2009年11月26日木曜日

藤原智美 暴走老人!

2007 株式会社文芸春秋

1955年生まれ 1992年「運転士」で芥川賞受賞

高齢化社会では、経済の活力は失われていくが、成熟した高齢者中心の社会は、 時間はゆったりのんびりとながれ、穏やかでゆとりのある社会になる。こういった高齢者に対するイメージは、けっして経験によるものではなく、むしろ古くからの人生観などに基づくものである。
しかし、現実に進展しているのは「暴走する新老人」という言葉がふさわしい、今まで以上にストレスの多い高齢化社会である。
著者は、こうした社会の変化を、「時間」、「空間」、「感情」という三つのキーワードから描き出している。
まず「時間」では、役所や病院で、時間がいくらでもあるはずの老人が、待たされることにイライラして突然怒鳴りだすのをよく見かける。他人から見ると、いったい何であれほど怒っているのか理解できい。
私たちは、「待つこと」になぜイライラするのか、なぜ待ち時間はムダだと感じるのだろうか。
つぎに、「空間」では、かって高度成長期に郊外にマイホームを手に入れた世代も、いまや高齢者となり、郊外住宅地は一人暮らしの老人世帯が点在する空間となった。孤独とは、静かなばかりではなく、ときに孤独感にかられた反社会的な行為にもつながる。隣人同士の摩擦、全国化するゴミ屋敷問題などの背景には孤独感が漂っている。
「感情」というキーワードでは、社会にじわじわと浸透している「丁寧化」という現象をとりあげている。
もともと、サービス産業から始まった表情、言葉づかい、態度さらに内面的な感情にまで達する「丁寧化」が社会全体に行き渡ろうとしている。
病院や学校も、サービス産業化し、患者や生徒も、お客様扱いされるようになった。力のバランスが崩れたことによって、従来では信じられないようなトラブルや苦情が増えた。サービス産業では、サービスだけでなく、笑顔などに象徴される心の領域まで労働として提供させられる。それを社会学者のアーリー・ラッセル・ホックシールドは「管理される心」という本のなかで「感情労働」という言葉で表した。感情を労働として提供するとき、人は、自分の人格とは別のものとして扱おうとする。そのため、彼らが発する声は、個性のない裏声のような独特の音声になる。
あらゆる場所で、感情の切り売りがされているが、ほどんどは見せかけであり、見せかけであるからこそ継続することができる。
「ディズニーランドや航空機の機内という閉鎖された空間で始まった笑顔のサービスは、労働や消費という現場をこえて、生活の細部に入りこんでいる。病院や学校でも丁寧化と笑顔の表情管理が進んでいる。いまや感情労働は労働をこえて、ひとつの生活規範になりつつある。
そのとき、いつのまにか変化した社会に、戸惑いを覚えている人々がいるとすれば、それはかっての若者、現在の老人たちではないだろうか。」(p202)
「こうした感情労働的な丁寧化された秩序を読みとれないとき、その人間はたちまち排除すべき存在、トラブルメーカーとなる。そのトップランナーに新老人がいる。」(p208)
著者によれば、「丁寧化社会」の笑顔の背後には、かってなかったようなピリピリとした気分が覆い隠されているという。
いまや、政治家や経営者まで、「誠意が感じられない」とか「まるで、ひとごとみたいだ」とか言われて批難されているのを見ると、「人の内面にまで達する丁寧化」がジワジワと社会に浸透しているのかもしれない。
会社でも、黙々と仕事をこなしたり、じっくり考えるタイプより、「明るい」とか「テンションが高い」とか、「お笑いタレント」タイプのほうが好まれるらしい。
私は、この本を読んでから、たまたま工事現場で、下のような看板を見かけました。

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