2010年7月4日日曜日

五木寛之・森一弘 神の発見

2005 株式会社平凡社

五木寛之 1932年生まれ

森一弘 カトリック司教 1938年生まれ

今から1400年ほど前、日本に伝えられた仏教は、日本文化の重要な一部になった。それにたいして、450年ほど前にフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は、その後、徹底的な弾圧を受けた。
明治になって、日本は、「和魂洋才」という合言葉のもとに、西洋の文明を受け入れた。しかし、「和魂洋才」には、大きなごまかしがあるのではないか、洋才には、本当は深いところで洋魂とでも呼ぶべき精神のありようがあって、洋才を支えているはずである。その根にあたる洋魂こそがキリスト教文化であると五木は考えている。
日本人のキリスト教にたいする感情には、幕府による弾圧とキリスト教徒の殉教の歴史があり、拒絶反応と、ある種の負い目とが混じり合ったものになっている。
いっぽう、日本に最初にキリスト教が入ってきたのと同じ頃、アメリカ大陸では、宣教師が兵士といっしょになって、原住民の文化や生活にたいする残虐な破壊活動を行っていた。今日のアメリカ大陸の国家や文化の姿は、その結果である。
故ヨハネパウロ二世は、そうした行為はカトリック教会の犯した大きな過ちであったと謝罪した。そのほか比較的最近になって教皇が謝罪したのは、十字軍、異端審問、自然科学への弾圧、ナチのユダヤ人弾圧に対する教会の態度などである。
五木は、過去の歴史の汚点をあきらかにして謝罪した教皇の態度を勇気のあることであるとたたえている。これを言い換えれば、いかにカトリック教会が世界の歴史に与えた影響が大きかったかということでもある。
五木によれば、明治以来の日本の近代化とは、天皇制と国家主義という和魂と洋才を無理やり重ねたものである。それが、敗戦によって否定されると、こんどは「無魂洋才」という抜け道を走り続けてきた。いま、さまざまなかたちで発生する事件は、無魂洋才という抜け道が行き止まりに直面したことを物語っているという。
もしそうだとすれば、和魂も捨ててしまった日本人は、これから先、どうしたらよいのか、大変な問題である。

ところで、明治時代に、日本が西洋文明を受け入れたとき、キリスト教もふたたびやって来た。当時の日本人は、西洋文明もキリスト教も同時に受け入れるのは、国も文化も失うことであるという危機感に襲われた。しかし、今では、西洋文明とキリスト教とは、かならずしも同一でないことが、明らかになりつつある。
森司教も、百年、二百年という目で見れば、日本という文化のなかで、独自のキリスト教会が育つものと確信している。

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