2010年3月31日水曜日

池田晶子 考える日々Ⅲ

2000 毎日新聞社

西暦2000年といえば、言うまでもなく千年に一度である。
そう言えば、その何年か前には、「退廃的な世紀末」などと言っていたのに、「ミレミアム」と言うと、何か明るい気分になろうというものである。

人が、時間を意識するとき、時間は直線的に前へ進んでいくと考える。
ところが、時間については、別の意識があり、それによると、時間は巡ってくるものとして表れる。
一日とは朝から次の朝までであり、一年とは、春から次の春までである。百年、千年という時の巡りの感覚も同様である。
百年というのが、一人の人間が生まれてから死ぬまでの単位だとすれば、千年は人間の歴史の単位である。
自分の単位は、どうがんばってみても百年だが、「千年」と言う時、人は、自分を越えた「人間」の歴史、その巡りを見ている。そして、自分を越えたものに自分も参加できるという興奮が、世間の「ミレニアム」騒ぎではなかろうかというのが、著者の解釈である。

たしかに、時間が一方的に前に進んでいるという感覚は、けっして居心地のよいものではない。
時間が巡ってくるという感覚、新しい一日、新しい年という感覚があるから、なんだか、人生、やり直せそうな気がするのである。
自分の人生の終わりは、わからないから、時間はいくらでもあるように見えてしまうのである。
人生にやり直しはないのだろうが、時の巡りの感覚は人をなんとなく安心させてくれる。

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