2018年9月13日木曜日

2018年8月5日日曜日

神秘日本 岡本太郎

2015 角川文庫

岡本太郎は、一筋縄ではいかない。
美術とは美を追求するものであるかといえば、岡本太郎にとっては、そうではない。
ただ美しいだけでは、単なる装飾にすぎず、つまらない。
岡本太郎は芸術は呪術に似ていると言う。
芸術は、相手に好かれ受け入れられるのではなく、呪術的エネルギーによって相手をとらえてしまうものである。
そのためには、芸術家は、作品を見せると同時に、隠すという困難な作業を行う。
仏教寺院には、秘仏というものがある。
秘仏は、隠して見せないから御利益があるのだが、一方では、隠したままでは、それがあることを人々が知ることはない。
誰も知らなければ、ないのと変わらない。
人々が、それがあることを知っていて、なおかつ見せないから力が増すのである。
ただ、実際に見てしまったらありがたみがなくなるのかどうかは、わからないが。
そこら辺の微妙なところが、芸術と似ていると言えば似ている。
言葉では矛盾するが、見せて見せないことが、芸術の極意である。
「優れた芸術には永遠にフレッシュな感動がある。それは永遠に己れをわたさないからだ。その拒否、秘密がなければ、純粋ではあり得ない。
秘密即純粋なのだ。つまりそれは見せていると同時に見せないことなのである。」
岡本太郎がイメージするのは、指し示す一本の腕である。

2018年8月4日土曜日

とめられなかった戦争 加藤陽子

2017 文芸春秋

戦前の日本は、貧富の差が非常に大きかった。
東京や大阪のような大都市には財閥が、地方には大地主がいた。
財閥や大地主の所得や資産は、下層民の何千倍もあった。
山県有朋や近衛文麿のような政治家は、社会主義者や共産主義者を徹底的に弾圧した。
そのためもあり、社会の矛盾は社会主義や共産主義によって解決されることはなかった。
そのかわり、一部の軍人や右翼のテロという形で噴出することになった。
政治家は、テロを恐れて次第に軍人の暴走を止めることができなくなっていく。
1929年の世界経済恐慌後、日本国内でも失業者が増え、農村の窮乏化が進んだ。
日本の経済恐慌に対する軍人の解決策が、満州事変と満州国の建国である。
中国北東部を軍事的に占領し、1932年、満州国という傀儡政権を作ったのである。
「満蒙は日本の生命線」というキャッチフレーズのもと、鉱工業の開発がすすめられ、多くの農民が満州に移住した。
国際社会は満州国を認めず、日本は国際連盟を脱退して、孤立化していった。
満州国は、日本の経済恐慌からの脱出には寄与したが、国民政府との衝突は避けられなくなり、1937年の盧溝橋事件を発端として、日本は、泥沼の日中戦争にはまっていく。
昔から日本の戦い方は短期決戦型であるが、中国での戦いは持久戦で、戦場も拡大し戦死者も増えていった。
軍人は、蒋介石がいっこうに降伏しないのは、米英が助けているためだとして、敵意をつのらせた。
そして、ついに国民政府の策略どおり、日本は米英と戦争することになった。
アメリカと戦争するのは無謀なことだとわかっていたが、メディアも国民も初期の勝利に熱狂したのである。

2018年7月25日水曜日

新しい幸福論 橘木俊詔

2016 岩波書店

日本では、格差社会が深刻化している。
金持ちの所得がますます高くなるいっぽうで、貧困層が増えている。
しかし、ソフトバンクの孫社長や、ユニクロの柳井社長の所得や資産がいくら高くても自分には関係ないと感じる人は多いのではないだろうか。
またいっぽうでは、正社員が派遣社員に、「派遣でもできる簡単な仕事だ」とか「派遣社員は、社員食堂を利用するな」と言ったり、交通費もボーナスも支給されないなど、派遣社員はプライドが傷つけられることが、なにかと多い。
日本国憲法には、「すべて国民は・・・差別されない」と書かれているが、実際には、格差や差別だらけである。
もっとも、人の能力といっても、遺伝による素質、生まれ育ち、教育、職業などによって異なり、さらに運不運もあり、皆が平等というわけにもいかない。
このなかで、少しでも幸せな、あるいは不幸でない人生を送るには、どういう心がけを持つべきだろうか。
まず、他人と自分とを比較して他人より優位にあると幸福を感じ、劣位にあると不幸を感じるのだとすれば、他人と自分との比較をしなければいい。
とは言っても、他人と自分の比較をしないわけにもいかないので、自分の長所に注目し、それを生かす人生を送ることができれば、たとえ他の分野で劣位にあったとしても、幸せな人生を送ることができるのではないかと考えられる。
つぎに、自分の目標を高くしすぎると、成功する確率が低くなるので、失敗したときに不幸になるとすれば、自分の目標は、ほどほどに設定するべきである。現代の日本は、成熟した社会であり、明治時代のように「少年よ、大志を抱け」などと言っている時代ではない。たとえ青少年期は大志を抱くとしても、年とともに目標を引き下げていき、最後は「生きているだけで、ありがたい」と思えるようになれば、誰でも幸せになれることになる。
幸せになるには、仕事だけでなく、家族と過ごす時間や、趣味や余暇が重要である。
何か一つ打ち込めることがあれば、それをやっているときは、他のことを考えたり、他人と比較したりすることもない。したがって、幸せを感じる程度は高まる。
ボランティア活動をして人から感謝されれば、それによって、大いに生きがいを感じることができる。
人は、自分の幸福ばかりを考えているときより、他人の幸福を考える余裕を持つときのほうが幸福感が増すということもある。

2018年6月18日月曜日

リスクを取らないリスク 堀古英司

2014 株式会社クロスメディア・パブリッシング

資本主義社会では、人間の金に対する欲望は正当なものであると認められている。
株式会社という仕組みでは、一儲けしてやろうという起業家に、投資家が出費する。
投資家は株主になるが、場合によっては金が戻ってこないというリスクを負う。
リスクという考え方は、資本主義経済では、あらゆる場面でみられる。
銀行は、融資先が倒産するリスクを負う対価として金利を受け取る。
生命保険会社は人の死亡というリスクに、損害保険会社は事故による損害というリスクを前提にしている。
リスクを取って起業する人や、投資する人があらわれることによって、技術革新や新しい需要が生まれる。
その結果、経済が成長し、資本主義経済は発展してきた。
現代の日本における様々な経済問題も、もし経済が成長すれば解決される。
経済を成長させるのは、リスクテイカーとしての起業家や投資家である。
皆がリスクを取らず、額に汗して働いたところで、経済が成長しなければ、真綿で首を絞められるように負担が増えていくだけである。
いくら金融緩和をしても、投資が無ければ経済は成長しない。
だから、リスクを取ってチャレンジした人には、高い報酬が与えられるのが当然である。
ただし、競争は熾烈で、誰もが成功できるわけではない。
成功するのは、ほんの一握りの人たちだけである。
スポーツの世界では、オリンピックに出るような人たちにだけ、ご褒美が与えられる。
このように、いくら頑張ってもダメな人のほうが圧倒的に多くなる。
現在、格差が問題になっているが、将来の日本はさらに格差が広がっていく。
給料は、国際競争にさらされているので、上がりそうにない。
年金制度も、ゼロ金利の状況では、破綻するかもしれない。
このように、リスクを取るまいと思ってもそうはいかない。
それならば、むしろリスクについて十分に研究し、リスクを取っていかなければならない。
リスクを取るには、アメリカ株が一番というのが、ファンドマネジャーである著者の言い分である。

2018年2月26日月曜日

日本経済最新講義 ロバート・アラン・フェルドマン

2015 株式会社文芸春秋

高度成長期の日本では、終身雇用と年功序列が日本的雇用の特徴であると言われていた。
終身雇用と年功序列はセットになっていて、愛社精神は美徳と見なされていた。
若年齢層が多く高年齢層が少なかったので、会社にとっても労働コストを低くすることができた。
若いころは低い給料でも、後になって給料は上がることになっていた。
その後、日本経済は低成長期に入り、年功序列は会社にとって重荷になっていく。
会社は、コストを減らすため、工場を海外に移転したり、正社員のかわりに派遣社員を使うようになる。
社宅、保養所、病院も売りに出さざるをえなくなる。
正社員の給料も減らし、人員削減もするようになる。
所得が増えず、したがって消費も増えないこともあって、経済の停滞は長引いた。
就職できない新卒者が増え、正社員と非正社員の待遇の格差が耐えられなくなり、「過労死」が社会問題になっている。
政府は、民営化や規制緩和をすれば民間活力を引き出せるのではと考えたが、それでも経済の停滞をぬけだせない。
そこで、いよいよ終身雇用と年功序列に手をつけざるをえなくなってきた。
終身雇用と年功序列は、制度的にも守られているが、政府は「働き方改革」を口にするようになった。
今度は、「同一労働同一賃金」、「適材適所」がスローガンになる。
「同一労働同一賃金」とは、正社員と非正社員の賃金が同じということだとすれば、年功によって高くなっている正社員の賃金が、労働市場での公正価格とされる非正社員の賃金にあわせて低くなる。
さらに、同じ仕事であれば会社ごとの差もなくなるのではないだろうか。
成果主義の賃金体系が導入され、どのような仕事でどのような成果があったのかが評価される。
裁量労働制では、労働時間と給料との結びつきがなくなる。
こうなると、中高年の男性より若い女性のほうが高給という場合もでてくるし、家庭にいた主婦も働きに出なければならなくなる。
退職金や年金の支払額も減ってしまうので、高齢者も働かなければならなくなる。
これが、「女性が輝く社会」、「終身現役社会」、「一億総活躍社会」の内容である。
この結果、効率化や活性化がすすみ、労働生産性が向上して余暇が増えるとか、転職が容易になって会社に囲われていた人材が開放され、まったく新しい産業ができるかもしれない。
一方で、正社員と非正社員の賃金が同じになるなかで、各種手当や賞与が減額されるとか、解雇が容易になって雇用が不安定になるかもしれない。
将来、給料や賃金が上がるかどうかは一概には言えないが、労働人口が減少すれば上がるかもしれない。
ただ、家族を養うという理由で高かった中高年男性の所得は下がることになるだろう。

2018年2月20日火曜日

日本資本主義の正体 中野雅至

2015 幻冬舎新書

資本主義経済では、価格は自由な市場における需要と供給とのバランスによって決まる。
労働の価格である賃金も同様である。仮に賃金が時給1000円だとすると、労働者は、1日8時間、月に20日働けば16万円、1年で192万円の賃金を得る。
資本家は、資金を投入し、労働者を雇用する。事業が失敗したら全責任を負うが、成功すれば利益を手に入れる。
これが続くと、労働者はいつまでたっても富を蓄えることができないが、資本家は富を蓄積する。
マルクス経済学では、これを、労働者が資本家に搾取されていると考えている。
労働者のほうが人数では圧倒的に多いから、組織された労働者階級は革命を起こして資本主義は終焉する。
日本では、政権は選挙により決まるから、革命を起こさなくても、労働者階級の政党である革新政党が選挙で勝ち、政権を取りそうである。ところが、現実には自民党保守政権がずっと続いている。
それはなぜかというと、日本の資本主義は、会社中心でやってきたからである。
上記の同じ労働者が、会社に所属して長く働くとすると、事情が変わってくる。
仕事は同じでも、毎年昇給する。そのほか、各種の手当てが加算され、ボーナスが給料と変わらないくらい支給される。
福利厚生もととのっており、保養所、病院もある。長年勤務すれば多額の退職金が支給される。さらに、退職後も年金が支払われる。
労働者は、会社に所属して働けば、そうでない場合の何倍もの利益を得る。
会社では、社長などの経営者も下から昇進し、労働者に比べて極端に高額の報酬を得ているわけでもない。
本来の資本家である株主には、わずかな配当金しか払わない。
このような場合には、労働者は搾取されているとは思わない。
労働者は会社に保護されていると思い、会社を愛し、会社を誇りに思う。
このような会社中心の資本主義が日本資本主義の特徴である。
一時は、一億総中流とも言われ、自民党は資本家階級の政党ではなく、国民の政党のように振舞っている。
会社中心資本主義の場合、会社にはいれないか、会社からしめだされたらみじめである。
最近、「格差」が問題になっているが、資本家と労働者の間の格差のことだけではない。
会社の正社員と非正社員との待遇の違いや、アルバイトで働く場合とか、労働者間での経済的格差のことを言うことが多い。
会社や役所にはいれないと、大学の奨学金を返すこともできない。
そのため、会社の内部にいるものは、会社にしがみつこうとし、サービス残業でも喜んでする。
会社が苦しくなれば、労働組合は、給与の減額さえ受け入れる。
会社という村社会の一員であることを確認して安心するのである。