2010年6月18日金曜日

北倉庄一 中世を歩く

東京とその近郊に古道「鎌倉街道」を探る

1998 株式会社テレコム・トリビューン社

1927年生まれ

鎌倉街道という名前は、鎌倉時代に使われていたわけではなく、後世になってから名付けられたものである。
鎌倉時代に使われていたのは、「上の道」とか「中の道」という名称らしい。
そのうち、本書による「中の道」Aルートは、次のようになる。

鎌倉→小袋谷→小菅ヶ谷→舞岡→柏尾→名瀬→鶴ヶ峰→白根→中山→川和→荏田→溝の口→二子の渡し→上野毛→猿楽塚→金王神社(渋谷)→勢揃い坂(青山)→千駄ヶ谷八幡→西向天神→宿坂(目白不動)→雑司ヶ谷(鬼子母神)→松橋(滝野川)→静勝寺(稲付城跡)→赤羽→岩淵、この先埼玉県。

いうまでもなく、鎌倉街道の古道がそのまま残っているわけではない。
それでも、著者も含めて多くの人がその跡をつなぎあわせる努力をしてきた。
横浜市戸塚区の小道が、東京の渋谷や雑司ヶ谷の小道と、かってはひとつの道としてつながっており、何百年か前に人が歩いていたのかと思うと興味深い。

そのうちいくつかの跡を訪ねてみたいものである。

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