2012年12月27日木曜日

2012年12月23日日曜日

藪中三十二 国家の命運


2010 株式会社新潮社

20年ほど前、「NOと言える日本」という本がベストセラーになったことがある。
日本はアメリカに対してNOと言える国になるべきだというわけである。
しかし、著者によると、「NOと言えない日本」も「NOと言える日本」も、相手の要求を待ってから答えるという受け身の姿勢に変わりはない。
アメリカに言われてから対応するのではなく、独自の考え方で、どうするべきか考えるのが大国としての姿勢であるが、残念ながら、日本の状況はそうはなっていない。
このような日本の態度は、ペリーが幕末にやってきた時と同じである。
日本は、外圧に弱いとよく言われているが、その理由のひとつは、日本人はアメリカが日本をどう思っているのだろうかと常に気にかけているためである。
そのため、日本の政治家は、世論に押されて、アメリカの圧力に負けてしまう。
相手から要求されてから動くのではなく、自分から動くようにならないと、日本の利益にはならない。
日本の高度成長期には、日本経済は日の出の勢いで、それとは対照的にアメリカ経済は自信喪失の状況にあった。そこで、アメリカは日本に対する巨額の貿易赤字の原因は日本市場の閉鎖性にある、日本が市場を開放しないなら対日制裁をせざるをえないと主張するようになった。
「日本異質論」が出てきて、日本に構造改革を迫ってきた。
日米構造協議のなかで、日本は公共投資のために莫大な財政支出を約束させられ、その後、日本の財政赤字は膨らんでいった。

2012年12月18日火曜日

加賀乙彦 不幸な国の幸福論


2010 株式会社集英社

誰もが幸福を求めるのだが、幸福という理想的な状態がどこかにあると考えるのではなく、自分が幸福になるのだと考えるべきである。
そうすると、自分の心の持ち様によって、今と変わらなくとも、幸福になれることがわかる。
ありきたりの考えのようだが、不幸とか幸福とかは、相対的なものである。
定年後のサラリーマンも、しばしば、心理的に不安定になることが多い。
特に、現役時代に地位や肩書にこだわっていた人ほど、心理的に落ち込むらしい。
現役時代には、会社での立場や、顧客や取引先に気を使って感情を抑えていたのだが、退職後は、そうした心配がなくなるので、抑えていた感情が解き放たれ、ちょっとしたことでも、怒りやすくなる。
病院や銀行などで、待たされたと言って、すぐキレる老人は、かなり多い。
なかには、脳梗塞や認知症の初期症状で怒りを抑制できなくなった「感情失禁」のケースもあるという。
相手にされないのに、なにかと口うるさく小言を言うのも年寄の特徴である。 
歳を取ると、涙もろくなったり、怒りやすくなったり、感情を抑えられないのも一種の老化現象である。
ここで、自分が老化したのだと自覚することが必要で、それによって、もっとゆったりとした気持ちになり、心が穏やかになる。歳をとったら、活動もゆっくりになるので、何をするにもあわてないことである。
幸福とは、心の状態なので、自己の欲望をいくら追及しても、けっして満足することはない。
人のためになることをして、人に感謝されてこそ、自分も幸福になるのである。

2012年12月12日水曜日

宮本又郎 図説/明治の企業家


2012 河出書房新社

明治の企業家と言えば、真っ先に三菱財閥を立ち上げた岩崎弥太郎の名が思い浮かぶ。
岩崎弥太郎は、天保5年(1834年)に、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。
地下浪人は、名字帯刀は許され、武士としての誇りは持つが、実質は貧しい農民と同じである。
そうした家庭環境で成長した弥太郎は、向上心が強く強烈な個性を持った青年に成長した。
弥太郎は、坂本龍馬が率いる海援隊の仕事を陰で支えながら、海運業を実地に学ぶことができた。
新政府ができると、弥太郎の会社は、台湾出兵や西南戦争で莫大な利益を上げ、財閥として成長する財政基盤を築いた。
その後、弥太郎は多角化経営に乗り出し、本業の海運業に関連する海上保険、金融、倉庫を始めとして、炭坑、造船などに進出した。
しかし、政商として大成功したが、薩長の藩閥政府からは、三菱が急成長したのは大隈重信と結びついていたためだと憶測され、「三菱いじめ」に会ってしまった。こうした苦境のなかで、弥太郎は胃ガンを患い、明治18年(1885年)に亡くなった。
明治の企業家には、岩崎弥太郎だけでなく、安田善次郎など従来の世襲的な身分制度を絶対視せず、自らの能力と業績を重視する価値観の持ち主が多く輩出している。
幕末という流動期に生まれた、武士、商人、農民という身分に収まりきれない「マージナル・マン」(限界階層者)が、明治期企業家の主流であった。

2012年12月2日日曜日

田中元 最新福祉ビジネスの動向とカラクリがよ~くわかる本


2012 株式会社秀和システム

国の財政は逼迫しており、政府は、「社会保障と税の一体改革」を旗印にしている。
国の収入である税金を増やし、支出である社会保障費を抑えようということである。
消費税増税によって社会保障財源を安定的に確保するとともに、社会保障制度の「機能強化」を目指すとしている。
「機能強化」というと、社会保障が充実するかのようなイメージがあるが、実態は、社会保障は、国が「必要性が高い」と認めた部分に給付を集中させるという「選択と集中」を意味している。
それでは、どこに「集中」させるのかといえば、介護であれば、要介護への移行を阻止する「介護予防」に、貧困対策であれば、生活保護につながらないようにその前の段階で押しとどめる「就業等に向けた自立支援」などに重点が置かれることになる。最もコストが高くなる前の段階でとどめようとするコストと効率を重視する考え方である。
社会保障費の「重点化」が進むと、「重点化」に漏れた分野への国の給付が厳しく締め付けられるようになる。
従来から、介護や福祉の仕事は、重労働・低待遇が一般的であったが、若い人が福祉の仕事をめざさなくなるのではと懸念される。
介護サービスを受ける側でも、安い費用で質の高い介護サービスを受けることができにくくなる反面、カネを惜しまなければ、手厚い介護サービスが用意されることになる。
「公共性の空間は官だけのものではない」というフレーズが現れたのは、かなり前のことであった。
福祉においても、国がすべて面倒を見てくれることを期待することはできなくなっている。