2011年1月29日土曜日

細谷功 地頭力を鍛える

2007 東洋経済新報社

インターネットによる情報検索が発達し、あらゆる情報が容易に手に入るようになった。いっぽう、情報への過度の依存は思考停止をまねくことになりかねない。
インターネットやパソコンでは不可能な、本当の意味での「考える力」こそ重要である。
この基本的な「考える力」の基礎になる知的能力を「地頭力」(ぢあたまりょく)という。「地頭力」という言葉は、コンサルティング業界などで使われている。

地頭力は、三つの思考力(「結論から」「全体から」「単純に」考える)、および、それらの基礎となる三つの力(論理思考力、直観力、知的好奇心)から構成される。
地頭力は鍛えられるものであり、その具体的な訓練のツールが「フェルミ推定」である。

「結論から考える」仮説思考は、いまある情報だけで最も可能性の高い結論(仮説)を想定する。つぎに、情報の精度を上げて検証を繰り返し、仮説を修正して最終結論に至る思考パターンである。

「全体から考える」フレームワーク思考は大きく全体を見渡して、とらえた全体像を最適の切り口で切断し、断面をさらに分解する能力である。

「単純に考える」抽象化思考は、対象の特徴を抽出して単純化した後に一般解を導きだし、それを再び具体化して個別解を導く思考パターンである。

「フェルミ推定」とは、物理学者エンリコ・フェルミが得意としたので名付けられた。
「東京都内に信号機は何基あるか?」とか「世界中にサッカーボールはいくつあるか?」といった問題に対して、何らかの推定ロジックを使って短時間で概数を求める方法のことである。

フェルミ推定の解答プロセスのなかで、以上の三つの思考力を駆使することにより、地頭力を鍛えることができる。

ところで、頭の使い方には、地頭力のような思考能力の他に、知識が豊富な「物知り」、対人感性が高い「機転がきく」という能力もある。
思考能力だけだと、どうしても、「智に働けば角が立つ」ことになりやすい。
「とかく世間は住みにくい」という言葉の通り、能力があったとしても、使いこなすのは難しい。

2011年1月28日金曜日

高橋乗宣・浜矩子 2010年 日本経済「二番底」不況へ突入する!

2009 東洋経済新報社

高橋乗宣 1940年生まれ

浜矩子 1952年生まれ

本書では、はじめに題名のような悲観論が展開されるが、最後には、それでも日本経済に活路はあるという。
「リーマン・ショック」に始まった金融危機から、1年以上が経過し、日本、そして世界経済は最悪期を脱したかのように見えるが、落ち込んだ経済は、もう元には戻らず、底ばい状態が続くのではないかという懸念が強い。
過去、何度も危機を乗り越えてきた日本経済だが、今回も危機を脱し、好景気になるというイメージは浮かばず、むしろ、少子高齢化の加速とともに、これまで日本経済がこつこつと蓄積してきた「地力」が底を尽きつつあるというイメージが強いのではないかと書かれている。

こうした日本経済を取り巻く閉塞感を打破してほしいという有権者の期待もあり、2009年夏、民主党政権が誕生した。鳩山首相は、経済成長至上主義路線からの軌道修正を打ち出し、「人間のための経済」という方向性を打ち出した。ただし、民主党の政策は、一貫したビジョンを欠いたもので、これから厳しく試されることになるだろうとしている。

もっとも、これからの経済政策は、今までとは異なったやり方が求められていることも事実である。格差の拡大、貧困の問題などは、「成長戦略」とか「景気対策」という言葉だけで解決できるとは思われない。「内需拡大」という言葉も、国境のないグローバル経済時代には、何かそぐわなくなっている。
「新産業の育成」も大切ではあるが、それを「国を挙げて」追求するという発想自体が、古くさくなっている。
成長しない成熟社会をどう支え、活力を持たせていくことができるかが問題である。

それでも、いつまでも悪いことばかりが続くわけではない。
中国やインドが豊かになっていけば、日本の高級品に対する需要が増える。
中国企業が日本企業を買収して、日本国内の雇用が増えるという場合もでてくるだろう。
高い技術力やサービス力を活かすことができれば、日本人がグローバル市場で活躍できるチャンスもあるはずである。

2011年1月27日木曜日

上野泰也 日本経済「常識」の非常識

2010 株式会社PHP研究所

1963年生まれ

地銀の危機と道州制

「道州制」という言葉を聞くと、「地方自治拡大」「地方分権推進」といった前向きのイメージが描かれることが多い。
しかし、著者にとっては、「道州制」という言葉からは、人口が高齢化し減少していくなかでの一種のリストラ策、あるいは地方の中核都市への需要の集中に行政組織を合わせようとする動きといったマイナスのイメージが浮かびあがってくる。
たとえば、九州地方では、鹿児島の人が福岡まで買い物に出かけるし、東北地方では仙台が「州都」の様相を呈している。
人は、便利なところや、賑やかなところに集まるので、新幹線や高速道路網が発達すると、人の動きは、地方の中核都市に集中する。

ある地方銀行の経営者の話によると、地方経済は崩壊しつつある。
日本には都道府県が47ある。これに対して、地方銀行の数は64、第二地方銀行は44、信用金庫は272である。ほかに信用組合やJAバンクなど地方金融機関の数は非常に多い。

長い目でみれば、経済の縮小とともに、金融機関の数も減少していかざるをえない。しかし、そうした金融機関の減少が、混乱なく円滑に行われていくとは限らない。
将来、地方金融機関の経営破綻が続くようなことにでもなれば、経済に及ぶ悪影響は、かなり大きなものになるだろう。

2011年1月24日月曜日

鈴木雅光 「デフレ」がわかると経済の動きが読めてくる!

2010 株式会社すばる舎

1967年生まれ

世の中、デフレ、デフレの大合唱で、消費者物価指数は、対前年同月比でマイナスが続いている。物価が継続的に下がっていく状態をデフレといい、1990年代にバブル経済が崩壊してから続いている。
バブル経済では、土地や株などの資産価格が異常に高騰した。
しかし、ひとたび崩壊すると、その影響は、金融機関における不良債権問題、不動産業者の倒産などを引き起こし、過剰な設備投資をしていた一般企業の資産も劣化した。大手金融機関が破綻し、日本経済は悪化の道をたどっていった。
日本銀行は、何度も金融緩和政策を実施したが、景気はなかなか回復しなかった。
そのうえ、経済のグローバル化によって、海外から安い製品が日本国内に流入して、輸入デフレが進んだ。
今後、少子高齢社会になっていくので、国内の需要は延びず、景気が低迷しているので、デフレはまだ続きそうである。

ただ、デフレ経済がいつまでも続くとは言えず、インフレの陰が忍び寄っている。
政府は、デフレ脱却を政策目標にかかげ、消費税の増税が議論されている。消費税が増税されれば、もちろん、物価が上昇する。
これから新興国経済が発展していけば、資源・エネルギーや食料の価格に上昇圧力がかかり、これらを輸入に頼っている日本の物価も押し上げられる。
また、日本の巨額の財政赤字が問題視されると、円が売られ、輸入物価の円建て価格を押し上げるかもしれない。
したがって、私たちは、現在のデフレに対応すると同時に、将来予想されるインフレリスクにも備えなければならない。

以上のように、本書では、述べられている。

現在、デフレであるが、将来、所得が増えないのにインフレになるかもしれないのでは、怖くてモノも買えないということである。
そうすると、ますますモノが売れなくなって、景気は悪くなるという悪循環に陥る。
何十億もの人口を抱える中国やインドの経済が発展すれば、彼らよりも先に先進国になった日本にとっては、彼らになくて、日本に有利なものを作って輸出するとかすれば、日本の景気も良くなりそうなものである。
そうしたことができず、暗い未来ばかりが描かれるのは、どうしたことだろうか。

2011年1月23日日曜日

2011年1月21日金曜日

池上彰 池上彰の情報力

2004 ダイヤモンド社

1950年生まれ

著者は、毎週土曜日の夕方、「NHK週間こどもニュース」のお父さん役として子供にもわかりやすいニュースを伝えるので有名になった。
「こどもニュース」という題名ではあるが、ニュースのわかりやすさが評判となって、視聴者の半数以上は大人であった。
子供でもわかりやすくニュースを伝えるにはどうすればいいか、まじめに取り組んだことで、人気が出たのである。
番組で一週間のニュースをまとめるため、毎日、朝、昼、夕、夜のテレビニュースは欠かさず見るという。

ニュースは、テレビ・新聞・インターネットなど実にいろいろな方法で手に入れることができる。
その際、テレビニュースといっても、局によって、また時間帯によってずいぶん異なる内容を伝えている。民放の場合、全国をカバーしているわけではなく、とりわけ夜11時台のニュース番組は、明確に都市部サラリーマンの視点で構成されている。

新聞でも、読売、朝日、毎日、産経などの「全国紙」の読者は、主に首都圏、関西圏に限られている。紙面の構成も、大都市圏に住む読者を意識したつくりになっている。また、「全国紙」といっても、東京本社、大阪本社など複数本社制をとっていて、同じ題名の新聞でも違う新聞のような雰囲気をもっていることがしばしばである。東京の新聞を読んでいると全国のニュースが出ているかのように見えるが、関西や九州の話は非常に少ない。
地方紙の場合、その県のことは詳しく載っているが、記事や社説は共同通信や時事通信といった通信社が配信する記事を掲載していることが多い。
新聞を読む秘訣は、全部読み通そうとはせず、さっと目を通すことである。
一度に全体像をつかむことができるのが、アナログ媒体である新聞のいいところである。

著者は、常にニュースに接するようにしていて、自分でも「ニュース中毒」だと、つくづく感じているという。

2011年1月20日木曜日

勝間和代 勝間和代のビジネス脳を創る7つのフレームワーク力

2008 株式会社ディスカヴァー・ツゥエンティワン

1968年生まれ

偶然力(セレンディピティSerendipity)

セレンディピティとは、「あてにしていないものを偶然うまく発見する能力」で、イギリスの文筆家ホレス・ウォルポールが1754年に書いた童話「セレンディピティと三人の王子様」に由来する。
ビジネスの世界に限らず、すべての情報が手に入るわけではなく、偶然、手に入った限られた情報の中で、判断をしなければならない。
偶然出会う予期せぬ出来事も含め、身の回りで起こることや手にした情報を、いかに自分にとってよりよいものにしていくことができるかを考える力が「偶然力」である。
予期せぬ出来事はどうしても起こるので、それを避けるのではなく、起きたことをつねに最大限活用するべきである。
偶然力を生かすために役に立つ五つの考え方がある。
一つ目が、好奇心を発揮すること。二つ目が持続性、つまりめげずに続けること。三つ目が、楽観的に考えること。四つ目が、柔軟性を保つこと。最後が、リスクテイキング、すなわちリスクを取って果敢にチャレンジすることである。
偶然性を生かすためには、迷ったときにはリスクを取るという方向で考える。

こうした偶然力の強い人ほど、いろいろなチャンスをとらえて新しいことができる。
著者は、「起きたことはすべて正しい」という言葉を座右の銘にしている。
人でも情報でも出会いのチャンスは限られている。
たまたま出会ったチャンスをうまく利用することで、さらに別のチャンスをつかむことができるのである。

2011年1月19日水曜日

西部邁 無念の戦後史

2005 株式会社講談社

1939年生まれ

著者は、かって「60年安保闘争」を主導した全学連のリーダーの一人である。
著者が、後から振り返って見ると、あれは単なる「騒ぎ」としかいいようのないものであった。日米安保条約の改定は、日本にとって有利なものでこそあれ、不利なものではなかったからである。
著者は、あの騒動は、戦後、日本人のなかに累積されていた不平不満が解き放たれたものであったと考えている。

このころ、いわゆる55年体制のもとで、自民党が圧倒的多数を占めていた。
自民党は、「権力」であり、自民党総裁、したがって総理大臣は「権力者」と見なされていた。
自民党は単独で法案を通すことができ、したがって、社会党は、無責任に反対ばかりしていればよかったし、それを応援する一定の世論もあった。
自民党の岸首相は、その履歴とともに、いかにも強権的な権力者というキャラクターで、彼がやることは、戦前回帰をたくらんでいるように見えたのである。

この騒動では、東大生の樺美智子さんがデモの先頭に立って殺されたため、世間では、学生があんなに必死になって反対しているのだから理由があるのだろうと考えたが、じっさいは、単なる「騒ぎ」にすぎなかった。

著者は、この事件のあと、左翼過激派の運動から決別して、経済学者となり、次いで、経済学も捨てて、こんどは自称右翼の評論家となっている。
極左から極右に変わったが、アメリカ嫌いだけは一貫している。
「無念の戦後史」という題名は、奥さんが思いついてくれたそうであるが、著者の人生に重なっているわけである。

2011年1月16日日曜日

午堂登紀雄 「読む・考える・書く」技術

2010 ダイヤモンド社

1971年生まれ

著者は、「知的生産力」という言葉を、「情報をお金に換える力」という意味で使っている。つまり、「知的生産力」は、経験や情報という目に見えない素材を再構成して価値を生み出す「現代の錬金術」である。
じっさい、膨大な情報を自分の頭のなかで再構成し、文字や絵というかたちでアウトプットすることで収入を得ている人は多い。そこで必要なのは、紙とペンだけである。

現代では、ネットを通じて誰でも自分の考えを発表できるようになった。
さらに、本を出版すれば、自分の世界が広がり、読者の共感を得ることができれば、感謝され、お金まで手に入る。
出版することによるメリットは大きい。いっぽう、デメリットは、嫉妬攻撃を受けることである。しかし、出版する以上、読者からの批判や否定は覚悟しなければならない。誰もが同意し、反論される余地のないような主張をしたところで、自分が自分であることの価値にはならない。賛否両論があり人から批判されることは、それだけ読者に反応させ、考えさせることであるから、大いに価値のあることである。
どうでもいい主張は無視されるだけである。

ビジネス書でも、役所や会社などに勤めている人の書いたものは、組織に遠慮するせいか、主張が微温的で、かつ「意見にわたる部分は、あくまで個人的なものである。」などと、わざわざ断っていることもある。
それにたいして、組織を出た人の書物は、概して論争的で、自己主張の強い内容のものが目につく。当たりさわりのない表現ではなく、あえて挑発的な言葉、露骨な表現を使うことによって読者の感情に訴えようとする。
それも、目立つことによって、本を売ろうとする戦略なのであろう。
本屋の書棚には極端な主張に見えるタイトルの本があふれているが、実際に読んでみるとそれほどでもないことが多いようである。

2011年1月11日火曜日

川又三智彦 2017年 日本システムの終焉

2006年 株式会社光文社

1947年生まれ

著者は、1983年に「ウイークリーマンション」事業を始め、大成功をおさめた。
しかし、1990年3月、大蔵省から「不動産融資総量規制」という通達が出されると、銀行の態度は豹変し、著者は日本有数の資産家から大貧民へ転落した。
政府の政策によって財産を失ったのである。バブル崩壊当初は、経営者が大変な目にあわされてきた。
それと同じことが、今はサラリーマンに起きている。リストラで失業者は増え、雇用の安心はなくなり、自己破産や自殺者は激増し、犯罪も増えた。
賃金カットで住宅ローンなどの借金に苦しむ人が増えている。

政策ミスによってバブルを引き起こした国家と官僚たちは、国家財政も危機に陥れた。
国は財政破綻の回避に動き出し、バブル崩壊のツケを国民に回したのと同じように、今度は国家の借金も国民負担にしようとしている。
国を信頼してはいけない時代に入ったのである。

それでは、官僚に責任を追求したとしたらどうであろう。彼らは、財政危機を訴えたが、大臣や首相に指示されたのだと言うであろう。
予算は、国会によって審議され承認されなければならないから、責任は政治家にある。
政治家は、国民が景気対策の優先を望んだからだと言う。
このように、最終的にツケは国民に行くしかない。

仮に、国家財政が破綻しそうになると、まず大増税が必至である。
つぎに、国債が暴落して金利が高騰し、住宅ローンなどは、とても払えなくなる。
円の価値も下がって、輸入品価格が上がり、物価が高騰する。

このような事態になると、最も影響を受けるのは、国民の多くを占めるサラリーマンである。
逆に、影響が比較的少ないのは、人に必要とされる技能を持った医師や職人などである。
幕末には武士階級が没落し、それまで辛酸をなめてきた商人が浮かび上がった。
同様に、著者がこれから予想する「国家破産」においても、チャンスをつかむ人間もたくさんいるに違いない。

2011年1月9日日曜日

2011年1月7日金曜日

遠藤浩一 政権交代のまぼろし

2010 株式会社産経新聞出版

1958年生まれ

著者の主張は、だいたい以下のようになる。

自民党から民主党への政権交代は、たしかに大事件ではあったが、日本の政治体制が大転換したというのではなく、「戦後」がますます醜悪な形で固定化したのである。
平成21年8月に起こった「政権交代」は、あらかじめそれ自体が争点として設定され、釣り餌のようなマニュフェストが掲げられて、有権者の明確な意思として政権交代が実現した。この選挙で特徴的だったのは、無党派層はもちろん自民党支持層も民主党に票を投じたことである。
従来から保守層の自民党離れが進んでいたのに加えて、民主党がある程度の実力を備えてきたと認められるようになり、自民党への不満が民主党の勝利につながった。つまり、民主党に対する警戒感がなくなって、自民党に似た政党であると見なされるようになった。

民主党は、反自民という一点で、まとまっていただけなので、実際に政権を取ってみると、他の連立与党にひっかきまわされたり、党内の対立が激しくなって、政策の迷走ぶりが目立っている。
消費税についての議論を取ってみても、選挙前、自民党の麻生首相は、景気回復が最優先だが、そのあとで消費税を10%に上げさせてもらいますと言っていた。いっぽう、民主党の鳩山代表は、民主党が政権を取ったら消費税は4年間は絶対に上げない、財源などは無駄な支出を見直せはいくらでもあると言った。
ところが、そんなことは民主党のマニュフェストには書いていない。
民主党でも、藤井元財務大臣などは、消費税を4年間も上げないのは無理であろうと言っている。
民主党内でも、さまざまな意見があるのだが、実際の政策は、大臣、副大臣、政務官などわずかな人間によって決められてしまう。これが、民主党の「政治主導」の中身である。

国民の民主党政権への不満は日に日に高まっているのに、野党第一党の自民党は支持を回復できているとは言えない。
このまま民主党政権を存続させないためには、保守勢力は「自民党」という枠を超えて、国家を保守するための戦略を立てる必要がある。
自民党と民主党という二大政党は虚妄であり、このままでは、日本は破滅に向かう。
「平成の保守合同(政界再編)」は、国家再生のために不可避の課題である。

2011年1月2日日曜日

波頭亮 成熟日本への進路

―「成長論」から「分配論」へ

2010 株式会社筑摩書房

1957年生まれ

「日本はこれからどの方向に進んでいくのか。政治は迷走し、国民は困惑している。既に成熟フェーズに入った日本は必然的に国家ビジョンを差し替えなければならない。そして、経済政策や政治の仕組みを再構築しなければ、社会は一層暗く沈滞していくだけである。」

日本は成長段階から成熟段階に移ったために、従来型の国家ヴィジョンとその実現のための方法論は無効になった。
それにもかかわらず、新しいヴィジョンが示されていないために、政策は迷走し、国民は将来に向けての見通しが立たず、不安ばかりが増大している。

今の日本が最も必要としているのは、成熟段階にあって国民が豊かで幸せな生活を送ることができるような社会のしくみと運営のあり方を示す新しい国家ヴィジョンである。

今後、人口は減少し、高齢化が進展していくので、もはや経済成長は望めない。
これからの日本の国家的テーマとしては、高齢者や社会的弱者に対する対応策が重要になる。高齢者や貧困層を特に念頭において、国民全体が不安なく生活していくだけの社会保障サービスを提供していくことが、最も重要な国家の使命として求められる。

成熟社会に入っていく国家の国民としても、それに合わせた理念と知恵とを持たなければならない。
国民のすべてに生活の安心を提供するためのしくみや制度を整備することは国家の最優先課題であるが、その前提条件として社会的弱者に対する福祉と助け合いを是とする国民的合意が必要である。

成熟化社会に向けて国民生活を安心なものにするために社会保障を手厚くしていくことが不可欠であるが、そのためには、国民負担率のアップは避けて通れない。
現在、日本の国民負担率(家計と企業が得ている所得のうち税や社会保険として国家に納める金額の割合)は40.6%であるが、これをフランス並の61.2%にすれば、75兆円の税収増を見込むことができる。
可能性のある財源としては、まず消費税の増税があり、つぎに金融資産課税、相続税の大幅増税がある。

無駄なダムや空港を作る公共事業では、もはや経済は成長しない。経済の成長によって国民の所得が上がり、豊かな生活が実現するという夢を見させるのではなく、豊かな者から取り上げて貧しい者へ分配することによって、より多くの国民に衣食住を提供し、安心した生活を送れるようにしようというのである。
たしかに、そうすれば、より多くの国民が安心して生活できるようになるであろう。
もはや、増税は必然なように見えるが、はたして国民の合意が得られ、明るい未来が開けるのであろうか。