2017年2月26日日曜日

工学部ヒラノ教授

2011  今野浩  株式会社新潮社

大学も社会の縮図であるから、そこでは教授たちがドロドロとした権力闘争に明け暮れている。子供が少なくなれば大学の経営も苦しくなり、学部の看板を掛け替えたり、再編してみたり、大学院を新設したりする。国家の財政が逼迫しているので、大学の予算も削減され、そのぶん、文部科学省の役人のご機嫌を取ろうとして、天下りもよろこんで受け入れる。
このようななかで、大学教授という職業を考えてみると、けっして儲かる商売ではない。
大学教授になるには、大学を卒業してからさらに4年間も学ばねばならず、その後の下積み期間も長く、やっと40代の後半で大学教授になれたとしても、研究者としてのピークは過ぎていて、定年が間近に迫っている。
理工系の学部のばあい、実験器具を買ったり、海外に出張しようとすると、とても研究費だけではやっていけない。そのため、特別に文部科学省から補助金を出してもらおうとする。しかし、文部科学省の役人は、どれがすばらしい研究かなどわかるはずがないので、すでに実績のある研究に補助金が回ることになる。つまり、金のあるところへはますます金が回ってくるが、どんなにすばらしい研究であっても実績のないところへは金は回ってこない。冷遇されて恨みを残す人も多いことであろう。
大学教授は忙しいから、なかには学生の教育にあまりかまっていられない人もいて、学生など、タダで使える労働力としてしか見ていない。こまかい実験や統計作業をやらせたり、参考書の練習問題の解答を作らせたりしているのであろう。教育とか学生よりも、自分の生き残りを優先するとすれば、あり得ないことでもない。

以上、悪く書きすぎたが、大学も裏から見ればこういう面もあるのだろうと思う。それでも、社会における大学教授のステータスは高く、基本的に嫌な仕事はしなくてすむのだから、大学教授という職業は、やはり恵まれているのではなかろうか。

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