2008.11 日本経済新聞社
1957年生まれ
ここでは、バブル崩壊後1991年から2005年までの15年間の戦後未曾有の経済停滞期を「失われた十五年」と呼ぶ。
この間、日本銀行は一方的な金融緩和を余儀なくされ、ついにどの国の中央銀行も経験したことのない量的緩和政策にまで追い込まれた。このような超金融緩和と財務省による円高阻止の為替介入が長期の円安をもたらし、景気を下支えした。
ゼロ金利制約下における追加的金融緩和策のうち最も注目されたのは、グルーグマンらの主張した独立的インフレ期待形成策であるが、本書では、日銀がこれを採用しなかったのは「正解」であった可能性が高いという。著者は、インフレ政策を採用することによって引き起こされるであろう弊害とその沈静化コストを考えれば、デフレの弊害の方がましだと考えている。
十五年近くの間、金融政策が緩和方向に傾き続け、循環性を失ってしまった原因について、本書では次のように書いている。
「一つは、金融政策がプルーデンス政策(信用秩序維持政策)を『肩代わり』せざるを得なかった、という事情による。二つ目は、経済がデフレに陥ったことだ。とりわけ、2002年からの景気回復期にデフレが継続したことが大きく影響している。」(p7)
簡単に言えば、この間、銀行の体力の衰えが回復しなかったこと、世間では不況が続いているという認識が一般的だったこと、このため日銀は金利を上げることができなかった。日銀は積極的にゼロパーセントに近い金利を継続したというより、むしろ、そうせざるを得なかった。本書では、この十五年間を非常事態ととらえ、いったん金利がゼロパーセントに達すると金融政策は打つ手を失うと言い、日銀の政策をおおむね追認するかたちになっている。
アメリカ発の金融危機が世界に拡がるなかで、新しい金融政策のあり方が議論されている。著者は、将来のためにも、「失われた十五年」における政策や論争を総括することは不可欠であると述べている。
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