2019年10月20日日曜日

平成はなぜ失敗したのか 野口悠紀雄

2019 幻冬舎

年号または元号は皇位の承継があった場合に改めることになっている。
現代の天皇は、日本国を統治しているわけではない。
だから、「平成は失敗した」という言い方は、適切な言い方ではない。
それでも、「失われた30年」という言葉とともに、しばしば耳にする。
こういう事を言う人は、たいてい年寄りである。
その間に生まれた人たちも、すでに30歳に達していて、なかには優秀な人も出ている。
また、その間に大学を卒業して、大企業に就職できなかった人も多いと聞く。
年寄りと若者の断絶が深まるのも無理はない。

なぜ「平成は失敗した」のかというと、ちょうど平成の始まりが、「バブルの崩壊」とほぼ重なるからである。
「バブルが崩壊」してから30年が「失われた30年」ということになる。
「バブルが崩壊した」というのも、わかりやすい言葉である。
その当時、人々は、バブルが崩壊したのだから、がまんしていれば、やがて平常な成長軌道に戻るだろうと考えた。
しかし、世界では、大きな変化が起きていて、日本は取り残されてしまった。
もっとも、日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカのような先進国でも、同じようなものだったろう。
昔から、「日本は、資源の乏しい国だから、原料を輸入して加工し、輸出で稼がなければならない。」とか、「日本人は、手先が器用だから、モノづくりに向いている。」とか言われてきた。
しかし、力をつけてきた資源国は、石油や鉄鉱石を安く売らなくなった。
円高や、国内のコスト高のため、輸出でも、中国や韓国に勝てなくなった。
バブルが崩壊したのだから、その原因を作ったとされる銀行や証券会社が破綻するのはわかる。
しかし、強かったはずの、鉄鋼会社や電機会社までも、軒並み凋落してしまった。
なにが悪かったのかは、個々に異なるのだろうが、変化への対応ができなかったことになるだろう。
なにか新しい産業の登場を待つといっても、絵に描いた餅になりかねない。
古い産業であっても、常に変わりつつある世界経済に対処するよりなさそうである。

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