2011年2月6日日曜日

武光誠 知識ゼロからの神道入門

2006 株式会社幻冬社

1950年生まれ

日本人にとって神道はなじみ深いのだが、神道とは何かを語ることは難しい。
古代人の懐いていた死者や自然にたいする畏れの感情が、そもそもの起源だと思われる。
日本には、「八百万の神」と呼ばれるほど多くの神様があり、その起源もさまざまである。祖先を祀る神社には、伊勢神宮、出雲大社、春日大社などがある。自然や山にたいする崇拝に由来するのが、熊野神社や山岳信仰である。強い恨みをもって死んだ人は怨霊となり、神となる。この代表格が、菅原道真を祀った天満宮である。
日本のいたるところにある八幡神社は、もともと海の神を祀った宇佐八幡宮に由来する。稲荷信仰は、京都の伏見稲荷大社に起源がある。

6世紀に仏教が伝来すると、人々は、仏と神を同等に信仰するようになり、その垣根は曖昧になって、神仏習合となる。さらに仏教僧侶が考え出したのが、「本地垂迹説」で、仏は神の姿となって生まれかわるというのである。ここにおいて、絶対的な仏が、神となって生まれ変わるというかたちで、神は仏教の体系のなかに組み入れられ、神は仏に従属する位置に置かれたのである。

江戸時代の17世紀末になると、「国学」が起こり、仏教や儒教などの外来文化が根付く前の「本当の日本の姿」を「古事記」などの古代の文献から解釈しようとした。
なかでも、平田篤胤は、日本を天皇を中心とする神の国であるとする「復古神道」を唱えた。「復古神道」では、神道こそ万物の根源であるとして、仏教的な要素を排除した。
平田篤胤に学んだ大国隆正は、神仏分離を主張し、明治元年には神仏分離令が発布され、平安時代から続いてきた神仏習合に終止符が打たれた。神仏分離令によって、神社と寺は明確に区別され、神は仏より格上に置かれることになった。

明治政府の国家理念は、王政復古と祭政一致である。
神祇官が復興され、神社はすべてここに帰属することになった。
神道は、個人の信仰ではなく、国民の精神的支柱とされ、義務となった。
このような国家によって管理された神道を「国家神道」と呼ぶ。

第二次世界大戦の敗戦後、アメリカは、「国家神道」を、日本を戦争へとかりたてた精神的支柱であったとみなし、神社と国との分離を命じた。その後、日本国憲法では、政教分離、信教の自由が定められた。
国家の保護管理から離れ、宗教法人となって再出発した神社は、神社本庁という包括団体を設立した。

なお、「神道」と言うとき、明治時代に国家の祭祀とされた国家神道の他に、宗教としての教派神道があり、黒住教、金光教、天理教などがよく知られている。

神道は、キリスト経やイスラム経のような戒律も聖典もないが、日本人の間に古代から脈々と受け継がれてきた神にたいする畏れと感謝の気持ちを、その特徴としている。

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