2010年5月30日日曜日

東京スカイツリー

現在の高さ
389メートル

2010年5月27日木曜日

ゆうきとも 人はなぜ簡単に騙されるのか

2006 株式会社新潮社

1969年生まれ

プロマジシャン

奇術とか手品というと、なにかしらマイナスのイメージがある。
いっぽう、人にはなぜか騙されたいという気持ちもあり、推理小説が読まれるのも、プロマジシャンが人気者になるのもそのためである。
「振り込め詐欺」や超能力、霊能力など、数多くの詐欺事件がマスコミをにぎわせ続けている。そういう事件を客観的に眺めると、どれも、単純で幼稚な手法が多い。
じっさいのところ、詐欺事件が後をたたないところをみると、人は簡単に騙されてしまうものらしい。
普通の人は、騙したり、騙されたりといったことには慣れていない。人が言葉や文字で表すことと、その人の内面の意思とは同じであるはずというのが社会のルールである。幼い頃から、騙すことは悪いことだと教えられてきた。いちいち人を疑っていたら、日常の生活にも支障をきたしてしまう。
そこで、詐欺師は、そのような人の心につけ込んで、あんがい簡単に人を騙すことができるのである。

世の中にはあらゆる「騙し」のテクニックが横行している。
よく使われるのが、「あなたは信じますか?それとも信じませんか?」といった言葉である。こういうことを、ある状況で言われると、どぎまぎして焦ってしまうものである。ちょっと考えてみれば、この質問の本当の答えに近いのは「わからない」である。しかし、こういう質問が時間的余裕を与えられないで発せられると、「信じる」と言ってしまう人もかなりいるらしい。「信じる」はプラスイメージの言葉として、「信じない」はマイナスイメージの言葉として刷り込まれているので、自分が悪い人間だと思われたくないという心理が無意識に働いて、「信じる」と言ってしまうのかもしれない。
反対に、騙されまいとして「信じない」と、かたくなに言う人は、「自分の目で見ないと信じない」と言うことが多い。これは、「自分の目で見たら信じる」ということであり、このような人も、ありえないことを見せつけられると、あとは簡単に信じ込んでしまうことがある。

マジシャンにしても詐欺師にしても、基本的なテクニックは、冷静に考えさせる余裕を与えないことである。騙されないためには、相手を全面的に信じ込んでしまうのではなく、冷静に時間をかけて考えることである。

2010年5月24日月曜日

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部 戦略思考力を鍛える

2006 ダイヤモンド社

企業が戦略を策定するとき、理路整然とした構想にもとづいて決定するかというと、そうでもない。
実際には、経営者の直感にもとづいて決定されることが多い。
スピード経営に直感は欠かせない。経営者は直感の精度を高めなければならない。その際、経営者の意思決定を歪める心理的な落とし穴にはたとえば次のようなものがある。

アンカリング
アンカーとは錨のことである。なにか決定しようとするとき、人はいちばん最初に得た情報にどうしてもこだわってしまう。これに引きずられて次に続く思考や判断が鈍ってしまう。家族や友人の何気ない一言、新聞の記事、テレビのコメンテイターの発言などに引きずられてしまう。これを避けるためには、できるだけ情報源を広げ、つねに様々な観点から問題を眺めなければならない。
他人のアイデアがアンカーになるのを防ぐためにも、だれかに相談する前に、まずは独力で問題を考えてみる必要がある。

現状主義
人はダメージから自分を守りたいという願望がある。
現状を打破するということは、行動を起こすことであるが、行動を起こすと失敗することもある。現状を維持することは、たいていの場合、より無難な策を取ったことを意味する。
人は、無意識のうちに、なにもしなくてもよい理由を探している。

埋没原価
「埋没原価」とは「回収不可能な過去の投資」である。
過去にいくら時間と金をかけて投資したものであっても将来利益を生まなくては何にもならない。同様に、過去に自分が下し、今となっては何の意味もなくなってしまったような意思決定を何とか正当化しようとして、本来選ぶべきでない選択肢を選ぶことがある。過去にした意思決定でも、途中でやめることが必要なこともある。
ウォーレン・バフェットはつぎのように言う。「もし穴のなかにいる自分を発見したら掘るのをやめるのがあなたにできる最善のことです。」

本書は経営書であるが、個人にもあてはまりそうである。

2010年5月23日日曜日

大森から大井町を歩く

古東海道、鎌倉道のあたりには古いものが残っています






鹿島神社

来迎院あたり

西光寺にて

大井三ツ又地蔵

大井庚申堂 

2010年5月22日土曜日

野口悠紀雄・遠藤論 ジェネラルパーパス・テクノロジー

日本の停滞を打破する究極手段

2008 株式会社アスキー・メディアワークス

ITは、インターネットが利用されるようになってから可能になった情報・通信技術である。
新しい情報通信技術であるITは、ジェネラルパーパステクノロジー(一般目的技術、汎用技術)であるため、組織や社会の構造と密接な関係にある。
「IT革命」は、経済活動にきわめて大きな変化をもたらした。
本書によれば、IT革命の利益を享受できないことが日本経済停滞の本質的な原因である。
ITにたいする基本的な転換がないと、日本経済の活性化は期待できないという。
アメリカでは、1990年代に企業の大幅な交代が進み、主要企業の構成が大きく変化した。それに対して、日本では、ほどんど変化が見られず、1990年代の中心的な企業がいまだに中心的な企業である。
さらに、エレクトロニクスなどの、ついこの間まで日本を支えていた事業が、もはや利益を生むものにはならなくなっている。
製造業中心の「ものづくり」にこだわるのではなく、ITを利用した価値の高い新しい産業構造に転換することが、これからの日本経済にとっての課題であるという。
1980年代は日本が世界を制覇したかのように見えた。
そのころ完成したのが、官庁や銀行の大型コンピューターを中心としたシステムである。
IBMなどの大型コンピューターを中心にしたシステムをメインフレームと呼んでいる。今では、このようなメインフレームを旧式なレガシー・システムとして問題視する声も多い。
日本の主な官庁や企業は、未だにメインフレームを使っているため、古いシステムのメンテナンスに膨大なコストをかけている。
IT革命といわれたのも過去のことであるが、それよりさらに昔のシステムが日本の企業の重要な資産であることが問題であるともいう。
昔懐かしい富士通とかIBMのコンピューターが今でも大企業の中枢では使われているのだろうか?

2010年5月19日水曜日

脇田成 日本経済のパースペクティブ

構造と変動のメカニズム

2008 株式会社有斐閣

1961年生まれ

「失われた10年」とはどんな時期だったのかを抜きに、日本経済を語ることはできない。そこで、この時期から振り返ってみたい。

90年代初頭
銀行の不動産向け融資の急増により地価の暴騰を招いた「バブル」が崩壊した。
当時、銀行はきわめて多額の含み資産を持ち、地価神話も崩壊していなかったので、今から見ると深刻には受け止められることがなかった。

90年代中頃の「追い貸し」と「先送り」
いずれ地価が上昇すれば、損失は回収できるという楽観的な期待のもとで、銀行による「追い貸し」とともに、超低金利政策と大判振る舞いの財政政策が始まった。

97年金融危機
北海道拓殖銀行、山一証券などが破綻し、銀行部門の不良債権問題の深刻さが、誰の目にも明らかになった。

小泉構造改革
竹中金融行政は、大銀行へ経営統合を迫るなどの強硬策をとり、不良債権の処理にめどをつけた。

2003年以降
好調な輸出に支えられて、日本経済は、ゆっくりと浮上し始めた。

2008年以降
アメリカから始まった金融危機による世界同時不況によって、輸出に依存していた日本経済は再び落ちこんでいる。

経済の担い手を、家計・企業・政府に分けることができる。
この間ずっと、家計部門は負担を強いられてきた。
そのルートは、①家計の所有する土地や株などの資産価値が下落した、②銀行・企業の不良債権処理の過程で給与所得にしわよせが及んだ、③超低金利政策が長く続いたため、利子所得が失われた、④輸出が伸びることで企業は不振を脱したが、給与所得にまでは恩恵が回らなかった。
このため、消費は伸びず、内需が不振なため、ますます外需頼みの経済になっている。

今後の日本経済を考えるうえで差し迫った問題は、財政悪化、社会保障維持、少子高齢化である。このうち、少子化があるために残りの二つの問題はさらに困難になっている。
そこで、著者は、思い切って子供への現金給付をすべきであると提案している。
じっさい、民主党政権のもとで、子供手当が導入された。
たしかに、経済学者の見方では、「子供手当」は少子化対策としては理にかなっている。
はたして、これが国民に受け入れられて定着し子供が増えるのかどうかはまだ分からない。

2010年5月16日日曜日

中井浩之 グローバル化経済の転換点

「アリとキリギリス」で読み解く世界・アジア・日本

2009 中央公論新社

1967年生まれ

「アリとキリギリス」は、イソップ寓話である。
グローバル経済は、経済成長を輸出で維持してきたアリ諸国と、内需主導で維持してきたキリギリス諸国との相互依存によって拡大してきた。アリ諸国の代表である日本は、優秀さと勤勉さを自賛してきたにもかかわらず、いっこうに豊かになれない。いっぽう、アメリカ人は、豪華な家に住み高価な車を乗り回してきた。

寓話では、冬になると、キリギリスは困って、アリは暖かく暮らすのであるが、グローバル経済のように両者に交易があると、アリも困ることになる。夏の間に、いっしょうけんめい働いてアリがキリギリスから得たものは、ドルという紙切れにすぎなかったので、アリに豊かな蓄えは残らなかったのである。

このようなたとえが適切かどうかは別としても、一国だけで経済を語ることはできず、グローバルな視点で考えなければならない。

日本経済の現状と今後についてどう考えたらよいのだろうか。
1990年代から2000年代の日本経済を形容して、「失われた15年」という表現が使われている。著者は、その間、日本経済が失ったものは三つあると考えている。
すなわち、①経済成長、②モノ作りの拠点としての優位性、そして③主体的に経済構造の改革に取り組む意思、である。

それでは、今後の日本経済は、どうあるべきか。
著者は、①主体的に経済の構造改革に取り組む意思と姿勢の重要性、②対外的には、「慈善的・大国主義的アプローチ」から脱却する必要性を示唆している。

「失われた15年」の停滞を経て、日本はもはや東アジアで唯一の経済大国ではなくなった。この事実を冷静に認識したうえで、主体的に構造改革に取り組みながら、東アジアの中での共生を図るしか日本経済の進む道はないという。

「日本経済」の衰退は、以前から指摘されてきたが、いよいよ確かになったきた。
政治家は経済に無関心、日銀は、これ以上やれることはないというのが現実である。
さらに、日本人は自分たちをアリだと思ってきたのだが、アジアの他の国々から見れば実はキリギリスであったのかもしれない。

2010年5月15日土曜日

鎌倉道を歩く

保土ヶ谷から菊名までの鎌倉道らしき道を歩きました。

保土ヶ谷区神戸町の古東海道の道標

    神奈川区神大寺の丘に残る農地

岸根公園

 篠原池

2010年5月12日水曜日

2010年5月11日火曜日

今井照 図解よくわかる地方自治のしくみ

2007 学陽書房

1953年生まれ

法律では、「地方公共団体」ということばが使われているが、一般には「地方自治体」が使われている。自治体は、普通地方公共団体と特別地方公共団体に分けられる。

普通地方公共団体は、都道府県と市町村である。特別地方公共団体には、東京都の特別区、地方公共団体の組合などがある。市町村は、さらに人口50万人以上の指定都市、人口30万人以上の中核市、人口20万人以上の特例市、人口5万人以上のその他の市という区別がある。指定都市には、その区域を分ける「区」が置かれている。

東京都では、戦時中の1943年に東京市が廃止され、東京都に吸収された。
現在では、東京都の区は特別地方公共団体として独立の扱いがされているが、横浜市のような区は、たんなる行政上の区域にすぎない。東京都の区は、市のようなもので、区には区会議員がおり、区長は選挙によって選ばれている。

もっとも、最高裁の判決では、東京都の特別区は「地方公共団体」とは言えないとして、区長の公選制を廃止しても違憲ではないとした。(昭和38年)

その後、特別区長の公選制は復活し、地方自治法でも東京都の区は特別地方公共団体となった。
最高裁の判例はあっても、地方自治法が変わったので、東京都の区は、憲法上も、地方公共団体である。

地方自治のしくみは、「2000年分権改革」によって、国の自治体への「関与」が大幅に制限されるなど、それまでとは、大きく変わっている。

2010年5月10日月曜日

半藤一利ほか 零戦と戦艦大和

2008 株式会社文芸春秋

「文芸春秋」の座談会を収録したもの。
戦艦大和は、日本が誇る巨大戦艦である。
しかし、建造当時から、すでに大艦巨砲よりも航空の時代だといわれており、山本五十六は、大和の建造に反対したという。
それでも大艦巨砲にこだわったのには、政治と利権がからんでおり、艦船建造予算に付随する人やポストが多く、簡単に舵をきれなかったこともある。
海軍を退役したあと、造船会社に天下る軍人も多かった。
ちなみに、半藤一利によれば、大正11年にワシントン海軍軍縮条約が結ばれて、新しい艦船の建造が制限されたので、造船会社の仕事がなくなったため、永代橋、勝どき橋など隅田川にかかる多くの橋を造船会社に造らせたのだという。

戦艦大和は、沈んでしまったが、戦後、呉海軍工廠は、アメリカの海運会社が、設備を借り受け、船舶の建造を始めた。
大和を建造した技術や設備は、戦後も健在で、昭和31年には、日本は造船量で世界一になった。

呉の造船所の運営を任されていたのが、後にNTTの社長になり、リクルートの未公開株事件で失脚した真藤恒である。
真藤恒は、石川島播磨重工の社長から、民営化される電電公社へ送り込まれた。
彼を推したのは、同じく石川島から東芝の社長になった土光敏夫である。

こうして見ると、世の中で何かが決定がされるのは、合理的な理屈ばかりではなく、むしろ偶然や、金とか人間関係によるところが大きいのではないかと思う。

2010年5月7日金曜日

東急沼部

六郷用水跡

桜坂(中原街道旧道)

2010年5月6日木曜日

本多庸悟 「情報の数学」再入門

2007 日刊工業新聞社

「情報」という言葉がいたるところで使われている。
同じような言葉に「データ」がある。情報とデータは同じ意味で使われることもあるが、データは単なる事実や材料として、情報のほうは意味や概念を持つ場合に使われることが多い。
言葉も情報であるが、はじめから定義されて作られたわけではないので、時代によって変わったり人によって振れたりする。
「情報」という言葉は、明治9年に軍事用語の訳語として初めて表れたとされている。戦後は、姿を消したが、その後、日常的な一般用語として再登場し、普及して現在に至っているという。いまでも、情報漏洩とか機密情報とかなにか怖い響きがあるのは、そのためだろうか。

アメリカのシャノンという学者は、情報の数学を創始したひとりである。
それによると、文字、数字、記号などのメッセージの集まりが情報になる。
つぎに、情報量とはメッセージを対数で表現したものである。2の8乗とか言う場合の8が対数である。
情報量に起こりうる確率を掛けたものからエントロピーという概念が導き出された。
わかりきった情報のエントロピーは小さく、どれがくるかわかりにくい情報ほど、エントロピーは大きい。
エントロピーは、もともと熱力学に由来する。熱力学でのエントロピーは、粒子の運動がもっともバラバラで、全体として混沌とした状態になったとき最大になる。情報のエントロピーは、メッセージが均等にバラバラになって、情報が何を意味しているのかわかりにくくなったとき最大になる。
通信工学における伝送量や雑音の問題に関連して使われているのがこのような情報の概念である。

情報という言葉はいろいろな意味で使われているが、情報があふれていることは事実である。そのため、情報が多すぎて処理する時間もなく、かんじんの判断は占い師に頼るとしたら残念なことである。情報はいくらでもあるはずなのに、一瞬先に何が起こるのかさえ知ることはできない。

2010年5月4日火曜日

梶井厚志 戦略的思考の技術

ゲーム理論を実践する

2002 中央公論新社

1963年生まれ

自分のとる行動だけでなく、他人の様々な行動と思惑がお互いの利害を決めるような環境を戦略的環境という。
戦略的環境のもとで、合理的に行動するように意思決定することが戦略的思考法である。
戦略的行動とは、自分が動いたときに、相手がどう動くのか予想して、自分にとって有利に動くにはどうしたらいいのか考えることである。
人も組織も、しばしばこうした考え方で行動する。

たとえば、人の上に立つような人物が使う思わせぶりなそぶりも戦略的行動である。「何か困ったことがあったら、いつでも俺に相談しろ・・・」と言うが、肝心の「困ったこと」はめったにやってこないし、なかなか相談できるものではない。将来の恩を目の前にちらつかせておいて、本当に恩を与える確率は非常に小さい。
小さな可能性だけで、相手を自分の意のままにあやつることができるとすれば、有利である。もっとも、守れない約束を繰り返していると信頼されなくなって、自分に不利になる。

パソコンやデジカメが普及して、誰でも写真を自分でプリントできるようになった。
こうなると、メーカーはプリンターを安く売って、インクを高く売ろうとする戦略を取るのが、合理的である。消費者には、はたして、売っている価格が原価に基づいて決められたのか、それとも企業の価格戦略なのか知ることは難しい。
一時、携帯電話が無料というのがあったが、これなどは明らかに、無料のわけはないから、企業の販売戦略である。

戦略的思考を始める前に、自分の取りうる戦略にはどのようなものがあるか考えることが必要であるが、これが難しい。
戦略的というより以前に、何が目標なのか知ることすら難しいのが人生である。