2017年4月23日日曜日

山に生きる人々 宮本常一

2011 河出文庫

日本では、かなりの山奥へ行っても家があるが、そこにはどのような暮らしがあるのだろうか。
日本の歴史は古いとはいえ、まさか弥生人に追われた縄文人が山に逃げたとも考えられない。
ただ、山奥に暮らすには、何らかの理由があって平地に居られなくなった人たちもいたのである。
山で暮らす人のうちで、やはり多いのは、杣(木こり)である。すでに奈良時代には東大寺の大仏殿、諸国の国分寺に見られるように、巨大な材木が切り出されていた。
同様に鉄や銅のような鉱山を探す人たちも多かった。鉄は、天然に産出する砂鉄を川の水を利用して集め踏鞴(たたら)で熱するが、そのときに大量の木炭を必要とする。中国山中では、鉄山師と炭焼きが多かったという。
木を加工する仕事には、木地師(または木地屋)というのもあり、ろくろを用いて椀などを製造していた。
東北地方のこけしは、木地師が半端な材木を利用して作ったものである。
サンカの集団は、箕作り、竹細工などを業としていて各地の山野を放浪していた。
マタギという狩人は、イノシシ、シカ、クマなどの野生の動物をとっていた。
そのほか、高い山で焼き畑などの農業をしている部落では、平家の落人村という伝説を持っているところがある。
これらの山奥に住む人たちの間でも互いに行き来があった。海岸から塩を山へ運ぶ塩の道があり、山岳信仰の担い手である山伏は、かなり遠くから熊野や出羽まで歩いていた。
また、木地師は、すべて近江の蛭谷と君ヶ畑を根拠地としており、惟喬親王を精神的祖としている。
何にしろ、山での生活は、概してたいへん厳しくつらいものである。
そのため、昔も気候のいいときだけ山で暮らし、冬場は行商や労働をして平地で過ごす人が多かった。
近年は、若者は、ほどんど都会へ出て行ったので、今でも山に暮らしているのは、取り残された高齢者が多い。
ただ、今は日本中どこでも道路が整備されており、どんな遠くの農林水産物でも、一両日中には東京の店頭に並ぶような時代である。
もはや、日本に「秘境」は無いのであろう。