2011年8月18日木曜日

大原健士郎 あるがままに老いる


2001 毎日新聞社

1930~2010

「老後はあるがままにやりますよ」といっても、功成り名をとげた人物が言うと納得するが、ろくでもない人生を送ってきた人間が、余生もこれまでと同じように、自堕落に過ごすのでは許せないという気持ちにもなる。
しかし、考えてみれば、ろくでもない人生を送ってきたのかどうかは、なかなか他人からはわからないことである。
老年にならないうちに、わざわざ玉川上水なんかで心中した作家の太宰治などは、本人はもちろん、世間からもろくでもない人生だったと思われているようだが、その作品はいまでも多くの人に愛読されている。
あまり苦労のない平凡な人生を送ってきた人は、それはそれで、後から後悔することも多い。
世間からは賞賛を浴びるような活躍をしている人でも、本人は悔いの多い人生を送ったと悔やんでいないとも限らない。
ところで、著者による「あるがまま」とは、放りっぱなしにするという意味ではなく、本来の自分の姿を十分に理解して、それをあるがままに伸ばして自己実現をはかることである。
本来の自分の姿を知ると、誰もが生の欲望を持っていることがわかり、この欲望にそって建設的に生きていくのが健康な人である。
世間では老人と言われている人のなかにも、まだまだ元気に活動している人がたくさん存在する。
老人になったからといって本来の自分が変わるわけではない。
いずれ来るに決まっている死ばかり考えているより、今日を精いっぱい生きるのが大切なのは、年齢には関係がないと著者は言う。

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