2009年8月25日火曜日

河合隼雄・白洲正子 縁は異なもの

2001 株式会社河出書房新社

河合隼雄 1928年~2007年 心理療法家 ユング研究所に学ぶ。 
白洲正子 1910年~1998年 幼少時からの能をはじめ日本文化・美術などに造詣が深い。白洲次郎は夫。

「縁は異なもの」とは、専門が異なる二人であるが、明恵上人の夢の話を縁として知り合ったとのこと。本書は二人の対談をまとめたもの。

河合は骨董や美術の話は苦手だが、日本文化や能における心理についての話題では、二人は意気投合しているようだ。白洲は幼いころから能の稽古をしてきただけあって、能については詳しく、能は総合芸術だと言っている。能のシテがなにも動かないのに感動することもあるらしい。その間、地謡や囃子によって舞台は進行しているのである。白洲が心酔している能楽師は友枝喜久夫である。白洲は、能について話すとき、とりわけ熱がこもるように見える。「私の骨董の先生であった青山二郎さんから『六十の手習いというが、それは六十になって、何か新しいことを始めるということではない。いままで一生続けてきたものを、あらためて最初から出直すことだ』といわれたのですが、友枝さんの能との出会いはまさにそのようなものですね」(p72)とのことである。

青山二郎と小林秀雄は骨董を通じて非常に仲が良かった。小林秀雄の名文も青山二郎に鍛えられたおかげであるというが、二人は後には絶交してしまう。河合はこれに関して次のように言っている。「ある一定以上に男同士で仲がいいのは、これはもう同性愛ですよ。そしてそこから非常に強いインスピレイションを受けたりする。・・・夏目漱石の『こころ』なんて西洋人が読むと同性愛の物語だと思うんです。普通日本人はそんな風には決して読まないでしょう。そういった意味で同性愛の問題というのは文化比較やるとむちゃくちゃ面白いねえ」(p123)

青山二郎は、自分では何もせず、他人の書いたものによって自分の存在を際立たせている特異な人物であったという。よほど個性が強い天才肌だったのであろう。河合は白洲の「いまなぜ青山二郎なのか」を読んで、青山の「魂があるんだったら形にでるはずだ」という言葉に感激したという。もっとも、こういう人物と長くつきあっていられた人はかなり少なかったようである。

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