2012年5月16日水曜日

芭蕉 おくのほそ道


「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。
・・・
弥生も末の七日、明ぼのゝ空瀧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

行春や鳥渧魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。」

芭蕉が江戸を出発したのは、今の暦で5月16日であった。多くの人々が芭蕉一行を見送り、別離を嘆く様は、目は魚の目のように濡れ、鳥が鳴くように悲しい声を出したという。当時、いかに芭蕉の人気が高かったかわかろうというものである。
芭蕉の人気はいまも絶大で、各地に句碑や像が建てられている。しかし、なぜ、五・七・五というわずか17音で感動するのか不思議と言えば不思議である。思うに、単なる17音だけでなく、芭蕉がいつどこで読んだのかというようなことに意味がありそうである。子供が池にカエルが跳びこんだのでポチャンと音がしたよと言っても、それが芸術だとは言わない。ということは、芭蕉そのものが芸術ということになりはしないだろうか。芭蕉は、旅の前から、松島の月をぜひ見たいと言っていたのに、松島では、あまりにすばらしくて言葉にできないと言って一句も詠んでいない。それでも芭蕉を支持する人は、芭蕉が松島に行ったというだけで納得する。いっぽう、芭蕉に反感を持つ者は、あんなに楽しみにしていた松島でその程度の句しか詠めないのかとけなしてやろうとしていたが、芭蕉に肩すかしを食わされてしまったことになる。もっとも、句というのは、さあ詠めと言われて詠めるものではなく、自然な感動が口をついて出てくるものだとすれば、単に出てこなかっただけかもしれない。
人そのものが芸術であるとは、しばしば言われている。それは、弱々しい老指揮者が指揮をするだけで人々が熱狂することからも容易に想像することができる。人の心を動かすことにかけては、芸術家とシャーマンとは、よく似ている。しかし、シャーマンがその場かぎりなのに対して、芸術家は時代を超えて人を感動させるのである。

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