2010年3月21日日曜日

江坂彰 定年後に笑う人

生きがいよりも生き方だ

2003 PHP研究所

1936年生まれ

著者は、サラリーマンの生き方についての本を多数出しているが、著者自身は定年まで勤めたわけではない。40代でサラリーマンをやめ、作家や評論家として活躍している。

「コーヒーを三杯飲んだ。六十六歳の男にはいろいろ想念がわいてくる。
・・・
ホラ話だけで二十年。一幕の長い狂言もそろそろ終わりに近づいた。
・・・
そしてこの年になって、ようやくわかってきた。人生に生きがいなどない。
みなそれぞれの生き方があるだけ。」(p238)
生きがいより生き方だ。人の数だけ生き方がある。結果はどうであれ、懸命に人生を生きた人は美しい。たしかにそうに違いない。人それぞれの生き方があるのなら、他人の人生に口出しするより、なるべく干渉しないのがよいだろう。

著者は、青春の出発点であった京都に行き、古い友人と旧交をあたためた。
そのなかで、つぎのように述懐する。
「今の東京は刺激的で便利で何でもある。阿波おどりもよさこい節も、リオのカーニバルもある。が、いささか違和感がある。」(p241)
そして、地方文化の多様性こそ日本の誇りであり、それを失ったとき、この国は衰退していくであろうと言う。
伝統的な京都の雰囲気から見ると、東京の喧騒は違和感があるのは事実にしても、著者の言い分は、いささか的外れのようである。

最近、各地で地域おこしの一環として祭りを企画する自治体などが多い。
たとえば、「YOSAKOIソーラン祭り」は高知のよさこい祭りと北海道のソーラン節を合わせたもので札幌の大学生が始めたのだという。
いまでは、独創的な衣装と迫力で、参加者が増え、各地で多くの見物人を引きつけている。
今の若者の感性は、年寄りには理解できないのかもしれない。

著者は、サラリーマンOBとして「あとがき」で、つぎのように書いている。
「悔いのない人生などない。無傷の人などいまどきめずらしい。自分の人生も、ま、それほど捨てたものじゃなかった―その程度で十分ではないか。」

過去の思い出に生きるのも老年期の仕事である。そうして若い人に老人の知恵を伝えていくのである。
しかし、今の60代は、過去のサラリーマン人生を振り返るのはけっこうだが、新しいものや、珍しいものに興味を持って生きるほうが元気がでそうである。

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