2009年8月14日金曜日

養老孟司 小説を読みながら考えた

2007 株式会社双葉社

(ようろう たけし)1937年生まれ 解剖学者

元昆虫少年で、今でも昆虫採集をしている。アイロンの蒸気を固くなった虫に当てて柔らかくする。堅くなって脚がまるまっている虫の脚を伸ばす。これを展足という。こういう細かい作業を今でもやっている。
推理小説やファンタジーなども含め読書量も非常に多く、著者にとって読書は現実逃避の手段でもある。本は現実とは別の世界に連れていってくれるから老人でも少年になれる。
いまでは解剖はやっていないが、いろいろなところで活躍しているマルチ人間である。

「昆虫少年と世間」から
(p51)「日本ではどんなグループであれ、ウチソトが分離する。これはじつは世間の構造そのものである。まったく世間の外の人は、だから『外人』になる。世間とはじつは共同体で、日本最大の共同体は日本国である。その家長が天皇だということは、いうまでもあるまい。その意味では、天皇は政治という機能のトップではない。共同体はそもそも機能体ではないからである。だから天皇とは統治という機能のヘッドではない。まさに共同体の『統合の象徴』である」
(p52)「世間という言葉自体が、社会を意味する日本固有の表現である。それならなぜ社会といわないのか。ウチから社会を見たときに成立する表現が世間であり、ソトから見たときに成立するのが社会なのである。日本の世間に、外の世間がじかにぶつかることはなかった。それなら社会という言葉は不要だったはずである。つまりすべての日本人にとって、社会とはウチから見たものだった。だから世間という言葉があって、社会という言葉は明治に入って西欧の文献を翻訳するときの造語なのである。だから社会をひっくり返せば、会社になる。これもその頃の造語である」

著者は世間の構造はきわめて強く、日本の組織が完全な機能体になることは、まずないという。著者は、日本的共同体のひとつである医学という業界から、いつの頃か、外れてしまった。
不安定ではあるが、あいまいなウチとソトの境界である塀の上を歩いているというのが好きなようだ。

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