2015年12月4日金曜日

石井幹人 人間とはどういう生物か

2012 ちくま新書

20世紀の大発明といえば、原子力の利用とコンピューターが思い浮かぶ。5~60年前には、どちらも無限の可能性があるように見えた。「鉄腕アトム」が子供たちの人気ものになったのも、この頃のことである。
その後、ロボット技術は急速に進み、人間のようにふるまう「人工知能」の研究開発もさかんに行われた。しかし、「人間のように思考するロボット」はいまだにつくられていないし、将来実現するであろうという人もいない。
コンピューターは人間のように考えることができない。
アイデアが浮かんでくることもないし、絵画や音楽を鑑賞することもできない。
それでは、なぜ人間は考えることができるのかといえば、生物としての長い進化の歴史のなかで考える能力を獲得したことはたしかである。「考える」ことは「意識」が行っているが、「意識」とは、進化の歴史のなかではごく最近現れたものである。「意識」は、人間の「心」のなかでは、それよりずっと長い歴史を持ち、より広い領域を持つ「無意識」に支えられている。アイデアが浮かんできたり、さまざまな考えが浮かんでくるのは、心の表面にある「意識」に、心の内部にある「無意識」から、それらが泡のように浮かびあがってくるようなものである。
従来の「科学的」な発想によれば、「意識」は脳のなかにある。そのため、脳と同じような操作のできるコンピューターを作れば、人間のようにうまく動作すると考えられたのである。しかし、心の多くの部分が「無意識」によって占められているとすれば、脳以外の身体や、身体外部の状況など、人間が生物として適応してきた環境が心の理解にはかかせないことになる。このような考え方を「心のひろがり理論」というらしい。
こうなると、「人工知能」の開発など、夢のまた夢ということになる。
それでも、最近、自動車の「自動運転」が話題になっている。
「人工知能」への挑戦は、これからも様々なかたちで続いていくのだろう。

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