2010年3月1日月曜日

中野雅至 「天下り」とは何か

2009年 講談社現代新書

1964年生まれ

著者は元官僚の立場で「天下り」について考察している。
著者が役所勤めに嫌気がさすようになったのは、次のような理由からである。
「下請け仕事があまりにも多く、世間が考えるほど、自分たちが中心になって政策を進めていると思えなかったことです。『官僚主導』の実感などありませんでした。たしかに自民党政権時代は、役所が主体的に政策を考えて実行していましたが、その分だけ犠牲も払っていました。役所の方針にクレームをつけられないよう、与野党の国会議員に丁寧な根回しをするなど、『官僚主導』の裏には膨大な仕事量がありました。しかも、その多くは無駄な根回し・調整で、専門家としての知識が向上している実感を持てませんでした。」(p10)

著者は組織の一員として仕事をすればするほど、不満がおおきくなり、個人としての仕事をつうじて自分なりの意見や考え方を世の中に問うてみたいという気持ちが強くなった。
著者は、優秀な日本のエリート官僚が、黒子に徹することに何の不満も持っていないことを不思議に思ったものである。
こうして、著者は、40近くなってから大学の教員に転職活動をするのだが、それは大変だったとのことである。
それに対して、50代半ばくらいまで勤めあげた人の多くは役所の世話で再就職するのが一般的である。
以上のように、著者は「天下り」にたいしては、批判的というより、中立的な立場にあると述べている。
「天下り」は、役所だけではない。日本の大企業でも、50代になると、子会社や関連会社、取引先などに出されている。
日本的経営の特徴のひとつは「終身雇用」であると言われていたが、実体は中高年社員を子会社や関連会社などに押しつけてきた。
「天下り」と言えば、中央官庁だけのように言われているが、実は官民を問わず、日本中で同じようなことが行われている。
このように見ると、一部の優雅で「おいしい」「天下り」だけが批判されているが、おなじような仕組みは「組織」に長年忠誠を尽くした人間にたいする報酬として、また、ピラミッド組織の上が詰まって人事が停滞しないように、どのような組織にもあるらしい。
ここで、著者が疑問を感じてきた「ものすごく頭の良い人が、無名の黒子として、組織の一員であることに心底納得している」わけが理解できることになる。
「天下り」は、官庁の威光によって、天下り先が受け入れるという特徴がある。
その際、本人の意向よりも組織の都合によって天下り先が選ばれている。
そのため、天下った人は、もともと所属していた組織の秩序から逃れることは難しい。
また、天下った先でも、違和感を持って迎えられることが多く、その人の力を十分出し切って仕事をすることができにくいのかもしれない。
「天下り」は、長い年月をかけて形成されてきた歴史があり、そう簡単には無くなりそうにない。
本書でも、「天下り」を無くそうとすれば、役人が定年まで働くような仕組みをつくるか、官民の人材が自由に行き来するような社会を作るしかないと言うが、すくなくても近い将来、実現するような話とも思われない。

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