2012年12月12日水曜日

宮本又郎 図説/明治の企業家


2012 河出書房新社

明治の企業家と言えば、真っ先に三菱財閥を立ち上げた岩崎弥太郎の名が思い浮かぶ。
岩崎弥太郎は、天保5年(1834年)に、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。
地下浪人は、名字帯刀は許され、武士としての誇りは持つが、実質は貧しい農民と同じである。
そうした家庭環境で成長した弥太郎は、向上心が強く強烈な個性を持った青年に成長した。
弥太郎は、坂本龍馬が率いる海援隊の仕事を陰で支えながら、海運業を実地に学ぶことができた。
新政府ができると、弥太郎の会社は、台湾出兵や西南戦争で莫大な利益を上げ、財閥として成長する財政基盤を築いた。
その後、弥太郎は多角化経営に乗り出し、本業の海運業に関連する海上保険、金融、倉庫を始めとして、炭坑、造船などに進出した。
しかし、政商として大成功したが、薩長の藩閥政府からは、三菱が急成長したのは大隈重信と結びついていたためだと憶測され、「三菱いじめ」に会ってしまった。こうした苦境のなかで、弥太郎は胃ガンを患い、明治18年(1885年)に亡くなった。
明治の企業家には、岩崎弥太郎だけでなく、安田善次郎など従来の世襲的な身分制度を絶対視せず、自らの能力と業績を重視する価値観の持ち主が多く輩出している。
幕末という流動期に生まれた、武士、商人、農民という身分に収まりきれない「マージナル・マン」(限界階層者)が、明治期企業家の主流であった。

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