2011年4月30日土曜日

風早正宏 ここがおかしい日本の人事制度

2007  日本経済出版社

1932年生まれ

本書も参考にして、日本の会社での人事を考えてみる。

まず、入社すると、大卒も高卒も、現場に配属され、現場の長によって、評価される。評価のポイントは、会社への忠誠心、すなわち、上司に気に入られるかどうかである。その点、大卒は、なにかとエリート気取りで、会社への忠誠心に欠ける。
個人の能力差は、ほどんど無視されているので、仕事は、現場で一から教育される。ここで、空気を読んで、上司にゴマをすったり、愛社精神をアピールしたり、他の社員を率いたりできれば、現場の長から一目置かれる存在となる。

上司は、能力や実績よりも、自分の好き嫌いによって、部下を評価する。
かえって、部下に特殊な能力があると、悔しい思いをさせられた上司は、悪い評価をすることが多い。
上司は、しばしば、自分勝手で、不公正、デタラメな人事評価をしている。
それでも、会社での建て前は、部下を直接知っている上司の評価が正しいというものである。部下が上司に気を使うことによって、ピラミッド型の管理組織の秩序が成り立つからである。
部下は、人事評価に不満があっても、終身雇用が建て前なので、よその会社に移ることは、簡単にはできない。

40代では、エリートコースとその他一般コースの選別が、ほぼ終わっている。
エリートコースは、地位は上がっていくが、実際の仕事よりも、部下の管理や営業が主になる。
一般のコース以下は、能力のあるなしにかかわらず、仕事のできるベテラン女子より劣ると見なされる。
出世組は、カラ威張りしてはいるが、仕事はわからないので、現場のベテラン女子のご機嫌をうかがい、「女の子は、よくやっているが、男はダメだ。」などと言って、まるく収めようとする。

会社は、忠誠心を最も重視し、社員を特定の部署に長くとどめないようにして、専門家をつくらない。
このように、組織への従属と忠誠心を重視する日本企業のなかでは、個人が確立されることはなかった。
経済が成長しなくなれば、「終身雇用、年功序列」も、いずれ、維持することはできなくなる。
それでも、日本人がこの仕組みにこだわるのは、江戸時代の幕藩体制、儒教道徳と同じ仕組みなので、ある意味で居心地がいいのであろう。

2011年4月24日日曜日

伊東光晴 政権交代の政治経済学 その2

2010 株式会社岩波書店

郵政改革はどうなるのか

郵政民営化は、「民間でできることは、民間で」などと言われたが、それだけでは、かならずしも理由にはならない。そこで、誰が得をし、誰か損をするかというと、得をするのは郵貯・簡保を支配下におくことができる旧大蔵省および郵貯の力を弱くしたい銀行である。損をするのは、合理化や閉鎖されるおそれのある地方の特定郵便局などの郵政族である。

郵政族の力も強かったので、西川社長が「かんぽの宿」を売却しようとすると、鳩山総務大臣は、許可しなかった。
「かんぽの宿」は、利益をあげることを目的とするものではなかったのだが、利益をあげることを目的とする民間企業のやり方で、これを処理しようとすれば、郵便事業ではないのだから、売ってしまうのも、ひとつの方法である。
オリックスに売る価格が安すぎるとしても、さらに転売して儲けるのでなければ、利権とまでは言えない。
民間企業では、いくらコストがかかったものでも、将来利益にならないのであれば、安くても売ったほうが合理的である。
三井住友銀行の頭取として経営手腕を買われた西川社長であったが、辞任に追い込まれたのは無念であったろう。

他方では、過疎地の郵便局が採算に合わないため無くなったり、郵便や宅配が遅れるとすれば、民営化がよいことだとは言えない。
民営化をすると、どうなるのかが十分議論されず、言葉だけが一人歩きしたのかもしれない。

年金問題について

長妻氏は、年金問題で厚生労働省を追いつめ、政治家としての点数を上げ、厚生労働大臣になった。
著者は、氏の激しい批判に違和感を禁じえなかったと言う。
消えた年金問題は、制度設計に誤りがあり、その責任は各政党にあると考えるからである。
日本では、年金は自己申告制であり、自己申告が無ければ、年金記録は断片的にならざるを得ない。
責任の一端は年金記録に無頓着で、場合によっては虚偽の申告すらおこなっていた企業や一部国民にもある。
社会保険庁だけを責め続けるのは、フェアとは言えないだろう。
制度設計に責任がある政党の責任を不問にして、年金記録の無駄な作業のために巨額の税金が費やされている。

自民党の枡添氏と同じように、政治家が役人を攻撃して国民の歓心を買おうとしている一面が見える。

2011年4月23日土曜日

佐野研二郎 今日から始める 思考のダイエット

2010 株式会社マガジンハウス

1972年生まれ

著者は、アートディレクターとしてさまざまな企業のブランディングや商品開発などを手がけてきた。
アートディレクターの仕事は、いろいろな問題や課題にとりくんで、シンプルで明快、強い印象のある視覚的コミュニケーションをつくることである。

「昨日食べたものを、覚えていますか?
もし、昨日、焼き肉を食べたのだとしたら、それを強く記憶しているはずですが、バランスよい定食を食べたのだとしたら、そこに何が入っていたか、思い出すのはなかなか難しいはずです。記憶に残るのは、いろいろな情報が入っているものよりも、たったひとつの情報しかないものなのです。つまり、人の記憶に残るのは幕の内弁当より、カルビ弁当といえるのです。」(p110)

著者は、この手法をもちいながら、広告キャンペーンを企画してきた。
伝えたい情報を一点に集中させることで、目立ち、人の記憶に残るコミュニケーションを作ることができた。

わかりやすい言葉をくりかえし聞かされていると、人は、その気になりやすい。
政治の世界でも、「郵政民営化」、「政権交代」など同じ言葉を何度も聞かされているうちに、国民はその気にさせられてきたといえるだろう。

2011年4月22日金曜日

北品川 御殿山


原美術館


2011年4月21日木曜日

高井伸夫 3分間社長塾

2004 株式会社かんき出版

カップヌードル
日清食品の創業者である安藤百福氏は、チキンラーメンを売り出すためアメリカに視察にでかけたところ、あるバイヤーがサンプルのチキンラーメンを小さく割って、紙コップに入れてフォークで食べていたのを目にした。
最初から紙コップのような容器をつけて売れば、丼も要らないし、気軽にラーメンを食べられるのではないかと考えた氏は、帰国後、さっそくカップラーメンの開発を指示した。そうして誕生したのが、世界各国で食べられているカップヌードルである。

アサヒスーパードライ
長期低迷していたアサヒビールが、生まれ変わりを目指してキリンへの挑戦に立ち上がったとき、アサヒビールは社運をかけて、勝つための方法を、兵法および兵学に学んだ。兵法では、弱者が強者に勝つためには、4つの方法がある。①一点集中、②少数精鋭、③個別撃破、④奇襲戦法の4つである。
そこでアサヒは、まず一点に全力集中することにした。こうして経営資源を全力投球して生まれたのがアサヒスーパードライである。

ナンバーワンよりオンリーワン
ナンバーワン企業は、他社との際限のない競争によって体力を弱め、市場が縮小すれば他社といっしょに淘汰されてしまう可能性がある。いっぽう、オンリーワンは他社とおなじ土俵で争うのではなく、他社にまねのできない商品やサービスを開発して、自社だけの土俵で勝負する。自社だけの市場を作り出せれば、他社がどんな戦略を取ろうと左右されないのである。
ただ、米国産牛肉の輸入がストップしたとき、牛丼に特化していた吉野家は、苦戦を余儀なくされた。
そして、今回、ナンバーワンかつオンリーワンで絶対安全だと思われていた東京電力が苦境に陥っている。
なにが起こるかわからないものである。

2011年4月20日水曜日

伊東光晴 政権交代の政治経済学-期待と現実

2010 株式会社岩波書店

1927年生まれ

自公連立政権から民主党を中心とする政権に交代したことのメリットは高く評価されねばならない。
まず、自公長期政権と利益集団との癒着関係がもたらした社会のゆがみの是正、つぎに野党時代に貯えた人材と知識の顕在化である。
新しいダムは作らないという民主党の政策を著者は支持する。
ダムの建設は、それが必要なものかどうかとはべつに、莫大な利権を、その地域にもたらす。
土木建設業者と自民党の政治家との癒着を絶っただけでも政権交代の意味は大きい。

しかし、民主党政権が動き出すにつれて、自民党との違いを示すことができず、自民党化している。
普天間問題では、対米対等路線を打ち出すことはできなかった。
菅首相は、選挙中に消費税を上げるべきだと言った。菅首相の消費税引き上げ論が、たとえ正しかったとしても、選挙という場でそれが理解され、説得が成功することはない。大衆社会の庶民は、理性や知性の上に立った「市民」ではない。マスコミや感情によって大きくゆれるのである。
この点で、消費税引き上げを選挙で口にすることに反対した小沢一郎のほうが政治感覚ではるかに上である。

民主党と自民党を区別するものは、自民党の右翼的体質である。
自民党や、自民党を割ってでた群小新党は、憲法9条の改正および核武装の検討に、それができないことを知りつつ、前向きの姿勢を示している。
民主党が自民党に近づいたので、自民党は、さらに右傾化せざるをえなくなったのだろうか。

いかなる政権であっても、長期間政権の座にあるならば、腐敗を内蔵する。
政権交代の可能性があること自体が、腐敗を防止することになる。

2011年4月19日火曜日

池田信夫 希望を捨てる勇気

2009 ダイヤモンド社

1953年生まれ

著者の主張は、一般的とは言えないが、ひとつの見識である。

高度成長期は、だれにでもチャンスがあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、今は正社員という椅子にすわっている老人が、ずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流しそうである。

日本が直面しているのは、循環的な不況ではなく、成長から停滞、そして衰退へという大きな変化である。
日本は、やがて、落ち着いた、しかし格差の固定した階級社会になるだろう。
明日は今日よりもよくなるという希望を捨てる勇気をもち、あきらめればそれもいいのかもしれない。
そのうち景気が良くなるかのような希望を持って、長期停滞が続くままにしておけば、そのようになるだろう。
いま日本に足りないのは希望ではなく、変えなければ未来がないという絶望ではないだろうか。

日本的経営の特徴とされてきた終身雇用、年功序列、企業別組合とは、戦時中の統制計画経済から始まったものである。
このような日本的経営が行き詰まっているのであれば、それを変えるしかない。
労働者は弱いという前提で、戦後の制度は作られているが、労働組合は強く、解雇は容易ではない。
経営者の役割は、利益をだして、会社を成長させることにあり、雇用を守ることではないはずである。それが、従業員を解雇しようとする経営者にたいして世間の目や裁判所が厳しくなって、うっかり解雇できなくなった。そのため、経営者は、新規の雇用に慎重にならざるをえなくなり、新卒を採用しないで非正社員に替えるようになった。
これが、若者が就職できない理由のひとつである。

経営者は、もっと容易に従業員を解雇できるようにし、そのかわり人材を流動化して、転職を容易にするべきである。
終身雇用、年功序列の慣習をやめ、ろくな仕事もしないで高給をとっている高齢者を企業からはやく出さなければならない。
すべての人にチャンスがあり、努力すれば報われるという希望を取り戻し、活気ある社会にしなければならない。

2011年4月16日土曜日

逢沢明 京大式ロジカルシンキング

2003 株式会社サンマーク出版

「議論に強くなりたい、説得力のある話し方ができるようになりたい、そのためには論理が必要である」と考える人は多い。
だが、それは相手が論理に理解を示してくれる場合である。
じっさいには、しばしば、相手は論理を理解できなかったり、論理を無視してかかってくる。このような人と議論するときには、噛んで含めるように説明し、何を議論しているのか、つねに明らかにしなければならない。
道理が通じない相手のばあい、ときには、相手の言うことを単にがまんして30分程度聞いてあげるという方法が効果的である。あいづちを打って聞いているうちに、相手は自分で自分の言葉に納得して、こちらを友達のように思い始めてくれたりすることもある。
決して強弁を曲げない相手であれば、聴衆などの第三者にたいしてアピールするとか、相手の議論の細部を攻めるとか、相手の知らなさそうな単語を言って相手の思考を停止させるというテクニックもある。
いろいろな論争術があるけれども、人は、論理で動くとは限らないので、人を動かすのは非常に難しい。
広い意味では、人は利害関係によって動くと思われるが、利害関係とは、単に経済的なものばかりではなく、感情的なものや、社会的なものも含まれる。
それならば、人を説得しようなどとめんどくさいことを試みるより、いっそのこと、人とつきあわない方が簡単だと思えてくる。

かって、京都学派では、たくさんの仲間を集め、徹底的に議論することによって、独創的な研究をすすめたそうである。
たがいの意見を戦わせた結果、より高いアイデアに到達できるとすれば、それは理想的であろう。
この点で、ブレーンストーミングという方法は、自由に意見を述べることを重視する。
しかし、その気になって自由に意見を述べ上司などを論破すると、恨まれて、後で仕返しされるということも現実にはよくあることではないだろうか。

2011年4月15日金曜日

2011年4月14日木曜日

渡邉美樹 「戦う組織」の作り方

2009 PHP研究所

1959年生まれ

著者は、1984年、居酒屋チェーンの「つぼ八」の高円寺北口店を出店することから始めて、いまでは東証1部上場、従業員4000人、売上高1100億円を超えるワタミの経営者となった。
事業内容も外食から始めて、介護、宅配弁当、農業へと広がった。

2009年には、著者は社長を退いて、会長になるつもりである。
まだ第一線で働ける年齢なのに会長に退くのは、ワタミを創業者である著者がいなくなっても存続できる会社にするためである。
ワタミでは、農業を21世紀の主役の事業に据えようと力を注いでいる。日本の農業は、高齢化が進んでおり、その担い手は減り続けている。これからは、株式会社が農業へ参入することによって、農業の産業化を進めるしかないと考えている。

ワタミグループのスローガンは、「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」である。この理念で、介護事業や農業を展開していこうとしている。

著者は、学校法人や医療法人の経営にも携わっており、今後の社会のモデルとなるような学校や病院を作りたいと思っている。

著者の元気の秘密は夢を持ち続けていることであり、みんなを幸せにするために、もっと何かできるはずだと思いこんでいるためである。

2011年4月13日水曜日

矢次一夫 東條英機とその時代

昭和59年 三天書房

1899~1983

東條英機は明治17年(1884)に、軍人の子供として生まれた。
少年時代は、喧嘩っ早く、負けず嫌いで、自信が強く、「喧嘩屋東條」とあだ名をつけられた。長ずるに従って、「カミソリ東條」と言われるように、頭の回転は早く、人に対する愛憎好悪が激しく、冗談を理解せず、人から畏れられる人物となった。

東條には、派閥といったものはなく、政治家というより、官僚将校というのがふさわしい。ただ、苛烈酷博な憲兵活動などの例があり、首相時代は、彼に逆らうのは容易ではなかった。

昭和16年、近衛文麿が、日米交渉に行き詰まり内閣を投げ出した後、重臣たちは、後継首相に東條を推した。強硬な陸軍を押さえられるのは、東條しかなく、「日米不戦」の原点に戻って対米交渉を行うことが期待された。
ところが、アメリカ側は、東條内閣の成立を、日本がいよいよ対米戦争をするつもりだと見なした。
このころ、アメリカとの戦争は切迫しており、「交渉」といっても、互いにだましあいながら、準備の時間を稼ぐという感があった。

日本では、軍部が主導権を握ったままで、政治家と官僚のアドバイスを利用していたにすぎなかった。
対米交渉についても譲歩する柔軟性がなく、むしろ一貫して硬直した姿勢で押し通したので、妥協に至ることができなかた。

真珠湾攻撃がアメリカによって仕掛けられた罠であったという説がある。
日本と違ってアメリカでは、軍人ではなく政治家が主導権を握っており、戦争をするためには正当な理由がなければならない。
ルーズベルトやハルは、まず、何とかして、日本に先に発砲させようとして、あの手この手を使っていたという見方がある。
政治力においては、ルーズベルトは近衛や東條より、はるかに上であった。真珠湾攻撃によってアメリカ人の愛国心は沸き立った。

昭和19年、サイパン島が陥落すると、重臣たちは東條内閣打倒に動き東條内閣は退陣した。

2011年4月5日火曜日

東急綱島


綱島温泉

飯田家長屋門

綱島公園


2011年4月4日月曜日

河谷史夫 記者風伝

2009 朝日新聞出版

1945年生まれ

「新聞記者のなりそこないが小説家になり、小説家のなりそこないが新聞記者になるという説がある。」(p51)
「新聞記者には、『堀り屋』と『書き屋』がある。取材対象に迫り、一体になってまでも材料を取ってくるのがいなければどだい話にならないが、これはたいてい文章を不得手とする。記事表現をするためには『書き屋』がいなければならない。」(p104)
「書かない大記者」というのがいて、「書かない」という約束を守ってくれるという信用があったので、政治家がいろいろなことを打ち明けてくれるので、いよいよ書けなくなったということである。

新聞記者は、どのような人がなるかというと、たいていは、頭がよく文章がうまい人が新聞社に入り、「新聞記者」になるのであって、はじめから「新聞記者」がいるわけではない。
記者が新聞社の花形であるのは、大学における教授、病院における医師のようなものではないだろうか。
文章がうまいので、井上靖や司馬遼太郎のように、小説家などになって大成した人もいる。
著者は、「戦後のある時期、新聞が輝き、新聞記者が輝いていた時代がたしかにあったのだ」と言う。
戦時中は、抑圧され統制されて、一億一心とか、玉砕とか、醜敵撃滅とかの言葉を使って文章を書き綴り、読者に訴えて来たが、戦後は自由にものが言えるようになった。
言いたくても言えなかったのだとばかり、一度にはきだした。
しかし、新聞記者の多くは、戦時中の記事に責任を取ることはなく、手のひらをかえしたので、批判の声があったのは当然であろう。

「所詮、新聞記者といふやつは筆先の技巧一つで黒を白とさへいひくるめるペンの職人でしかないといふ印象を与へはしないだろうか」と書く新聞人もあった。
この点では、今も、あまり変わりはなさそうである。
新聞記者は、新聞社という大組織のなかで、個人としての責任は負うことなく、新聞が売れるような記事、言いかえれば、読者が喜びそうな記事を書いてきたという面はあるだろう。