2010年9月1日水曜日

遊佐道子著 蓑輪顕量訳  日本の宗教

2007 株式会社春秋社

今日、日本人の3人に2人は、個人的な宗教的信仰は持っていないと答えるであろう。その理由として、本書では次の二つをあげている。
一つは、宗教的営みと文化的な営みが一体になっており、日本人の生活の中に深く染み込んでいるので、生活文化の宗教的起源が、はっきりと認識されることがなくなっている。たとえば、年中行事となっている正月休み、お盆休みなども、もとは宗教的意味を持つものであった。江戸時代には、大山詣で、富士講、お伊勢参りなど、宗教的活動は、同時に庶民の行楽でもあった。
二つ目には、幕府は、キリスト教を禁じるため、すべての日本人に仏教寺院に所属するよう義務づけた。この「檀家制度」は、すべての日本人を仏教寺院が管理するシステムであった。そのため、多くの日本人にとって、仏教徒としての自覚は薄れている。仏教は、宗教的な癒しや救いを求めるというよりは、葬式や墓参りのときにだけ意識されている。

仏教と神道とは、その初期のころから相性が良く、両者は、あざなえる縄のごとく日本の歴史・文化をかたちづくってきた。
江戸時代には、仏教に対する勢力として儒学が盛んになり、将軍家の庇護を得て、その地位を確実にした。いっぽう、儒教や仏教にたいする反感も強くなり、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤などによって確立された国学は、日本を天皇を中心とする「神国」であると主張した。この「復古神道」は、のちに尊皇攘夷運動を先導する思想となり、ゆくゆくは徳川幕府を倒すことになった。それは、明治時代およびそれ以降には、神道を国家的な信仰にする基盤をつくり、ついには、戦前の軍国主義を主導する思想となった。
戦後は、国家神道は排除され、信教の自由が保証された。新興宗教が勃興し、新しい都市の住民を中心に、非常に多くの信者を獲得した。宗教と政治とは切り離されたが、靖国神社問題、創価学会と公明党など、なお宗教と政治との関わりを見ることができる。今も人々の記憶に鮮明に残っているオウム真理教による衝撃的な事件は、明治維新から敗戦を通じて、日本の文化的・宗教的な伝統が破壊されたことに、その遠因を求める人もいる。

日常、人々は、宗教のことをあまり意識することはない。それでも、宗教的な考え方や感覚は、何百年から千年という時間の流れの中で、あらゆる人間の営みに影響を与えてきたし、これからも多様な変化をとげながら、はてしなく続いていく。

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