2012年2月19日日曜日

布施克彦 負け組が勝つ時代

2010年 日本経済出版社

1947年生まれ

一時、「勝ち組」とか「負け組」とかという言葉がはやったが、今はあまり聞かれなくなった。
これは、それ自体が意味する「格差社会」がなくなったということではなく、「勝ち組」がなりをひそめているのではなかろうか。
日本では、昔から「出る杭は打たれる」とか「キジも鳴かずば撃たれまい」といわれるように、他人とは違う目立った行動をとると、そのよし悪しにかかわらず人々の反感を買いやすい。日本人は集団主義を旨として、組織の規律を重んじながら行動してきたので、圧倒的な力を持ったリーダーは生まれにくく、組織のトップになる人は、通常、組織内勢力の妥協や力のバランスの産物として誕生する。
「判官びいき」の風潮が社会を色濃く覆っており、圧倒的な勝者は生まれにくい。強者ぶり、勝者ぶりもほどほどにしておかないと、社会の反感や妬みを誘うことになる。ほどほどの強者や勝者は、人一倍身の処しかたに注意を払わないと、かならず足元をすくわれる。
大相撲の大関魁皇は幕内最多勝という偉業をなしとげたが、もし横綱になっていたら、もっと早い時期に引退に追い込まれ、この記録は達成できなかったであろう。幕内最多勝という偉業は、出世競争の頂点にはたたず、けっして華々しくなかったために達成できたのである。
サラリーマンの場合は、出世できた人が勝者で、出世できなかった人が敗者である。これは、当然のことのようだが、今のように組織自体が強固でなくなると、どちらにしてもあまり意味がない。ましてや、定年退職したあとは、いずれにせよ会社からは忘れられた存在になる。
会社をはなれてしまえば、勝者も敗者もない。
そういうこととは別の道をめざすのが賢い生き方というものである。

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