2013年2月28日木曜日

藤田勉 グローバル通貨投資のすべて


2012 東洋経済新報社

円ドル相場は、過去40年間に1ドル=360円から90円まで4倍に上昇した。
この間、日本の国力は、いちど上昇してから、衰退に向かっている。
少子高齢化が進んで人口は減少に転じている。国の借金はGDPの2倍にふくらんで国家財政の破たんが懸念されている。貿易収支も赤字になった。
これらの事実をあげて、だから円安になるという議論がはびこっている。
ところが、じっさいは、これまでのところ、円はほぼ一貫して上昇してきた。
そのため、日本は国力が衰退するから円安になると主張する人は、オオカミ少年にたとえられている。オオカミ少年の話のとおり、人々が相手にしなくなったころにオオカミが現れるのかもしれない。

円と他の通貨との相場は、経済学では購買力平価説なとの学説があるが、為替市場では通貨の需給関係によって決まっている。
そう考えると、日本の企業が海外へ工場を移せば、円を売ってドルを買うから円安になり、国内が空洞化すれば雇用も失われる。ただ、その企業が海外で稼いだドルを国内に移動すれば、ドル売り円買いになるので円高になる。
銀行や郵便局で、オーストラリアドル建ての債券を勧められ、退職金をオーストラリアドルに投資する人が増えれば、オーストラリアドルの相場が上昇する。オーストラリアが資源国だからオーストラリアドル相場が上がるというよりもオーストラリアドルを買う人がいるから上がるのである。
また、ヨーロッパで信用不安が発生したといっては、円が買われている。
アメリカの政策次第で円安になったり、円高になったりする。

日本国内の要因だけであれば、たしかに、円安方向へ向かっているようにみえる。
だが、21世紀になってからの為替相場を決定する要因は、実物取引から金融取引に変化している。金融取引には、政治経済だけでなく、軍事情勢、地震などの自然現象、そして投機的な思惑が影響する。
日本だけではなく、世界のありとあらゆる動きが為替相場を決定しているのである。
世界中の通貨が取引されており、さまざまな理由で円にたいして弱くなったり強くなったりしている。
かならずしも高金利の通貨や資源国の通貨が強いわけでもない。
海外投資にあたっては、為替相場だけだなく、金利、株式や債券相場の動きが重要である。
それらの組み合わせで、大きく利益をあげたり、逆に損失をこうむったりするのである。

2013年2月16日土曜日

米原万里 旅行者の朝食


2002 株式会社文芸春秋

同時通訳者として知られる著者のエッセイ集。
言葉というのは、その言葉を使っている人たちには容易にわかるが、外国人にはわからないというところがある。
旧ソビエトでは、「旅行者の朝食」と言うと、皆が、いかにも「まずい」という表情をする。事情を知らない外国人にはわからないが、「旅行者の朝食」とは、当時の国営企業が売っていた缶詰の名称なのであった。著者が実際に食べてみたところ、やはりほとんどは非常にまずかったそうである。

桃太郎の話を知らない日本人はいない。
著者は、幼いころ、なぜ、犬、サル、キジがきび団子を命に代えても欲しがったのか疑問に思っていた。
大きくなってから食べてみたが、ちっともうまいものではなかった。
あるとき、アメリカの農場で豚がものすごい勢いで食べている餌があったので、なんだか聞いてみたところ、キビだということであった。そこで、著者は、犬、サル、キジにとっては、キビ団子がとても魅力的だったのかも知れないと思ったのである。

吸血鬼ドラキュラという話がある。
ヨーロッパでは、鹿などの動物の肉が肉屋で売られており、店先に鹿の死骸が置いてあっても人々は平気である。
それどころか、今日は新鮮な肉がはいりましたと知らせる合図になっている。
また、動物の血をバケツに入れて嬉しそうに買っていく人がいる。
家で軽く煮てゼリー状にしてから食べるのが人々の楽しみになっている。
ドラキュラは、ルーマニアでは、モンゴルの攻撃に最後まで抵抗した英雄である。
動物の血を食べるのは、ヨーロッパの伝統であり、サラミソーセージの色も、血の色から来るものであるという。

私は、親の仕事の関係で子供のころアフリカで暮らしていた人の話を聞いたことがある。
あるとき、海岸へ行ったところ、ウニがいっぱいころがっていたので、親子で夢中になって、ウニの殻を割って中身を食べたそうである。そこへ現地の人間が来て、いかにも不思議そうに親子を眺めたという。そのとき、その人は、自分が日本人であることを強烈に意識したという。

2013年2月2日土曜日

ローレンス・J・ピーター+レイモンド・ハル ピーターの法則


2003 ダイヤモンド社

渡辺伸也訳

「ピーターの法則」とは、階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達するというもので、やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められ、仕事は、まだ無能レベルに達していない人間によって行われるという。
人の行動は、役所や企業のように、大勢の人が集まって何かをすることが多い。
大勢の人が集まってなにかをするには、階層構造による組織を作らざるを得ない。
階層構造の下位から上位にあがっていくことを「昇進」と呼ぶ。
ここで、階層ごとに異なる能力が要求されている。
もし、公正な評価がされているとすれば、実務担当者として優れた仕事をした人が選ばれて上位の階層に進むが、上位の階層に進むたびに異なる能力が要求されるため、適応できなくなったときに昇進が止まる。
つまり、下から進んで、あるレベルで無能となった人がその地位にとどまるので、いつのまにか組織はそれぞれの地位について無能な人ばかりになってしまうのである。
若いころ、会社の社長とか専務・常務などの肩書きを持った人は、自分よりずっと能力があるように考えていたが、今から見ると、実はたいしたことはなかったのではないかと思えてくる。
社長とか専務とか威張っていたところで、実際の仕事は、下の者が行っていたらしい。
組織のトップになったら、せめて、秘書にまかせてあるとか部下にまかせてあるなどと言わないでもらいたいものである。
「ピーターの法則」が社会全体に当てはまるとすれば、われわれの社会も上に行くほど無能になる。
政治の世界でも、いちばん下の議員は、毎日、街頭演説をし、有権者の一人一人と握手したり話したりして選ばれる。
議員は、政党という組織に属し、さまざまなテクニックを駆使しながら政党組織の階層をのぼっていく。
人の能力は限られているから、こうしてトップになった人が、ほんとうに国を率いたり、外国のトップと渡り合うのにふさわしい能力まで身につけているとは限らないのである。