2009年9月29日火曜日

橋本健二 居酒屋ほろ酔い考現学

2008 毎日新聞社

1959年生まれ 武蔵大学社会学部教授

「ある程度の時間、居酒屋で過ごしていると、いろいろと客たちの振る舞いが目に入ってくる。言葉も耳に入ってくる。それが時代によって、また店によって、大きく変わる。
だから四半世紀も居酒屋に通い続けていると、世の中の動きが見えてくる。居酒屋は、社会の鏡である。そう、居酒屋から日本が見えるのである。」(序より)

「いつの頃からであろうか。私は東京の居酒屋に異変を感じ始めていた。いまから考えるとそれは、日本が『格差社会』などと呼ばれるようになる数年前のことで、日本社会に起こりつつあった大きな変化の、前兆のようなものだったのだろう。」(p12)

「国内の製造業は衰退し、ブルーカラー労働者の職場の多くが失われた。増えるのは、低賃金の派遣労働者ばかりである。多くの自営業者が廃業し、わずかな年金で暮らしている。年金はどんどん目減りをし、外で飲む余裕のある人は少なくなっている。
その空白を、サラリーマンとOLが埋め始めたのである。」(p20)

かって「大衆酒場」という言葉があったが、今では、居酒屋で飲めるのは、比較的所得の高い人たちになってしまったらしい。かわりに増えてきたのが、格安で酒を飲ませる立ち飲み屋である。

「とりあえず、ビール」というのが、戦後長い間、酒宴の始まりを告げる合言葉であったが、ビールの消費量の低迷が止まらない。逆にシェアが増えているのがリキュール類と焼酎である。著者は、ビールは、経済的な格差がいまほど大きくはなく、日本人はみんな「中流」だとまでいわれた時代を象徴する酒だったと書いている。

「経済的な格差の拡大と貧困層の増加の中で、日本の居酒屋文化は崩壊の淵に立たされている。格差拡大を抑え、貧困層が生まれないようにするための対策とともに、居酒屋文化を守るための制度改革が必要だろう。多くの居酒屋経営者は、高齢化して後継者がいない状態にある。事態は急を要するのである。」(p256)

著者のいう「居酒屋文化を守るための制度改革」とは、たとえば、次のような税金に関わるものである。
酒税は従量税であるため、ビール大瓶にかけられている酒税は139円であるが、金持ちの飲む高級ワインでは60円である。庶民の飲むビールなどの税率を低く、高級ワインなどの税率を高くすることは検討されてもいい。
飲食店経営者には、酒類販売業免許が取得できないが、これを許可すれば居酒屋は卸売業者から直接安く仕入れることができるようになる。

京浜工業地帯と呼ばれていた東京から横浜にかけての地域だけ見ても、大きな工場は姿を消し、マンションが建つ住宅地に変わっている。
居酒屋というのは、一日の労働が終わった開放感から行くという意味では、半分は会社や工場の延長である。職場が無くなったり、働き方が変われば、大人数で行ってガヤガヤ騒ぐこともなくなる。たまに、飲みたい者同士、あるいは一人で行くよりないのである。

2009年9月28日月曜日

藤原直哉 アメリカ発 2009年 世界大恐慌

2008.11 あ・うん

1960年生まれ 経済アナリスト

「世界同時バブル崩壊!」「繰り返す世界同時株大暴落」などの著書がある。

2008年に発生したアメリカ発の金融恐慌は、2009年には世界大恐慌となって、世界経済は崩壊すると予想している。歴史の中で世界の覇権を握ってきた国はたくさんあるが、今では、どの国も小さな国になっている。かってどのような強国もかならず崩壊したようにアメリカも同様の運命にある。アメリカが世界を動かしてきた「金融」と「軍事力」という二本の腕が消滅しつつある。
著者によれば、もうすぐつぶれそうな国がアメリカ以外に二つある、イスラエル、中国である。イスラエルはイスラム勢力に包囲されており、絶えず紛争が絶えない。もし、戦争になれば、あっという間に陥落してしまう。
中国は、共産党が独裁している国であるが、チベットや新疆ウイグルでの紛争にみられるように、さまざまな民族や勢力が手綱を緩めるとどんどん活動しはじめる。「市場主義を取り入れた共産主義」で13億の国民をまとめていこうというのは無理な話だという。
日本にとっても、アメリカの崩壊は金融経済に直接の影響を与え、イスラエルの崩壊は、中東の石油利権や供給に影響し、中国の動乱は、経済的、政治的、軍事的に不安定要素となる。このため、日本でも大不況と大失業の時代が訪れる。

それでは、このような大崩壊の時代に、どうしたらサバイバルできるのだろうか。

「この夜道をどういくか、先が見えない世の中をどう切り開いていくか、行動をはじめるためには、まずカンで動きはじめます。そして、動いてみてやっぱり違っていた、予定とは違うな、と感じた、そういう時にすぐに反省することです。」(p166)

「今、激動期だからといって恐がっていては絶対にいけません。壊れる物はいつかは壊れるのですから、多少、壊れることも覚悟の上で動くことが重要な時期です。よく見て、打ってでるところを見極める、それが至上課題です。」(p170)

著者は、このサバイバル時代を生き抜くために歴史に手本を見いだせるという。
たとえば、明治維新の前後五年間、昭和20年の終戦から前後五年間、もっと遡ると戦国時代が参考になるという。
「今起こっているとてつもない激動は、まさに、日本を再生させるための豊かな能力を持った人材、新時代のリーダーとヨコ型ネットワークを育て構築するためのチャンスといえます。
この一年間の荒波をサバイバルした人材やネットワークこそが、新しい時代を担っていく『質』と『低エネルギー』を備え、二十一世紀の日本再生のビジョンを見出すことができるのです。」(p228)と、前向きなメッセージで締めくくっている。

2009年9月26日土曜日

京急南太田

清水ヶ丘公園

2009年9月25日金曜日

小沢一郎 小沢主義

-志を持て、日本人-
2006 株式会社集英社インターナショナル


1942年生まれ 本書執筆時民主党代表

著者は、これからの日本を支える若い世代から、志あるリーダーを養成すべく「小沢一郎政治塾」を開いた。
日本は今、危機的な状況にあるにもかかわらず、リーダーがいないのが現状である。 しかし、著者は、明治維新の例を見れば、優れたリーダーが登場してくる可能性は十分あると言う。
それでは、著者は優れたリーダーとはどういう人物だと考えているのだろうか。
著者によれば、「リーダーとは自分の目指すものを明確に揚げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である」。
つぎに、リーダーの資質について、五つ揚げている。
まず、第一に、「志」、言い換えればビジョン、夢、理想を持っていること、第二に、自立した人間、主体性を持った人間であること、第三に、自分なりのビジョンを持つために不可欠な広い視野と先見性を持っていること、第四に、自分の言行に責任を持つこと、最後に、「歴史観」をもつことである。
著者は、こうしたリーダーが今後の日本に現れないかぎり、日本の将来はないと言う。

「小沢一郎政治塾」には、毎年、定員をはるかに上回る応募者があって、選考に苦労しているという。著者は、「どぶ板選挙」こそ、民主主義の原点であるとの信念を持っており、政治家になるためには、まず有権者の中に飛び込んでいって、みんなの話をきくべきであるという。 今回の衆議院選挙で民主党が大勝した裏には、著者による人材育成の成果が大いにあったらしい。

なぜ、日本の社会ではリーダーが生まれにくいのだろうか。
日本は「何事も集団の合議を以て決める」というコンセンサス社会であるため、大胆な改革はできにくかった。 特に戦後の日本は、アメリカに依存して自国の外交や防衛のことも考えず経済復興に全力を集中してきた。そのため、戦後政治の唯一の任務は、高度成長によって生まれた富をいかに公平に配分するかにあった。 戦後政治が「富の再配分」に終始した結果、日本は政治不在、リーダー不在の国家になってしまった。 こうした「政治」が長年にわたって続けられてきた結果、日本の政界には、本当の意味での政治家がいなくなってしまった。著者によれば、官僚が「富の再配分」の権限と実務とを握っており、政治の実務は優秀な官僚に任せておいたほうが安心だという風潮が生まれ、かくして日本の内政は官僚に乗っ取られたのも同然になった。

著者は、「官僚主導から政治主導へ」をスローガンにしているが、その言葉の一部をあげる。

「そもそも、民主主義国家である日本の政治を政治家ではなく、官僚が取り仕切ってきたこと自体が異常な事態なのだ。かりに官僚の質やモラルが向上したとしても、官僚が政治に手を染めること自体、民主主義に反することだ。」

「そもそも、ここまで官僚の力が大きくなった最大の原因は、江戸時代から続く日本人の『お上』意識にある。
・・・こうした『お上』意識を払拭し、『政治は国民が作り出すもの』という考えが定着しないかぎり、官僚支配の危険性はなくならないのではないだろうか。僕はそう考えるのだ。」

著者の考えでは、これからのリーダーに求められている能力は、従来のような官僚組織での調整能力ではなく、ほんとうの改革ができる実行力である。

2009年9月23日水曜日

野口悠紀雄 金融危機の本質は何か

ファイナンス理論からのアプローチ
2009.2 東洋経済新報社


1940~
 
「2007年夏、アメリカで顕在化した金融危機は、金融工学やファイナンス理論を 『使ったから起きた』のではなく、『誤った使い方をしたから』、あるいは、『使わなかったから』起きたのである。ファイナンス理論は、適正に用いることによって、われわれの生活を豊かで安全なものにしてくれる。必要なのは、正しい使い方を見出すことである」
(序論より)

「やさしい数学」とか「数学早わかり」というような類の本は、かえって解りにくいことがある。難解な数学をかんたんな言葉で短く説明しようとするためである。
金融工学とかファイナンス理論というのも同じで、やさしい言葉で書いてある本を読んでも本当に理解することはむずかしいかもしれない。

ただ、結論を知るのは比較的容易である。
効率的な市場では、価格はランダムに動くので予測はできない、したがって株式市場で儲けることは不可能だという。
それならば、ウォーレン・バフェットはなぜ大金持ちになれたのかだろうか。
本書では、それも偶然の可能性が高いという解釈を紹介している。
多数の投資家のうちには、大損する人もいれば、大儲けする人も必ずいるのが確率の理論だからである。
これでは、味もそっけもないのだが、苦労して学んでも、ファイナンス理論を使って確実に儲けることはできないという。

歴史を振り返ると、大航海時代のマゼラン艦隊の目的は、地球は丸いことを発見することではなく、香辛料を持ち帰ることにあった。また、鉛を金に変えようという目的で始まった錬金術が物理や化学を生み出した。ファイナンス理論の出発点も、なんとか株価を予測して大儲けしたいということだったが、それは不可能なことがわかった。
しかし、著者は、他の学問と同じように、ファイナンス理論にも「真理の探究」という目的があると言っている。

今では、パソコンが広く使われるようになったため、ファイナンス理論の計算が簡単にできるようになり、実務の現場で使われている。またITの発展により世界規模での取引が瞬時にできるようになった。このように、ファイナンス理論とITの発展は金融の世界を大きく変え、世界的な金融大混乱の一因ともなったと言われている。
したがって、一般の人はファイナンス理論や金融工学の存在そのものを否定するのではなく、だいたいの様子だけでも知ることにより、誤解や過剰な期待をなくすことが必要なのである。

2009年9月20日日曜日

根岸線石川町

イタリー山庭園と旧ベーリック邸

    










                            

2009年9月19日土曜日

梅原猛 歓喜する円空

2006 株式会社新潮社

1925年~ 哲学者

「円空研究は戦後に始まり、以後、民間の研究者によって続けられてきた。
そのような事情ゆえであろうか、円空は今でもアカデミズムにおける研究の対象にはなっていない。止利仏師や定朝、運慶などの研究者は大学にたくさんいるが、円空を研究する学者は皆無に近く、講座もない。私はこの現状を嘆かわしいと思う。私が見るところ円空は止利仏師、定朝、運慶らに並ぶ、いやそれ以上の芸術家である。・・・」(p93)

「円空は護法神を多く作って、日本の神々がすべて護法神となって仏法を護ることを願ったが、以後、仏法を排斥する神の学、国学というものが起こり、明治維新を迎える思想の原動力の一つとなり、明治新政府をして神仏分離・廃仏毀釈の政策を採らしめた。まさに円空の期待に反して神が仏を滅ぼしたのである。しかしその神は円空の言う、縄文時代の昔から日本にいる神々ではなく、新しく作られた国家という神であった。実はその新しい神は、仏とともに日本のいたるところにいた古き神々をも滅ぼしたのである。そしてその新しき国家という神もまた、戦後を境にして死んでしまったのである。こうして日本は世界の国々の中でほとんどただ一つの、少なくとも公的には神も仏も失った国となったのである」(p371)

円空は江戸時代の僧で、各地を遍歴し、多数の円空仏と呼ばれる木彫りの仏像を作成した。本書には、円空仏の写真が多数あり、荒削りのなかに、それぞれの神仏の特徴がみごとに表現されていて、興味深い。分厚い本のことでもあり、わたしは著者の記述はほどぼどにして、写真を主に鑑賞し、楽しんだ。

日本人は海外に出かけて自分の宗教を尋ねられて困るという。仏教徒といえばそうだし、神道ともいえそうだ。日本では、ふるくから神と仏が共存していたのだから、今日の人々の生活や意識のなかでも、両者は、無理なく共存している。
神と仏とが、はっきりと分離されたのは、明治維新のときの廃仏毀釈と神仏分離令のためである。神仏が分離されただけではなく、神様も国家神道によって皇室の祖先神を中心にして再編・統合された。国家神道は、昭和の戦争時まで猛威をふるい、民間で信仰されていた多くの社が取り壊された。そのなかでは、ご利益も大きいが、粗末にすると祟りが怖いというお稲荷さんは、かなり多く生き残ったようである。

おおくの現代人は、宗教に無関心で、とりわけ神社と言えば昔から同じようにあるかのごとく思ってしまうが、じつは、今日の姿になったのは明治以降のことであると知ったら驚くであろう。
私は詳しくは知らないが、戦後は神社もお寺もほとんどすべて宗教法人としてしか存続できなくなったらしい。お寺は人が死ぬたびに多額の御布施をえて、税金もかからないからますます富んでいく。いっぽう、それほどの収入のない神社の経営は苦しいらしく、木を伐採して駐車場にしたり、幼稚園を経営したりして、なんとかやっているように見える神社もある。

駐車場の中に寒々と立っている社を見ると、著者の「現代の日本は神仏を殺したことによって祟られている」という言葉が、思い出されてくる。

2009年9月12日土曜日

21世紀の日本人へ 金子光晴

1999 株式会社晶文社

1895~1975 「虚無をはらんだ自由人の眼と人間的嗜欲に執した反権力の詩をつづる」(広辞苑より)

「明治人」(1969)より

「一口に明治人といっても、明治の社会でのさばっていたのは、明治のはじまりにすでに二十歳三十歳を越している連中のことで、遠くは天保、弘化、安政あたりに生まれた筋金入りのつわものどもである。・・・」

「言ってみれば、明治生れは芯がなく、風にそよぐ葦で、風のまにまに、西へなびき、東へなびきするだけのことである。大正の自由風が吹いてくれば文化人の急尖鋒になり、昭和の戦争が始まれば、きのうの自由人も、けろり閑として翼賛の音頭をとると言った按配で、それは大正生れや、昭和生れではなくて、今日、土性骨があると言われている明治生れである。恥知らず明治生れは、さすが敗戦の当座は、まが悪そうにして、若人の不信感の前にしおれた顔をしてみせていたが、今日ではまたぬけぬけとして、巻き返しムードの黒幕になり、古い権威の返り咲きにいつも一役買っているのは、おおむね明治生れのようだ。・・・」

「絶望の精神史」(1965)より

「日本人は、近世になってからも、三百年の長い鎖国が続き、きびしい上下の身分で制約された、圧制的な封建制度のもとで、東海の果てに完全な孤立を強要されてきたのだ。ようやく鎖国は解けたと言っても、明治の新しい政府は、文明開化の列国に伍してゆくために、民心を堅くする手段として、精神的自由を極度に排し、古い儒教精神と、義理人情を残した。そのことが、今日にいたってまで、まだ、日本人の手足をしばり、『民をして知らしむべからず』の政策を続けているのである」

著者は若いとき、外国を放浪した経験があるので、日本や日本人についてよく考えている。
著者の言うように、私たちが明治時代の人だと思っていても、江戸時代に生まれて教育を受けた人が多い。言いかえれば、鎖国時代に儒教教育を受けた「江戸人」である。
そういう考え方をすると、戦後の政治家を始めとする日本の指導者は、じつは「明治人」であったことになるだろう。
それならば、江戸時代の封建的な身分制度における精神構造が根強く残っていたとしても、すこしも不思議ではない。

戦後に教育を受けた団塊世代は、日本国憲法のもとで、はじめから日本は自由で平等な国であると教えられてきた。
それも、学校を卒業するまでの、言ってみれば、フィクションの世界でのことであった。
就職してから、官庁に入ったものは「お役人様」で、民間企業に入ったものは身分の低い「商人」だと知らされるのである。
現代の日本には、もちろん身分制度はないのだが、官尊民卑という精神構造は最近に至るまで変わらなかったらしい。

2009年9月9日水曜日

京急戸部

掃部山公園の 井伊直弼像
     

2009年9月8日火曜日

中野孝次 自足して生きる喜び

―本当に幸福になるための二十三章

2002 朝日新聞社

作家 1925~2004

本書は、著者が76歳のときに書かれた。

「人が生きるという最も大事なところに目を向ければ、人が生きてゆく上でそんなもの(過度の情報のこと)が必要かどうか、大いに疑問がある。現にわたしは、テレビは見ず、電話に出ず、パソコンもワープロもケータイも所持せず、およそ流行に無縁な人間だが、それで生きる上で支障を感じたことは一度もない。そんなものは無くてもなんらさしつかえないのだ」(p20)

「あれもしたい、これもしたいとあっちこっちに気が散っていては、ついにはそのどの一つにも物の上手にならず、自分が夢みていたような身の上にもなれないで、身はすでに老いにかかり後悔しても取り返せる歳月ではなく、輪っかが坂を下るように衰えてゆく」(p53)

「わたしは六十を過ぎたころから、自分はもう社会への義務は果たした、これからは自分のために生きよう、と決心し、老の身の衰えを自覚するとともにますます自分の好きなように生きることにした。その時『徒然草』の言う所が一番ぴったりきたが、そのある段に、『吾生、既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり』とある言葉を真にとって、自分の人生はもう見究めがついた、これからは世の中との縁を棄てるべき時だ、と自分に言いきかせた」(p94)

「目標を立て、それを実現するために今を犠牲にして全力で働く人は、努力の人に違いないが、いつまでたってもそれでは人生のすべての段階が次の目標のための手段になってしまう。そういう人は結局一生楽しむことを知らずに終わるだろう」(p195)

「足るを知るとは、あれも欲しいこれも欲しいとむやみに物欲をつのらせることの反対で、衣食住すべてにおいて人が生きてゆくに必要なだけのものがあればそれでよしとし、物欲に心を労せず、心をそれ以外のもっとたのしくなることに使うようにすることだ」
(「あとがき」)

著者は、自足して生きた人たちとして、老子や中国の詩人、日本の隠遁者、あるいは現代でもそういう生き方をしている人をあげている。

「幸福とはひたすら心の持ちようのみにかかわることで、物のゆたかさとは直接関係はない、と知った」というが、もっともなことである。

著者の「生き方」についての著作は、きわめて多数にのぼり、その中には、「清貧の思想」などのベストセラーも含まれている。
これだけ本が売れていれば、けっして貧乏ではなかったようで、ぜいたくをするところには金をかけていたようである。

ひとつひとつはもっともな人生論ではあっても、何度も聞かされているとうっとうしくなることもあるものだ。
もっともらしいことばかり言っていると、逆に、「何様のつもりだ」と反発されてしまうのだから世の中は難しい。

2009年9月7日月曜日

吉本隆明 真贋

2007 講談社インターナショナル株式会社

1924年生まれ 詩人、批評家、思想家

著者は文学・思想・政治・社会・宗教など広範な批評活動を展開し、「思想界の巨人」とも呼ばれている。
もともと、東京工業大学を卒業し、技術者であったが、失業をきっかけに文筆活動を始めたのである。
その意味では、専門の学者ではなく、フリーの研究者といったほうがいい。
著者の作品は、難解であることでも知られているらしいが、この本については、80歳をすぎて書かれたもので、むしろ単純な考えや一般常識とズレていることがならべられているのに驚かされる。

まず、「まえがき」では、いじめの問題は「いじめるほうもいじめられるほうも両方とも問題児だ」と言うが、いじめの問題の深刻さを考えると、なにか違和感を覚える。

「いまの日本は、明るいけれども、どこか寂しく刹那的な雰囲気が感じられます」(p20)と、詩人らしい感性の感じられる言葉もある。

オウム真理教の地下鉄サリン事件の時、著者は「親鸞の影響を受けた僕の考え方からすると、批判するにせよ、認めるにせよ、オウム真理教の開祖である麻原彰晃の気持ちを探り、どういうつもりでこういう事件を起こしたのかを第一義に解明しなければならないことを言いました。
ところが、そういう方法をとると言っただけで僕は怒られてしまいました。吉本は麻原彰晃を擁護している、という記事がでたのです」(p58)とのことである。もし、麻原こと松本が、本当に宗教家としての思想があって、あの事件を起こしたのであれば、法廷で主張するべきであったが、事実を振り返ると、自身の宗教にたいする信念などはない人間のようである。

戦争についても、著者の考え方は、「戦争には正義の戦争と侵略戦争があるというのはばかなことです。戦争はみんな悪であって、善玉、悪玉なんていうのはない。善玉だと思っているやつ同士が戦争をするわけですから、双方で理屈はいくらでもつくのです」(p98)というわけである。したがって、「日本が中国で悪いことをしたことは確実でしょうが、・・・戦争というのは、相手もやるし、こっちもやるというところがあって、一方的ではないということはあります」(p98)と現代の一般的な歴史認識とは異なることも言っている。

著者は、非常に博識であり、次の文章などからも、アイデアが次から次へと湧いてくる様がうかがえるようである。
「僕が批評眼を磨くためにやってきたことは、ただ考えるとか、ただ本を読むというだけではなく、体の動きと組み合わせて修練するということです」(p77)
「体を動かすことを伴った修練をした人は、強いところと弱いところを交互に繰り出し、しかもリズミカルに文章を書いていきます。ところが、そういう修練をしない人は、同じ意味のことを書いても、のっぺらぼうな文章を書くのです」(p78)という。

2009年9月6日日曜日

草下シンヤ 裏のハローワーク -交渉・実践編-

2005 株式会社 彩図社

1978年生まれ

「はじめに」より
「裏社会は生き馬の目を抜く戦場である。
一瞬の判断ミスや煮え切らない態度が命取りにつながる。逮捕されるならまだしも、恨みを買い、後ろからブスリとやられることもありえない話ではない。
そこで土壇場での機転、前もって危険を回避する知恵、交渉で相手を丸め込む技術などが必要不可欠になってくる。
・・・
特にヤクザ、事件屋、詐欺師、ヤミ金業者などは、交渉こそが生活の糧になっているのだから、その手腕は並大抵ではない。
思い通りに事を進めるためにはどうすればいいかということを誰よりも熟知し、実践しているのが彼らでもある」

著者は裏社会で取材して、表のビジネスの場でも活用できる手法を紹介している。
交渉のやり方は表も裏も同じというわけである。

裏社会でなくとも、同じような経験をすることは多い。
「物干し売り手法」では、「竹屋!、竿竹~、2本で1000円」と宣伝して、行ってみると売り切れたと言って、数倍の値段の物干竿を売りつけようとする。
「募金詐欺」では、「被災地支援のため署名活動を行っています」と言って、署名くらいならという軽い気持ちでサインすると、募金をお願いされる。もっともこの場合、すべてが詐欺というわけではないが。
何度も電話や訪問を受けて、つい気を許して一度でも会ったりすると、あとはズルズルと引き込まれてしまう。これを「フット・イン・ザ・ドア」テクニックという。訪問販売の営業マンが「お話だけでも」と言いながら、足をドアの隙間に差し込み、締め出せないようにしてから営業トークを展開するところからついた名称である。
あるいは、さんざん説明され、こころが空白となって抵抗力が無くなったところで、即決を迫られたりする。あんなに説明してくれたのに悪いと、お客の方で勝手に思いこんでしまうのである。

歳を取って経験を重ねれば、詐欺などには引っ掛からないように考えがちであるが、振り込め詐欺などが、いっこうに無くならない。
老人は一般的にこころの抵抗力が弱くなっているから、不安に付け込まれて、容易にパニックに陥れられ、判断力を失ってしまうのかもしれない。冷静に判断すれば、しないような事をさせられてしまうのが怖い。

今は、インターネット上でも、さまざまな犯罪が横行している。
フィッシング詐欺、ワンクリック詐欺、架空請求詐欺、ネット・オークション詐欺とかいろいろあるらしい。
普通の人でも、心が疲れて隙ができている時にインターネットを見まくっていると、ひっかかってしまうことがある。多数にあたれば、わずかな確率ではあっても詐欺の被害者がでてくることになる。

暴力団の勝負でも、最終的には丸く収めるよう努力するという。
相手に「華を持たせれば、双方が笑う」のだという。
それなりのマナーがあるのである。

2009年9月4日金曜日

横浜線大口

大口通商店街