2009年11月10日火曜日

高橋昌一郎 科学哲学のすすめ

2002 丸善株式会社

1959年生まれ

「科学」について、わからないことを、あれこれ考えるのが「科学哲学」であるらしい。
現代では、「科学」というと、世間では絶対的な真実であるかのように思われているが、じつは科学それ自体の内容が昔から大きく変化し、進化している。
昔の科学者の考えることと今の科学者の考えることは違っている。
この点では、クーンという学者の「パラダイム論」は有名で、科学者集団の考えることは大きく変化しながら発展していくという。さらに、ファイヤーベントという哲学者は、あらゆる科学理論を相対的なものだと見なした。
科学理論は相対的なものだとしても、人類の歴史を通じて科学は累積的に発展してきた。アリストテレスは偉大な哲学者であることには変わりはないが、現代人は彼よりも多くのことを知っている。
一般に科学理論は、ソフトウエアが不具合を修正しながらバージョンアップしていくように更新されていく。このような特徴は、たとえば芸術のような他の人間の営みには、ほとんど見られない。
「哲学者カール・ポパーの『進化論的科学論』によれば、環境に適応できない生物が自然淘汰されるのと同じように、『古い』科学理論も観測や実験データによって排除されなければならない。この意味で、今日の科学における諸概念も、時間の経過ととも古くなってゆく。科学においては、常に、最新バージョンが求められているわけである。」(p12)
残念なことに、科学者は一般に「哲学的」議論を行わず、「科学哲学」への嫌悪感を表明している科学者もいる。たとえば、物理学者のファインマンは、「科学にとっての科学哲学者は、鳥にとっての鳥類学者と同じようなものだ」と皮肉っている。
自然科学の法則は、何らかの意味で帰納法を用いて発見されてきた。そして、自然科学は驚異的な成功を収めてきた。
しかし、哲学者は、それだからといって帰納法に論理的必然性はないなどと言うのである。

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