2011年1月19日水曜日

西部邁 無念の戦後史

2005 株式会社講談社

1939年生まれ

著者は、かって「60年安保闘争」を主導した全学連のリーダーの一人である。
著者が、後から振り返って見ると、あれは単なる「騒ぎ」としかいいようのないものであった。日米安保条約の改定は、日本にとって有利なものでこそあれ、不利なものではなかったからである。
著者は、あの騒動は、戦後、日本人のなかに累積されていた不平不満が解き放たれたものであったと考えている。

このころ、いわゆる55年体制のもとで、自民党が圧倒的多数を占めていた。
自民党は、「権力」であり、自民党総裁、したがって総理大臣は「権力者」と見なされていた。
自民党は単独で法案を通すことができ、したがって、社会党は、無責任に反対ばかりしていればよかったし、それを応援する一定の世論もあった。
自民党の岸首相は、その履歴とともに、いかにも強権的な権力者というキャラクターで、彼がやることは、戦前回帰をたくらんでいるように見えたのである。

この騒動では、東大生の樺美智子さんがデモの先頭に立って殺されたため、世間では、学生があんなに必死になって反対しているのだから理由があるのだろうと考えたが、じっさいは、単なる「騒ぎ」にすぎなかった。

著者は、この事件のあと、左翼過激派の運動から決別して、経済学者となり、次いで、経済学も捨てて、こんどは自称右翼の評論家となっている。
極左から極右に変わったが、アメリカ嫌いだけは一貫している。
「無念の戦後史」という題名は、奥さんが思いついてくれたそうであるが、著者の人生に重なっているわけである。

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