2020年5月6日水曜日

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史

2020年 日経コンピュータ

みずほ銀行は、1999年、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行のトップが合併を決めて誕生した。
現代の銀行は、巨大なシステム産業であり、装置産業である。
そのため、大銀行の合併となると、そう簡単ではないことが予想される。
しかし、銀行のトップは、ITに関してはそれぼど知識もなく、深刻に考えていなかったのかもしれない。
日本興業銀行は日立、富士銀行はIBM、第一勧業銀行は富士通のシステムを、それぞれ使っていた。
そのうち、第一勧業銀行は、富士通のメインバンクであり、結びつきが強かった。
そのため、第一勧業銀行のトップは、富士通のシステムを残すことに強くこだわっていた。
システムの統合は難航し、結局、旧銀行のシステムは残したまま、新たにリレーコンピューターを導入することになった。
この間のゴタゴタが、合併当初2002年のシステムトラブルを招いた。
その後、旧第一勧業銀行・富士通のシステムに旧富士銀行側も合わせることで、運用していた。
ところが、2011年、東日本大震災の際、多数の義援金振り込みが特定の口座に集中したため、システムが停止し、原因の究明に時間がかかり、ATMが数日間も使えなくなり、振り込みもできないというトラブルが発生した。
この時は、金融庁から業務改善命令を受け、世間から激しい非難を浴びた。
これに対して、みずほフィナンシャルグループは、システムを初めから全面的に作り直すことにした。そのため、膨大な時間、金、人財が費やされ、何回も土日にATMを止めてテストが繰り返された。
そして、2019年に新しいシステムが完成し、経営者は、これでようやく”One MIZUHO”になったと胸を張る。
これからは、支店の統廃合も容易になり、事務担当者やシステム要員も減らすことができるという。
余った人員は、営業やコンサルティングに回すと言うが、はたして、そんなことができるのだろうか。
(ここで言っている「システム」とは、「勘定系システム」のこと。また、2011年のシステムダウンは、富士通のコンピューターの性能が劣っていたというわけではない。)