務員にとっては、それほど失ったものはなかったが、転職したり、失業したり、はじめから就職できず、派遣社員やアルバイトとして働かざるを得なかった人は、失ったものが多かったということになるのだろうか。
あるいは、職人、医療関係、ITなど特殊な技能の持ち主についても、それほど所得の落ち込みはなかったのだろうか。
所得が伸びず、むしろ減っているのになんとかやっていけたのは、物価が比較的低位に安定していたからである。
「デフレ」とか「インフレ」という言葉は、経済学では、「デフレ」とは物価が下がる傾向のことを言い、「インフレ」とは物価が上がる傾向のことを言う。
かならずしも、不況とデフレ、好況とインフレとがセットになっているわけではない。
「平成不況」は、デフレまたはディス・インフレであるために、閉塞感が漂っているが、なんとかなっているようにも見える。
最近、政治家が「デフレからの脱却」を声高に叫び、日銀に、いっそうの金融緩和を迫っている。
しかし、日銀がこれ以上の金融緩和をしても、景気が良くなるという保証はない。
一般に、人は理屈よりも感情によってより強く動かされる。
人を動かそうとする政治家は、熱のこもった言動によって、国民に強く訴えようとする。
国民が不満を持っているのであれば、景気を良くするという約束もしなければならない。しかし、政策的にどうしたら景気をよくできるのか解らない。
そこで、最後の頼りは日銀だ、日銀が悪者だとばかり、日銀に金融緩和の圧力をかけるのである。
もし、日銀がこれ以上金融緩和を続けていけば、インフレになる可能性はますます高くなる。
「インフレ・ターゲット」などという主張もあるが、所得が変わらないのに、物価だけ高くなったらどうなるのか。
政治家の理解が足りないのだろうか、それとも、政治家が誰かに操られているのかだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿