2010年8月21日土曜日

鈴木一郎 ことばの栞

1978 東京大学出版会

1920年生まれ

日本熱 Japanolatry

安土桃山時代から江戸初期にかけて、佐渡の金山や生野の銀山が開発され、さかんに金銀が掘り出された。当時、日本は、世界でも有数の金や銀の産出国で、大判小判が大量に作られ、南蛮貿易で使われていた。
これが、西洋人の目を引かないわけはなく、日本は、西洋人のあこがれの的であった。

当時の日本は、はじめ、スペインやポルトガルと交易していたが、後から来たオランダ人やイギリス人に、スペインやポルトガルの真の目的は、キリスト教の布教とそれに次ぐ日本の植民地化であることを告げられた。
キリスト教の影響を恐れた幕府は、オランダがキリスト教の布教をしないという条件で、長崎の出島でオランダおよび中国とのみ交易をすることにした。これが、「鎖国」である。
この貿易は、理事の半数をユダヤ系が占める東印度商会を通しておこなわれた。
鎖国をしている国の側に十分な輸出品があるわけではなく、この貿易は、一方的なものであった。
今から見れば価値のないガラス製品とか、中国産の安物の陶器とかと交換に、貴重な金銀が使われたのであろう。

江戸幕府は、「鎖国」によって、キリスト教は阻止できたが、そのかわり多量の金銀を失った。
その当時の日本は、浄土真宗や日連宗の勢力が非常に強く、たとえキリスト教の布教を許していたとしても、日本全体がキリスト教の国になっていたとは思えない。
当時、スペイン・ポルトガルの国力は衰えつつあり、日本が武力によって占領されるということもなかったであろう。
そうだとすれば、わざわざ「鎖国」をする必要はなかったのかもしれない。
それはともかく、さらに200年以上を経て、その頃の新興国であるアメリカからペリ-がやって来たときには、これを追い返す力は、日本には無かった。

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