個人を追い込む金融行政
2009.5 株式会社角川コミュニケーションズ
1961年生まれ
著者は、世界同時恐慌とは別に、日本国内発の不況要因があると言う。すなわち、たとえば消費者保護とか弱者救済が、何をおいても最優先という日本の社会を覆っている「空気」である。
その結果、規制が強化され、消費者金融、事業者金融、信販会社という日本経済のなかで一定の役割を果たしてきたノンバンクが 、いまや崩壊の危機にある。著者は、むやみに規制強化をすればいいというわけではなく、規制強化によって、産業が衰退すれば、経済を圧迫し、けっきょく消費者にとって不利益になると言う。
これらの規制が日本経済に与える影響については、たとえば次のようなものがある。
①改正貸金業法の成立により、消費者金融が衰退、倒産に追い込まれ、個人消費が減退する。
②おなじように、中小零細企業専門に貸出を行っているノンバンクが破たんに追い込まれている。
③割賦販売法の改正により、割賦販売をになっている信販会社の経営を圧迫することになる。
④耐震偽装事件によって建築基準法が改正されたことにより不動産不況を招いた。
経済危機とは、ただひとつだけの要素だけが原因ではなく、様々な要素が複雑に絡み合って起こるものである。
著者は、そのため、「きっかけ」になったものが、いつの間にか、うやむやになって問題の本質がみえなくなってしまうことがよくあると言う。
多重債務者問題、ヤミ金被害の増加、悪質な訪問販売業者の被害にあう一人暮らしの老人、姉歯耐震偽装事件などに関連して、規制や取り締まりが強化されれば、ひつつひとつは善意と正義に基づくものでも、一方では経済不況の原因にもなるのである。
2009年11月7日土曜日
2009年11月6日金曜日
堺屋太一編著 日本 米国 中国 団塊の世代
2009.3 株式会社出版文化社
1935年生まれ
著者は「団塊の世代」という言葉を作ったが、今ではすっかり定着している。
単に数が多いだけでなく独特の経験と集団性を持つ世代と認識したのである。
同時期に、世界の各国、特にアメリカや中国でも他とは異なる人生経験を持った世代ができていたという。
日本の団塊世代は、戦後の高度成長期に育ち、自分たちが豊かになり、豊かになり続ける夢を見ることができた。
この世代が、夢からさめ、未来に対する不安を感じだすのは、ごく最近、日本の国力と国際的地位に翳りが見えだしたころである。
それでも、過去の人生のほとんどを通じて、先輩たちの築いた体制と価値観とに安住することができた。
それに比べると、諸外国の同世代は、より劇的な人生を過ごした。
とりわけ、中国の戦後っ子は、彼らが少年から青年になる10年間、「文化大革命」という「空白」を過ごさねばならなかった。
日本の団塊の世代が物心ついた1950年代後半には、日本の戦後体制はすでに出来上がっていた。
それは、①日米同盟を基軸として、経済大国・軍事小国を目指すという外交コンセプト②官僚主導で規格大量生産型の近代工業社会を築くという経済コンセプトである。これを定めたのは、明治生れの世代である。
その後、日本はこの路線を走り続け、平和と繁栄を享受することができた。
しかし、1990年代初頭のバブル景気の崩壊以来、日本は経済の不振と社会の弛緩に苦しんでいる。
団塊の世代は、あたかも永遠であるかのように信じてきた戦後体制の崩壊に驚いた。そればかりではなく、 自分たちが60代を迎えた今、世界的な大不況が襲ってきた。
このような世の中を生き抜くためには、変化に対応する知恵と想定外の出来事に動じない覚悟が必要だ。
著者は以上のように述べたうえで、「団塊よ、諦めるな!君たちにはまだ未来がある」とエールを送るのである。
1935年生まれ
著者は「団塊の世代」という言葉を作ったが、今ではすっかり定着している。
単に数が多いだけでなく独特の経験と集団性を持つ世代と認識したのである。
同時期に、世界の各国、特にアメリカや中国でも他とは異なる人生経験を持った世代ができていたという。
日本の団塊世代は、戦後の高度成長期に育ち、自分たちが豊かになり、豊かになり続ける夢を見ることができた。
この世代が、夢からさめ、未来に対する不安を感じだすのは、ごく最近、日本の国力と国際的地位に翳りが見えだしたころである。
それでも、過去の人生のほとんどを通じて、先輩たちの築いた体制と価値観とに安住することができた。
それに比べると、諸外国の同世代は、より劇的な人生を過ごした。
とりわけ、中国の戦後っ子は、彼らが少年から青年になる10年間、「文化大革命」という「空白」を過ごさねばならなかった。
日本の団塊の世代が物心ついた1950年代後半には、日本の戦後体制はすでに出来上がっていた。
それは、①日米同盟を基軸として、経済大国・軍事小国を目指すという外交コンセプト②官僚主導で規格大量生産型の近代工業社会を築くという経済コンセプトである。これを定めたのは、明治生れの世代である。
その後、日本はこの路線を走り続け、平和と繁栄を享受することができた。
しかし、1990年代初頭のバブル景気の崩壊以来、日本は経済の不振と社会の弛緩に苦しんでいる。
団塊の世代は、あたかも永遠であるかのように信じてきた戦後体制の崩壊に驚いた。そればかりではなく、 自分たちが60代を迎えた今、世界的な大不況が襲ってきた。
このような世の中を生き抜くためには、変化に対応する知恵と想定外の出来事に動じない覚悟が必要だ。
著者は以上のように述べたうえで、「団塊よ、諦めるな!君たちにはまだ未来がある」とエールを送るのである。
2009年11月5日木曜日
白川方明 現代の金融政策
理論と実際
2008.3 日本経済新聞社
1949年生まれ
本書は、言ってみれば、日本銀行を代表する見解である。
まず、日本銀行については、1998年に施行された日本銀行法第1条では、「日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする」と規定したうえで、第2条では「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定している。
日本銀行は独立して金融政策を決定するが、具体的には「金融政策決定会合」で意思決定が行われる。
「金融政策決定会合」のメンバーは総裁、2名の副総裁、6名の審議委員の合計9名である。
金融政策委員会では、金利や通貨量に関する具体的な運営方針を公表する。
例えば、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を0.5%前後で推移するよう促す」などと公表している。
その判断の根拠になるのは、経済の現状判断と予測である。
日本銀行は、専門家としての高い能力にもとづいて、適切な金融政策を運用することが期待されている。
さらに、金融政策運営の独立性を与えられている条件として、意思決定の内容および過程を国民に明らかにしなければならない。
このように見ると、日本銀行は独立して金融政策を決定するとはいっても、選択の余地は、限られている。
したがって、日銀の役割は大きいのだが、景気の不振やバブルの発生をすべて日銀の失敗のみに結びつけるのは、わかりやすい一面で、かえって事実を誤らせる考え方だと言わねばならない。
本書からは、日銀の金融政策は、選択の余地が少ないなかでは、おおむね適切であったのではないかと思えてくる。
よく議論されている「インフレターゲット政策」については、そもそも「インフレ・ターゲット」という言葉の意味する内容が論者によって異なるとし、今のところ欧米の中央銀行でも、はっきりとこの政策を採用しているところはないと言っている。
バブル経済と金融政策については、著者はバブルの発生は完全には防止できないと言う。バブルであったかどうかは、後になってみなければわからないことが多いのである。
2008.3 日本経済新聞社
1949年生まれ
本書は、言ってみれば、日本銀行を代表する見解である。
まず、日本銀行については、1998年に施行された日本銀行法第1条では、「日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする」と規定したうえで、第2条では「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定している。
日本銀行は独立して金融政策を決定するが、具体的には「金融政策決定会合」で意思決定が行われる。
「金融政策決定会合」のメンバーは総裁、2名の副総裁、6名の審議委員の合計9名である。
金融政策委員会では、金利や通貨量に関する具体的な運営方針を公表する。
例えば、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を0.5%前後で推移するよう促す」などと公表している。
その判断の根拠になるのは、経済の現状判断と予測である。
日本銀行は、専門家としての高い能力にもとづいて、適切な金融政策を運用することが期待されている。
さらに、金融政策運営の独立性を与えられている条件として、意思決定の内容および過程を国民に明らかにしなければならない。
このように見ると、日本銀行は独立して金融政策を決定するとはいっても、選択の余地は、限られている。
したがって、日銀の役割は大きいのだが、景気の不振やバブルの発生をすべて日銀の失敗のみに結びつけるのは、わかりやすい一面で、かえって事実を誤らせる考え方だと言わねばならない。
本書からは、日銀の金融政策は、選択の余地が少ないなかでは、おおむね適切であったのではないかと思えてくる。
よく議論されている「インフレターゲット政策」については、そもそも「インフレ・ターゲット」という言葉の意味する内容が論者によって異なるとし、今のところ欧米の中央銀行でも、はっきりとこの政策を採用しているところはないと言っている。
バブル経済と金融政策については、著者はバブルの発生は完全には防止できないと言う。バブルであったかどうかは、後になってみなければわからないことが多いのである。
2009年11月3日火曜日
尾崎弘之 投資銀行は本当に死んだのか
米国型資本主義敗北の真相
2009.2 日本経済新聞出版社
著者は1984年野村証券入社後、モルガンスタンレー証券、ゴールドマン・サックス投信などに勤務した。
本書は「投資銀行は本当に死んだのか」と題するが、著者は、そうは考えておらず、従来とは異なった形で役割をになっていくと考えている。
むしろ、米国型資本主義の「真の問題点」は、投資銀行にあるのではなく、実体経済に潜んでいるというのが著者の考えである。
なぜなら、実体経済がなければ金融産業は成立しないからである。
では、実体経済の抱える問題とは何か。それは、企業経営者が「無理な成長」を、ひたすら追い求め続けなければならないことである。
企業経営者は、決算のたびに、来期の高い業績予想を提示しつづけなければならない。
高い成長が、高い株価を実現し、これによって経営者の能力が評価されるという仕組みがアメリカに広がっている。
このような構造的な原因があるので、ひとつの金融危機が去れば、また次のバブルと金融危機とが、やってくるのである。
著者は今回の危機も、「グリーンスパン」と「ウォール街の投資銀行」だけを犯人とするような偏った意見には疑問を感じている。
「あとがき」では、つぎのように述べている。
「1990年の日本のバブル崩壊と2008年金融危機の共通点は、①株式市場や不動産市場が崩壊しても、それが即、実体経済に悪影響を与えるわけではないこと、②人々がバブルの崩壊に気がつくのは、ピークからある程度時間が経ってからであること、③バブルは金融機関だけでなく、実体経済の心理状態によって作られることの三点である。
2009年初頭は、暗い経済見通しのオンパレードである。まるで、将来への明るい希望など無いようにさえ思える。
しかし、振り返ってみると、ブラックマンデー以降、大きな危機の到来の度に人々は同じような心理状態に陥った。しかし、危機が去ると、危機の存在すらも忘れ去られてしまう。これが危機の本質なのであろう。」
2009.2 日本経済新聞出版社
著者は1984年野村証券入社後、モルガンスタンレー証券、ゴールドマン・サックス投信などに勤務した。
本書は「投資銀行は本当に死んだのか」と題するが、著者は、そうは考えておらず、従来とは異なった形で役割をになっていくと考えている。
むしろ、米国型資本主義の「真の問題点」は、投資銀行にあるのではなく、実体経済に潜んでいるというのが著者の考えである。
なぜなら、実体経済がなければ金融産業は成立しないからである。
では、実体経済の抱える問題とは何か。それは、企業経営者が「無理な成長」を、ひたすら追い求め続けなければならないことである。
企業経営者は、決算のたびに、来期の高い業績予想を提示しつづけなければならない。
高い成長が、高い株価を実現し、これによって経営者の能力が評価されるという仕組みがアメリカに広がっている。
このような構造的な原因があるので、ひとつの金融危機が去れば、また次のバブルと金融危機とが、やってくるのである。
著者は今回の危機も、「グリーンスパン」と「ウォール街の投資銀行」だけを犯人とするような偏った意見には疑問を感じている。
「あとがき」では、つぎのように述べている。
「1990年の日本のバブル崩壊と2008年金融危機の共通点は、①株式市場や不動産市場が崩壊しても、それが即、実体経済に悪影響を与えるわけではないこと、②人々がバブルの崩壊に気がつくのは、ピークからある程度時間が経ってからであること、③バブルは金融機関だけでなく、実体経済の心理状態によって作られることの三点である。
2009年初頭は、暗い経済見通しのオンパレードである。まるで、将来への明るい希望など無いようにさえ思える。
しかし、振り返ってみると、ブラックマンデー以降、大きな危機の到来の度に人々は同じような心理状態に陥った。しかし、危機が去ると、危機の存在すらも忘れ去られてしまう。これが危機の本質なのであろう。」
2009年11月2日月曜日
東谷暁 世界と日本経済30のデタラメ
2008.11 株式会社幻冬社
1953年生まれ
サブプライム問題とか金融危機とかが騒がれている時期には、多くの噂や風評が飛び乱れ、一般の人々の心理を掻き乱し、普段なら考えてもみないような妄説が社会に蔓延しがちであるという。
危機的な時期こそ、目の前の出来事にとらわれることなく、冷静に個々の事実を正確に把握しなければならないのだが、かえってそれができなくなる。さまざまな説を唱えている人たち自身が、自分たちの誤った説のとりこになってしまうことも多い。それどころか、その説が社会全体におよんでしまうと、その説が一人歩きすることになってしまう。
こうした現象は「自己実現的予言」と呼ばれていて、多くの社会現象に見られるという。
現代のような情報社会では、情報がまんべんなく行き渡ることによって間違いが矯正されるのではないかというと、その逆で、情報の過剰集中によって、かえって特定情報の自己増殖現象が起こりやすくなる。インターネットの検索で上位に並んでいるからといって、それが正しいという保証はない。
そういうわけで、現在世間に流布している経済情報についても、まず疑ってかかることから始めなくてはならない。
著者が言う「デタラメ」と著者の反論は、たとえば、次のようである。
「アメリカの金融資本主義は崩壊する」という説があるが、アメリカはこれまで何度も「崩壊した」と言われつづけてきた。2001年ITバブルが崩壊したときもアメリカ資本主義が終わったと言われていた。
「ムダな支出を減らせば増税は必要ない」という説にたいしては、日本は国債残高がきわめて大きいので、これ以上財政赤字が増えないようにするだけでも困難な状態であるという。
「公務員が多いせいで日本経済はだめになった」という説にたいしては、日本の公務員の数は国際比較すると、けっして多くないらしい。
「ドルはほどなく基軸通貨から転落する」という説があるが、著者は2050年ごろまではドルの基軸通貨からの転落は完了しないという。
「あとがき」では、著者は「日本の公務員は少なすぎるために不祥事が生まれている可能性すらあるのに、その解決策が公務員の削減にねじ曲げられてしまっている。しかし、公務員削減のやりすぎで公的サービスの低下が生じ、さらに不祥事が増えたら損をするのは私たち国民なのである。同じような『常識』が経済問題には実に多く存在するのだ。」と述べている。
こうなると、著者の言うことも疑ってかからねばならないことになるが、とかく社会や経済のことは、渦中にいるとなかなかわかりにくいものである。
1953年生まれ
サブプライム問題とか金融危機とかが騒がれている時期には、多くの噂や風評が飛び乱れ、一般の人々の心理を掻き乱し、普段なら考えてもみないような妄説が社会に蔓延しがちであるという。
危機的な時期こそ、目の前の出来事にとらわれることなく、冷静に個々の事実を正確に把握しなければならないのだが、かえってそれができなくなる。さまざまな説を唱えている人たち自身が、自分たちの誤った説のとりこになってしまうことも多い。それどころか、その説が社会全体におよんでしまうと、その説が一人歩きすることになってしまう。
こうした現象は「自己実現的予言」と呼ばれていて、多くの社会現象に見られるという。
現代のような情報社会では、情報がまんべんなく行き渡ることによって間違いが矯正されるのではないかというと、その逆で、情報の過剰集中によって、かえって特定情報の自己増殖現象が起こりやすくなる。インターネットの検索で上位に並んでいるからといって、それが正しいという保証はない。
そういうわけで、現在世間に流布している経済情報についても、まず疑ってかかることから始めなくてはならない。
著者が言う「デタラメ」と著者の反論は、たとえば、次のようである。
「アメリカの金融資本主義は崩壊する」という説があるが、アメリカはこれまで何度も「崩壊した」と言われつづけてきた。2001年ITバブルが崩壊したときもアメリカ資本主義が終わったと言われていた。
「ムダな支出を減らせば増税は必要ない」という説にたいしては、日本は国債残高がきわめて大きいので、これ以上財政赤字が増えないようにするだけでも困難な状態であるという。
「公務員が多いせいで日本経済はだめになった」という説にたいしては、日本の公務員の数は国際比較すると、けっして多くないらしい。
「ドルはほどなく基軸通貨から転落する」という説があるが、著者は2050年ごろまではドルの基軸通貨からの転落は完了しないという。
「あとがき」では、著者は「日本の公務員は少なすぎるために不祥事が生まれている可能性すらあるのに、その解決策が公務員の削減にねじ曲げられてしまっている。しかし、公務員削減のやりすぎで公的サービスの低下が生じ、さらに不祥事が増えたら損をするのは私たち国民なのである。同じような『常識』が経済問題には実に多く存在するのだ。」と述べている。
こうなると、著者の言うことも疑ってかからねばならないことになるが、とかく社会や経済のことは、渦中にいるとなかなかわかりにくいものである。
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