2009年6月29日月曜日

諸井薫 あるリタイアメント(その2)

ここでは、本書から2つの文章を引用させていただく。

まず、「サラリーマンの椅子」から。

「<失脚>というのは、馬で出仕する身分の武士が出仕を停止される、つまり馬という<脚>を失うことから出ていると誰かに聞いたことがあるが、真否のほどは知らない。・・・一般サラリーマンにとってのそれは、同じ脚でもオフィスの椅子ではないだろうか。・・・つまりサラリーマンの昇進というのは、名刺の肩書が変わるだけでなく、誰の目にも出世が明らかなように椅子のグレードが段階的に上がっていくわけで、サラリーマンはその次なる椅子を目指して死力を尽くす競技といえなくもない。・・・今も昔も男達の椅子に残す恨みには只ならないものがある。」

つぎに「名刺」から。

「つい二年ほど前から、私の名刺は表面に氏名だけ、裏面に事務所の住所、電話、ファクシミリの番号、自宅のそれを刷り込んだものを用いるようになった。・・・人様にこの名刺を渡すと、ほとんどの人が、『いいですね、こういうすっきりした名刺』と一種の羨望をこめてそう言う。・・・私はそのたびに、いささかの揶揄をこめてこう応じる。『・・・そうでしょうか。こういう名刺しか持てない生活というのは心細いものですよ、なんの保証もないのですから。もっともたっぷり蓄えでもあって悠々自適、仕事は単なる道楽というならまた別ですがね』
すると、自分がそんな肩書なしの名刺を持つしかなくなった日に思いをめぐらすのか、一瞬その人の目にたじろぎの色が泛ぶのを、私は意地悪くたしかめるのである。」

椅子も名刺もサラリーマン生活になじみ深いものである。

サラリーマンがリタイアしてから現役時代のことを書くと、屈折した心理が反映されがちである。会社を辞めれば、しょせん自分には関係のないことであるはずだが、会社人間であった人ほど現役時代にこだわるのかもしれない。
そうかと言って、新天地を目指せば、そこにはすでにその道の専門家がある地位を占めている。自分など、ただの素人であることを思い知らされるのである。
60過ぎてから新しいことを始めるのは大変である。それでも、未知の世界が果てしなく広がっていることを思えば、いくぶんかでも前向きな気持ちになるものだ。

2009年6月28日日曜日

諸井薫 あるリタイアメント

1994 株式会社作品社

著者は1931~2001

「男」は去年の春61歳で会社を辞めた。男は出版社の社長であったが、一昨年に胃の3分の2を取った。だから、物書きとの2足のわらじを履き続けているのにもこのさいけりをつけて、自分から退任したのである。物書きの仕事に専念するため、新しい事務所を都心に借りることにした。半年もすぎ、ようやく新しい生活にも馴れた。文筆の仕事も見通しがつきなんとかマイペースの生活を手に入れることができたような気がしている。その後、随筆のような文章を新聞や雑誌に連載するようになった。

「男」と著者とはかなりの部分重なるであろうから、本書の話もそのうちのいくつかであろう。社長を引退して文筆ひとすじになって、かえって文章に緊張感のようなものが無くなるということはないのだろうか。リタイアすると、それまであった他人との接触が少なくなり、精神的ストレスは減る。ただ、小説家などの文筆業の場合、刺激が少なくなることは良いことばかりではなさそうだ。入れ歯や病気の話題も自然に出てくるようになる。

60すぎの生き方もさまざまである。リタイアする人生もあれば、いくつかの大企業の社長や役員を渡り歩く元高級官僚もいる。もちろん政治家は現役バリバリである。一生懸命生きてきた人生が充実してくるには、そのくらいの年月がかかるのかもしれない。であるから、臨機応変に対応していくしかない。

歳取ったと思えばそのとおり、若いといえばそのとおりである。

2009年6月27日土曜日

辰巳渚 常識を捨てると世の中が変わる 「捨てる」講座

2002 東京新聞出版局

1965年生まれ。2000年に「捨てる」技術」でモノ余りの時代の新しい生活哲学を提唱。豊かに楽しく生きるための方法を考え続けている。

2002年頃と今2009年とでは、時代の空気が少しではあるが違っているような気がする。この本が出たころは、日本人が、誰もが豊かであるかのように思っていたのかもしれない。現在、私たちは自分たちを決して豊かだとは思っていないのではないだろうか。

一見、「捨てる技術」の時代は、私たちが自分たちを豊かだと思っていた頃のことのようである。ただ、著者が言っていることは、これからも通用することで生活に対する見方について書いている。いつのまにか常識の罠にとらわれていることは反省すべきである。

それにしても「捨てる技術」という言葉自体が今の状況にあわなくなっており、今では、循環型社会という標語のもとで、リサイクルして使う時代になっている。

1969年に作家の司馬遼太郎が「坂の上の雲」という小説を著わしている。明治維新から日露戦争までの時代、ヨーロッパと同じ力の軍隊を持つ強い国家を作り上げようとひたすら突き進んだ日本を描いたものだ。
坂の上の青い空に、輝く白い雲があるとすれば、それをのみ見つめて登ってゆく軍人や文化人を形容したものだという。
坂をのぼりつめてみれば、かってあれほど輝き確固として見えた雲は霧のようにぼんやりと飛び散ってしまった。これからの日本の社会は衰退してゆくのが誰の目にも明らかになりつつある。
そんな時代に、はたして何ができるのだろうか?

私たちは知らず知らずのうちに、常識的かつ一般的な考え方、価値観、発想にとらわれてしまっている。それが、当り前であるかのように、無意識のうちに思い込まされているものがある。「人並み」というのは、たしかに安易な発想であるが、いつのまにかそれにとらわれて行動してしまっている。
よく考えてみれば、怖いことだ。

いままでの常識を疑って、自分でよく考えた生き方ができるようになりたいものだ。

2009年6月26日金曜日

世阿弥 風姿花伝

1958 野上豊一郎 西尾実 校訂 岩波文庫

花伝書ともいう。子や孫に自分が受け継いだ能の真髄について伝える書である。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉は有名である。私は、能を鑑賞する機会がないので、芸能としての能についてあれこれ言うことはできない。それでも、窮屈な装束にしばられ、能面に視界を制限されるという不自由さのなかで人を感動させるのは並大抵のことではなかろうと想像する。

「第一 年来稽古条々」の部分は、今では、人生論としての読み方がされている。そのうち、五十有余の年齢について、世阿弥は、麒麟も老いては駄馬にも劣るという諺があるという。まったく手厳しい言い方である。だがその後で、「誠に得たらん能者ならば・・・花は残るべし」という。そして亡父(観阿弥)についてふれ、52歳の5月19日に死去したが、その月の4日に演じた能はまことに花やかで一同賛美したという。「これ、目のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」と書いている。当時は、今とはちがい50歳は老年であった。

老人と花とはイメージに結びつくものがあるようだ。子供の頃、読み聞かされた童話の「はなさかじじいい」の記憶があるからだろうか。老人は枯れ木に花を咲かせる不思議な力を持っていると昔から人は考えたのであろうか。枯れ木に灰をまいて満開の花を咲かせるとは、さぞや豪快なながめであろう。

外から見ると枯れ木に花が咲いたように見える。しかし、実は枯れていなかったのである。外見は老いているが、本人は少しも自分を老人とは思っていない。私も今の歳になると、そのような気持ちも以前より解る気がする。誰でも、たとえ地味な花ではあっても、もうひと花咲かせてやりたいと思っているものだ。
ただし、本書でも「花と申すも、去年咲きし種なり」と書いてある。また、「年寄りの冷水」という諺もある。無理はできない。

2009年6月25日木曜日

生麦付近

生麦事件跡の石碑(発生現場は別の場所です)




鶴見川河口付近
(ほどんどコンクリートの堤防です)

2009年6月24日水曜日

東海道神奈川宿あたり


青木橋のそばにある本覚寺(横浜開港時のアメリカ領事館跡)
第2京浜国道青木橋付近から横浜駅付近のビルを見る

2009年6月22日月曜日

水谷研治 日本経済・絶望の先にある希望

水谷研治 日本経済・絶望の先にある希望
「大デフレ」「悪性インフレ」を超えて
2009.4 PHP研究所

著者は1933年生まれ 東海銀行のエコノミストとしてかっては、メディアによく出ていた。

題名にあるように、著者によれば日本経済の未来は暗い。政府の膨大な財政赤字が40年以上も続いているために、それが極めて異常であることの認識が国民にはまったくない。このように極端な赤字を続けることはできない。赤字によって押し上げられてきた経済は正常な水準へ大きく下落する。大増税と経済水準の大幅な引き下げは不可避である。財政改革を実行すれば、景気は急落して大デフレになる。しかし、その後、日本経済はあくぬけして再生する可能性があると著者は言う。

いっぽう、景気の悪化を嫌って改革を先送りすれば、将来予想されることは悪性インフレと国家経済の破たんである。内国債残高は680兆円、これに対して租税収入は年に46兆円である。これは国の財政は夕張市よりはるかに悪いということである。著者は日本経済の将来について悶々たる思いを抱いているという。

日本経済は戦後一貫して経済成長を続けてきた。将来のことを予想することは難しい。そこで、このままの流れが続くかのように考えがちである。しかし、実は、その保証はない。経済が成長しなくなったからである。このままでは、明るい将来の展望は開けそうにない。アメリカの膨大な貿易赤字によって、日本経済は押し上げられてきた。そのアメリカも、もはやかってのような強大な国ではなくなってきた。

著者は、現在のような事態をまねいたのは国民が目先の利益を優先した結果であるとしている。景気が悪くなると、政府の責任であるとして、つねに政府は景気対策をすべきだとの世論が作られる。政治家は国民の意思に従わざるを得ない。しかし、いつまでも景気対策を続けることはできない。財政改革のためには、大増税は必然である。著者の見方はかなり厳しく、現在の国民は生活を切り詰めて将来の国民の負担を削減するべきだという。

以上の話はまったく嬉しくはないが、ただちに反論することも難しいと思う。大いにあり得るシナリオであることは事実である。また他方では、現在の世論として大増税も受け入れられないではないだろうか。

けっきょく重苦しい読後感が残る。

2009年6月19日金曜日

六郷用水跡




旧六郷用水跡
(東急多摩川駅から沼部駅
の間)
下流は緑道などになっています。
池上で、呑川と合流します。
(呑川は世田谷区桜新町駅
付近が昔の源流です)

2009年6月17日水曜日

志賀浩二 数と量の出会い 数学入門

志賀浩二 数と量の出会い 数学入門
大人のための数学 1巻 
2007 株式会社紀伊国屋書店

数にも歴史がある。紀元前3500年頃、古代メソポタミアでは数学が誕生していたようである。古代メソポタミアでは60進法が使われていた。60進法は不便だったろうと思われるかもしれないが、なぜ60進法が用いられたのだろうか。10をわりきる数は2と5だけであるが、60をわりきる数は、2,3,4,5,6,10,12,15,20,30である。わりきれる数が多いと使いやすいことも多い。実際、現代でも1分は60秒、1時間は60分である。角度を1周360°と決めたのもバビロニアからである。(バビロニアでは1年360日であった。)

いま私たちが使っている数字1,2,3,4,5,6,7,8,9は古代インドにその原形がある。インドから8世紀頃アラビアに伝わり、13世紀頃からヨーロッパでもしだいに使われるようになった。0は、古代インドで5世紀頃から用いられていたようである。小数は17世紀初頭に対数表を作成するときに使われるようになったという。分数は歴史は古いが、現代では学校で習うだけで社会から消えてしまったという。私は、なるほど電卓の普及で分数が使われなくなったのかと思ったら、そうではなく分数のばあい、数の大小がすぐにわからないため不便であるからだという。現在では2進法で表わされる数がコンピューターのなかを走り回っている。2進法を最初に考えたのは、ライプニッツである。
以上、本書による。

現在ではA,B,C,D,E,Fも数である。コンピューターが使われるようになってから、16進法が登場した。16進法のAは10進法の10であり、Fは10進法の15である。
私などは、60という数字から還暦を連想する。還暦とは、60年で生まれた年の干支(えと)に還るからいう。十二支と十干を組み合わせて用いたのである。名前はややこしいが、10と12の最小公倍数が60であることによる。
私たちの生活は、特に意識しないところで古代からの正や負の遺産を受け継いでいるものだ。

2009年6月16日火曜日

ブログで他人の著作物を利用する

読書から学ぶことは多いが、かんたんに忘れてしまう。印象に残ったことなどを、記憶に残っているうちに書き留めておきたいと思う。そんなこともあって、「ブログ」を書き始めてみた。
ところが、「ブログ」の場合、特に意図しなくても不特定多数の読者に公開している。最近、本のなかには「本書は著作権上の保護を受けています。本書の一部または全部について○○から文書による許可を得ずに、いかなる方法においても無断で転写、複製することは禁じられています」とプリントされているものがある。
そこで、著作権法であるが、第32条①はつきのように書かれている。「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」また、第48条では著作物の出所および著作者名を明示しなければならないとしている。
なにげなく始めたとはいえ、当然そうした法律上の制約を受けることになる。個人情報とか著作権とか個人の権利に対する意識に配慮しなければならないことになる。

ただ、人の社会は他人から得た情報を共有することによって、成り立っている。「著作権上の保護を受けています」という本も、内容はといえば、真に独創的なものばかりではなく、他からの情報やアイデアを借用したものであることがしばしばではないだろうか。
「天の下に、新しきものなし」ということわざがある。数学で有名なピタゴラスの定理の証明方法は200通り以上も発見されているという。(これも、どこかの本に書いてあったのであるが、忘れてしまった。)「これは自分だけ」と思っても、思い込みであることが多いのではないだろうか。

2009年6月14日日曜日

デイブ・カンサス ウォールストリート・ジャーナル発、米国金融危機の全貌

2009.5 酒井泰介訳 株式会社翔泳社

今回の金融危機は、住宅価格が上がり続けていくという楽観的な見通しのもとに住宅価格バブルが発生し、さらに住宅ローン、とりわけサブプライムローンを担保として複雑な金融商品が多量に出回ったあげく、市場にその安全性にたいする疑心暗鬼が広がってパニックに陥ったのが原因である。もともと、銀行貸し出しのなかでも住宅ローンは最も安全でリスクの少ないものと思われてきた。個人の住宅ローンとは、個人が自分で住む住宅を給料の中から長期間にわたって払い続けるものである。そのため、事業の成功・失敗に依存する企業向けの貸出よりはるかに安全なはずだ。また、債務者が支払い不能になれば、担保に取っていた不動産を売ればいい。このため、住宅ローンを証券化した金融商品とはきわめて安全性が高いと思われていた。
長期間にわたる住宅価格の上昇はリスクに対する認識を甘くしてしまったのである。

多くの専門家も、金融システムの崩壊が起きかねない可能性を指摘してはいたが、その引き金になるものがあるとすれば、ドルの暴落だとされるのが常であった。ドル暴落が経済危機を主導する可能性は、たびたび指摘されてきた。米国政府が財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を抱え込んでいるかぎりその可能性は消えていない。

この金融危機とその後の景気後退のゆくえについて、著者はウォール街の多くの関係者が予想するような長く厳しい不況よりも、むしろ厳しく過酷だが短い不況のほうが現実的であると述べている。
いまのところ、確かなことはわからない。だが、著者は、民主的な資本主義は弾力性に富んでおり結局は自ら立ち直るものだと言っている。

2009年6月11日木曜日

浜田和幸 「大恐慌」以後の世界 多極化かアメリカの復活か

2008.11 光文社ペーパーバックス

2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻で始まった金融危機で、ウォールストリートはほぼ壊滅した。本書が出た11月には、これはもはや金融危機と呼べる代物ではなく、「世界大恐慌」の再来といっても過言ではないように思われた。それから半年以上経た今では、いくぶん危機感も和らいできたようだ。本書に書いてあるように、アメリカが世界覇権を失いつつあるのは間違いないようだ。代わって台頭してくるであろう中国、インド、ロシアのいずれも不安要因を抱えている。本書はペーパーバックスであり、情報の出どころが明らかにされていないのであるが、なるほどと思わせる。

私が注目したのは、まずインドの経済成長の目覚ましさである。世界最大の鉄鋼メーカーであるアルセロール・ミッタルのCFOがこう言うのだという。「アメリカでなにが起ころうと、世界のほかの地域に目を向ければ成長する可能性がいくらでも見つかる。・・・アメリカ発の金融危機など一時的な激震に過ぎません。」ほかにも、インドを代表するタタ・グループ傘下のタタ自動車は、2008年3月、英国の老舗自動車ブランド「ジャガー」と「ランドローバー」を買収した。
つぎに私が初めて聞いたので意外であったのは、福田前首相が突然政権を放り出してしまった理由である。本書によると、福田前首相は「じつは、アメリカ政府からしつこく"ドルを融通してくれ"との圧力を受けていたようなのだ。しかも、それは半端な金額ではなかった。じつに、日本が保有する全外貨準備高にあたる1兆ドル(約100兆円)の提供を求められていたという。・・・アメリカのムシのよすぎる話に福田前首相はキレてしまったというのである。」なるほど、ブッシュ前大統領であれば、あの当時そのような話があったとしてもおかしくはない。いっさい言い訳をしないで辞めた福田前首相は、じつは意外なサムライだったかもしれないとうのが著者の言である。政治の裏には何があっても不思議でないわけだ。

2009年6月10日水曜日

梅雨入り


子安台公園から鶴見方面をのぞむ

黒木哲徳 なっとくする数学記号

2001 株式会社講談社

数学の本である。数学嫌いにも数学の記号はなぜあのようなのか分かれば親しみも増すかもしれない。今、学校で教えている数学は、だいたい300年位前の時代にできたものが多いようだ。決して最新の学問ではないのである。いまも進歩を続けているのではあるが。したがって、数学にも、その記号にも歴史がある。その一部をあげると・・・

∞はイギリスのウォリスが考えたもので、彼の著書「無限の算術」(1656年)で初めて使われた記号だという。

cent(100)がctoと縮めて書かれ、tが単なる棒になり、%の記号が生まれたようである。

√:この記号は根(radix)のrから来たというのがオイラーの説である。現在のように上の棒を長くしたのはデカルトである。

πは円周率の記号である。ギリシャ語の円周を意味するペリフェリスの頭文字から来ている。ちなみに半径を意味するr(radius)はラテン語で光線の意味である。

対数の記号は、1624年にケプラーがLogを使い、その後オイラーが常用対数にlogを使い、それ以外の底の対数にlを使った。また、この対数(logarithm)という用語はネイピアが考えたもので、ギリシャ語のロゴス (関係)とアリトモス(数)を組み合わせたものだという。

eという記号はオイラー(Euler)が1736年に導入したものである。

幾何学には、三角形の内角の和が常に180度より小さい幾何学も大きい幾何学も存在する。このことから分かることは、数学は絶対的真理というわけではなく、ある公準や公理のもとで導き出された真理にすぎないということである。

数学の発見と成果は何世紀にもわたって発展していく。

2009年6月9日火曜日

季節の花

あじさい                 花しょうぶ 馬場花木園にて



高橋源一郎 もっとも危険な読書

2001 朝日新聞社

p391より

”だが、観客Bはこういう。「私はコンピューター・ディスプレイで読む本を、今はまだ本と感じていない。しかし、すでに私は映画館という出口で見る映画(フィルム)のほかに、自宅のテレビというもう一つの出口で見る映画(ビデオやDVD)をも映画と感じるようになっている。映画には二つの出口が存在するという現実を承認している。・・・・わたしもまた、インターネットにアクセスし、その茫洋とした海の中を彷徨う。そこでは書くことと読むことの垣根がついに消失しようとしている。そして、それがどこにたどり着くのか誰も知らないのである。”

p399 より

”そこにあるのはただの一冊の本、あるいはノート。手を伸ばし、頁を開き、視線を走らせる。読書はただそれだけの単純な行為にすぎない。けれども、その小さな紙の塊が異様なものに見える時が、近づくと火傷をするような、こちらの何もかもが危険に晒されるような気がする時がある。手招きされた店の裏側にひっそりと隠されていた発禁本、あらゆるタブーに挑戦しているため決して表面に浮かび上がってくることのない小さなカルト雑誌、ほんとうは読むべきではないのにどうしても頁をめくる欲望を抑えられない最も近い人間の日記・・・・・。 スリル、緊張、集中、ほとんど恐怖に近い感情の揺れ。やがて私たちの前で世界が一変する。静かで単調な表面の裏に、そんな何かを隠した本を読んでみたい。 私たちに必要なのは危険な読書だ。いや、あらゆる読書は危険でなければならないのである。”

この本には実にたくさんの種類の本があるのだということ、私がまだ読んでいないジャンルの本も限りなくあるということ、そして、著者の驚くべき多読と博識とが伝わってくる。いやー、 実にいろいろな本があるものですね。
ところで、私にはもうそんなにたくさんの本を読む時間も余裕もなさそうな気がする。この本一冊ですら全部は読めなかったくらいだから。でも、それでかまわない。本は全部読む必要はない。たった一行でも自分に伝わってくる何かがあればいい。読者は、ぼう大な量の石の山から、それぞれ自分の好みの石を選ぶのである。

2009年6月8日月曜日

アメリカは凋落するのか?

住宅バブルの崩壊と金融危機はアメリカの凋落のあらわれか。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。昔のアメリカといえば、豊かな白人社会がイメージされた。だが、今では大統領も黒人の出身者だ。人口の多くも貧しい黒人やヒスパニック、アジア系だ。この国は、まだ若く豊かさに渇望した人たちであふれている。豊かになりたいという願望を持った人たちのパワーで再生が可能かもしれない。彼らの力をうまく利用できればの話ではあるが。
この国はたいへんな格差があるとも言われている。人々の不満が、社会の活力をそぐのではないかと心配されるが、そこは「この国は自由だ、だれでもチャンスがある」というのが合言葉である。格差はあっても下の者は上へ行こうと努力するので活力が生まれるのである。オバマ大統領でさえ、少し前はまったくの無名であった。
今は、大きな変化の只中にあると思う。

2009年6月7日日曜日

グリーンスパンの正体 2つのバブルを生み出した男

ウイリアム・A・フレッケンシュライン、フレデリック・シーハン 
グリーンスパンの正体 2つのバブルを生み出した男
2008 北村慶 監訳 鈴木南日子 訳 株式会社エクスナレッジ

グリーンスパンと言えば今回の金融危機について「百年に一度の危機」という言葉を使ったのは有名である。その彼が議会に呼ばれて証言している姿は、ただおろおろするだけの一人の老人にしか見えなかった記憶がある。

今回の金融危機の原因が不動産バブルいいかえれば借金バブルの破裂であることは間違いない。筆者はそのすべての元凶としてFRB議長であったグリーンスパンを攻撃している。はたして、そこまで一人の人間の判断ミスのせいにできるのか。アメリカ大統領といい、FRB議長といい、そこまでの権限が一人の人間に集中しているのだろうか。不動産バブルがあまりにも膨れ上がりすぎていたことに気がつかなかったし対処もしようとしなかったのだろうか。デリバティブやヘッジファンドにたいする規制もしようとしなかったのもバブルを助長したのだろう。在任中は神様とまで言われ、退任してから攻撃される。はたして無能であったのであろうか。本書に述べられているように2007年にはすでにサブプライムローンの破たんが表面化していたのである。そのころすでに一人の人間の手には負えなくなっていたとしか考えられない。いずれ、この危機もおさまり景気も回復してくるかもしれないが、我々はよりいっそう不確実な時代を生きなければならない。

2009年6月6日土曜日

品川図書館

品川図書館                     品川神社祭礼        








チャールズ・ブコウスキー 死をポケットに入れて

中川五郎訳 河出書房新社 1999

72歳の作者の日記風エッセイ。たぶん翻訳も原書の雰囲気をよく出しているのだろう。翻訳というのは難しいものだ。訳者は1959年生まれ 60年代にフォークソングを歌っていた。そののち、音楽評論家・翻訳家として活動。
ロバート・クラムという挿絵画家の絵もおもしろい。

作者は恵まれない少年時代と長い下積み生活のあとで、やっと50過ぎてから小説が売れ出した。

マッキントッシュのパソコンで夜中に書いたらしい。パソコンは文章がつぎからつぎへと出てくるから作者は気に入っている。タイプライターで書くのに比べて格段の速さと正確さが得られるうえ、思考がとぎれることがない。3時間くらいつづけてパソコンに向かっている。

競馬場へしか行くところのない作者であるが、人間観察は鋭い。長年の下積み生活やいろいろかならずしも褒められるわけではない経験の賜物である。馬券売り場へ行く人間は、かならずしも賭けに勝とうとして行く人間ばかりではない。そこしか行くところがない。自分と同じような人間を探して群れ安心するのである。競馬場は、いろいろな人間を観察するにはうってつけの場所である。作家はいろいろな人間を描いている。もちろん皆、負けた者たちである。

人が集まる所、人間観察のできない所はない。ちなみに、図書館でさえいろいろな人間がいる。一日中おなじ席に座って新聞やなにやらの本を読んでいる人間もいる。はたして、彼らは本当に読んでいるのか、それとも何か読んでいるふりをして時間をただつぶしているのか分からない。まあ、新聞だけでは一日中持つまい。彼らも他の人間を観察しているのだろう。とりわけ、子供のしぐさを観察するのは、老人の楽しみであることも事実である。

投げやりのなかに、哀感がただよう。そこに真実を見る思いがする。この作家のファンが多いのもうなずける。死は世間では、ありきたりのものではなく、特別なものだと思われている。しかし、人間の数と同じだけ死はあることを考えれば、どこにでもころがっているものだ。死なない人間はいない。年老いてくればなおさらのことである。作者は居直っている。もうじき死ぬという事実こそが、老人にパワーを与えているのである。もういつ死んでもいいと思えば恐れるものはない。

人は生きているうちは死を感じることはできない。だが、年とともに確実に死は近づいている。作者によれば、腕の良い狩人が獲物を仕留めるのに獲物に気付かれることの無いかのごとくである。だから、人は、むしろ偶然生きているというのが正しい。

2009年6月5日金曜日

港北図書館


午後は、菊名にある港北図書館へ

人間パソコン論?

女性を「生む機械」にたとえて攻撃された大臣がいたが、悪気はなかったのだろうが、不用意な発言であった。
機械を擬人化する話ならいくらでもありそうだ。子供にたいへん人気のある「機関車トーマス」もそうだし、かってノーバート・ウィナーという学者の著作で「人間機械論」というのもある。
もっとも、あらためて原書のタイトルをみると"THE HUMAN USE OF HUMAN BEINGS"となっている。今なら、こういう訳はしなかったかもしれない。
それで、私はパソコンというのは人間に似ているような気がするのである。
もちろん、コンピューターはどんなに進歩しても考えることはできない。ただ、パソコンの機能などが、どことなく人間に似ているのである。
たとえばCPU(脳)はしっかりしているのにプリンターなどの機械的に動く部分は、動作もずっと遅く、かつより早くガタがくるのである。これなど人の目や脚、歯があたまより先に衰えていくのにたとえられよう。しかも、神様は人に一度しかパソコンを買ってくれないのである。「古くなったから、新しいパソコンを買ってよ」と神様にお願いしてもだめである。
「一生使う約束だよ。お前にも若いころは、はなばなしい時もあったろう」と言われてしまうのである。
あまり愉快なたとえではないが、これから老年に向かう人間の発想とはこんなものである。人の場合、せいぜいメンテナンスをしっかりして古いパソコンのようにならないよう努力すべしということになるのだろう。

2009年6月4日木曜日