2013年8月10日土曜日

黒井千次 老いるということ

2006 株式会社講談社

老人とは、何歳くらいを言うのだろうか。
国語辞典を引くと「初老」とは、40歳のことである。
今では、40歳は老人というよりは青年と言うほうがふさわしい。
それでも、65歳になれば、公的に高齢者として認められ、年金が支給される。
65歳を高齢者と定めたのは、19世紀ドイツの政治家ビスマルクであるという。
65歳では、当の本人は、まだ高齢者という気にはなっていない。
だが、80歳になれば、立派な高齢者であろう。
アメリカの作家、マルコム・カウリーによると、老いの国への入国ビザは、80歳の誕生日に手渡される。しかし、80歳にならないうちに倒れてしまう人もかなり多い。
だから、80歳を超えて、老人になるのは、じつは幸運なことなのである。
「不老不死」は、太古からの人間の願望である。
このうち、不死は人間である以上避けることはできない。
それでは、老いることがなく、いつまでも若かったとしたらどうであろうか。
現代は、このような、なるべく老いを後へ後へと追いやろうとする時代である。
それでも、最後まで若いままで死ぬことが、はたして幸せと言えるのだろうか。
「老いる」とは、生きることであり、現在形ではなく、進行形である。
生きることをつみかさねてきたのが老人であるから、老人は、さらに老化していく。
老人かどうかは、相対的なものであり、65歳から85歳までは20年の幅がある。
今では、昔のように家庭のなかで祖父や祖母という特別の居場所があることは少なくなった。
社会でも、老人を敬うというようなことも、あまり聞かれなくなった。
老人とは、年金をもらったり、介護を受けたりするという厄介者扱いになりつつある。
老人には何ら特別の地位は与えられていない。
自分が老人であることなど知らないうちに死んでしまうのも悪くはなさそうである。

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