2010年8月29日日曜日

2010年8月21日土曜日

鈴木一郎 ことばの栞

1978 東京大学出版会

1920年生まれ

日本熱 Japanolatry

安土桃山時代から江戸初期にかけて、佐渡の金山や生野の銀山が開発され、さかんに金銀が掘り出された。当時、日本は、世界でも有数の金や銀の産出国で、大判小判が大量に作られ、南蛮貿易で使われていた。
これが、西洋人の目を引かないわけはなく、日本は、西洋人のあこがれの的であった。

当時の日本は、はじめ、スペインやポルトガルと交易していたが、後から来たオランダ人やイギリス人に、スペインやポルトガルの真の目的は、キリスト教の布教とそれに次ぐ日本の植民地化であることを告げられた。
キリスト教の影響を恐れた幕府は、オランダがキリスト教の布教をしないという条件で、長崎の出島でオランダおよび中国とのみ交易をすることにした。これが、「鎖国」である。
この貿易は、理事の半数をユダヤ系が占める東印度商会を通しておこなわれた。
鎖国をしている国の側に十分な輸出品があるわけではなく、この貿易は、一方的なものであった。
今から見れば価値のないガラス製品とか、中国産の安物の陶器とかと交換に、貴重な金銀が使われたのであろう。

江戸幕府は、「鎖国」によって、キリスト教は阻止できたが、そのかわり多量の金銀を失った。
その当時の日本は、浄土真宗や日連宗の勢力が非常に強く、たとえキリスト教の布教を許していたとしても、日本全体がキリスト教の国になっていたとは思えない。
当時、スペイン・ポルトガルの国力は衰えつつあり、日本が武力によって占領されるということもなかったであろう。
そうだとすれば、わざわざ「鎖国」をする必要はなかったのかもしれない。
それはともかく、さらに200年以上を経て、その頃の新興国であるアメリカからペリ-がやって来たときには、これを追い返す力は、日本には無かった。

2010年8月16日月曜日

茂木健一郎 脳を活かす仕事術

「わかる」を「できる」に変える

2008年 PHP研究所

1962年生まれ 脳科学者

「わかっているのに、できない」ということが、よくある。その原因は、本書によれば、脳の「感覚系学習の回路」と「運動系学習の回路」が異なることによる。
「感覚系学習の回路」は、見る・聞く・感じるなどを通した情報の入力を司る領域である。
「運動系学習の回路」は、実際に手足を動かして情報を出力することを司る領域である。
この二つは、脳のなかで、直接、連絡をとっていない。そのため、感覚系と運動系の両者を連絡させるには、一度、頭のなかの情報を出力しなければならない。
考えることは、脳の最も主要な役割のひとつであるが、行動するために身体を動かすことも、脳が主導して行っている。
たとえば、一般に、日本人は、長い間、英語を学んできたにもかかわらず、なかなか会話ができるようにならない。会話ができるようになるには、実際に口を動かして外国人と会話するというトレーニングが欠かせない。
脳の出力と入力の連携をたかめることによって、脳が活性化し、自律性と自発性が生まれてくる。

脳は、変わりうる器官である。言い換えると、脳には「可塑性」がある。
人間の脳は、常に変わることができ、これは誰もが持っている能力である。
人間の脳が変わることができるということは、人間そのものが変わることである。
それまでの人生で、どんな仕事や行動をしてきたか、どれに成功して、何に失敗したかは、関係がない。
脳、したがって、自分は、つねに変わることができる。
脳梗塞などの病気のため、脳の機能の一部を失っても、リハビリによって回復することはよくある。
脳に可塑性があり、常に変わることができるのは、脳のすぐれた機能である。
しかし、その一方では、使わないでいると、今までできていたことが、できなくなってしまう。
そのため、スポーツ選手は、つねに練習していなければならない。
また、高齢になって能力を維持していくのは、かなり大変になってくる。

2010年8月15日日曜日

島田裕巳 金融恐慌とユダヤ・キリスト教

2009 文春新書

1953年生まれ

1980年代の終わりに東西の冷戦構造が崩れてから、グローバル化が進展し、従来の国民国家の枠組が、ゆるくなっている。
そのため、政治問題より経済問題のほうが、注目されるようになった。
いっぽうでは、政治から宗教へのシフトが起こっている。世界各地で、宗教的原理主義運動が台頭し、過激派によるテロも続発した。
政治に代わって、経済や宗教が重要性を増して、注目を集めるようになってきた。

著者は、宗教学者であるが、本書では、宗教と経済との隠れた関係を明らかにしている。
西欧の経済のあり方や、それを分析する経済学には、ユダヤ・キリスト教が大きな影響を与えている。
かって、マックス・ウェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を著わし、宗教が資本主義の発展に深く関わっていることを論じた。
アダム・スミスの「国富論」で有名な「神の見えざる手」という言葉にも、キリスト教の深い影響を見ることができる。

アメリカ合衆国では、国民の8割が、キリスト教徒である。したがって、国民の考え方にも、キリスト教の影響が大きい。
「旧約聖書」は、ユダヤ教とキリスト教の共通の聖典であるが、その世界では、神の人間にたいする怒りによって、この世の終わりが訪れるという終末論が展開されている。ほとんどの人間は死んでしまうが、選ばれた特別な人間だけが生き残るというのも、その特徴である。2001年に同時多発テロが起こったときにも、今回の100年に一度と言われる金融危機においても、多くのアメリカ国民が、旧約聖書に書かれているような終末論を思い浮かべた。

ユダヤ教徒は、人口では、ごく少数だが、国民の上層部ではかなり影響力がある。
ゴールドマン・サックスの創始者もユダヤ人であり、金融資本への影響力が大きいと言われている。
また、ハリウッドで映画を作り始めたのもロシアから亡命してきたユダヤ人が中心になった。娯楽映画の底に流れている考え方にも、旧約聖書の影響が見られるという。
そういえば、他の人間は皆、滅んでしまうが、自分だけは助かるという「ノアの箱舟」のような話は、日本ではあまり聞かない。

宗教学は、人間の目に見えない宗教活動を研究しているが、宗教と経済活動とは、深くつながっているらしい。

2010年8月12日木曜日

三輪修三 多摩川―境界の風景

昭和63 株式会社有隣堂

1939年生まれ

川には、様々なイメージがある。
仏教では、此の世とあの世の境にあるのが三途の川で、人が死んで7日目に渡るという。
「対岸の火事」と言えば、自分には関係がなく、まったく痛痒を感じないことである。
西洋でも、「ルビコン川を渡る」と言えば、もはや後戻りできなくなるような重大な決断をすることである。
多摩川の下流は、東京都と神奈川県の境であり、今でも川を渡ると、ある種の感慨がある。
もっとも、江戸時代より以前は、川の両側ともに、武蔵の国であった。川の流れも、その当時は、今よりひんばんに変わることがあり、村の間で、境界争いが絶えることがなかった。
江戸時代の始めには、東海道には六郷大橋が架けられていた。それが流されてから、再建されることはなく、かえって、江戸の防衛が意識されて、わざと架けられなかった。明治元年、明治天皇の東京行幸の時は、多数の船を並べて橋にした。

多摩川は、江戸や東京の飲料水を供給したばかりでなく、徹底的に利用されてきた。
多摩川上流の奥多摩は、江戸時代には、林業が盛んで、水運を利用して、江戸の町に木材が運ばれた。
昭和40年に砂利の採掘が全面的に禁止されるまで、多摩川の砂利は採掘され尽くされた。府中の多摩川競艇場や川崎の等々力緑地の池は、砂利穴を利用したものである。鉄道では、南武線や京王線なども、当初は、砂利を運ぶために建設されたものである。
多摩川上流域の水は、ダムに貯えられ、放水量は調整されている。さらに、羽村の取水堰で導水されているので、それより下流は支流である秋川の水であるとさえ言われている。
本書が出た当時は、生活排水や工場廃水が川に流れ込んで、水質はきわめて劣悪であった。
いまでは、かっての石がごろごろしていた河原の風景とは、かなり違うにしても、水質も改善され、だいぶ自然が戻ってきたようである。

2010年8月9日月曜日

2010年8月2日月曜日

立花京子 信長と十字架

天下布武の真実を追う

2004 株式会社集英社

1932年生まれ

「『天下布武』の理念を掲げて、ポルトガル商人やイエズス会をはじめとする南欧勢力のために立ちあがった信長は、彼らによって抹殺された―。信長研究に新風を吹き込んできた注目の研究者が、この驚愕の結論を本書で導きだした。」(扉より)

「1492年のコロンブスの『新大陸発見』以後、十六世紀に入ってからのイベリア両国が中南米、インド、フィリピンにおいて展開した大植民地化政策は、カトリック布教を先兵として展開されていた。・・・
彼らによって突き動かされた、グローバリゼーションの大きなうねりが、安土にまで押し寄せていたのは明らかであった。」(p190)

信長といえば、比叡山焼き討ちなど、仏教の僧侶を虐殺したことでも知られている。
これも、信長の残忍さだけはで説明がつきにくいが、キリスト教の宣教師からの何らかの教唆があったとすれば、説得力が増す。
秀吉の無謀な朝鮮出兵も、宣教師による海外情報から決意されたのかもしれない。
また、堺では、千利休のまわりにキリシタンが何人もおり、洗礼の儀式の一部が茶の湯の作法に取り入れられているという話もある。

戦国時代、および安土・桃山時代は、日本人が最も活動的であった時代だが、キリスト教文明の影響は非常に大きく、後の江戸幕府は鎖国政策を取らざるをえなくなったのであろう。

イエズス会は、20世紀に入ってから、再来日し、上智大学などの学校を各地に開設している。また、ザビエルの遺骨の一部も、聖遺物として日本の教会に戻ってきたとのことである。