2013年8月29日木曜日

岩崎日出俊 マネー大激震

2011 KKベストセラーズ

2008年9月に発生したリーマンショックによって、ニューヨーク証券取引所のダウ平均、東京の日経平均は、ともに大暴落した。その後、日本の株価は低迷しているのに対して、アメリカのダウ平均は、コンスタントに上昇し、リーマンショック以前の水準を回復した。
日経平均株価は225社の株価を対象としているが、アメリカのダウ平均は30社の株価を対象としている。
これらアメリカを代表する30社は、アメリカだけでなくグローバルな市場をターゲットとしている。
アメリカの経済は十分に回復していなくとも、株価のほうは、新興国の成長を反映して高くなっている。
中でも目立つのが、アップル社である。
アップル社の株価が高いのは、売上高、利益ともに急伸しているためである。
アップル社が高成長を遂げたのは、2007年以降発売したアイフォンやアイパッドなどの新製品が世界中の人々から幅広く受け入れられたためである。
アップル社をここまで引っ張ってきたのが、スティーブ・ジョブズである。
スティーブ・ジョブスは、2005年、スタンフォード大学の卒業式に招かれて有名なスピーチを行った。
そして、最後に、"Stay Hungry,Stay Foolish!"というメッセージを学生たちに贈った。
この言葉をあえて解釈すれば、自分の好きなことには、バカだと言われても、とことん熱中しなさいということであろう。
そのために必要なのは、自分の好きなことややりたいことが分かっている、または分からないなら、探し続けることである。さらに、それができるという自分の能力、体力、気力に自信があることである。また、自分や社会にたいして楽観的な見方ができることである。
こういう姿勢は、まさに新たな第一歩を踏み出そうとする若者にふさわしい。
だから、スティーブ・ジョブズは、卒業式のスピーチに、この言葉を選んだのであろう。
スティーブ・ジョブズだけでなく、マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグなど、世界的なアメリカのハイテク企業の創業者には学生や大学中退者も目立つ。
アメリカのベンチャーキャピタルはつねに投資の機会を探しており、いっぽうでは、資金はなくてもハングリーかつ楽天的な若者が多数いる。これらが、世界的なハイテク産業が成長する土壌を作っている。

2013年8月17日土曜日

斎藤孝 15分あれば喫茶店に入りなさい

2010 株式会社幻冬舎

大学教授の著者は、立派な書斎も大学の研究室もあるのだが、書斎だと、デスクの前に座っても、集中できなかったり、やりたくないという気持ちになってしまう。
喫茶店だと、人がいて、物音がするが、そのほうが、著者にとっては集中力が高まり、仕事がはかどる。
多数の本を出しているが、それらのアイデアを出すのも、原稿を書くのも、喫茶店での仕事である。
著者の言う喫茶店とは、昔からある喫茶店というよりは、ドトールやスターバックスのような「カフェ」のことらしい。
カフェは、どこでも同じような内装であるが、場所によって、また時間帯によって、まるで雰囲気が違う。客層や混み方によっては、一人で本を読んだり勉強したりなどとてもできないこともある。
場所によって、空いている時間混んでいる時間は違うので、自分の行きつけのカフェを何軒か持っておくのが良い。
カフェといっても、ある程度慣れないと、落ち着かない。
最近は、喫茶店またはカフェで仕事や勉強をしている人が目立つ。
カフェの側でも、以前よりは一人掛けの椅子を多数用意して、居心地を良くしている。
ここで、カフェの経営者の立場からは、お客には来てもらいたいが、あまり長く居座られても困る。
参考書を広げて、長時間勉強されても困るので、照明を薄暗くし、本など読んでいたら目が疲れてしまう店もある。
長時間の利用を控えるよう促す注意書きも目に付くようになった。
外出先でちょっとした作業や勉強をしていた人は肩身の狭い思いをしなければならなくなっている。
それでは、勉強するには、カフェよりも図書館のほうがいいのではないか。
ところが、著者によると、図書館には「ライブ感」が、欠けている。
図書館には、独特の空気があり、それは、どちらかと言えば、暗く、重い。
図書館は満席で、なかには寝ている人もいるが、カフェでは寝ている人は見当たらない。
家にこもっているよりも、開放的なカフェで仕事をしていれば、すこしの積み重ねが相当な山になる。
カフェでは、ある程度の時間を過ごすことはできるが、あまり長時間はいられないから、かえって仕事が効率的にできる。
周りに座っている人も、何かやっているから刺激になり、何かせずにはいられない。
カフェでは、他人の会話が耳に入ってくることがあり、時には人生の勉強になることがある。
そこに集まるさまざまに人たちの会話から、彼らの人生や生活が垣間見えることもある。
才能のある小説家なら、カフェで聞きかじった会話からでも、おもしろい小説が書けるのだろう。
カフェは、自由に出入りができ、リラックスすることができ、ときには集中して仕事や勉強ができる。
カフェを利用するテクニックを身につければ、15分の隙間時間でも有効に活用できるという。

2013年8月10日土曜日

黒井千次 老いるということ

2006 株式会社講談社

老人とは、何歳くらいを言うのだろうか。
国語辞典を引くと「初老」とは、40歳のことである。
今では、40歳は老人というよりは青年と言うほうがふさわしい。
それでも、65歳になれば、公的に高齢者として認められ、年金が支給される。
65歳を高齢者と定めたのは、19世紀ドイツの政治家ビスマルクであるという。
65歳では、当の本人は、まだ高齢者という気にはなっていない。
だが、80歳になれば、立派な高齢者であろう。
アメリカの作家、マルコム・カウリーによると、老いの国への入国ビザは、80歳の誕生日に手渡される。しかし、80歳にならないうちに倒れてしまう人もかなり多い。
だから、80歳を超えて、老人になるのは、じつは幸運なことなのである。
「不老不死」は、太古からの人間の願望である。
このうち、不死は人間である以上避けることはできない。
それでは、老いることがなく、いつまでも若かったとしたらどうであろうか。
現代は、このような、なるべく老いを後へ後へと追いやろうとする時代である。
それでも、最後まで若いままで死ぬことが、はたして幸せと言えるのだろうか。
「老いる」とは、生きることであり、現在形ではなく、進行形である。
生きることをつみかさねてきたのが老人であるから、老人は、さらに老化していく。
老人かどうかは、相対的なものであり、65歳から85歳までは20年の幅がある。
今では、昔のように家庭のなかで祖父や祖母という特別の居場所があることは少なくなった。
社会でも、老人を敬うというようなことも、あまり聞かれなくなった。
老人とは、年金をもらったり、介護を受けたりするという厄介者扱いになりつつある。
老人には何ら特別の地位は与えられていない。
自分が老人であることなど知らないうちに死んでしまうのも悪くはなさそうである。

2013年8月3日土曜日

和田秀樹 「判断力」の磨き方

2007 PHP研究所

機械にはできないが、人間にはできることとは何だろう。
しばしば、高度な「判断力」が人間にしかできないと言われている。
しかし、ここに問題があって、人間には正しい判断をすることが難しい。
判断するのは、最終的には意思決定をして行動するためだと仮定してみよう。
そうすると、最後には、右か左、イエスかノーかを選ばなければならないことになる。
これが、人間の判断を制約して、白か黒か、敵か味方か、善か悪かという二分割思考をしがちになる。
現実は、むしろ、あいまいで、白か黒かというより、グレーであることが多い。
ある一面では善であるが、他の一面では悪であることもある。
100%の味方もいなければ、100%の敵もいない。
むしろ、こちらの出方によっては、味方が敵になり、敵が味方にもなる。
二分割思考のような判断をゆがめる考え方には、ほかにも、完全主義、過度の一般化、選択的抽出、レッテル貼りによる思い込みなどがある。
一人では正しい判断ができないのであれば、集団で意思決定すれば正しい判断ができるかというと、そういうわけにもいかない。
集団全体の「空気」または「感情」が、集団全体を支配し、判断をゆがめることがある。
有力者の発言に引きずられて、冷静で客観的な判断をすることができなくなる。
人間には正しい判断などできそうにないと言っても、以上のような心理的なワナがあることを知っていれば、すこしはマシな判断ができるようになるかもしれない。
どちらにしても、何らかの意思決定がなされ、あとは、時間の経過とともに、事態は前へ前へと進んでいく。
こうなったら、はじめから正しい判断をしようなどとはせず、考え方を柔軟にして、臨機応変に対応したほうよさそうである。