2010年3月23日火曜日

外山滋比古 忘却の力

創造の再発見

2008 株式会社みすず書房

1923年生まれ

「暗黙知の大愚は言語知の大賢にまさることがすくなくないが、人はそういうことに目を向けない。
・・・
ことばの殻を破ってこそ真の知性である。」(p3)

「ヨーロッパでは、『名著を読んだら著者に会うな』という。遠くからは青く見えた山も、ふもとへ行ってみれば、雑然たる風景となるのが関の山である。
・・・
人間、年をとると、万事茫洋、ものみな霞み、山はなべて青く、人間いたるところ青山ありという心境に達する。また、愉しからずや、である。」(p7)

「始めよいよい、終わりがこわい―ものごとをスタートさせるのに、さほど苦労はないが、終わりにはよくよく用心しないといけません。クルマでも、すこしずつ速度をおとして停車すれば、なにごともおこらないことぐらい子どもでもわかりますが、一生、人生というクルマを運転してきた人が停車のしかたを知らないのは皮肉です」(p66)

年をとると、よくものを忘れるという。じっさい、認知症のケースもあるから注意しなくてはいけない。
著者の場合、忘れることを、むしろ積極的にとらえて、創造の源泉ととらえている。
忘れることを気にしなくても、年をとって、これだけの文章を書ける。
本を読むだけではなく、自分で考えることが、頭のはたらきをよくする。
著者は、病院で待たされても、人の一生そのものが、最後の呼び出しがあるまで仮の世の待合室にいるようなものではないかと考えた。こちらのほうは、いまでは待ち時間がずいぶん伸びたが、早く呼んでほしいといらだつ人は珍しい。
ハッと気づくと、自分が呼ばれたらしい。二度目に呼ばれてやはり自分であった。

知識が多く、何でも知っているだけでは、著者によれば、「知的メタボリック症候群」である。しかし、忘れる以上に、知識を投入しなければ、知恵も枯渇してしまうかもしれない。忘れることを恐れるより、新しい知識はどんどん仕入れたほうが、おもしろい。

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