2009年7月31日金曜日

榊原英資 メルトダウン

21世紀型「金融恐慌」の深層
2009.2 朝日新聞出版

1942年生まれ 元大蔵省財務官 「ミスター円」と呼ばれた。

著者は今回の金融危機による不況は、2~3年以上は続くと予想し、ニューヨークダウ8000ドル割れ、日経平均7000円割れを予想する。じっさい、3月には、それぞれ本年最安値をつけている。

著者は、元大蔵省で実務を指揮していたので、実務経験に基づいたた記述が興味深い。また、ジョージ・ソロスのような人物とも直接交流がある。ジョージ・ソロスは投機的なヘッジファンドの大物として名高いが、グローバル資本主義の結末について悲観的である。グローバル資本主義は本源的に不安定なもので、公的セクターの制御装置を早く整備しないと、破局は避けられないと論じていた。
ところで、このようなグローバル資本主義をささえていたのは、「市場原理主義」だという。さらに「市場原理主義」を理論的に支えているのが「新古典派経済学」という構図になる。「市場原理主義」という言葉は、市場は間違わないという一種のイデオロギーとして悪い意味で使われている。私は、新古典派経済学はもともと現実とは切り離された理論的な世界を想定しているので、そこまで新古典派経済学のせいだとは思わず、むしろ「規制」を嫌うグループにうまく利用されてきたのだと思う。

p142
「IMF,OECD両機関とも2009年の7~9月前後からの景気回復を予測していますが、これは極めて楽観的な見通しだということができるでしょう。公的機関が悲観的予測を出す場合、不確実性が高いかなり先の見通しは、一応『回復』と仮置きするのが通常の慣行だからです」
(公的機関の予想は楽観的な方に傾きがちになるらしい)

「三つのパラダイム・シフト」では、大きな混乱のあとには必ずシステムやものの考え方の大きな転換(いわゆるパラダイム・シフト)があるという。
「まず第一のパラダイム・シフトは、1990年代から加速してきた市場原理主義が崩壊し、公的セクターの役割が大きくなっていくことです。・・・
第二は、第一点と関連しているのですが、アメリカのヘゲモニーに揺らぎがでてきているという点です。・・・
第三は、第二の点とも関連しますが、『多様化』が世界的に進んでいくということでしょう」

「『心理効果』が景気を浮揚させる」では、金融危機・世界同時不況にどう立ち向かっていくかについて
「・・・今、打つべき政策は減税や公共事業といったオーソドックスなマクロ政策ではなく、人々の予測や考え方に直接働きかける政策でなくてはならないということが理解できるはずです。・・・人々の将来に対する不安や、金融危機、世界同時不況のなかで委縮しているマインドをどう開かせるのか、そうしたことが政策の中心課題ということなのでしょう。・・・」

著者によると、日本がとるべき政策は「本物の構造改革」による地方分権によって地方経済の活性化をはかり内需を拡大していくことであるという。
行政の根本的な改革ということになると、政権交代でもないかぎり難しそうであるが、現在の閉塞感を打開するためには、それもまた著者の選択肢のひとつである。

2009年7月30日木曜日

立会川

立会川河口付近


2009年7月29日水曜日

中空麻奈 早わかりサブプライム不況

「100年に一度」の金融危機の構造と実相
 2009.1 朝日新聞出版

著者はBNPパリバ証券クレジット調査部長 1991年慶応大学卒業

サブプライム不況という言葉も今では聞き飽きた感があるが、その全貌をコンパクトにまとめ、世界同時不況で何が起きるかをテーマに日本経済の短期予測も試みる。

著者はアメリカの不況の大底は2010年になるのが自然であると考え、実態経済に本格的影響が及んでくるのは2009年以降と予測する。

p155
「・・・サブプライム問題が日本経済へ波及するルートは主に三つありました。すなわち、『海外投資家の益出し』と『外資系金融機関の投資縮小』、『国内金融機関の投資見直し』でしたね。そして、その影響が金融機関の『貸し渋り』となって建設・不動産業界を襲い、両業界で倒産企業が続出するという形で現れたのでした」

p158
「不況感が強まってくると、金融機関の『貸し渋り』がどんどん厳しくなってきます。関係の薄い先への貸し渋りだけで済んでいたのが、それだけでは済まなくなるのです。すると地域になじみのある会社で、しかも金融機関と安定的かつ長期的な関係があるところが資金繰りに息詰まっても、支援しないケースが出てくるでしょう。状況が一段階、進むわけです。このように09年以降は、次のようなルートで不況が深化していくものとみられます。
金融機関の貸し渋りの激化→建設・不動産関連企業のさらなる倒産増加→実態経済全体で景況感が悪化→金融機関がさらなる貸し渋り→建設・不動産以外の業種の業績悪化→日本列島が不況一色に・・・」

p159
「08年中間決算などで明らかになってきたのですが、メガバンクはともかく、地銀や信金など地域の金融機関がサブプライム危機などでダブルパンチ、いやトリプルパンチの影響を受けて苦境に陥り始めているのです」

p167
「不況の深化は、二つのルートを通って日本全国へ広がっていきます。一つは、これまで見てきたような『貸し渋り』による影響です。・・・
金詰まりは不動産・建設・ノンバンクを直撃します。そして景況感が悪化してくると、金詰まりは各産業の下位企業に広がっていきます。この下位企業の金詰まりの伝搬が2009年以降、出てくるものと見られます。
もう一つは、世界同時不況による影響です。・・・
残念ながらあと2年は経済の停滞が続くものと思われます」

著者の予想はもっともで、それによると今頃は不況の真っただ中であるはずだ。
しかし、最近では大きな企業倒産のニュースも聞かれず、政府の予想は、景気は持ち直しの動きがみられるという内容である。
この半年で政府が大規模な景気対策を実施し、日銀が潤沢に資金を供給するなど景気を下支えるための必死の取り組みがあったことが大きい。
アメリカの大胆な金融政策、世界各国の景気刺激策が今のところ功を奏している。
ただし、アメリカ経済の回復にはまだかなりの時間がかかると見られている。
したがって、景気は回復したとしてもかなりゆっくりしたものになりそうであるというのが大方の見方である。

2009年7月28日火曜日

外山滋比古 思考の整理学

1986 株式会社筑摩書房

1923年生まれ 本書執筆当時、お茶の水女子大教授

裏表紙より
「アイディアが軽やかに離陸し、思考がのびのびと大空を駆けるには?
自らの体験に即し、独自の思考のエッセンスを明快に開陳する、
恰好の入門書。
考えることの楽しさを満喫させてくれる本」

著者は、まず始めにグライダーと飛行機のアナロジーにより、学校で勉強することは、グライダーのように先生に指導されて飛んでいるのである、自分で勉強することは飛行機のように自力で飛行することができることであると言っている。
この本の目的はグライダー兼飛行機のような人間になるには、どうすればよいか考えることである。ひとつひとつのエッセイがそれぞれ独立しているが、全体としても以上の目標を目指している。

「寝させる」では、「ひと晩寝て考える」(sleep over)ことの効用を書いているが、これは発想法に関する他の類書でも書かれていることである。

「時の試練」では、島田清次郎という大正時代の大作家が、いまではほぼ完全に忘れ去られてしまった。それに対して当時は批判もすくなくなかった夏目漱石の文学は今では国民文学となっている。以上のように、時間のもつ風化作用をくぐりぬけて古典が生まれる。個人の場合も、思考の整理には忘れることが最も有効である。忘れることによって、個人の頭のなかに古典をつくりあげるのである。こうして古典的になった考えであれば、かんたんに消えたりするはずはないとのこと。

著者は、さまざまな考え方をおもしろく紹介して、考えることの楽しさを伝えてくれる。

私も考えることは好きだし、逆に言えばそんなことしかできない。
ただ世の中には、他のタイプの人間もいる。
武田信玄で有名な「風林火山」という言葉は「孫子」から来ているというが、そのなかで「風」とは「疾きこと風の如く」といい、行動のすばやさを表している。世の中には、考える前に行動するような人たちがかなり多い。
そういう人にくらべると「ひと晩寝て、じっくり考える」人はどうしても遅れを取ってしまう。大きな失敗もあまりないが、大成功もないかもしれない。
人間、脳だけではない。身体全体の運動神経というか瞬発力は人生ではかなりウエイトが高いように思う。

2009年7月27日月曜日

目黒川下流

荏原神社の恵比寿さま


2009年7月26日日曜日

ダニエル・タメット ぼくには数字が風景に見える

2007 古屋美登里訳 株式会社講談社

2004年、π(パイ:円周率)の暗唱でヨーロッパ記録樹立

アスペルガー症候群とサヴァン症候群で、数字の羅列が美しい風景に見えるという不思議な共感覚の持ち主。
πの小数点以下22000桁以上を暗記。
言語感覚にも秀で、十カ国語を操る。
驚異的な記憶力は一種の脳の障害から来るものだという。
記憶の働きが通常人とは違うらしい。
それを天才と呼ぶことは可能だ。
こういう人の孤独は通常の人には理解できないものなのだろうか。
繊細な神経の持ち主で、大勢の人がガヤガヤやっているところや人間関係のストレスの多いところではやっていけないのであろうと思った。

本書で山登敬之(精神科医)は、つぎのように解説している。
自閉症とアスペルガー症候群との共通するおもな症状は、
①人の心の動きがよく分からないので、対人関係が上手に取れない。
②一つのことに強くこだわり、新しい事柄や環境をなかなか受け入れられない。
(これらは、おそらく表面にあらわれたものであって、その内在的な原因と言えるものから出てくるのであろう。)

2009年7月25日土曜日

高橋洋一 日本は財政危機ではない!

2008.10 株式会社講談社

1955年生まれ 2008年3月財務省を退官 東洋大学教授

「財務省の人々は、税金をたくさん集めて自分たちの自由になるお金を増やすことにしか関心がない」のだそうだ。「まえがき」で著者は次のように言う、「敢えていいたいのである。・・・財務省が主張するほどに『日本は財政危機ではない』と」

p26
「財務省は『日本は834兆円もの債務を抱えている。これはGDPの160%にもあたる危機的数字だ』と財政危機を盛んに喧伝し、増税の必要性を強調している。しかし、これは財政タカ派の増税キャンペーンであり、数字の扱いには注意が要る。裏にはトリックが隠されているからだ。
私から見れば二つの点でおかしい。第一点は、債務だけを強調し、日本政府が保有する莫大な資産については、触れていないことである」
(ただ資産については、単に帳簿価格だけで実際に処分できないものが大部分であろう)

p28
「すでに財政赤字が騒がれていた2002年4月、アメリカの国債格付け会社によって日本国債の格付けが引き下げられた。慌てた財務省は、『日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほどんど国内で消化されている。また経常収支黒字国であり、外貨準備も世界最高である』との意見書を格付け会社に送りつけた」

p31
「日本の場合、バランスシートで見れば、もろもろの債務を含めて約1000兆円の負債がある。一方で、約700兆円の資産があるので、純債務は約300兆円だ。・・・
日本のGDPは500兆円あまり。・・・
純債務の対GDP比は、60%。決して低いとはいえないが、適切な経済政策を実施し、経済成長を促せば、管理できない数字ではない」

p51
「すなわち財政再建の一番バッターは「デフレ脱却」、二番バッターは「政府資産の圧縮」、三番バッターは「歳出削減」、四番バッターは「制度改革」で、「増税」は最後の五番バッター。これが中川さんの打順論だ」 (中川さん=中川秀直)

p141
「かように増税の前にやるべき政策はいくらでもあるのに、財務省はひたすら消費税アップだけを叫ぶ。
最近、財務省がとみに強調しているのは、社会保障のなかでも年金の財源不足だ。年金問題を逆手に取って『このままでは年金システムが破綻するので、消費税率の引き上げは避けられない』、というロジックである。・・・
つまり、急を要するレベルの話でもないのに、『消費税アップ』のムードづくりのために年金を持ち出したともいえるのだ」

私には、著者の言っていることが、はたして本当に正しいのかどうか即断できない。
また本書も全部を詳細に読んで理解したとも言えない。
しかし、元エリート官僚である著者が以上のように言っているのであるから、日本はそれほど財政危機でもないのかなとも思えてくる。

消費税率アップが叫ばれつづけていることも事実である。いっぽう、本書でも述べられているように、なぜ年金と消費税とが結びつくのかはっきりとしない。
財務省は、いつも収入つまり税金が足りないと叫び続けているらしい。

2009年7月24日金曜日

品川付近

利田神社の鯨塚(江戸時代、この近くに鯨が迷い込んだ)

     品川浦の屋形船と港南口高層ビル群

2009年7月23日木曜日

上田睆亮・西村和雄・稲垣耕作 複雑系を超えて

1999 筑摩書房

上田睆亮 京都大学 
カオスという現象を1961年に世界で最初に発見したうちの一人とのこと。

「しかし複雑系というのはシステム自身も、現れる現象も複雑なのだと思いますが、カオスというのはシステムは非常に簡単です。その簡単で、しかも確定的なシステムでありながら、厄介でランダムな現象がでてくるよ!というところが、カオスの一番重要な所ではなかろうか、と考えております。・・・・まず、そのカオスという術語ですけど、これは、実は私に言わせていただければ、怪しからん、大袈裟すぎる、ということです。」

なるほど、以前からある現象におおけさな名前をつけたのが注目される原因であったらしい。          

西村和雄
 (西村教授が複雑系の経済学者であることをはじめて知った。)

p141 稲垣耕作

「複雑系の研究者たちには虐げられたり無視され続けてきた人たちが多いです。その仕事が独創的で重要なものを目ざすほど世の中の注目を浴びないことがあります。マンデルブローがIBMに在籍していたとき、『最初の10年間は私一人しかいなかった』と言います。1970年代の末ごろに若い私たちは敬意を込めて『怪人マンデルブロー』と呼んだものでした。その後に会って話した時の印象もまさに怪人で、なるほどこういう人が複雑さそのものを研究するのだと深い感銘を覚えました。彼の研究はまれに見る素晴らしいものですが、『みすぼらしかった実際の姿』こそが『アカデミズムからの学問的な自由の代償だった』と書いています。
またローレンツは気象学の泰斗で早く論文を発表しましたが、それでも発掘されるまでに10年以上かかっています。そしてカウフマンの1965年の発見は20年を経てようやく徐々に注目を集めるようになったのです。」

p146 稲垣

「このようなカオスの縁の現象を複雑適応系の研究者たちは「創発」(emergence)と呼ぶことが多いです。自己組織化と言ってよいのですが、予想していた以上に高い確率で自己組織化類似の現象が起こることをカルフラムが発見したものですから、『高い確率の自己組織化』とでも言ったら良いという意味で創発という哲学分野で使われていた用語が当てられています。」

p149 稲垣

「数学と物理学にはある種のミスマッチがあります。人知としての数学は自然界の真理のすべてを表現できる段階にはまだ達しておらず、人間の知恵はいまも自然に全く及びもつかないということです。」

p164 稲垣

「梅棹氏が自叙伝『行為と妄想』(日本経済新聞社)で述べた『すべては妄想からはじまるのである』という科学の方法論が非常に大事だと考えています。つまり想像力が先行した仮説の体系から始まる科学もまた真の科学なりということです。」

私には複雑系の数学や物理学を正確に理解することはできない。
しょせん素人なので、理解できない数式などは抜かして、ざっと読んだだけである。
研究者の世界でも、絶対に弟子のやっていることを認めようとしない先生というのがいて、苦労させられているらしい。サラリーマン社会と同じような現象が学問の世界でもあるらしい。
「複雑系」というのは、何か胡散臭く薄気味悪いところがあるが、新しい世界の発見として注目されているようだ。

2009年7月22日水曜日

武藤敏郎・大和総研 米国発金融再編の衝撃

2009.4 日本経済新聞出版社

米国金融市場の混乱は、世界的金融危機に発展した。
本書は2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻から半年経過後に出版されただけあって、今回の金融危機の背景についてかなり整理されている。
また、今回の金融危機はいまだ終わったとは言えず、物語の途中にすぎないという。

ここでは、日本の金融機関への影響など、本書を参考に検討してみたい。
日本の金融機関は1990年代にバブル崩壊により、不良債権が100兆円程度にまで達した。その後、公的資金の注入などを経て金融危機の解消まで10年以上を要した。
日本の金融機関は、その過程で、合併・統合を繰り返しメガバンク化が進んだ。本書によれば、銀行が集約されただけでなく、金融サービスが標準化され画一化された。この結果、日本の銀行は広く浅い利益しか得られず、合併によって規模を拡大するしか道は残されていない。

欧米の金融機関とくらべて、当初、日本の銀行がサブプライム問題から直接受けたダメージは比較的小さいと言われていた。しかし、実体経済の急速な悪化による不良債権の増加、株式相場の急落による株式評価額の大幅な減少によって、日本の銀行も世界的な金融危機の影響を被った。さらに、景気の落ち込みが長期化すれば、銀行の収益も低迷する。

人口の減少と高齢化の影響で、日本経済の活力の低下と経済規模の縮小は避けられそうにない。過疎化が進む地方経済への影響は特に深刻になっていくとみられる。その結果、地方を基盤とする銀行への打撃は大きくなる。今後、地方銀行どうしの水平統合や都市銀行との垂直統合などが起こる可能性がかなり高い。メガバンクは、大企業やグローバル企業を相手にグローバルバンキング業務と証券業務を総合した専門性の高いサービスを提供して収益を拡大することができるかもしれない。いっぽう、多くの地方金融機関は収益の上がる投資先もあまり見つからず、苦しい経営を迫られそうである。

おりしも、新生銀行とあおぞら銀行が来年10月に合併することになった。両行ともバブル崩壊後に破綻し、一時国有化され、現在はアメリカの投資会社が大株主となっている。
両行とも、今回の金融危機の影響で巨額の損失を負ったのが、合併をうながした最大の理由であろう。
今後、金融庁の厳しい指導・監督のもとで、徹底したリストラによりコスト削減をはかることになるだろう。

2009年7月21日火曜日

新横浜

40~50年前の田園地帯


2009年7月20日月曜日

武者陵司 新帝国主義論

この繁栄はいつまで続くか
2007.4 東洋経済新報社

著者は本書執筆当時、ドイツ証券副会長

本書執筆時(2007年4月)、「筆者の結論は、世界繁栄の二つのキーワードである『辺境である途上国での生産性の飛躍的上昇』と、『労働力の不等価交換による先進国での超過利潤の発生』は相当期間持続するので、当面の世界経済と株式市場は明るいというものである」という。

その後2年間のあいだに起こった事実は著者の予想に反し、アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発して世界的金融危機が起こり株式市場は暴落した。理由はともかく結果は大きくはずれてしまったわけである。
今から振り返れば、著者の考え方のどこがどう違ってしまったのかより明らかになりそうである。

著者は「はじめに」で次のように述べる。
「前例のない世界経済の繁栄が続いている。・・・われわれの生活やビジネスは一国だけでは全く成り立たず、世界経済は完全に一つという時代になった。そのもとで中国・インドなどでの超低賃金労働力が極めて潤沢・安価・即時に利用可能となっている。・・・このような極端な労働賃金格差が長期にわたって埋められることなく続いている。安価な労働力を活用できれば著しい超過利潤が得られる。この超過利潤が多国籍企業を通じて先進国経済と金融市場を潤している」このような世界経済の繁栄は「人類の歴史から見れば遠くない将来、中国などの生活水準が高まり辺境が消滅すれば、必ず終焉を迎える」、が数年は続くと著者は予想している。

グローバリゼーションが進行し、世界全体が好況を享受した。しかも、その期間が長く続いた。著者は、このような新しい現実を「地球帝国」が成立したと言う。

グローバリゼーションの流れは今もとどまることがない。著者のいう「地球帝国」も、世界中の国々が相互依存の関係にあるという意味では間違っていない。

ただ、著者のいう「地球帝国」の繁栄が「辺境」がなくなるまでの間、当分続くという点に誤りがあった。世界中の国が好況であるという状況は、実は、かなり脆いものであったことが証明されてしまった。

資本主義経済が発生してからというもの、経済は常に景気循環の波に揉まれてきた。全体を計画したり、統制したりする機関がないのが資本主義の特徴である以上、景気循環は避けられない。今回の金融危機も規制がされてこなかった新しい金融商品に関わる破綻が危機をいっそう大きくした。

やや長期で見れば著者の分析した「地球帝国」の構造は今も変わっていない。そうだとすれば、世界を揺るがした金融危機と株価の暴落ではあったが、いずれ近い将来、元に戻ることは十分可能であろう。

後から考えれば、好況があまり長く続いたため、不況が起こらないという理論に変更してしまったところが著者の失敗であった。

市場分析の専門家である著者であるが、長らく株価について弱気の見方をしていたあとに本書によって強気に転じたのである。
もっとも、アメリカの投資銀行が姿を消すほどの事態を予想したものは、ほどんど居なかったわけだし、たとえ居てもその時は相手にされなかったであろう。わずか2年前のことである。

2009年7月19日日曜日

副島隆彦 恐慌前夜

アメリカと心中する日本経済
2008.9 祥伝社


著者は1953年生まれ
著書に「連鎖する大暴落」「預金封鎖」「守り抜け個人資産」などがある。

「あとがき」で著者は次のように述べる。

「私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよ、次は霊能者になることを目指そうと思う。自分が優れた霊能者になることができて、人々に正しく助言できれば、多くの人々を破産と投資の失敗から救うことができる。
最後は、『その人の言うこと(書くこと)を信じるか、信じないか』のどちらかだ。甘い考えをして、自滅しても本人のせいである」

「背表紙」より

「アメリカの金融危機が日本に飛び火した
農林中金5.3兆円、三菱UFJ3.3兆円!
―日本の金融機関は、サブプライム崩れで大きく信用毀損した米二大住宅公社(フレディマックとファニーメイ)の不良な債券を、これほどまでに巨額に買い込んでいた。
日本人は米政府が住宅公社を支援するから大丈夫と思っている。
しかしそれは不可能だ。アメリカは日本に1円も返さない。
恐慌は目の前に迫っている」

私も最近知ったことであるが、「恐慌」のほうが「危機」よりも深刻なように聞こえるが、経済学の英語で言うとどちらも"crisis"となるらしい。「恐慌」という言葉は、いまでは、よほどのことがないかぎり使われなくなってしまった。

今回の金融危機または金融恐慌も、いまは沈静しているように見えるが、はたして今後どうなるのかということになると、まだ不安が無くなったとは言えない。

当然のことであるが、この本を読んでも、すべて著者の予想のとおりになると信じるという読み方はできない。役に立ちそうな情報は取り入れるという態度で読むのが、この本の読み方であろう。

著者は不動産投資に今は手を出すべきではないと言う。外資系ファンドが撤退しているので、都心の商業ビルの値下がりは激しい。
その一方で、中国人たちが日本の温泉地を買うという動きが出ているらしい。全国各地の温泉地には、20年前に建てられた巨大な温泉ビルが多数あり、それらはすでに不良債権になっており、銀行に差し押さえられたままになっている。
これらの物件を台湾、香港、華僑、中国本土の資本が買っていくだろうと著者は言う。こうなるとゴルフ場だけでなく温泉まで外資に買い占められるということになるのだろうか。
私は最近、ゴルフも温泉もあまり行かなくなってしまったが、東京近辺の観光地でも中国人観光客でいっぱいだからもっともそうな話である。

2009年7月18日土曜日

山下公園付近

ホテル・ニューグランド


山下公園のインド水塔

2009年7月17日金曜日

ビル・エモット アジア三国志

中国・インド・日本の大戦略
2008.6 伏見威蕃 訳 日本経済新聞社

1956年生まれ イギリスのジャーナリスト 英(エコノミスト)誌元編集長

中国の躍進、インドの台頭によってアジアは日本・中国・インドという三大勢力のバランスに大きく左右されるようになった。

p12
「いまくりひろげられている新パワー・ゲームでは、だれもができるだけすべての相手に対して友好的でなければならない。そうしなかった場合の成り行きを怖れて、だれもがそうするだろうが、ひと皮剥けば本音が見える。だれもが自分の地歩を固め、長期の優位をできるだけ拡大しようと画策している」

p31
「異常気象や、天然資源や、地面に生えているものも地中にあるものも根こそぎほしがっているアジアの巨人たちの激しい要求を、(ほとんど)だれもが不安がっているいま、アジアのこの破壊的改革は地球全体にどう影響するのか?
いっぽう、アジアを観察している巨人ふたり―ロシアとアメリカ―は、この変化によって揺さぶられ、たえず影響力を駆使しようとするだろう。こうした破壊的改革のさなか、われわれの目の前でアジアは作られてゆく」

p136
「OECDの(日本の経済成長についての)予想が的中した場合には、日本がアジアのあらたな一大勢力である中国と肩を並べて自信たっぷりに力強く立っていられる見込みは薄い。そうなったら、日本は相対的に国力の衰えた国を運営し、それに中国がつけいるのを防ぎ、アメリカが太平洋の主要同盟国日本に幻滅するのを防がなければならなくなる」

日本では、中国製品が溢れている。中国人の労働にも頼っている。
いっぽう中国との間には、古くからの歴史問題が影を落としている。
東シナ海における島の領有権と石油や天然ガスの採掘権をめぐっての争いもある。
日本と中国との関係が深まっているだけに、ささいな紛争が重大な結果を招く懸念もある。

インドは、現在、日本のODAの最大受益国となっているらしい。
日本の援助によって鉄道や地下鉄が建設されているという。

日本は、孤立して殻にとじこもりたいと思っても、それはできない。
アジア地域でも今よりもっと大きな役割を果たさなければならない。

中国やその他のアジア諸国の経済成長は、原則的に日本のビジネスにとって好機であり追い風になると著者は言う。 

2009年7月16日木曜日

森嶋通夫 なぜ日本は行き詰ったか(その2)

著者は付け加えておかねばならないこととして「外部からの影響」をあげ、次のように述べている。

p367

「私の没落論では、外部からの影響を全く無視しているということである。そのような外生的要因は自然的災害であり、もう一つは戦争のような人為的災害である。いまもし、アジアで戦争がおこり、アメリカがパックス・アメリカーナを維持するために日本の力を必要とする場合には、日本はおそらく動員に応じ活躍するであろう。日本経済は1945年以降戦争とともに栄えてきた経済であり、これはまた戦前もそうであった。没落しつつある時期には日本はおそらくなりふり構わず戦争に協力するであろう。朝鮮戦争やベトナム戦争がなかったならば、日本はあのような短期間にあのような高成果を実現し得なかったことはほどんど確実である。予想される日本の没落は、日本での政治哲学の欠如から日本の行くべき道を見失ったことによるのであるから、アメリカの背後につき従って指示どうりに動けばよい時代が来れば、そういう時代はまさに『日本の時代』になる。日本が昔の活力を取り戻すことは十分ありうる。この場合には、本章で述べた全てのことにもかかわらず、没落は悪夢に終わるであろう」

日本だけを考えれば、少子高齢化が進む日本の将来は、生活水準は高いが、活力がなく、国際的にも重要でない国というイメージを持つこともできる。しかし、これはむしろ悪いことではない。著者のいう「外部からの影響」は、無視できなくなりつつある。

中国は絶え間なく軍備を増強している。中国の世論は反日感情が強く、ことあるごとに反日デモを起こしている。

北朝鮮は、核兵器を持っている。ミサイルの発射実験を行っており、現在でも危険な国であるが、もし現政権が崩壊したとするとどのような混乱が朝鮮半島に起こるか予想できない。

日本でも、2007年、防衛庁が防衛省に昇格し、軍事力は確実に強化されている。インド洋での海上自衛隊によるアメリカ艦艇への給油支援は自衛隊の海外派遣を容易にしている。北朝鮮のミサイル発射に際しては、迎撃ミサイルが配置された。中国の軍備増強や北朝鮮の脅威に対して、日本の世論や政治はどのように反応するだろうか。
危機感が高まれば、ナショナリズムが高揚し、新たに大きな国家的目標ができる可能性がある。

21世紀のアジアの強国は中国とインドになると簡単に言っているだけではすまないようである。

2009年7月15日水曜日

2009年7月14日火曜日

ファインマンさん ベストエッセイ

2001 大貫妙子・江沢洋訳 岩波書店

R.P.ファインマン 1918~1988 アメリカの物理学者 ノーベル物理学賞受賞

原爆の製造にも関わった。当初、物理学者は敵(ナチス)が同じものを先に作ったら大変なことになるということで協力したのだという(敵側の科学者も同じ知識を持っていた)。
しかし、ナチスが敗れてのちも研究は続けられ、広島や長崎に原爆が投下された同じ時にロス・アラモスの研究所では物理学者の祝賀の騒ぎがくりひろげられていた。

「はしがき」より

「ファイマンはいつも、彼が物理を研究するのは栄誉のためでも賞や賞金のためでもない、楽しいからなんだ。世界がどんな仕組みになっていて、何がそれを動かしているのかを突き止めていく、それが楽しくて仕方がないから物理をやるんだ、と言っていた」

「ものごとをつきとめることの喜び」p4より

「僕はどうも科学に偏った人間で、特に若い時はほどんど全力をこれに注ぎ込んだものだ。その年ごろにはいわゆる人文科学というものを勉強する暇も、心のゆとりもなかった。もちろん大学では人文系の必修科目というものもあったが、僕はありとあらゆる策を弄して、ついに何とかお茶を濁してしまった。
少しいろいろのものに手を広げる余裕ができてきたのは、こうして年を取ってからのことだよ。デッサンを習ったり、読書も始めたが、何といってもやっぱり僕は実に偏った男でね、お世辞にも蘊蓄のある人間とは言い難い。僕の知能には限界があるから、これを一つの方向に集中して使うことにしているんだよ」

p33より

「科学が成功したせいで、一種の疑似科学といったものが生まれたと僕は思うね。その科学でない科学の一例が社会科学だ。なぜかと言うとあれは形式に従うだけで、科学的な方法に従っていないからだよ。データを集めてみたり、もっともらしくあれやこれややってはいても、別に法則を見つけるわけでもない、何も発見していない。
・・・・僕は何かを本当に知るということがどんなに大変なことか、実験を確認するときにはどれだけ念を入れなくてはならないか、まちがいをしでかしたり、自分をうっかりだましてしまったりすることがどんなにたやすいかを、肝に銘じているからなんだ。何かを知るということはどういうことなのか,僕は知っている。だが連中の情報の集め方を見ていると、なすべき研究もせず、必要な確認もせず決して欠かせぬ細心の注意も払っていないじゃないか。だから彼らが本当に知っているとは信じられないんだ。
彼らの知識は本物ではなく、やっていることもまちがっているのに、偉ぶって人を威圧しているんだと思えてしかたがない。僕は世間のことにはうといが、とにかくこう考えるね。」

たしかに、たとえば現在主流の経済学では、難解な数学で表現されているが、実験もできないし、実証的な面も軽んじられている。
理論経済学または新古典派の経済学では、きわめて限られた条件のもとでの理論的整合性はあるが、現実妥当性については疑問も多い。そのため、つねに「理論モデル」での話になる。
数学の定理や物理の法則は、一般には「真実」とされているが、経済学の場合は、「そういう考えもある」という受け入れ方をされているので、「何々経済学派」の経済学と言われている。
大学の経済学部というのは、学者や学派間の対立・抗争がはげしいところである。 

2009年7月13日月曜日

森嶋通夫 なぜ日本は行き詰ったか

2004 村田安雄 森嶋瑶子訳 株式会社岩波書店

森嶋通夫 1923~2004

著者は日本人であるが、本書は海外で出版された論文集なので、日本語訳となっている。大著であり、「第1章 序論」 および 「第8章 21世紀の日本の前途」のみ読んだ。

著書多数、本書に書かれていることは、著者の最晩年の考えであろう。

「第1章 序論」では

「私の見る日本の将来像は暗澹としたものであると言わざるをえないが、このような症状を消滅させるような強力な外因が働かない限り、これは避けられないことで、その結果将来の日本人を苦しめることになるだろう」と結んでいる。

「第8章 21世紀の日本の前途」では

筆者は「生活水準は相当に高いが、活動力がなく、国際的に重要でない国、これが私の21世紀半ばにおける日本のイメージである」としている。

著者は、長い間イギリスに滞在していたのであるが、経済的分析というより、歴史学、教育社会学、宗教社会学などに基づき外部からの目で広範な日本分析を試みている。著者の構想は壮大であるが、難解でもあり、すべてが的確というわけでもない。
以下、一部を引用する。

「日本は成長余力がなくなる寸前まで経済成長を追求した。
・・・(その結果、バブルがはじけるとともに)・・・
こうして成長の追い風は全く停止してしまった。経済の帆船は全く無風の凪の中に閉じこめられ、もはや動けなくなった。しかも日本の政治家は必要な風を自主的に作り出す能力がなかった。敗戦後の占領状態が解除された後も、政治家たちがしたことはアメリカから吹いてくる風を従順に企業に中継することだけであった。日本が無風状態にある時でも、彼らは拱手傍観するしかない。
日本の政治家と官僚のこのような誰かの指令に忠実に従うという態度は、戦前・戦中の軍部独裁時代に学び取ったものである。・・・日本は卑屈なまでに忠実な敗戦国であり、このことが日本が成功した最大の理由の一つである・・・しかし風もなく、推進力もない状態では、日本は忠実にふるまうための相手を持っていないことを知った。日本のリーダーたちがこんなにひ弱く、かつ自信をなくしている限り、日本は自分がはまり込んでいる罠から脱出する力を持つ見込みはなく、日本の苦悩は限りなく続きそうである」

急速に高齢化が進んでいる現在の日本は、著者の言うように活力を失いつつあるのが現実である。

いわゆるバブルがはじけた頃から、日本は欧米に追いつけ追い越せという目標を達成すると同時に、失ってしまい、経済も低迷し、どうしていいのか分からないといのが本書の書かれた当時の状況である。
そうしているうちにも新興国が台頭し、日本は置き去りにされてしまった。

著者は、未来の経済を予想するのに、未来の社会がどのような社会になるのかを予想し、その社会ではどのような経済や文化が実現するかを予想するのである。将来の日本のリーダーは、もうすでに生まれており現代の教育を受けている人の中から現れる。50年後の日本のリーダーは現在10歳くらいである。そうすると、未来の日本がどのような社会および経済であるのかが、ある程度的確に予測できる。将来の社会を予測することは経済を予測するよりはるかに容易であると著者は言う。

p366
「国民は衰退期のローマ人のように全く自分勝手で、快楽主義で、規律がなく、そして真の指導力に欠けている。彼らがそのような状態であるがぎり、日本はローマ人と同じ道をたどるであろうとすでに言われている」

p367
「いったん没落が始まると国民の気質に変化が生じるということである。没落に際して、日本経済が二極分解すれば、組織された経済騒動や無組織の暴動がともに無秩序に起こり、この大混乱は国全体を一層深く没落状態に追い込むだろう。」

楽観的なシナリオが描けないのは、現代の延長に未来がある以上やむおえない。
私は、あとは、いかにして衰退の速度をゆるやかにできるかが課題だと思うのである。
もともと、戦争に負けた当時の日本は世界の大国になろうというような、だいそれたことを考えていなかった。小さくとも平和な国をめざしていたはずだったのである。

2009年7月12日日曜日

日本大通り

日本大通りと開港記念会館


2009年7月11日土曜日

わたしの知的生産の技術 「知的生産の技術」研究会編

1978 株式会社講談社

序文より(梅棹忠夫)(p5)

「もう一つ、技術である限り、目的があるという点である。何か具体的な目的がないと、技術というものは機能しない。言いかえれば、生産の意図なくして技術は無いのである。無目的にカードをいくらこしらえても、なんにも出てこない。必要なものは、知的生産の技術を駆使して偉大なる生産をやってやろうという、知的情熱なのである。この点は、全く意外なことだったが、かなり広く誤解があるようだ。」

「知的生産の技術」という言葉をひろめた梅棹氏が、カードをいくら作っても出てこないと言っている。
それでは、情熱はどこから生まれる?

真実があるとしたら知りたいが、どこかに転がっているものでもないし、ある本の中に書いてあるとは限らない。芋づる式にたどっていって、自分で探すしかないことがある。それが自分でする研究というものになるのだろう。
それで何が得られるのかも分からない。
無駄骨に終わることのほうが、はるかに多い。

「知的生産の技術」という本を読んだら知的生産ができるようになるというのは、たしかに考えが甘い。この手の本を読んでみても、出てこないものは出てこないとしか言いようがない。

本書の扉に出ている加藤秀俊氏の文には、「砂金堀りが川底をさらっていると、ほどんどが砂ですが、たまに金を見つけるわけです。つまり、その気にさえなってみれば、きわめて雑然とした情報の中からでも、砂金を見つけ出すことができるということなのです」とある。
無駄な努力と思っても、それでもあきらめずやってみるしかないらしい。

2009年7月10日金曜日

コンラッド・ヘロウド イノベーティブ・シンキング

2001  山本 泉 訳 ダイヤモンド社
 
本書の背表紙より

"システマティツクにアイデアを創成する8つのテクニック

情報を把握するテクニック
①インフォメーション・シンギング

アイデアを考えるテクニック
②チャレンジ・シンキング
③アイディール・シンキング
④ストレッチ・シンキング
⑤インプルーブメント・シンキング
⑥コンビネーション・シンキング

アイデアを改良するテクニック
⑦モディファイド・シンキング

アイデアを試してみるテクニック
⑧トライアル・シンキング"

これまで、自分はアイデアはあるが、実行力がないと思ってきた。
この本のように、アイデアは試してみることによって、よりよいものに改良される。
アイデアと行動は共に手を取り合って進むのがよい。
アイデアを練りに練って最後に実行しようとしても、気おくれしてしまったり、躊躇してしまったり、他の案のほうがいいような気がしてしまう。
できるところから少しずつやってゆくことにより、アイデア自体も改良されていく。

2009年7月9日木曜日

吉永良正 ひらめきはどこから来るのか

2004 株式会社草思社

1953年生まれ サイエンス・ライター

p39より
「そもそも『考える』という行為は、つねに何かについて考えるのである。また、思考の過程が脳の生理作用によって担われているのは事実にしても、だからといって脳が考えているとはいえない。身体と感覚があって始めて、脳の生理作用も作動する。脳だけしか見ないのは抽象論でしかない。
考えることの全体性が最も自然に表出されるケースの一つが散歩、つまりは無心に歩いている時ではないかと思う。それは恐らく、日常生活の諸問題やそれに伴う問題解決のための制約的な思考の枠が、いったん意識からはずされるためだろう。考えに詰まったら、書もマウスも携帯電話も捨て、散歩に出よう。思わぬ発見やひらめきに出会えるかもしれない」

昔から「下手な考え休むに似たり」という。無理に考えない。しかし、考えもなしに行動しない、なかなか難しいのだ。また、よく考えるよりも直観に頼って本能的に行動することが正解であることも多い。

p56より
「何ごとにも、現代は急ぎすぎる。なぜそんなにあわてふためいて、一秒一刻を競い合わなければいけないのか。一見して非生産的に見える潜伏期という名の幕間、この無為と混乱と苦悩の時間の蓄積こそ、『考える力』を大きく育てる揺籃であり、突然のひらめきによる新しい世界の幕開きを準備するものなのである」

私は若い頃から、なにをやってもこれは自分の本当にやりたいことではないというような感覚にとらわれていた。今から考えると、こうした感覚は、はたして何の意味があったのだろうと思わないわけにはいかない。
それにしても、いくら考えてもほとんど新しい考えも出ないで歳を取っていく人のほうがはるかに多いのが事実であろう。

昔から還暦といえば、一仕事終える時である。これから始めるとしても、あせったところで仕方がない。
過去の先人達の業績を忍び、少しでも理解できれば、というくらいの気持ちである。

2009年7月8日水曜日

野口悠紀雄 戦後日本経済史

2008.1 株式会社新潮社

「はじめに」より

「標準的な見解によれば、戦後の日本は、占領軍によって導入された経済民主化改革―農地改革、財閥解体、労働立法―によって出発した。軍事国家から平和国家に転換した日本は、生産能力を軍備の増強ではなく経済成長に集中した。さらに、追放によって戦時中の指導者が一掃されたため、若い世代の人々が指導的な立場についた。こうして、日本は世界でも稀に見る高度成長経済を実現した。これに対して本書は、まったく異なる歴史観を提示する。それは、『戦後の日本経済は、戦時期に確立された経済制度の上に築かれた』とする考えである」

p19より

「戦時期において指導的な立場にあった官庁が、そのままの人事構成で戦後の日本経済を指導することになったのだ。つまり、日本に本当の意味での『終戦』はなく、戦時期と戦後は連続的につながっていた。・・・連合軍は、その後さまざまの『経済民主化改革』を実施し、それらは日本経済の姿を戦時期から一変させることになった。しかし、それは表面上のことである。経済運営の根幹は、大蔵省、日本銀行、通産省などによってコントロールされ続けたのだ。しかも、戦時期に確立された制度的枠組みを利用してそれがなされた」

著者が大蔵省に入省したとき、大蔵省に限らず中央官庁の人事がすべて戦前から切れ目なくつながっていることを実感したという。中央官庁だけでなく、主要企業や銀行などもすべて名前だけが変わっただけで、戦時中の組織が生き残った。それゆえ、著者は戦後に引き継がれた戦時体制としての経済体制を「1940年体制」と名づけた。
著者は、戦後日本の高度成長の実現に本質的な役割を果たしたのは戦後の経済民主化改革によってもたらされたものではなく、戦時体制の継続によってもたらされたのであると述べている。

著者によると銀行制度もまた戦時経済体制の産物である。戦時経済の中で、軍需産業に資金を集中させるために銀行が産業資金供給をになう間接金融の仕組みが確立された。戦時金融体制の中心になったのが、日本興業銀行である。また、一県一行主義によって中小銀行が整理統合された。

家計の貯蓄は銀行預金となり、銀行貸付けになって企業に流れる。このシステムを統御するのは大蔵省と日本銀行である。

「戦時体制の維持がバブルの基本原因」では、1980年代には、企業は銀行借入ではなく、株式の発行によって容易に資金を調達できるようになった。大企業は株式市場から簡単に資金を調達できるので「銀行離れ」が進んだため、銀行は資金運用難に陥った。企業の設備投資を銀行融資によってまかなう仕組みである「戦時金融体制」は、この時点で、その使命を終えたのである。とりわけ長期信用銀行三行は都銀以上の役割喪失に直面した。

しかし、銀行は生き残ろうとした。本来の役割を離れて、中小企業や不動産向け融資にのめりこんでいった。退場を宣告されながら必死に生き延びようとした。このような無理が、のちにさまざまの不祥事を産むことになった。

バブル時代の最後には、いくつかの銀行の破綻があり、公的資金の注入によって生き延びた銀行も合併を繰り返して巨大化し、潰れにくくなった。しかし、それによって日本の金融システムが本当に生まれ変わったわけではなく、銀行の名前が変わっただけのことである。

日本企業の体質は、依然として戦時型企業のままであるが、多くの日本人はこの日本型経済システムに対して強い愛着をもっており、それに執着している。

著者は、「戦時経済体制」システムが崩壊した後に、どのような経済システムが可能か解答を提示することはできないという。「本書の役割は、以上の認識を読者に示し、われわれが抱える問題の深刻さについて理解を求めることである」と述べている。

たしかに、アメリカの占領によって日本は大きく変わったように見えた。だが、実際に仕事をしていたのは戦前からの同じ役人である。本書では、終戦後わずか10日あまりで、「軍需省」が元の「商工省」と名前を変え、連合軍が東京に進駐してきたときには「軍需省」という名前はすでに消滅していたこと。そして、1949年に「通商産業省」と名称を変更したことが紹介されている。軍人を除く人事構成は「軍需省」時代のままであったという。

人が同じであれば、名前や組織が変わっても本質は変わらない。
しかも、元へより戻そうとする力が働くものである。

今でも役人が主導していくシステムは変わらないどころか、ますます強くなっている。

2009年7月7日火曜日

青物横丁付近

品川寺にも亀が


海雲寺
(千体荒神)
                 

2009年7月6日月曜日

榊原英資/吉越哲雄 インド 巨大市場を読みとく

2005 東洋経済新報社

中国、インド、そしてアジア全体を知ることが21世紀に日本が生きていくために必要である。

現在の日本人はインドのことをほとんど知らない。
インドは2001年の段階で、全人口10億1千万人のうち54%が年齢25歳未満であり人口構成が著しく若い。消費や内需の拡大につながる中産階級も台頭しており、21世紀の経済大国になると予測されている。

1990年代にインドは経済自由化とIT革命の相乗効果によりソフトウェア輸出が急速に拡大し、今では対外純債権国となっている。

このIT主導という成長モデルは、発展途上国とか先進国という既存の経済区分を曖昧にしてしまうグローバリゼーションの進展があってはじめて可能になった。
インドにおいては、ITのような先端技術のあとに製造業の成長や社会的インフラの整備が続く。遅れた社会的インフラは、インド経済の将来について強い疑問を抱く人々の重要な論拠になっていることも事実である。

インドというと不衛生なイメージを持つ人が少なくないが、そうしたイメージとは裏腹に、インドでは製薬産業が成長を続けており、今後も一層の拡大が見込まれている。インドの医療サービスは最先端の技術とコスト競争力があり、世界中の患者がわざわざ訪れる。

世界史的に見ても16~18世紀には、交易の中心はイスラム・インド・中国にあり茶・絹織物・砂糖・陶器・綿織物などを各地にもたらした。

中国・インドを中心とするアジアは200年程の年月を経て再び世界経済のエンジンとなっていく。

「ビジネス・シーンにおけるインド人との接し方」では

インド人は交渉や取引において、「NO」ということが少ない。インド人が、正面を向いたまま頭を左右に振るのは、話し手に対して強く同意しているジェスチャーであるという。

2009年7月4日土曜日

横浜関内

        横浜公園の噴水
      
        
日本郵船歴史博物館(旧横浜支店)                                

2009年7月3日金曜日

大前研一 サラリーマン・リカバリー

会社から自分の人生を取り戻せ
2000 株式会社講談社

1943年生まれ
団塊世代には、なじみの名前である。一般には、東京都知事選挙で敗れたので記憶がある人が多いが、本人はあまり触れたくないことだろう。能力もバイタリティーもあり、日本人ばなれしているところが一般の日本人の心情には受け入れられなかったこともあろう。著者は現在も大活躍中で、著書も多数ある。

60歳すぎてから、このような本を読むのは若い時とは別の読み方もある。ちなみに、著者がこの本を書いたのは57歳のときだ。

著者は21世紀のサラリーマンが持つべきスキルとして英語、コンピューター、論理的思考、サイバー上のチームワークとリーダーシップなどを挙げている。たしかに、一般のサラリーマンには苦手な部分には違いない。
著者は、赤ちょうちん、忘年会や社員旅行、慌ただしい会社中心の生き方をする人は40歳もすぎると能力がなくなって、まったく使い様が無くなってしまうと言う。

しかし、現実はむしろその逆で、日本の企業では、社内の人間関係に気を使った人が残って上にいき、英語・コンピューターなどを年配者がたとえできたとしても関係がない。「若手を抜擢する」とか「女性を抜擢する」とかの常套美句のもとに年配者は、と言っても45歳位であるが、能力に関係なく排除されていく。さらに、たとえ上に登ってトップになったとしても、最近ではテレビの画面で「たいへん申し訳ございませんでした」と頭をさげるのが仕事であるかのごとく思われている。長時間の残業、接待・宴会・ゴルフ漬けで健康も損ねているに違いない。

本書での50歳以降の生き方について引用したい。(p106)
「私は、50代になって自分で起業できなかったり、自分が勤めている会社より小さい会社から社長や副社長になってほしいと頼まれないような人は、基本的に人生の設計を間違えたと自覚すべきだと思う。人間としてはともかく、『会社人間』としては人生を空振りしたのである。そういう人は、これからの人生を暗くしないために、せめて老後の20年間だけでもハッピーに生きることに専念したほうがいいと思う。」
たいへん威勢の良い言葉であるが、60代も後半になった著者は今も同じことを言っているのだろうか。

それはともかく、「会社人生を空振りした人も、人生を楽しもう」「最後に『いい人生だった』と言えるか?」という気持ちは60歳以降の生き方として、たしかに共感するものがある。

2009年7月2日木曜日

大竹慎一 世界恐慌 序曲

2008年11月 株式会社ビジネス社

著者自らの略歴では、日米欧で25年以上、第一線で活躍する辣腕ファンドマネジャーである。自分のことを、元全共闘でトロツキストのファンドマネジャーであるという。日本のトロツキストは「宇野理論」に強く影響されているところがあるという。団塊世代には、いずれにせよ昔懐かしい言葉である。宇野の「恐慌論」は、現代の金融恐慌解明のためにも必読文献であり、著者の恐慌予測が当たるのもこれに従っているからであるという。著者は宇野理論から近代経済学、そしてマネタリズムへと移っていった。さらに、マックス・ウェーバーがある。「大竹理論」の三本足は宇野理論とマネタリズムとウェーバーである。

著者は、これまで訪問した会社はのべ1000社を超え、徹底した現場主義で独自の調査を行っているそうである。以上のような背景を持った人に訪問され質問される会社の担当者または社長の心中はどのようなものだろうか。 しっかりした歴史観を持っているというのが著者の言いたいことだろうか。

このたびのサブプライム問題と金融危機の原因であるが、著者は諸悪の根源は日銀にあるとしている。つまり、日銀が長期間続けた超低金利政策が、内需をふくらませるかわりにアメリカの投資銀行やヘッジファンドの資金運用に使われてしまったのである。この、いわゆる「円キャリートレード」については、その破たんが世界的な株式市場の暴落と円急騰とを引き起こすであろうことは納得できる。ただ、日銀がはたして利上げできたであろうか。

著者は中国やインドも問題がありすぎて危ないという。

少子高齢化時代の日本も年金や介護の制度を維持できるかどうか危うい。著者によれば、「夫婦が6人の子どもを産むか、1億人の移民を受け入れるか、消費税を28%以上にして、そこから社会保険分を拠出するか、このどれかにする以外に、これから老人が年金をもらい、介護を受けることはできない。」

それでは、日本はこれからどこへ行けるのか?著者自身も明確な答えをもっているわけではなく、疑問符で終わっている。

「日本がグローバリゼーションに蹂躙され、廃墟になる前に、わたしは、ささやかな現実を示しておきたい。ひとつは、農業を取り戻し、畑を耕す、ということだ」
著者は自宅の庭の10坪くらいのスペースを耕して、有機栽培で野菜を作っている。

2009年7月1日水曜日

神奈川区の風景

台町(旧東海道)                                           


慶運寺
(浦島伝説の残る寺)

リチャード・クー 日本経済を襲う二つの波

2008年6月 株式会社徳間書店

1954年生まれ 野村総合研究所のエコノミスト

以下は、印象に残った部分である。

「日本経済を襲う二つの波」とは?ひとつは戦後最悪の金融危機と言われるサブプライム問題と日本の不況について。もう一つは日本の内需の低迷や格差の拡大に代表されるグローバリゼーションである。

まず、サブプライム問題については、2008年6月の時期での著者の分析・予想とも妥当なものである。著者は銀行への資本投入が必要と書いているが、その後、事態はそのとおりになった。

グローバリゼーションについては、日本は戦後、欧米を追い越すことばかりを考えて走ってきた。ところが、この数年は中国やアジアの他の諸国から追撃される立場になった。日本人は、この追う立場から追われる立場になったことの意味を充分理解しているとは思えない。
グローバリゼーションへの対応は日本にも大きな変革を迫っている。

日本のバルブ崩壊後の長引く不況を著者は「バランスシート不況」と説明している。日本企業は資産価格が暴落したにもかかわらず、借金が残り、債務超過になった。債務超過を解消しようとした日本企業は、いっせいに借金返済に走った。そのため、いくら金利が安くても借り手がいなくなってしまい、景気はスパイラル的に悪化する。これが、日本経済が過去15年間直面したデフレ圧力の正体である。著者によれば、今の日本は「バランスシート不況」の最終局面にある。それにもかかわらず、なかなか内需が伸びない。著者は、その背景にグローバリゼーションの影響があるのではないかと見ている。

「第5章 日本に襲いかかるグローバリゼーションの大波」で著者は、日本にとってのグローバリゼーションとは「中国の台頭」のことと述べている。著者によれば、日本は過去20年間、中国に対しては貿易赤字を出しているにもかかわらず、中国で生産しているのが日本のメーカーであることも原因で中国の輸出攻勢に気づいていない。

グローバリゼーションの波に乗れる大企業は、すさまじい勢いで中国に進出して、大きな業績をあげている。一方、零細・中小企業は、グローバル展開できないどころか、中国製の低価格品と競争しなければならない。グローバル化に対応できない零細・中小企業は収益や受注が減少していく。

日本の場合、グローバリゼーションに乗れて儲かっている大企業のほどんどが東京に集まっている。政策決定者やマスコミ関係者まで世論形成に関係する人も東京在住である。東京だけ見ると極めて景気が良いように見えるが、地方は極めて景気が悪い。「中小企業・零細企業・地方」の部分が日本でいちばん空洞化がすすんでいる。
将来を悲観的に見ている国民のほうが、楽観的に見ている国民よりずっと多くなっている。

では、グローバリゼーションを生き抜くには何が必要か。いま日本に必要なのは、たえず先進的なことを創造できる人材を育てることである。追い上げてくる相手を振り切るため、革新的な技術や製品を可能にする真の構造改革が迫られている。

「地方を見捨てた自民党、地方に食い込む民主党」では

小泉首相が郵政民営化選挙のさい、民営化反対の地元議員を小泉チルドレンに置き換えるという荒業にでた。これを地方から見れば、地方のために頑張っている小泉チルドレンはどれほどいたのかという割り切れない気持ちを残すことになった。そうした鬱屈した地方に手を差し伸べたのが小沢・民主党である、それが前回の参議院選挙での民主党の大勝につながった。政治的嗅覚のするどい小沢氏は、地方の保守層のなかに大きな不満がたまっていることに気づいたのである。小沢党首は地方の声を吸い上げ、自民党の支持者を取り込んでいった。小沢氏は民主党を自民党の右にもっていった。民主党が保守に変質したことによって、自民党はいま本当に存亡の危機を迎えている。日本の政治基盤全体が流動的になっている。

私も東京近辺のことしか知らないので地方の状態がどのようであるか実感がないのであるが、たまに地方都市の商店街へ行くと、たしかに閑散としている。