2010年10月6日水曜日

半藤一利 山県有朋

1990 PHP研究所

1930年生まれ

山県有朋は、萩の貧しい下級武士の家に生まれた。松下村塾に学び、奇兵隊で活躍した。戊辰戦争や西南戦争を戦った。その後、政府内実力者の相次ぐ死や失脚も手伝って、伊藤博文とともに最高権力者にまで上り詰めた。
日露戦争後は、軍、官界に巨大な派閥を作り、元老として政界を操った。

「大日本帝国」は、山県が伊藤とともにつくったものである。
山県が理想としたのは、天皇の権威を極限にまで高めて、神格化し、天皇が親政する天皇主義国家であった。「軍人勅諭」と「教育勅語」は、その象徴であり、山県はみごとにそれを完成させた。

山県が残したものは、その後も進化発展して近代日本を動かした。
明治から昭和にかけて、これほど影響力の大きな人物は、他にはいない。
しかし、いっぽうでは、権力欲が強く、冷酷であると言われ、国民的な人気があったわけではない。

山県は、民・軍にわたる官僚制度、統帥権の独立、治安維持法、現人神思想などの仕組みをつくった。また、昭和の日本を敗戦に導いた指導者の多くは山県の影響をうけたものたちである。

山県の明治国家の発展興隆への貢献は、非常に大きなものがあった。ただ、幕末の「尊皇攘夷」思想からは、誰が指導者になろうと、このような展開になることは予想されることである。
最後まで生き残った山県有朋も、大正十一年、八十五歳で世を去った。

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